karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

「最近あった、修学旅行での溺死」について思うこと

 

小6女児、修学旅行先で溺死 ホテルで入浴中 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

"6月に自宅で入浴した際に意識がもうろうとし、9月に入ってからも気分が悪くなったことがあり"が気になる。2度目のとき、きちんとした診察を受けたのか?学校側はそれを把握か?他者に気付かれにくい意識消失もある

2016/10/02 02:51

現段階では、 この溺死について、地元マスコミでは詳しい報道はなされていない状態にある。6月から9月の、本人や周りの人の状況が私は気になっている。

私はてんかん患者。「一歩間違えたら似たようなことになっていたかもしれない、てんかん患者」の話を、私は何度か聞いたことがある。私もその中の一人である。(注 「小学生がてんかんを持っていた」と決めつけるわけではない。)

医療的なことについては、Ponta08さんのブログ記事 「小6女児、修学旅行先で溺死」についての見解 - ネットの情報に惑わされない病気の見方 と  「小6女児、修学旅行先で溺死」についての見解 - ネットの情報に惑わされない病気の見方 で、丁寧な説明がなされている。(注 「てんかん」についての説明記事ではない。)

 

溺死した小学生の体の状態に関する記述は、ネットニュース発表の時刻によって微妙にトーンが変わっている。これも気になる。

では、てんかん患者が「一歩間違えたら似たようなことになっていたかもしれない」と認識した理由は何なのか? それについてこれから書く。

本人、家族(特に親)、周りの人(特に学校関係者)に誰一人として悪い人がいるわけではない。むしろ、誰もが、「他者の心を傷つけないように、お互いが空気を読みあって接している」状態にあると思われる。

だが、この「傷つけない、空気を読みあう」状態が、「本人、家族(特に親)、周りの人(特に学校関係者)という集団内にとんでもない力学」を発生させてしまうことがある。

とんでもない力学とは何であるか? それは、「受診なんて大袈裟。貧血やのぼせなんて、成長期の子にはよくある話。」という認識に走らせてしまうことである。「次にあげる3つの事柄が重なって、この力学が発生」した話を、てんかん患者から私は聞いている。

・「てんかんという病名は、社会的に偏見が持たれている。この病気を持っている可能性を、認めたくない。」という思いを家族(特に親)や周りの人(特に学校関係者)が持っている

・「ただの貧血、ただののぼせ。成長期の子にはありがちなこと。過保護はだめ。」という類の発言が、影響力の強そうな人からなされる。複数人からなされることもある。

てんかん発作の場合、患者本人には発作当時のことがわかっていないことが多い。だから、意識もうろう状態等について本人がわかっていない。

 

てんかん等の疾患を否定したい」という思いを家族(特に親)が持っている場合、周りの人が「おたくのお子さん、ひょっとしたらてんかんが隠れているかもしれません」といった類の言葉をかけるとなると、やはり「言葉をかけられる側にショックを与えない物言い」等について考える必要が出てくる。

言葉をかける側も、「ショックを与える冷酷な人」になることはやはり避けたい。

発作(と思われるもの)の起きた本人に対しても、「てんかんを疑わせる情報」を正直に話しづらいということらしい。私が話を聞いたてんかん患者も、「発作のときの詳しい情報は、教えてもらえなかった。」「『受験とか、ストレスがたまっただけだよ。心配しないで。』としか言われなかった。」と答える人多数。

そして、こういう状態で、「成長期の子にはありがちなこと。大袈裟だ。」という発言が、影響力の大きい人や多数の人からなされたら、親や教師が動揺してしまうこともありうる。

こういう条件が重なって、

受診なんて大袈裟と、親や教師が思い込んでしまう→隠れていたてんかんが見逃されてしまう→その後、悪化してから発覚 

というルートを辿ってしまう。

 

てんかんの場合、最初に起こった発作だけでは「てんかん」という診断名は、通常の場合つかない。経過観察はなされるが。だから、2度目の発作らしきものが見られたら要注意。患者の感覚としては、これは「常識」である。

しかし、患者本人以外の人にとっては「最初の受診で診断名がつかなかったのだから」と解釈されてしまう、そういう危険性もあるのかな? とも思った。

また、てんかん発作は、「全身痙攣や意識消失」が起こるものだけではない。「ただのたちくらみ」とか「ただの頭痛」とか「疲れて、一瞬ボーっとしていただけ」と片づけられていたものが、実はてんかん発作だったということもある。これらが見逃されやすい(受診なんて大袈裟という認識につながる危険性あり)ことにも要注意。

 

「いくらなんでも、『受診なんて大袈裟』という認識に至るのは楽観的すぎるのでは?」と思う人がいるかもしれない。

しかし、実際にその事態となって、「てんかんという病名を否定」という認識に走った人は、ネット上でもリアルでもかなり存在する。

過去記事  てんかん患者と家族 - karotousen58のブログ でも書いたが、てんかんと間違えやすい病気に「心因性てんかん性発作」がある。「てんかんではなくて、単なる心因性てんかん性発作なんだ。心因性だから、本人の気の持ちようでなんとかなる。」と家族が決めつけてしまうケースに、何度か私は遭遇している。

心因性と決めつけるのは危険です。受診が必要です。小さい発作は特に見逃されやすいし。もしもてんかんだったら、悪化しないうちに見つかって治療するほうが予後がいいです。」と私が何度言っても、「否、心因性に決まっています。」という言葉が返ってきたということも何度かある。特に、小さい発作は否認されやすい。

私も、家族から「心因性てんかん性発作」と決めつけられ続けている。「てんかんは、知的障害者に見られる病気。(自称)進学校といわれている高校に通っていたんだから、てんかんなんてありえない。」と、今でも私は言われている。そのたび、「それはてんかんについての誤解」と私は説明しようとする。しかし、家族は取り合わない。

 

「同級生は誰も気が付かなかったのか?」というコメントも、ネット上ではあげられていた。

同級生を責めることはできない。「誰も気が付かない」ということはありうる。見逃されやすい発作は特に。

 

「この事故について、誰かを責める」という行動を、私は取ってほしくない。ただ、「隠れていた疾患が見逃されてしまう」事態を防ぐこと、これを考える必要がある。そう思ったからこの記事を書いた。