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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

成人発達障害の「理解・受診」は、実は要警戒ワード 1

例の県議は、発達障害とは違うタイプに思える - karotousen58のブログ で書いた

3.正直なところ、発達障害は、「周囲の人にとって、自分の都合の悪いことをみんな押し込んでしまうゴミ箱のような存在」として利用されるものと認識されてしまったのでは……。「発達障害者がまともなコミュニケーション能力を持たないことに、すべての問題があるのだ」というふうに。このような状態では、「発達障害を知ってもらうことが大切と述べる」とか「受診を勧める」とかいうことの危険性についても考える必要あり。

について、3回に分けて書く。

 

1. 「発達障害観」も「発達障害関連の受診を求める理由」も「最初の受診から診断名が付くまでの、プロセス」も、15年程前と今とでは、大きく違っている。さらに、「最初の受診から診断名が付くまでの、プロセス」は地域によっても状況が大きく異なる。受診を勧める側と勧められる側のどちらかが、「15年程前のイメージ」を強く持っている場合、誤解が生じる恐れがある。

2. 「成人発達障害者本人・身近な人・職業的支援者・専門家」は、それぞれ異なる利害を抱えていると考えられる。成人発達障害の「理解・受診」について(特に、本人以外の人が)語る際、そのことが軽視されているのでは?

3.  診断名はどうしても必要なのか? 「診断名が付かなかった人の場合は自業自得」とでもいうことなのか? という疑問。

の順で書く予定。

 

はてなブックマークコメントA

【号泣県議の政務活動費疑惑】議会内でもトラブル、奇妙な選挙戦、議論をふっかけては謝った前職場…(1/2ページ) - MSN産経west

 

 はてなブックマークコメントB

はてなブックマーク - たぶん、アスペルガーの話

私のブックマークコメント

記事内容は、20世紀末の発達障害サイトでは好意的な評価だった筈。その後、「療育の下、専門家言説を内面化して自助努力し周囲が援助するのが正解」という言説を広める際に、増田さんの努力を否定する策がとられた。

 

最初に、「15年程前と今とでは、大きく違っている」と思った理由について書く。

Bの元記事内容は、15年程前の成人発達障害本人開設サイトでよく見られたものである。それらのサイトには、「発達障害的な特性を持っていると自認しているが、受診できない諸事情がある。現状では、専門家が少ないから、子供の発達障害者で手一杯で成人発達障害者のフォローは困難だ。だから、診断名が付かなくても、Bの元記事内容の方針で自助努力を続けていく。」という思いを持った成人が参加していた。

それらのサイトでは、「発達障害とラベリングして終わる」ことよりも「発達障害的な特性を知ることと、知った後どういう方針で自助努力していくか」ということに、関心が向いていた。

Aには、「この元県議は発達障害では?」という内容のものがいくつか見られる。発達障害を疑う根拠として、「自分の中だけで完璧に完結している論理を振り回す」「空気の読めなさ、妥協ができない」をあげたものもある。

Aでの「発達障害者のイメージ」は、Bのところで述べた「発達障害的な特性を知ることと、知った後どういう方針で自助努力していくかということに関心が向いている、成人発達障害者」とは大きく異なっている。「発達障害が疑われる」ということに関心が向いて終わってしまい、「発達障害だから、医療機関にフォローしてもらえば」で片付けられているように思える。

Aのコメントを読んだ後、Bを思い出した。

Bの元記事は、今年3月に書かれた。そして、元記事に対しては否定的なコメントが多くついていた。今年3月にBを読んだとき、私は驚いた。(アスペルガー発達障害という、言葉の違いはあるにせよ)「アスペルガーなら、ここまで考えない」とか「アスペルガーについて調べていない」とか「経験不足」とかいうコメントが多数だったからだ。

Bを思い出してわかった。「15年程前と今とでは、成人発達障害に関するイメージが大きく異なっている」と。

 

