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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

湊山球場 #地元発見伝

「記憶に残る風景」 #地元発見伝
https://www.google.com/maps/preview?q=35.427819%2C133.326166
米子市, 鳥取県

地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝
http://partner.hatena.ne.jp/jimoto/

 

これは、鳥取県米子市にある「米子市営湊山球場」の写真である。

この球場は、今では軟式野球やソフトボールでの使用がほとんどとなっている。

湊山公園内にこの野球場がある。米子城下(三の丸跡)に開場。両翼92m、中堅119mである。「この球場で、1977年にプロ野球公式戦が開催された。」と言っても、お若い人から信じてもらえない。この公式戦直前の雰囲気が、私の記憶に残っている。

市は米子城跡を史跡公園として整備する計画を本格化させており、湊山球場廃止という意見も出ている。

文字通りの「記憶に残る風景」になってしまうかもしれない状態にある。

 

「昭和50年代、阪急ブレーブス主催のプロ野球公式戦が山陰地方で開催され、『山陰シリーズ』とよばれていた。」と言っても、パ・リーグファン以外にはなかなか通じない。

「阪急が勝ちまくっていた、ホームランがたくさん出た」山陰シリーズというイメージが、私の中では大きい。

「阪急ブレーブス」という球団名が懐かしい。

懐かしいのは球団名だけではない。1970年代のパ・リーグは、不人気打開のためにいろいろな新しい制度(廃止されたものもある)を導入していた。湊山球場で開催された試合は、その「新しい制度」を思い出させるものだ。

「新しい制度」とは何か? パ・リーグファンの頭の中には、真っ先に「指名代打制」と「前後期制」が浮かぶだろう。

1973(昭和48)年から1982(昭和57)年まで、パ・リーグは2シーズン制とプレーオフ制度を採用していた。1年を65試合ずつの前期・後期に分け、それぞれの優勝チームがプレーオフで年度優勝を決めるという制度だった。

 

1977年5月28日、この球場での近鉄バファローズ対阪急ブレーブスの公式戦で山陰シリーズが始まった。このシリーズが含まれる節は、前期優勝の行方を左右する節となってしまった。

このシリーズが始まる直前、近鉄バファローズ、南海ホークス、阪急ブレーブスの3チームで前期優勝を争っていた。近鉄バファローズが首位にいた。

山陰シリーズの初戦が、この球場で行われた。ホームランが3本出た。そのうち1本は、近鉄のジョーンズ選手による特大ホームランだった。

この球場は城山のふもとにある。ライトスタンドの後方に石垣がある。石垣の上にはテニスコートがあり、ジョーンズ選手のホームランはそこまで飛んだらしい。

この年の山陰シリーズは、この試合と島根県出雲でのダブルヘッダーだった。阪急は3タテで首位浮上、優勝となった。

 

前後期制、昭和時代のパ・リーグ在阪鉄道系3球団、ダブルヘッダー、山陰シリーズ、懐かしい言葉が並ぶ。昭和50年代のパ・リーグ、観客は少なかったらしいが独特の雰囲気があって私は好きだった。この雰囲気と共にこの球場は、私の記憶に残っている。