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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

謝罪は本当に難しい 2

 謝罪が成り立つための要素としては、次のようなものがあると私は思う。「これらの要素がすべて満たされた」と相手(場合によっては、相手以外の人も含まれる)が認識しない場合は、謝罪という行為は成立しないものと思われる。

1.言葉や態度での、反省に関する表現

自分が何をしたか、何故そのようなことをしてしまったのか、それを繰り返さないための反省と対策を述べる。

2.適切な善後策の提示と実行

トラブルに関する状況分析をし、それに対する善後策を考えて提示する。原状回復や損害賠償など、十分な被害の補填をする。

3.(社会的な)制裁

責任を取って辞職する、減俸(減給)などの処分を受ける、など。1にも該当することだが、「申し訳ございません」という雰囲気の態度を非言語性情報(表情や口調など)の面でも適切にとることも含まれる。

 

 この3つの要素を満たすためには、「プレゼンテーションテーション技術が低いこと」や「社会的な力を持っていないこと」は不利であると思われる。

 特に、「表情や口調などの非言語性情報の面で、相手が違和感を持った」謝罪の場合、「感情が逆なでされた」と、相手に思われる。非言語性情報は、「受け取った側」によって解釈が決まってしまう。いくら本人が「申し訳ない」と思っていても、本人以外の人が「うわべだけの謝罪だ」と判断してしまったらおしまいである。

 「適切な善後策の提示と実行」は、社会的な力を持っている人がやはり有利である。

 辞職などの「社会的な制裁」も、辞めるポストや職がないといった「社会的な力の弱い人」には不利である。

 

 「誰かが、他の誰かのことを謝罪下手だと認識する」場合、「許しに関するイメージ」が双方でまるっきり違っているというケースがあるのかもしれない。

 私の場合、2の「適切な善後策の提示と実行」と1の「自分が何をしたか、何故そういうことをしてしまったのか」ということに、関心が強く向いているようなのだ。

私が謝罪を受けて「こんなのは謝罪になっていない」と立腹する場合、「2のことについて考えようという態度が感じられない」とか「1の状況説明や謝罪した本人の事情が説明されていない」というケースが多い。また、「1の状況説明や本人の事情から考えるに、karotousen58を困らせるためにわざとやったわけではなさそうだ。」と私が判断した場合は、1の対策や2のことについてきちんとした説明がなされていたら、3の制裁について考えることが少ない。

というより、「トラブルの状況把握と善後策の検討・実行で頭がいっぱい」で、「相手が反省する・制裁を受ける」ということにまで頭が回らない。

  

 私が謝罪下手であるのは、3の「反省・制裁」について思慮が足りないことが一番大きいと思われる。3の反省・制裁よりも1の状況説明や事情に重きをおいて、話そう話そうとしてしまうのだ。この行為は、3の要素を重視している人から見ると、「謝罪になっていない、許し難い行為」となると思われる。

1の「それを繰り返さないための反省と対策を述べる」ことと、3の制裁を受けることに対して「異議はありませんという態度を示す」ことには、「謝罪している側の心情が、謝罪される側に対して表現される」ということが隠れていそうだ。どうやら私は、そういう「他の人の心情」に鈍感すぎる人間らしい。

 

 逆に、私が謝罪を受ける場合、1の「状況説明や謝罪した本人の事情」が十分に語られないまま3の「反省・制裁」についてを語られたら、混乱してしまう。混乱した状態で2について語られた場合、私の頭に入らない。

日本社会でなされる謝罪は、1の「状況説明や謝罪した本人の事情」よりも3の「反省・制裁」が重視されるケースが多そうだ。少なくとも私にはそう思える。

 

 3の「反省・制裁」を重視した謝罪には、他にも私を混乱させる要素がある。

例えば、「トラブルとは直接関係のない他人」から「謝罪として成り立っているものであるか否か」が判定されるケースがある。

ある音楽プロデューサーが絡んだ「いわゆる5億円詐欺事件」が発覚したとき、その音楽プロデューサーの母親が、「世間に謝罪しなさい」とその音楽プロデューサーに手紙で告げたらしい。

詐欺事件の直接の当事者ではない世間が、謝罪を受けるということになる。このとき、謝罪として成り立っているか否かを、直接の当事者以外も判定することになりうる。こういう謝罪は更に難しい。

 もう一つ、「謝罪に関する時間軸」が、私と他の人とでずれていそうである。

 私の場合、「私が謝罪を受ける→その場で私が許す」という展開となったら、「謝罪と許しで、心情的な面では、もうこの件はおしまい。後はトラブル処理という具体的な行動だけだ。」となる。

こういうケースで、「後日、謝罪をした側が、私にお詫びの品物を渡す」といった行動に出られた場合、私は混乱してしまう。「えっ、この話はこのあいだ円満解決したんだろ。」というふうに、私はビビってしまうのだ。

逆に、私が謝罪したときに、「円満解決したんだから、わざわざ蒸し返す行動をすることはない」と判断していた行為は、他の人から見ると「お詫びの品物すらよこさない、不誠実な行為」とみなされていたと思われる。

 

 謝罪は本当に難しい。

(次回も続く予定。「謝罪」よりも「反省」についての内容になりそうだが。)