karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

第2回共通一次試験(1980年)国語

今週のお題「受験」

 

このお題で記事を書こうとして、「私も歳を取ったんだな」と思った。記事の題材になりそうなことが、次から次へと頭に浮かんでしまったからだ。

1982年神戸大学二次試験数学(「kの値を求めよ」という問題で、正解は「解なし」)、1985年共通一次数学(「昭和の米騒動」と言われた)、1989年共通一次理科で得点調整/国語でまさかの『源氏物語』出題、1980年共通一次国語の問題文、これらが特に印象に残っている。

今回は1980年共通一次国語の問題文について書く。

 

私は第5回共通一次試験(1983年)を受験した。1984年までの共通一次試験国語は、「評論、小説、随筆または解説文、古文、漢文」の全5問だった。現代国語(当時は「現代文」とはよばれていなかった)の配点が高かった。

第2回共通一次試験(1980年)国語の「評論以外の現代文」が、私にとってインパクトが大きかった。

といっても、試験場でこれらの問題を解いたわけではない。過去問集で知った。

出題されたのは、小説が『鳥寄せ』(三浦哲郎)、随筆または解説文が『ロン先生の虫眼鏡』(光瀬龍)だった。『ロン先生の虫眼鏡』は追試験での出題だったかもしれない。

 

『鳥寄せ』は、強烈な内容だった。「うへぇ。こんな重い内容の小説が出題されたのか。」と、試験問題を見て思った。「石地蔵になったとはどういう意味か」「網を持って山に入ったのは何故か」といった設問があったのを覚えている。

この問題を解いて以来、「三浦哲郎」という名前を見聞きすると真っ先に、「石地蔵になったとはどういう意味か」という設問が頭に浮かぶようになってしまった。『繭子ひとり』でもなく、『盆土産』でもなく、『春は夜汽車の窓から』でもなく、この設問が。

「鳥寄せ 共通一次」等で検索すると、いろいろと出てくる。やはり、「強烈な印象が残っている」という人は、私だけではなかった。『鳥寄せ』は、新潮文庫『木馬の騎手』に収録されている。

 

木馬の騎手 (1979年)

木馬の騎手 (1979年)

 

  

『ロン先生の虫眼鏡』(光瀬龍)というエッセイは、後に、原作には登場しない独自のキャラクターが活躍する漫画作品として再構成された。私が(誰かに買ってもらったのではなく)自分の小遣いで初めて買った漫画単行本は、この漫画『ロン先生の虫眼鏡』である。だから、過去問集で見たときに驚いた。

「この漫画の原作本が共通一次に出たのか。正答に届かないやつが多かったから悔しいな。」と、解いた後に思った。光瀬氏の中には「正答に疑問がある」という思いがあったそうだ。ネットを使うようになってからそれを知った。

 

ロン先生の虫眼鏡 (1976年)

ロン先生の虫眼鏡 (1976年)

 

 

 中学や高校の国語試験。「この話、全文を読んでみたい。だけど、題名も作者の名前も書かれていない。」と当時思ったものも、そういえばあった。

今はネットの時代。ネットを使っていて偶然辿り着いた記事で、それらが偶然にわかってしまうことがある。

立春の卵」の話とか、『ものの見方について』(笠信太郎)とか。中学時代の私に教えてやりたくなる。

私は国語が苦手だった。苦手な私にとっての国語試験でも、「全文を読んでみたい」と思う話に出会うチャンスがあったんだな。不思議なもんだ。と今は思う。

このような経験、他の人もあるんだろうか?

(国公立大二次/私大)物理と「1980年代前半の地方自称進学校」との相性

今週のお題「受験」

 

「大学受験」に関するイメージは、受験生の置かれている条件が異なると、いろいろと変わってくると思う。世代とか選択科目とか地域/学校の受験文化とかいった条件が。「勉強法などのアドバイスや合格体験記の類」を参考にする際には、これらの「条件の違い」についても考える必要があると思う。

 

私は1983年に第5回共通一次試験を受けた。当時の共通一次は5教科7科目(理科/社会はそれぞれ2科目)が必修だった。国公立大学入試への共通一次試験制度導入が1979年である。それまでの国公立大学入試は、「一期校/二期校」という制度だったらしい。

私の大学時代、院生や助手等に「一期校/二期校」入試を経て入学の方も多かった。その方々の証言によると、「共通一次制度導入で、高校(特に地方の自称進学校)の方針や書店の学参売り場がガラっと変わった。学校側が『生徒を十把一絡げ』的方針を取るようになった。また、じっくり考えよう系学参が少なくなって、マークシート対策タイプ学参ばかりになってしまった。」ということだ。

「1980年代前半の地方自称進学校」では、「共通一次制度(5教科7科目制)を強く意識した、学習指導や進路指導」がなされていたようだ。私の出身校や他地域の「自称進学校」出身者の証言から考えるに。

(国公立大2次/私大)物理と「1980年代前半の地方自称進学校でなされた、学習指導や進路指導」との相性を、私はどのように捉えているか? 結論から言うと「最悪」と捉えている。

