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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

 

「私が子供の頃に欲しかったもの」は、私の親にとっては「コンプレックスを刺激するもの」だったのかもしれない。

「当時学研から出ていた小学生向け学年別科学雑誌の、広告ページに出ていた科学教材」や「(自分で見つけた)化石」や「玉川こども百科」が、私が欲しかったものである。子供の頃に限らず今でも、ワクワクしてしまう。

私は、「学力は高くないが、理数系に興味を持っている」子供だった。一方、私の家族親戚は、私以外は理数系を毛嫌いしていた。私が理数系のことを話題に出すたびに、「そんな話はやめなさい。」と言われたものである。

 

私が小学校に入学したのは1971年、中学校を卒業したのは1980年。つまり、1970年代に義務教育を受けていたことになる。この「欲しかったもの」には、今思えば、「1970年代にみられた、いろいろな意味での教育」が反映されている。

1970年頃、学習指導要領は「現代化カリキュラム」とよばれるものに変わった。「現代化カリキュラムを詰め込み教育と非難する空気」と「高度なカリキュラムではあるが、新しいカリキュラムを子供と一緒に楽しみ学ぼうという空気」が、学校を離れた場(子供向け出版物や子供向けテレビ番組など)で同居していたように私には思える。

高度経済成長真っ只中の頃、「科学」は「戦後復興」のシンボルと捉えられていたのかもしれない。私の勝手な想像だが。その後、環境問題などの「高度経済成長の副作用」めいたものが問題となってきた。

「科学教育は重要なこと」という空気と「科学は非人間的だ」という空気が、1970年代には、大人の世界には同居していたように思える。「科学が好きな子なんて、人の気持ちに興味のない冷たい子」という言葉を、親をはじめとするいろいろな人から浴びたものである。

 

1970年代、子供向けテレビ番組はいろいろなジャンルがあった。1970年頃、子供向け百科事典の出版ラッシュがあったらしい。子供向けの理数系出版物も今よりずっと多かった。それらでふれられていた事柄は、今思えば結構高度なものである。それらの記事や番組に、「今は理解できなかったとしても、そのことを知って心がワクワクしたらそれでO.Kだよ。後で高度な勉強をするときにでも思い出してもらえたらうれしいよ。」といったメッセージが隠れていたように、私には思える。

 

私が小学生だった頃、学研から出ていた学年別雑誌を毎月楽しみにしていた。雑誌の広告ページには、「マイキット」「電子ブロック」「科学実験キット」「メカモ」等といった科学玩具が出ていた。それらが欲しかったのだが、金額を見て「お金持ちしか買えないな。うちの親は科学的なものが嫌いだし。」と思ったものだ。

それらの中には、雑誌の懸賞商品になっているものもあった。「懸賞のはがきを送りたいから、切手を買って。」と親に何度かねだった。その度に、「当たるわけないでしょ。やめなさい。こんな商品のどこがいいのよ。」と言われたものだ。

 

子供の頃、化石というものがとても不思議なものに思えた。不思議なものであり、身近な場所では見つからない(というか、子供の狭い行動範囲では見つかる可能性の高い場所すら想像できない)ものだった。

「実物を掘り出してみたいけど、どうすればいい?」と親に訊いて、怒られたものである。

 

「玉川こども百科」は、地域の図書館にあった子供向け百科事典である。当時の私が書店や学校で見た百科事典は、五十音順配列であった。しかし、玉川こども百科は部門別の百科事典だった。部門別であることが、私にとっては驚きだった。書店(の児童書コーナー)では見かけなかった。

じっくり読んでみたかったのだが、それらには禁帯出ラベルが貼られていた。がっかり。

この百科事典で、玉川大学の存在を知った。子供心にも玉川大学にあこがれた。

 

「学力は高くないが、理数系に興味を持っている」子供であった私は、「1970年代にみられた、いろいろな意味での教育」に救われていたと思う。

今なら、「中学受験に結びつく理数系学力がないのなら、いくら理数系が好きで興味を持っていても無意味」という見解を押し付けられていたかもしれない。