karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

公立小中学生に課される作文(特に読書感想文)教育って、実は情操教育もどきじゃねーの?

トピック「読書感想文」について

 そういえば、去年の今頃だったな。あるブログで、「読者感想文」という言葉を見たのは。

単なるタイプミスだと思うが、この表現のほうが確かにしっくりくる。

 

日本の公立小中学校で書かされる作文(特に読書感想文)は、いったいどのような意味を持っているのだろう?

作文教育と言いながら、実は、「文章作成」よりも「子供の持つ思想や感情の、調査や操作」が目的だったのでは……と思えて仕方がない。

大学入学後、高校までに受けた作文教育が、レポート作成にほとんど役立たないとわかった。職に就いてから、企画書や報告書等を作成する際にもほとんど役に立たないと思った。

しかし、私が受けた義務教育では、やたらと作文を書かされた。意味のある指導がほとんどなされない状態で。

 

日本の公立小中学校での国語教育は、「情緒的な文を読み、心情読解ができ、情緒的な文をかけるようにすること」がメインテーマとなっている(と私は思う)。自分の感情が書かれていない文章を書くと、大人から叱られる。

また、大人は子供に対して、「思ったことや感じたことを書きましょう。」などと言う。しかし、この言葉を額面通りに受け取ると酷い目にあう。「大人にとって望ましいことを思ったり感じたりするようにし、それらを書きましょう。」という意味であると考えられる。

「作文の題材として与えられたことを経験して(子供に読ませたいと大人が思っている本を、読んで)、自分はこのように精神的に(大人の好む方向に)成長した、もしくはしつつあるということを、アピールする文を書く」ということが、大人にとって望ましいといったところなのでは……と私は勘ぐっている。

「作文系教育で、大人が子供の思想にダメ出しをして内面的指導をすること」と国際人権規約日本国憲法が定める「思想・信条の自由」とは、どういう関係にあるのだろう?

など子供が書いたら、怒られそうな気がする。もっとも、このことは、「子供の権利条約」あたりを主張する大人も何故か語らないのだが。

「思ったことや感じたことを書きましょう」と言われても、「何も思わないし感じないから困っている」とか「大人が望む思考や感情がおそらくあるのだろうが、全然見当がつかない」とかいった状態の子供も、少なからず存在する。

 

大学に入ってから、レポートの書き方といった類の本などを読んで、外国での母語教育について知った。

「論理的な文章や説明文がしっかり読めるようになることが母語教育の基本とされている。作文についても、心情を書くことよりも決まりきった型の文章を何度も書く練習をする。」という国も、結構あるらしい。

これを知って、作文教育に振り回されたことが、バカバカしく思えた。

「高校までの作文の授業なんて無意味だ。理科や社会科とくっつけて、レポートを書く練習をさせたほうが良い。」とか、「読書感想文なんて宿題は無意味だ。一冊の本を要約(作者の意図を論理的思考によって抽出)する練習をさせるほうがずっと良い。」と思った。

この意見を、地元国立大学教育学部(学部名は1990年代のもの)小学校教員養成課程出身者にぶつけてみたら、「いや、それじゃ情操教育ができないよ。」と言われた。

 

他の人は、自分の「感想」とやらをそんなにはっきりと把握しているものなのだろうか?

感想に「ぴったり合った言葉を当てはめる」「それを他人に伝える」ということは、私にとっては難しいことだ。

一行思いついたとしても、「この言葉は、何か自分の感情とは合っていないような気がする」とか「この表現では誤解を招く」とか「これを言ったら、危ない人と思われる」とか悩む。という状態になってしまう。

それだけではない。「全体の構成」というものまで考える必要も出てくる。こうして頭が混乱して原稿用紙の升目は埋まらない。

 

「精神的に成長しましたアピール」は、「子供バージョンのリア充」が実現されていない状態では難しくなる。

「○○というよいことをして、××ちゃんからありがとうと言われた。」といった類の「大人が好みそうな出来事」に遭遇する機会が、私には極めて少なかった。
たまに遭遇しても、「大人が好みそうな表現」をする力もなかった。
「大人が好みそうな感情や思考を、リサーチする能力」も、私は乏しい子供だった。

苦し紛れに、意見や感想を言うと、「このようなことを考える・感じるおまえはひねくれている・おかしい。」と言われ続けた。

こういう経験が重なって、「どうせ、私が考えたり感じたりすることはロクなことではない。他の人にバレたら、バカにされたりひどい目にあうに違いない」と思うようになった。

こういうわけで、「事実を淡々と述べた文章」「あらすじがほとんどの、読書感想文」程度しか書けなかった。
親からも教師からも、「感想がないのはいけません」というコメントをくらいまくっていた。

 また、http://www.onda-honpo.com/dokusho/ のような情報も、見つからなかった。

(リンク先は、当時の私の身近にいた大人が眉をひそめると思われる内容になっている。しかし、学校作文教育とソリの合わない子供にとっては、この種の情報が救いとなることもあると思う。)

こんな状態では、「文章を書きたい」などという思いなんか湧かない。

 

今の私は、文章を書くことを楽しんでいる。下手ではあるが。

文章を書くことを楽しめるようになった理由は、

・「高校までの作文教育が大嫌いなのであって、文章を書くことが嫌いなわけではない」と気づいたこと

・「自分の考えたり感じたりしたこと全部が全部、すべての人に否定されるとは限らない。」という思いが出てきたこと

だと思う。

「作文が嫌いだからといって、逃げるな。嫌なことがあっても我慢しなければいけない。」と子供に説教する人もいる。しかし、「作文が嫌い」の中身は「学校作文教育と相性が悪い」なのかもしれない。レポート作成とか要約の練習とかいう方法を試すのはまずいのか? 公立小中学校の学校作文教育に疑問を感じる。