karotousen58のブログ

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話し言葉の難しさ

 

自閉症の人、方言話さない傾向 弘前大教授らが調査:朝日新聞デジタル

藤原教授のコメントと私の実感は近い。話し言葉は、書き言葉よりも「主語や目的語などを省略、指示代名詞連発」等があり難儀。また、書き言葉は、書き手が事前に構成を考えている場合有。活字は音声より判りやすい

2015/08/01 00:39

 

他の人のブックマークコメントを読んでびっくり。

・そうなのか。他の人は、話し言葉と書き言葉の違いをあまり意識しないんだな。自閉系の人の中には、話し言葉の難しさを痛感している人も結構いそうだが。

・「自閉系の人は人付き合いという形のコミュニケーションを取ろうとしない。それ故、文字やメディアで言葉を学ぶ。」という解釈がなされているのかもしれないな。「取ろうとしない」という解釈には私は疑問を持つ。「話し言葉を介したコミュニケーション自体が、実は結構複雑なものである。複雑故、その時その場での適応に労力を使い切る。その結果、言葉を学ぶという余裕を持てない。」といったところでは。

と、私は思った。

 

対面で会話をするときは、発せられる言葉以外にもいろいろな情報がやり取りされる。

言葉を聞くこと、話の内容、相手の様子(表情や口調など)、その場所の様子、会話に関連する人物の権力関係や利害関係、その他いろいろ、全部に一度に気を配る必要が出てくる。実はとてつもない情報量である(少なくとも私にとっては)。

 

更に、話し言葉の場合は、書き言葉よりも「アドリブ的対応」が要求されることが多い。

書き言葉は話し言葉よりも、事前に、「相手にきちんと伝わるように、文章の構成を事前に考える」等の対策を取ることがやりやすい。相手の人も、事前にそれらを考えてくださっている場合もある。

しかし、話し言葉だとそれはやりにくい。例えば、相手の話に「指示代名詞が連発される。主語や目的語や補語の類が、文脈や会話の流れの中でしばしば省略される。」といったことがよくある。

相手「ちょっと、そこのあれ取って」

私 「あれって何?」

相手「だからあれだってば、あれ。」

という調子の会話になってしまうことが私の場合はある。

省略された主語や目的語や補語を把握することも、私は苦手である。しばしばトンチンカンな解釈をしてしまい、相手をあきれさせてしまう。

私以外の自閉系の人も、指示代名詞や言葉の省略に難儀しているケースが結構あるのでは? と思う。

 

(特に対面での)話し言葉によるコミュニケーションが複雑で、その場にいるだけで疲弊してしまう。それ故、方言やイントネーションなどを意識する余裕が持てない。その結果、自閉系の人は書き言葉(特に活字情報)から言葉を学ぶ傾向が強くなる。

というのが、「自閉症の人、方言話さない傾向」に隠れているのだと、私は思う。

「活字で得られる情報なんて、ほんのわずかなものだ」と、私はずっと思っている。

くだらない例だが、次のことを真剣に考えてしまったことがある。

ある少女漫画に、「女子高校生が、学校の掃除の時間に校庭の落ち葉を集め、たき火をして芋を焼いて食べていた。それを教師が見つけ、叱る。」という場面が出てきた。

「たき火って、どうやればうまくできるのか想像がつかない。どんな状態になるのか。どの程度の火ならコントロール可能なのかわからない。たき火ができるなんて、すごい実力だ。」

と私は本気で思った。

「どんな状態になるのか」とか「どの程度ならコントロール可能なのか」とかいったことは、活字での表現はおそらく不可能だろう。

「(特に対面での)話し言葉からの、情報のやり取りがうまくいかない」ということに、「越えられない壁」を私は感じている。