特に私の出身校の場合、この「学習指導や進路指導」によって、物理という科目に変なイメージがつけられたのでは? と私はひそかに疑っている。

私とは違った世代や学校や受験文化の下でも、(国公立大二次/私大)物理と学習指導や進路指導との「相性」の良し悪しというものがあったのだろうか? 高校時代からずっと、このことについて私は疑問に思っている。

 

(国公立大二次/私大)物理入試って、どんな特徴があるの? と訊かれたら、私は次のように答える。

  • 教科書章末問題と入試問題との難易度に、大きなギャップがある。
  • 入試問題で点数が取れるようになるまでに、時間がかかる(即効性がない)。しかし、実力が伸びるときは急に伸びる。現役生の場合は特に、年が明けてからの急上昇もありうる。
  • 「公式を覚えて、それにあてはめ」戦法ではうまくいかない。公式導出過程が重要。とはいえ、「解説の丁寧な良問」(←ここ重要)もある程度解かないと実力がつかない。

 私が高校生だった当時の高校物理授業には、もう一つやっかいな要素があった。それは、「物理を勉強するために必要な数学(三角関数等)」を、数学授業よりも先に自力で勉強する必要が出てくることであった。

これらの特徴と「自称進学校の学習指導や進路指導」との相性は、最悪である。

 

では、自称進学校とはどういう学校か? それは「ブラック企業高校バージョン」である。 今週のお題「テスト」 - karotousen58のブログでも書いたが、「一クラスまるまる勉強家(自分独自で勉強できる生徒なんていないに決まっている)」的な方針で学習指導や進路指導を行う学校である。

  • 教科書以外の副教材(内容は無関係)を学校側が複数指定、指定教材と普段の授業について頻繁に小テストを行う。小テストの点数が低かった場合、莫大な課題(しかも、「書いて覚えましょう」系)を押し付ける教師もいる。課題提出を義務付けられる場合もあり。「ちょっと体調を崩した」といったことでもあれば、課題が「借金雪だるま」的なものになる危険性大。理数系指定教材には、詳しい解説がついていない。答えの数値のみが出ている。
  • 「宅習カード」なるカードの提出が義務付けられていた。例えば「○月△日21時~22時英語構文暗記、22時~23時徒然草文法学習」といった申告をさせる。
  • 夏休みや冬休みには「補習」なるものを押し付けていた。タテマエは「自由参加」なのだが、実際には拒むことは困難。「夏休み」は、実質的には盆をはさんだ2週間程度。3年生になると、平日放課後も補習漬け。
  • 「地元国立大学や、そこと似たようなタイプの選抜方法をとる大学」を生徒に勧める。違うタイプの大学を希望することは、「教師や親へ挑戦状をたたきつけること」を意味する。
  • 学校配布の「合格体験記」は、「学校の先生を信じて、学校の方針通りに一生懸命勉強して合格しました。」という内容ばかり。学校配布以外の学参や大手予備校模試のことを話題にしようものなら、「身の程知らず。学校の勉強以外はするな。」と教師から言われまくる。
  • 選択科目についても、学校側がいろいろと口出しをする。学校側は「定期試験や目先の小テスト」のできで生徒を判断。だから、「実力がつくまでに時間がかかる(即効性がない)」タイプの科目を学校側は歓迎しない。というか、生徒本人よりも先に学校や親が、「どうせ、この科目はこの子にはできない」と早いうちから決めつけてしまう。物理と日本史が特に嫌われていた。日本史と世界史の両方履修を希望する生徒に対して、「一つは地理にしろ」と命令もザラ。
  • 高3で履修する科目は、授業では教科書を全部終えることができない。「生徒十把一絡げ扱いの、目先の小テストや補習漬け」のほうを優先。
  • こういう調子だから、「現役で勉強漬けにしてもこの程度なんだから、浪人しても学力は伸びない。」と学校側が決めつける。

 

私の出身校の場合、当時の地元国立大学は一次試験重視の選抜方法を取っていた。二次試験の入試科目数も、他大学より少なかった。そして、工学部の二次試験科目からは「理科」が外されていた。

だから、「共通一次で高得点を取り逃げ切る(二次試験の勉強まで手が回らない)。」「二次試験の配点が低く科目数も少ない大学を狙う。」「理科の科目選択ができる場合は物理を避ける。理科が課されない大学を特に歓迎。」戦法を学校側が押し付けた。共通一次の点数が「業者がはじき出したA判定点数プラス30点」未満なら、諦めさせるという方針だった。

前に述べた(国公立大二次/私大)物理入試問題の特徴、これを考えると、(国公立大二次/私大)入試用物理を勉強するには、「自称進学校の、学習指導や進路指導」に従順だと危ない。学校指定教材には、解説の丁寧な良問なんてものは期待できない。「自分なりの勉強を、ある程度まとまった時間を取って、じっくりと続けていく必要がある。」と私は考える。

とはいえ、「目先の小テストや補習漬け」攻撃をかけられまくったら、「自分なりの勉強」なんてさせてもらえなくなるんだよな。悩ましい。

 

