karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

「ニュータイプかもしれない」に隠された、甘い罠 4

田中氏に対して持つ、他の疑問

1.「発達障害者像」を田中氏にとって都合のいいものへ変形し再生産するという目的で、元記事は書かれたんだろうか?

2.どうやら、「アスペ」や「発達凹凸」は、田中氏にとっては都合の良い名称と認識されているらしい。そして、「自閉症スペクトラム障害」は、田中氏にとっては都合の悪い名称と認識されているらしい。都合の良し悪しを分けている基準はいったい何なのか? 「アスペという名称なら緩和されているが、自閉症スペクトラム障害ならつきまとう」社会的偏見とはいったい何のことなのか?

3.「アスペ(こっちのほうがかわいい)」とか、「発達凹凸というかわいい名称」とか、「凹凸と言われても、当事者はあまり傷つかないように見えるのがいい」とか、「むしろ笑いに転嫁できる強みがこの言葉にある」とかいった見解を述べる目的は何なのか? 発達障害者本人の同意を得た見解なのだろうか?「自閉症スペクトラム障害という名称はかわいくない」という見解が隠れていそうだが、かわいくない場合は、どういう不都合があるのだろうか?

4.「社会の統率や生産性の向上を妨げる、精神障がい者や発達障がい者」は、「カテゴライズして(田中氏にとっての)一定のルールの下に統率することで、社会そのものを維持していく」ための対象とする。その一方で、「アスペの場合は、活躍できる環境さえ設定できればものすごい才能を発揮するが、設定できなければ二次障害が現れる。だから、支援者は家族とともに、生きづらくない環境づくりを形成していく。」ということなのか?

「生きづらくない環境づくり」に値しない人間と値する人間との選別が、暗黙のロジックとして組み込まれているということなのか?

5.田中氏にとっては、「生きづらくない環境づくり」は、「商品価値のある人になら認めてあげてよい」と多数派が思える人に対して、恩恵的に与えられるものだということなのか? 

 

(まだまだ続く)