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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

図書館ツイートへの反応

トピック「図書館」について

 

鎌倉市図書館の「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」というツイート、いろいろと話題になったようだ。私の観測範囲では、肯定的な評価をしている人が多いように見受けられる。

一方、このツイートとは関係なく「フリースクール」についてのツイートを見ると、トーンが違ってくる。

フリースクールは甘え。」「学校に行かないと社会性が身につかない。」「辛くても我慢する力が身につかない。それだと大人になってから困るのは本人。」という類のツイートも目立つ。

フリースクール支持者の場合も、積極的な肯定意見と言い切れないトーンを私は感じる。「学校が駄目でもフリースクールなら行けるかもよ。」とか「自殺よりはマシ。フリースクールならゆるい場だから行けるだろ。社会性は身につかないだろうけど。」というトーンに思える。

このギャップはいったい何なのだろう? 私はそれが気になってしまう。

 

鎌倉市図書館のツイートに対して何らかの評価をした人が、その評価の裏に「どんな思い」を持っているのか? それが私は気になる。

そして、その「評価の裏に隠れた思い」を子供本人はひそかに察しているのでは? そして、「表面的に見たら、同じに見える行動」を仮に大人が取ったとしても、「隠れた思いの違い」によって、「子供の受け止めた印象」は全く違ったものになるのでは? と私には思えるからだ。

 

・どうして、「辛いのを我慢して登校」と「不登校フリースクール」の二者択一となるんだろう? 

「とりあえず登校という方針で行く。ただし、学校文化の中に本人の安全を脅かすものがあるのなら、学校文化を絶対視しない方針で行く。子供の身の安全が脅かされているであろうことは想像できる。だから、身の安全を確保する方法と子供本人が搾取されない方法を本人と一緒に考えながらやっていく」といった方向のコメントはないんだろうか?

このツイートに対する評価やフリースクール関連ツイートをいろいろと読んで、私が最初に思ったことはこれである。

 

隠れた思いの「対立軸」として、次のものがあるのでは? と私は考えた。

 

・「(学校から)逃げる」という言葉に対する思い

1.「自分が一番大切。大切な自分の身を守るのは、必要なこと。」という思い→「自分の身の安全を確保することが一番必要。そのための方法として、逃げるという策もある。安全が脅かされているのなら、逃げは恥ではない。ただし、下手な逃げ方だとまずい。できるだけ上手な逃げ方を模索する必要がある。」となっているのか?

2.「耐性の無いダメな奴。どうせこいつは強くなれない。自殺よりはマシだから、図書館やフリースクールで勘弁してやる。」という思い→「この思いをはっきりと言うと、本人は気を悪くする。だから図書館やフリースクールを肯定するという見解だけを告げる。」となっているのか?

3.その他

 

・「逃げるという行動に、付随するもの」に対する思い

1.「身の安全が確保されて初めて、態勢立て直しの準備ができるようになる。安全確保ができていない状態ならば、態勢立て直しよりもそれを優先する必要あり。」という見解か?

2.「このまま学校にいても、こいつは負け犬にしかなれない。負け犬は要らないから去れ。『フリースクールや図書館なら、このまま学校に行くよりよさそうだ』と言われているみたいだし。」という見解か?

3.その他

 

私の勝手な想像だが、「学校が辛い」と思っている子供本人の思いは、「学校から離れたい(しかし、離れることは難しいだろう)。」だけではないだろう。

「何とか態勢を立て直したい」という思いも持っている、否、こちらの思いの方が強いのではないかと私は思っている(少なくとも私はそうだった)。ただし、子供本人がそれを意識化や言語化できる状態にあるとは限らないが。

「逃げても何の解決にもならない」「今から逃げたいと思っているようでは、将来やっていけない」という思いを、子供本人が持っている場合も多いだろう。実際、「いじめられ者だった人」による告白で何度か見たことがある。

身近な大人の持っている思いが2.であった場合よりも、1.の場合のほうが、態勢立て直しにつながる可能性があると思う。

2.の思いを身近な大人が持っていた場合、不登校フリースクールで事態が(身近な大人にとって)好転しなかったら、もっと怖いことになるかもしれない。

フリースクールにさえ行けない、ダメな奴なのか」といった類の罵倒を、ついつい私は想像してしまう。

ついでに書くと、フリースクールという場も千差万別である。フリースクール内には、「フリースクール支援者文化」が存在しうる。「フリースクール支援者文化と相性が悪い子供が、支援者から酷い仕打ちを受けた」現場を目の当たりにした経験を、私は持っている。

支援者に賛同する、フリースクール生徒もいた。「このフリースクールでは、いじめはありません」と対外的にはアピールしておきながら。

「相性が悪い子供」であって、ダメとか悪とかいった子供ではない。

例えば、「受験に関係なくこつこつと勉強したい」と支援者に語ったら「人間的に魅力のない、お勉強ロボット」となじられた。

といった調子であった。

 

「子供が学校を辛いと思うこと」に関連したツイートやそれに対する評価は、実は、「大人の隠れたる思い」をいろいろと明かしているものなのかもしれない。