私の高校時代、科目選択は次のようになっていた。

数学 数学1(1年生で履修)、数学2B(2年生で履修)、数学3(理系のみ。3年生で履修)。文系の3年生は、志望校によって、「数学1と2の両方履修」か「数学1のみ」のどちらかに。

理科 1年生は、化学1必修。物理1と生物1のうち1科目選択。理系の2年生は、物理2と化学2必修(とはいっても、1年生終了時点で物理1も化学1も教科書を全部終わっていない。)。文系の2年生は、物理1、化学1、生物1、地学1から2科目選択(もっとも、物理1は事実上選択肢から外されているかたちになるが)。理系の3年生は、志望校によって「物理2と化学2の両方履修」か「物理2と化学2のうちどちらか1科目のみ」のどちらかに。後者の場合は、「理科1科目分の空き時間」は、共通一次で選択の社会科科目があてられる。

社会 1年生は、地理と世界史のどちらかを選択。2年生は、1年生での未履修科目と日本史のうち、どちらかを選択。

こういう状態だから、理系希望でありながら、理科や数学よりも「共通一次用科目の点取り学習」に時間を割かなければならなくなってしまう。最悪の場合、肝心の理系科目学習内容に大きな穴が開いた状態で、理系学部に進学することになってしまう。

悲しい話なのだが、生徒のほうも、履修科目数が多くなることを嫌う。「詰め込みは嫌なのだが、学校側の共通一次点取り方針は歓迎」空気に、生徒も親も染まっていた。

「理系希望なら、理科は2科目以上やりたいと思うもんだろ。」と反発していたのは、私を含めた少数だった。当然、教師からは嫌われていた。 

 

2010年に発表された「物理学分野の展望」という報告書(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h-3-3.pdf)によれば、高校における物理履修者の比率は 1970 年代には 80 ~ 90 % 台であったが、1982 年の指導要領改訂以降は 30 % 台に激減し、現在では 20 % 以下と言われている。とのことだ。

私の出身校のような話が、他の高校でもあったのでは? 私は密かに疑っている。

物理という科目に変なイメージを持たないでほしい。可能性を狭めないでほしい。高校生や受験生が悪いのではなく、「学習指導や進路指導方針との相性がたまたま悪かった」という可能性もある。

高校時代に物理を勉強していてよかったと、(少なくとも私は)思っている。

今週のお題「体調管理」

今週のお題「体調管理」

 

誰の体調を管理するのか? 私の場合はこの問題も大きくなる。

「老親や飼い犬の体調管理」って、どんなふうにやっていけばいいんだろう? と思う。

 

私の親は2人とも認知症傾向にある。更に生活習慣病についても考えないといけない。食べ物の咀嚼や誤嚥防止も要警戒ワードである。

そして、一番厄介な条件が「食べ物の好き嫌い」である。私の親は2人とも「嫌いな食材」が多い。この状態に「生活習慣病」が加わると、献立を考えるのも一苦労である。

認知症の症状の一つに「過食」がある。これについても警戒が必要である。もともとが甘党なのだが、甘いものばかり大量に食べたがる。「食べられないよりはずっとよい。しかし、肥満には要注意。」と主治医から指摘がある。

だから、おやつになりそうなものは、親に気付かれそうにない場所に隠している。そして、食べる量も決めている。

 

飼い犬の体調管理? ドッグフードでもやって毎日散歩してりゃいいだろ? と思われるかもしれない。

しかし、「認知症傾向のある老人」と「室内飼いの犬」という組み合わせだと、それでは終わらない。

私の親が冷蔵庫から肉やハムやソーセージの類を無断で取出し、飼い犬に食べさせる。食事に出てきた肉類を飼い犬に食べさせることもある。そういう問題が出てくるのだ。私が外出しているとき、こっそり飼い犬に食べさせている模様。

「飼い犬がいくらねだっても、人間用の食べ物はやらない。ドッグフードと犬用おやつを、決めた量だけやる。」という方針を、私は取っている。父もこの方針をとっていた……はずだった。

最近、父までがこっそりと飼い犬に食べさせはじめた。ヤバい。

 

私の体調管理? 特別なことはやっていない。ただ、冬は、3つの首(首、手首、足首)を冷やさないように心がけている。

一昨年の冬だったか、「厚着よりも、この『3つの首』を温めるほうが防寒効果がある」と聞いた。そのときは、効果には特に期待していなかった。その数日後、リストウォーマーを店で見つけた。「バカ高いものでもないから、ちょっと買ってみるか。」と思って買った。

実際使ってみて、「ほんとだ。こんなに効果があるなんて意外。しかも安物ときているのに。」と思った。首と足首でも、確かに効果があった。

「3つの首を温める」これは、体調管理を目的として始めたというわけではない。ただ、これによって「厚着をした状態で汗をかいてしまう」ことが少なくなった。結果的には体調管理につながっているのかもしれない。

「同世代のお友達」でなきゃダメだろうか?

