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非言語性コミュニケーションは、私にとっては怖いもの

小学4年生の国語の教科書で「空気の読み方」教える? - Togetterまとめ

私のブックマークコメント

間の取り方・顔つき・声の調子か。吃音症の私には辛い。吃音症の場合、「発音が特に困難な音」がある。その音を発音するとき、私は顔をしかめるらしい。非言語情報は、「受け手側による決めつけ」も起こりうると思う

 

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文化が異なると、「非言語性コミュニケーション」のスタイルも異なる可能性あり。次のような記事も見つかった。

社会:オピニオン:教育×WASEDA ONLINE

 

 

「(私にとって)発音が特に困難な音」を発するとき、私は顔をしかめているらしい。この「顔をしかめる」という行為や吃音が、「相手を拒絶していることを示す、非言語性情報」としばしば解される。

 このように、非言語性コミュニケーションによって、自分でも気づかないうちにいろいろなメッセージや情報が送受信されていることはよくある。

「自分でも気づかないうちに」「いろいろな」というところが、怖い。

 

非言語性コミュニケーションの厄介な所

1.程度がひどくなると、制御困難になる。

顔が赤くなる、体が震えてしまう、などという状態になると制御困難。

2.言葉以外の多くのものが関わってくるから、複雑である。

表情、口調、服装、姿勢などの多くの情報が、一度に送受信されることになる。同時に複数の情報に注意を払うのは(少なくとも私にとっては)難しいことだ。

3.本人の自覚や意図に関係なく、相手が「非言語性メッセージ」と認識した時点で成立してしまう。

自分では全然意識していない、発信する意図などないことが、相手にはメッセージとして受け止められることがある。

例 「あっ、夏炉冬扇の奴、俺が話しているときに鼻で笑った態度を取りやがった。バカにしやがって。」と誰かが認識したとする。実際は、「ただ単に夏炉冬扇の鼻の調子が悪かったから、鼻を動かした」だった。

4.相手が認識した「非言語性メッセージ」について、「何が伝わっているのか」「相手によってどういうふうに解釈されているのか」本人には想像が困難な場合も多々ある。

 

このようなことを話したとき、返ってくる言葉は、「悪く受け取られる側が努力しろ」がほとんどである。

しかし、「非言語性コミュニケーションスタイルが異なっている可能性を、受信した側も考えてみる。一方的な決めつけとなっていないか再考する。」とか「関係修復について双方がいろいろと考えることも大切。」といった言葉を返してくれた人も過去に何人かいた。

こういうタイプ考え方も大切だと思う。