karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題「今年こそは」

今週のお題「今年こそは」

 

今年こそは、「学校教育における隠れたカリキュラム」・「学校文化」・「発達障害」の3つの事柄を関連させてまとめた記事を発表したい。

ブログではなくBBSがよく使われていた時代からずっと、この思いを持っていた。しかし、うまくまとまらなくて発表できないという状態が続いている。

 

・「学校教育における隠れたカリキュラム」とは、「生徒が学校生活にうまく適応(順応?)していくために学び取っていく、黙示的な(←ここ重要)規範・価値・態度など実際行動面での知識内容」を意味する。

・「学校文化」は中立的なものではない。人の能力や思考や感情等がさまざまである故、学校文化的に不利な立場に置かれる子供も出てくる。「隠れたカリキュラム」と「学校文化」とのつながりは深い。更に、この「隠れたカリキュラム」は学校のみならず、一般社会で優勢となっている価値観とつながっている。

・「隠れた」カリキュラム故、「不利ではない立場にいる人」がそのポジションを意識するケースは稀と思われる。

・「単なる個性ではなく障害」として「発達障害」という概念が生み出されたのは、

隠れたカリキュラムに基づいた学びに於いて、ある種の特性が不利となる→ある種の特性を持った子供は、学校文化的にきわめて不利な状態に置かれる→学校での「学び」で不利益を被るのみならず、学卒後もその不利益がひびく

という状態での「ある種の特性」を「個性」で片づけることに対する、問題提起の意味もあるかもしれない。

・「心身の機能不全があるから障害者になる」というわけではない。「機能不全があると他者が認識して」障害者となる。「不全」の正体は、「障害者とよばれる側の心身機能」のみに存在するものなのか? それとも、「他者を障害者とよぶ側の、価値観やそれに基づく社会のあり方」も関係しているのか? その価値観には「非障害者中心的な価値観」が含まれていることはないのか? ということも考える必要があると思う。

・現状では、「非障害者側が、非障害者的価値観について障害者の視点や経験も通して再考する」という段階を経ないで、「発達障害は、早く見つけて早いうちに療育して、周囲が理解することが必要。」という結論めいたものを押し付ける空気が存在するのでは?

 

といったことについて書きたいのだが、何からどう書いていけばよいのかわからないという状態だ。

この記事を書いているさいちゅう、はてなでは次のTogetterまとめがホットエントリー入り。このホットエントリーともつながっているテーマだと思った。なんとかしてきちんとまとめたい。

はてなブックマーク - 発達障害という概念は「普通の子」を「障害」と決めつけ切り捨てていくものではない - Togetterまとめ

はてなブックマーク - はてなブックマーク - 発達障害という概念は「普通の子」を「障害」と決めつけ切り捨てていくものではない - Togetterまとめ