 

女優の奥山佳恵 ダウン症の息子を通常学級に入れる決意に反響 - ライブドアニュース

併読をおすすめ http://square.umin.ac.jp/~massie-tmd/helpme.html 「助けが必要な自分の状況や相手の力量を理解、把握→適切な時/場/人/内容の条件を満たして、初めて有効な援助要請へ」投げ込み統合なら理解/把握力養成は困難では?

2017/12/28 02:42

 


奥山佳恵の暮らしラボ・家族に選択の時が…

 

子供の頃クラスでかなりイジメられてた女の子について「いや、彼女は本の趣味もいいし、話せばとても面白い子だよ」って言ったら滅茶苦茶茶化されて、お互いにとって不幸なことになっ

私の場合、「本の趣味もいいし、話せば面白い子」の類の発言が年長者(ある同級生の親御さんや従姉)から学校外でなされた。救われた。親は「大人が合わせてくれただけ。友達のできないダメな子」と言うだけだった。

2017/12/26 22:32

 動画の04:00あたりで、「同世代の友達が1人でも多い方が 財産になる」という内容の発言が出てくる。

「同世代の友達をたくさん作ることが、この子の生きる力となる。だから、特別支援学級/校ではなく普通学級を希望する。」というコメント、親御さんからも「全ての子供を普通学級へ」運動関係者からもよく出される。というより、「そのコメントが最初に発されないことは稀」である(少なくとも、私の観測範囲内では)。

否、「障害児の就学相談」の場だけではない。「学校生活で一番大切なことは、同世代の友達をたくさんつくって社会性を身につけることだ。」という類の見解、世間一般で広く共有されているように思える。

「大勢でワイワイやるのが好き」というように見えない(と大人が認識した)子供に対して、「○○さんとしか遊ばない」「もっとみんなの輪の中に」と大人がとても気にするケース、私はいろいろな場で見聞きしてきた。そして、私もこれらの言葉に苦しめられてきた人間である。「同世代」ということに異様に重きを置いているように、私には思える。

もっと言うと、「同世代の友達ができないようなら、他の人とも交流なんかできない。よって、社会性を身につけることができなくなる。」という解釈のレールが、勝手に敷かれているのでは? と私には思えて仕方がない。

本当に「同世代の友達」でなきゃいけないのか? 年齢の離れた人からいろいろと影響を受けるということはないのか? 「年齢の離れた人との交流もあり」というのじゃダメなのか? 「同世代の友達」でなきゃいけないというのは、本人にとってプレッシャーになることもあるのでは? 交流を子供に丸投げなのでは? 私淑という方法もあるのでは? と私は疑問に思っている。

 

「同世代の友達をたくさん作ることが、この子の生きる力となる。」という見解は、しばしば暴走した形で表現される。「分けることは差別」とか「分離教育は能力主義価値観支持だから悪い」とか「障害児本人だけではなく、周りの子供も成長する」とか主張する人達が、「(同級生の)友達の数」や「愛想よくできているか否か」によって「障害児を序列化」という形で。

そして、子供が「一人でいることが苦にならない」とか「いじめられてつらい」という態度を取った場合、「その子は序列最下位」とその人たちは解釈する。

「序列最下位から脱出しなければいけない」と、周りの大人が煽る。脱出の方法として、次のことがしばしばなされる。

「友達がたくさんいるように見せる」「友達を作る練習と称して、他の児童と一緒の遊びを無理やりさせる」「いじめであることを否認する(本人はいじめとは思っていない。いじめというのは大人の勝手な解釈などと大人が主張)」等が。

それだけではない。「この子が(同級生ではなく)年長者に近づくのは、甘えが通用するから。年少の子に近づくのは、この子が幼稚だから。」という解釈までなされる場合もある。

「分けることは差別」とか「分離教育は能力主義価値観支持だから悪い」とか「障害児本人だけではなく、周りの子供も成長する」とか主張する人達が、「序列最下位(とみなされた)子」を、「誰かの自己肯定感(とやら)を高めるためのお道具」として利用することもよくある。

「(序列最下位の)××ちゃんみたいな、もっと酷い人もいる。それに比べればあなたはずっと立派。さあ、胸を張って。」という類の激励、それらの主張をする人達からよく聞いたものだ。

 

私は1971年に小学校へ入学した。父の証言によると、私は幼稚園児だった頃(或はそれ以前?)に自閉症を疑われ、児童相談所へ何度か連れて行かれたらしい。私の記憶にはぜんぜんないが。私が幼稚園児だった頃、すでに親は、「全ての子供を普通学級へ」系運動関係者と思われる人物と繋がりを持っていた。小学校入学後、3年生まで、夏休みのうちの一日を使って母と私が校長室に呼びだされるという経験もした(特殊学級検討?)。そのとき私は知能テストのようなものを受けさせられ、その後専門家らしき人と母と私の3人で面談した。こういう過去が私にはある。

1979年、養護学校義務化がなされた。1970年代になされた「就学運動」は、「本人が学級で受けている処遇」ではなく「養護学校義務化賛成/反対派の派閥抗争」に関心が向いていた(統合教育/分離教育どちらの側においても)。そして、現在もその状態が続いている。「友達をたくさん作ろうキャンペーン」は、どちらの側も重視している。

