てんかん患者と家族
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私はてんかん患者。
てんかん患者と家族と医師のそれぞれの思惑が、異なっていることは多々ある。そして、家族の思惑は、意外と大きな力を持っているものだ。その「大きな力」は、特に「自動車運転免許取得問題」が絡んできたときに、とても厄介な問題の背景となりうる。
家族の思惑として、「てんかんであることを認めない・認めたくない」というものがある。認めない・認めたくない家族が患者本人に、「車の免許をとれ圧力」をかけるケースが、実は少なからず存在する。
「認めないも何も、実際発作を起こしているんだろう? どうしてそんな思惑が持てるのだ?」と、患者でも患者の家族でもない人は思うかもしれない。
認めない・認めたくない背景として、「心因性非てんかん性発作」というものが、(てんかんと間違えやすいが)てんかんとは違う発作として存在するという事実がある。
「心因性非てんかん性発作」とは、「ストレスなどの心因で、意識消失やけいれんなどの発作が起こる」というものだ。
思春期や成人になってから発症した患者の場合、周りの人(特に家族)が勝手に心因性非てんかん性発作ということにしてしまうケースを、私は何度も見聞きしている(ネット上でもリアルでも)。
患者本人が勝手に「心因性非てんかん性発作」と自己診断してしまうケースも、おそらくかなりある。
てんかん発作の可能性を私が指摘したときに、「ストレスがたまっていたからだろう、たぶん。」という返事が返ってくることがかなりあるから。
「思春期に発症した患者」と「認めたくない家族」との組み合わせも、厄介である。
この場合、医師の側が、「患者本人よりも、認めたくない家族の意向」にそった行動をとることも、実はよくある。
医師が、思春期に発症した患者本人に対して、てんかんであることを告知しない。そして、患者の家族が、「心因性のものであって、失神みたいなもんだよ。」という偽の告知を本人にする。その後、何らかの事情により、てんかんであることを患者本人が知りショックを受ける。
一年に一回は、私はこの種の話を聞いている。
私がてんかんと診断されたのは、1981年。高校時代だった。
私の親は今でも、「お前のは心因性非てんかん発作だ」と私に対して言う。
私も医師も、てんかんと認識しているのだが。
「てんかん患者が病名を隠して、簡単に運転免許を取ることができる」と、世間一般にはどうやら信じ込まれているようだ。
てんかん患者が運転免許を取るには、正当な手続きを踏むのならば医師の承諾が必要となる。
しかし、現実には、医師が承諾する可能性は極めて低い。
「承諾すれば、医師本人にも責任問題が絡んでくる危険性がある」という事実は、やはり医師の側も踏まえていると思われる。
てんかんという診断名が付いた時点で、「車の免許取得は慎んでください」と、患者本人にも家族にも宣告することが、トラッドとなっている。
一方で、日本の田舎では、「成人は車を運転することが前提となっている」と言わんばかりの生活設計がなされているのが現実だ。
車を運転できないということ以外にも、いろいろな社会的制約がある。しかし、利用できる社会資源はほとんど期待できない。
正直、この記事を書くのは怖かった。「薬を飲みさえすれば普通に暮らせる。だから、てんかんのことはもう話すな。」という言葉を、患者はしょっちゅう言われているからだ。