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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

「ニュータイプかもしれない」に隠された、甘い罠 2

私が田中氏に対して持っている、疑念(本当は他にもあるのだが、今回は一部分だけ書く。)

 

・「発達障害はあの『ニュータイプ』かもしれない」という言葉は、現実に存在する「発達障害者ー非発達障害者間の、非対称な関係性」から目をそらせるための「甘い罠」となるのでは?

 

・善意に解釈するならば、「ニュータイプとして障害名とカテゴライズを受け入れることによって、発達障害者ー非発達障害者間の新たな関係性を作っていこう」という主張とも考えられる。

そこで、この新たな関係を作っていくには、発達障害者と非発達障害者の少なくともどちらか一方が変わっていくことが求められる。

果たして、田中氏は「両者が変わっていく」ことを前提として記事をお書きになったのだろうか? 私には、「発達障害者のみが、非発達障害者の世界を侵さないように」変わることを求めているように思える。

 

・目の前にいる他者と新たな関係性を作っていく際には、当然、「自分の知識や感性」を使うことになる。そこで、この「自分の知識の妥当性や正しさを、他者に対して確認していく」という行為を外した状態で新たな関係性は作れるのか? という疑問が私には浮かぶ。

 

・他者との関係性を作っていく場合、「相手の気持ちや思い」「相手が生きてきた歴史」「相手が生きている社会的な場」などを意識せざるを得なくなるケースは、多々ある(と私は思う)。

しかし、それらについてを吟味することなく、「ニュータイプとして障害名とカテゴライズを受け入れて、発達障害者側を変えていく」方向に一気に向かわせようとしておられるのでは? と私には思える。

 

・いくら「障がい者支援」制度のサポートがあったとしても、「発達障害者と非発達障害者との関係性」について双方が吟味しようとしない限り、関係性の再構築はなされないのでは?

 

(その他の疑念についても、後日書く予定)