「普通学級は素晴らしい。特殊学級に入れられないようにしなければいけない。お友達をたくさんつくって楽しく学校生活を送っていれば、普通学級でやっていける。だから、お友達をたくさん作らなければならない。」と、運動関係者や親はどうやら認識していたようだった。そして、前述の「脱出方法」を私に押し付けた。

私が小5のときまで、運動関係者と親は、「友達を作る練習」と称して同級生の家に遊びに行くことを義務付けていた。同級生と私とは、興味や関心が合わなかった。私にとって苦痛でしかなかった。同級生にとっても、おそらく苦痛だっただろう。

私はいじめのターゲットにもされた。私の場合、大人が率先していたという面もある。今週のお題「これって私だけ?」 - karotousen58のブログ のような調子だった。

「どうせ、私が考えたり感じたりすることや、私が好きなものには、ロクなものなんてない。それらがバレたら、親も教師も同級生も、私を否定するに決まっている。親も教師も同級生も、私の味方になんかなるはずがない。」という思いを抱えて、子供時代を過ごした。

 

運動関係者や周りの大人が求めているのは、「障害児のことを思いやってくれる相手」なのかもしれない。

しかし、人生経験が僅か10年前後の子供にそれを期待するというのは酷な場合もあるのでは? 「同級生とは必ずしも場を共有していない、年齢の異なる人」は「友達」とはならないのか? 疑問に思う。 

 

ただ、私の場合、次のようなまなざしを向けてくださった年長者も現れた。幸運だった。

「確かに、夏炉冬扇ちゃんには風変りな所があるかもしれない。だけど、『見ている側の持っている常識と少し違う』のを、見ている側が『風変り』と思っただけかもしれない。『見ている側の常識』だけが正しいとは限らないかも。」というまなざしを。

例をあげる。リンク先の過去記事のことがあったとき、「夏炉冬扇ちゃんは、意味もなく場を壊そうなんてことを考える子供ではない。本人なりの何らかの事情があったのかもしれない。」という態度で接して下さった人も現れた。そのことについて、私の話もきいてくださった。私はその方々に救われた。

しかし、子供時分の私には、「その方々の態度」を意識する余裕がなかった。大学に入って、同じような経験を何度か積み重ねる幸運に恵まれた。そうしてやっと、「子供時分にも、いろいろな方々が私を助けてくださったんだ。その方々のことを忘れてはいけない。」とわかった。

 

正直な所私にとって、義務教育という場の「同世代の友達をたくさん作る」という目論見は、「負の人脈を築く」という結果を招いたと思う。

大人になった現在でも、いろいろな場で、「子供時代に同級生だった人について、いろいろと話す」という形のコミュニケーションがなされている。その種の話がなされている場にいるとき、「ああ、私、知らない場で恥ずかしいことをこんなふうにいろいろと言われまくってるんだろうな。嫌だな。」と思う。

私は、趣味で外国語教室に通っている。この教室での初日、各自が自己紹介をした。この日、「義務教育時代に接点のあった人がいない。よかった。安心して通える。」と思った。

現在交流のある人に対して、「義務教育時代にこの人たちに出会わなかったのは、運が良かった。」と思うこともよくある。

高校卒業後は、「同世代の友達」と騒がれなくなる。大学時代、学生以外の方々も私に声をかけてくださった。勿論、それ以降も「いろいろな年代の人」と接して暮らしている。

「子供には、同世代の友達がたくさんいなければならない」という見解を疑ってみること、それによって救われる可能性のある子も、いるのかもしれない。

 

「障害児」とか「同世代の友達が少ない(とみなされた)子」といった類の言葉に対して世間一般に流通している紋切型のイメージもあるのでは? その紋切型イメージによって子供を判断するという人々のまなざしや、そのような認識によって、子供が差別的処遇を受けているケースもありうるのでは? そのまなざしやイメージを、他の子供も無批判に取り込んでしまうということはないのか?

「同世代の子供」以外の人も、それらについて捉えなおすのもいいかもしれない。案外、「捉えなおしてみた側」の暮らしやすさにも繋がる可能性も、あるかもしれない。

白あんの回転焼

今週のお題今年買ってよかったもの

 

期間限定商品「回転焼 白あん(4個入)」(ニチレイ)が、父に好評だった。

だが、考えてもいなかった変な問題も同時にできてしまった。

 

私の父は甘党である。特にあんこ系菓子が好きらしい。小豆あんよりも白あんが好みということだ。

9月から、近所のとあるドラッグストアで、期間限定販売の冷凍食品「回転焼 白あん」(ニチレイ)が販売されるようになった。この商品が手に入るのは、私の生活圏ではこの店だけのようだ。姉妹品「回転焼 あずきあん(4個入り)」もあった。この姉妹品も期間限定商品とのことだ。

