今週のお題「年末年始の風景」
今週のお題「年末年始の風景」
年末年始ときいて私の頭に最初に浮かぶものは「絹ごし豆腐と片栗粉」である。
私は両親と一緒に暮らしている。両親は80歳前後である。この年齢の人に餅を食べさせるのは、私にとっては怖いことに思える。
しかし、私の親世代の人にとっては、正月や餅は特別な意味を持っているものらしい。
それを考えると、正月の食卓に餅(のようなもの)を出さないのは残酷なことかもしれない。
そこで、うちでは、誤嚥を防ぐために、(普通の餅ではなく)絹ごし豆腐と片栗粉で作った「代替餅」を使うことにしている。ケアマネさんからも、「代替餅にしてください」との指示が毎年なされる。
この代替餅の材料を、年末にたくさん買うことになる。
母は認知症である。年末になると、「餅がない。買ってこい。」と何度も言う。一昨年までは、父と私とで「買ってある。冷凍している。」と答えることにしていた。
去年は、父も認知症傾向がでてきた。その父が、餅を買ってきてしまったのだ。しかも、「買った」ということを忘れてしまうらしく、3回餅を買いにいったようだ。
餅1kg入りの袋が、うちに3つあった。
捨ててしまうのはもったいない。冷凍保存すれば、ある程度の期間はもつ。しかし、冷凍庫のスペースをとってしまう。知人に声をかけたが、「ごめんね。餅はたくさんあるんだ。」という類の返事だけ。両親に餅を食べさせるのは怖い。両親に気付かれないように、私が食べきる必要が出てきた。
こうして私は、去年の年末からずっと、餅をたくさん食べている。
去年も書いたが、私の両親の出身地域には、正月に関する奇妙なしきたりがある。
それは、「正月三が日は、三食とも雑煮とおせち料理を食べる」というしきたりである。
しかも、その「雑煮」が問題である。
その地域の「雑煮」とは、「限りなくぜんざいに近いもの」なのである。ぜんざいよりも、少し小豆が少なめだが。
こういう雑煮を食べてきたから、「餅は甘いもの」という感覚が私から抜けない。
こういうしきたりがあるから、絹ごし豆腐と片栗粉をたくさん買うことになる。
私は甘いものは嫌いではない。しかし、9食続くと流石に飽きる。麺類やレトルト食品がとんでもないごちそうに思えてくる。
そこで正月三が日が終わったばかりの昨日、餅以外のものを食べることにした。某スーパーの「お買いもの上手コーナー」に、「マルちゃん正麺 鴨だしそば」があった。それを試すことにした。とてもおいしかった。きょうからは、また、餅を食べなければならない。
私がこの餅を食べきるのはいつになるのだろう? そのときには、麺類やパンがとんでもないごちそうに思えるんだろうな。おそらく。
今年は、私にとっての「年始の風景」は、スーパーの「麺類やパンの売り場」になってしまった。