続いて、15年程前と今との違いについて書く。

 

発達障害

15年程前

・「予定調和的にスピーディーに物事を進行させることができない。いわゆる空気読みができない。」こと(私はこれを「社会的な不器用さ」とよんでいる)に対して、「発達障害が隠れているケース」も考えられる。

発達障害系の人は、「人間関係や状況を、感情や感覚によって直感的に(←ここ重要)把握することに難儀する」場合が多い。このことが、社会的な不器用さの背景として大きな役割を果たしている。

発達障害系の人が、発達障害に関する知識を得て「社会的な不器用さから起こる社会的摩擦」の軽減を目指す場合、どういう方針を取るか。それは、「多数派はどのように感じてどのように行動するのかという、パターン的知識」と「それに合わせて行動を組みかえる、自前の(←ここ重要)運用技術」の習得を目指すという方針である。

習得のためには、本人自身による観察・思考・分析が必要。

なお、ここであげた「パターン的知識」は、しばしば「本人の実感からは遠くかけ離れたもの」になる。「違和感を覚えながらも、トラブル回避の為に何とか運用していく」必要が出ることも多々ある。

こんな調子だから、やはりどうしても、「ぎこちなさ」はある程度残ってしまう。

現在

・トラブルの原因は、「発達障害者に社会性がないこと」にある。彼(女)らがそれを身につけさえすれば、対立や葛藤のない秩序ある社会に近づく。

発達障害者が「非発達障害者にとっての正解」を無批判に取り入れなければならない。それらのことを自分で何とかしようと努力する発達障害者なんてごく僅か。また、本人に考えさせるのも無理で無駄。専門家や支援者、それらの人が確保できないのなら身近な人に外注しないと、うまくいくはずがない。

 

受診を求める理由

15年程前

・知能検査などの結果を踏まえて、自分の持っている発達障害系の特性(例 聴覚認知力が弱い等)を知る必要がある。その特性に合った対策を考える為に受診する。

(例 「聴覚認知力が弱い分を視覚認知力で補う」「認知力が弱い分を記憶力で補う」「非言語情報のやりとりが困難なら、言語情報に変換して考える」などの方法を考えていく)

・医療や福祉の専門家からのフォローは、ほとんど期待できない。現状は、子供の発達障害者で手一杯だから。自助努力していくしかない。

・受診を求めるのは、本人である場合がほとんど。周りの人が求めるケースは稀。

現在

福祉サポートを希望するため受診。

・「あいつはハタ迷惑な奴だ。診断を受けて専門家と本人が対策を考えるようにしてくれ。我々が振り回されたくない」という欲望を周りの人が持ち、本人に受診を勧める。

 

最初の受診から診断名が付くまでの、プロセス

15年程前

・専門家の数はごく僅か。だから、受診できる状態になるまで2年以上待つことが必要な場合がほとんど。

・診断のためには、生理学的な検査、成人知能検査、成育歴調査(本人が幼いころのことを証言できる人同伴、母子手帳や通知表などの資料も参考にする)がなされる。

現在

・(地域にもよるが)待たされないで診察が受けられる状態にあるケースもでている。(私の居住地域は、そうである。)

・(地域にもよるが)生理学的な検査や知能検査がなされず、(本人以外の人の同伴や資料などが不要な)問診のみで、診断名が付くケースも出ている。(私の居住地域は、そうである。)

・(これは私見ではあるが)過剰診断がなされている危険性もあり。

 

成人発達障害の「理解や受診」を勧める人の中には、15年程前のイメージを持っている人がいるかもしれない。

「その人が善意で、現在、他の誰かに『理解や受診』を勧める」プラス「周りの人が、発達障害に対して現在のイメージを持っているため、診断された人をますます追い詰めることになる」となった場合、

「診断名が付いて追い詰められた発達障害者」と「善意で理解や受診を勧めた人」との関係が険悪になる危険性もある。