父は、機械や道具の類に対して苦手意識が強い。電子レンジもオーブントースターに対しても、「どうせ、使えっこない」と決めつけているようである。

これまで私は、冷凍の回転焼の類を買ったことがなかった。加熱処理が必要な「ミニたい焼き」なら買ったことがあるが。店で実物を見て、「白あんの回転焼か。珍しいな。電子レンジを父が使えるのなら、買って帰るのに。」と思った。

しかし、その後すぐ、「ひょっとしたら、自然解凍で食べられる商品かもしれないぞ。大手メーカーのものだし。」と思って商品を手に取った。自然解凍可能だった。これなら父も食べられる。そして、試しにこの商品を買ってみた。

父は気に入ってくれた。「また買ってこい」と言われた。

 

と、ここまではよかった。

父は「説明書きを読まない人」でもある。どうやら、父は「どんな冷凍食品でも、自然解凍すれば食べられる」と決めつけてしまったようである。冷凍食品の中には、「加熱処理が必要なもの」もあるのだが。

白あん回転焼を全部食べ終わった頃、冷凍庫には「加熱処理が必要なミニたい焼き」も入れていた。父が、そのミニたい焼きを自然解凍で食べようとしていた。

父には認知症傾向もある。「冷凍食品には、加熱しないとダメなものがある」と何度説明しても、自然解凍で食べようとする。

これじゃ、「加熱処理が必要な冷凍食品」は、もう買えない。冷凍食品が使えないとなると不便だ。

 

ニチレイのサイトを調べたら、何故か「回転焼」はなかった。そして、「今川焼 あずきあん(5個入)」があった。白あんの今川焼はなかった。例のドラッグストア以外の店では、「今川焼 あずきあん(5個入)」が売られている。

「回転焼 あずきあん」と「今川焼 あずきあん」の違いは何なのだろう? 限定販売期間が終わるまでに、両方買って調べたい。そういうくだらないことをついつい考えてしまう。

食わず嫌いだったゼリー

今週のお題今年買ってよかったもの

  

今週のお題「私がアツくなる瞬間」 - karotousen58のブログでも書いたことがあるが、私は、いろいろな店の「お買い物上手コーナー」の類を使う買い物が好きである。

今年5月終わりに、とあるディスカウントショップで半額シールのついたゼリーを買った。半額シールがついていなければ、ゼリーの類を買うことは、私の場合滅多にない。

「ホワイトピーチ」の類だと思って買ったのだが、うちに帰ってから一口食べて「あれれ?」。

フジッコ フルーツセラピー スイートピンクグァバ(期間限定商品)」という商品だった。

 

「グァバは甘そう」というイメージを私は持っていた。ゼリーにはいろいろと種類がある。ゼリーを買うとしたら、わざわざグァバゼリーを選ぶという行動には出なかった。そのときまではずっと。

だが、私の予想は大外れだった。食べてすぐ「ホワイトピーチよりも、こっちのほうが好みだ。」と思った。

ゼリーはグァバとライチの果汁入り。ピンクグレープフルーツの果肉とナタデココも入っていた。食べてみたら、「果汁入りゼリー」と「ピンクグレープフルーツの果肉とナタデココ」とが面白い組み合わせとなっていた。後味もよかった。気に入った。「夏場になったら、要チェックだな。」と思った。

 

9月頃だったか、販売期間終了直前に、この商品が格安で売られていた。「今シーズン最後だろうな。」と思って何個か買った。今の時期は、この商品は売られていない。この商品は、去年も期間限定商品として売られたようだ。また売ってほしい。

もしも、このゼリーに半額シールが貼られていなかったら、他の誰かに買われていたら、私がその時間帯にその店に行かなかったら、スイートピンクグァバゼリーであることに買う前に気が付いていたら、きっと食わず嫌いのままで終わっていただろう。面白いものだ。

「『病気や障害の受容』(とやら)が出来ていない」と言われるけどさ 2

  

口唇口蓋裂を受け入れられなかった家族 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

家族の感情を、私的行為として切捨てなら疑問。それを引き起こした原因の1つは、「身体的差異への社会的意味づけによって起こされる、否定的感情」では?その場合、政治的公的な問題(障害の社会的制約)としても要検討

2017/11/18 02:15

  

はてなブックマーク - 口唇口蓋裂を受け入れられなかった家族 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

"治すことができます"の内容は、医師と世間一般とで認識が異ならないか?私はてんかん患者。てんかんの場合は異なっている場合多。「治る」の世間一般認識は「薬なしで発作も無」。医師側は「薬で発作抑制」認識

2017/11/18 02:46

 

 Yahoo!ニュースについたブクマ。こちらのほうがコメント多数。元記事が削除されている。

はてなブックマーク - 奇形の顔「受け入れられない」…家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死 (読売新聞(ヨミドクター)) - Yahoo!ニュース

はてなブックマーク - はてなブックマーク - 奇形の顔「受け入れられない」…家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死 (読売新聞(ヨミドクター)) - Yahoo!ニュース

 

元記事より引用

考えたくはありませんが、もしや医師の中にも、手術を拒否した家族に共感した人がいた、ということはないでしょうか?

 私は今になって思います。もっと別な方法はなかったのだろうかと。たとえば、障害とともに生きている子どもとか、先天性の病気を治して生きている子どもやその親たちを実際に見てもらえば、赤ちゃんの家族も手術を受けさせる気になったのではないか。

 この部分について、前回、次のように書いた。 

私は、家族の行動を支持できない。しかし、「行動の裏に隠れていた感情」を、「ひどい人が持っていた、私的な感情。この感情に共感する人は残酷。」として切り捨てたくない。「行動の裏に隠れていた感情」のうちの一つが、「『身体的差異に対する社会的な意味づけ(特に、スティグマ的なもの)』によって起こされる、否定的感情」だったのでは? と私はひそかに疑っている。

更に、「社会的な意味づけ(特に、スティグマ的なもの)」にまつわる困難の軽減や解消は、本人だけに課されるものなのか? 「そうせざるをえなかった人が生み出した『対処方法の豊かさ』を高く評価することによって、そうせざるを得ない状況に追いやった社会を免罪」方向に拍車がかかる危険性はないのか? という疑問が私の中にある。

「『病気や障害の受容』(とやら)が出来ていない」と言われるけどさ 1 - karotousen58のブログ

 元記事中の「障害とともに生きている子どもとか、先天性の病気を治して生きている子どもやその親たちを実際に見てもらえば」部分で、どういうモデルが想定されているのか? それが私は気になる。

前回記事で書いた、「社会的な要因」や「いろいろな人による、異なる状況判断」。それらについて考慮しない状態で想定がなされた場合、次のようなことに容易になりうるのでは? と私は思う。

「障害児や、先天性の病気を治して(?)生きている子供やその親」というカテゴリーが作られ、「それにあてはまる個人が、社会の中でどのようにふるまうべきかという」合意が一般社会で形成され、その期待通りにふるまった個人が評価される(そうでなければ排除)。ということに。

こうなった場合、「病気や障害の受容(とやら)」には近づかないのでは? と私は思う。

 

「カテゴリー形成→ふるまうべき像の形成→その通りのふるまいに向けて障害者や家族を叱咤激励、ふるまいがうまくできなければ排除」の図式

私の経験から言うと、福祉系/障害者支援系/障害者自助会や家族会系/教育運動(「全ての子を普通学級に運動」等)系団体のほとんどで、この図式は採用されていた。

このブログの過去記事でも書いたが、「障害者による語り」の中には、「周囲に歓迎され、採用される語り」と「周囲からは無視黙殺や非難がなされてしまう語り」が存在する。

「歓迎され、採用される語り」は、次のようなエピソードで構成されている場合が多い。

  • 「一時的な不運」に見舞われたが、本人が前向きにひたむきな努力を続けている。
  • 「けなげに努力を続ける本人を、仲間達や家族等身近な人があたたかく支えている。
  • 仲間や家族以外の人に助けを求める必要がある場合でも、そのためのスキルを身につけている。つまり、サポートを受けるための「援助要請や説明責任」を、本人が引き受けて適切に実行している。

 更に、「周囲からは無視黙殺や避難がなされてしまう語り」が、政治的に利用されることもよくある(というより、ほとんどだった)。次のようなことはザラだった。

  1. 「うまくいっていない状態」の人を引き合いに出し、それとの対比で「自分達はあの人とは違う、社会できちんとやれている『普通』の人。」というカテゴリーに入れて叱咤激励。
  2. 「社会の特定の状態が困難を生み出している、そういうケースもあるのでは?」「現場や社会環境を考え直すという方法もないか?」「この社会で主流(或は支配的)となっている解釈体系に問題はないのか?」といったような問題提起をした場合、問題提起をした人を「図々しい反逆者」に仕立ててしまう。
  3. 2.で「図々しい反逆者」に仕立てられた人を、引き合いに出して1.の行動に出る。
  4. いろいろな人が発言をしている背後には、「語れない状態にある」人も多く存在。しかし、「語れない状態」を、「『歓迎され、採用される語り』や『語りの政治的な利用』の追認」にすりかえる。
  5. 「障害者自助会や家族会」内部での権力関係を隠す→権力を持った者が、それ以外の人を自分たちの色に染めていく。

 

 「政治的に利用されること」について書いていく。

1.について

引き合いに出して叱咤激励した人達がどういう態度だったか? 「うまくいっていない状態」とされた人の状況について、調べたわけでもなく、詳しい意見を聞こうという姿勢を見せたわけでもない。また、「きちんとやれている『普通』の人」の内実について、吟味したわけでもない。いろいろな意味での「シカト」状態である。

2.と3.について

「これらの『問題提起』を受けて、社会編成や生命観等の捉えなおしに向けていろいろと考える」なんて面倒。面倒なことを我々に押し付ける、厄介な人達。問題の軽減や解消は、本人の「前向きな努力」中心でなされるもの。という見解に問題はないのか? 「社会的な要因」等が変わらなくても、本人が必ず適応(順応?)できるという確信がおありなのだろうか? 疑問を感じる。

 「社会(世間?)に負担をかけようとするなんてダメ。」「思い通りにならないからといって、不平ばかり言うんじゃありません。」「せっかく治療してあげたのに。」「言葉尻をあげつらうようでは、サポートは得られません。他の人がサポートを受けるときにも邪魔になります。」等の言葉で無効化するのが、常套手段となっている。

結局のところ、本人や家族は、「社会が要求するようにふるまい、できるだけ『普通』の人に近づくべく、『同化』に向けて努力する。そうすると、社会の側は、従順な者へのご褒美として『普通』の人として仲間に入れてあげる。」という見解を受け入れるよう方向づけとなる。そして、その行為は「善意でなされた慈悲深いもの」として語られている。

これは、実に巧みな排除である。「門前払いという形で問答無用の排除を行う」というより、「『同化努力にいそしむ』という条件を提示して、それに従わない者を選別して排除。」という方法である。

4.について

「機能的制約」を除去するために「医学的処置」がなされた→治った という解釈では終わらない。私はそう思う。

「機能的制約がなくなった」にも関わらず、社会的障壁(他者による侮蔑的敵対的態度等)によって、「ある種の活動制限」が発生する場合はないのか? これも踏まえる必要があると、私は思う。

「蔑視や侮辱によって叩きのめされ続けた人達が、社会に向けて語り始める。」これを行うためには、相当な勇気や時間が必要となる。いろいろな発言をする人達の背後には、「語れない状態にある人達」も存在する。これは無視できないことである。

「『機能的制約』をなくすために、『医学的処置』を施す→治る」が、どのような文脈で語られるか? 

  • 「医学的処置」によって、「機能的制約」が存在しなくなった。しかし、社会的障壁(他者による、侮蔑的敵対的態度等)は存在しうる。存在する場合、それによる「ある種の活動制限」が発生する場合もありうる。その場合、「障害の社会的制約」「合理的配慮」も要検討。
  • 「医学的処置」によって、「機能的制約」が存在しなくなった。この場合には、社会的障壁は存在しないことになる。この場合、「ある種の活動制限」が発生したとしても、それは個人の問題となる。だから「社会的制約」「合理的配慮」の対象外となる。

後者の文脈で語られ続けることによって、「蔑視や侮辱によって叩きのめられ続けた→語れない状態」となった障害者や家族がいるのでは? そして、「語れない状態」が、「『歓迎され、採用される語り』や『語りの政治的な利用』の追認」にすりかえられるのでは? 私はそう考える。

5.について

自助会や家族会の構成員間には、どうしても、「ある種の力関係」が出来てしまう。先にそれらへ参加した人と、それらへの参加を始めたばかりの人との間には、知識や技術や交渉経験等の差がどうしても存在してしまう。「先に参加した人が、後から参加した人を染めていく」可能性(危険性)もゼロとは言い切れない。

「知識や技術や交渉経験を持っていて、権力を行使しうる状態にある人」と「それが不十分な状態にある人」という関係性が存在しうること これに無自覚な状態で「障害者や家族の語り」が流通するのは危険だと思う。置かれている環境や成育歴等が個々人で異なっている。この事実を重視する必要がある。

 

制度的/技術的な支援からこぼれ落ちた状態にあった。そして、この状態が長い間放置されてきた。その中で本人たちは対処戦略を工夫してきた。

だが、「それらの対処戦略のほとんどが、資源や選択肢の極めて乏しい中で開発してきたもの」である場合もザラ。それだけではない。社会的障壁(他者による、侮蔑的敵対的態度等)については、無効化されることもザラという状態である。「配慮の平等」「合理的配慮」がほとんど得られないことを前提と考えて、開発してきたものである。

この前提のもとに提示された、「障害とともに生きている子どもとか、先天性の病気を治して生きている子どもやその親たち」像は、どういうものになりうるか?

それは、「本人たちが学習させられた、一つの社会的役割」であって、「等身大の像」ではない。

期待される「障害とともに生きている子どもとか、先天性の病気を治して生きている子どもやその親たち」像である。「期待される」像では「そうせざるをえなかった人が生み出した『対処方法の豊かさ』を高く評価することによって、そうせざるを得ない状況に追いやった社会を免罪」方向に拍車がかかる危険性がある。私はそう考える。

 

「職業等社会との関係、それにまつわる人権問題から社会認識、進路や人生相談」までを医療等の専門家が引き受るとなると、当然無理がある。

しかし、前回記事で書いた

  • 「病気や障害/そうではない状態」の間に引かれている(と思われている)境界。境界の移動を決めるのは「医学的処置」だけではない。「社会的な要因」や「いろいろな人による、異なる状況判断」も多く入り込んでいる。
  • その「多く入り込んだもの」にまつわる困難が存在するのでは? そしてそれらの解消や軽減は本人や家族だけがするものなのか? それらの検討を外して「病気や障害の受容」と主張するのなら、無理がある。 
  • それらの検討がなされない場合、「そうせざるをえなかった人が生み出した『対処方法の豊かさ』を高く評価することによって、そうせざるを得ない状況に追いやった社会を免罪」方向に拍車がかかる危険性がある。

も意識する必要があると思う。

 

(ひとまず完結)