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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

「いじめ・居場所・リセット」に隠れているかもしれないこと

いじめ

子供のいじめを母親が1日で解決した方法 - きなこ猫のスッキリ生活

いじめられて学校へ行きたくないから自分の頭を丸坊主にした話 - うにのひとりぼっち育児日記

これらの記事を読んで、拙ブログ過去記事  図書館ツイートへの反応 - karotousen58のブログ を思い出した。この過去記事を書いたときには「ほとんど頭の中になかった事柄」が、私の頭の中に新たに浮かんできた。新たな発見を与えてくださった、リンク先記事のブロガーさん、ありがとうございます。

 

「新たな発見」とは何なのか? それは、次のことである。

1.「自分の周りにいる人は、全員が全員『自分を脅かす人』だ。自分の味方をする人なんかいないに決まっている。」という思いが、過去に私が経験したいじめの裏にあった。私はいじめのターゲットにされた経験がある。恥ずかしいことだが、他人をいじめた経験もある。どちらの立場であっても、私の場合はその思いがいじめをエスカレートさせる主因の一つだった。

2いじめの裏に「その思い」が隠れているケース、他の人が経験したいじめにもあるのかもしれない。

3.図書館ツイートへの反応 - karotousen58のブログ では、「その『逃げる』には『自分の身の安全確保が一番大切だから』という思いが付随しているのか? それとも、『負け犬は要らないから去れ』という思いが付随しているのか? 後者なら、態勢立て直しには繋がらない危険性大。」ということを書いた。前者と後者を分けるものの一つに、「1.と2.で述べた思い」があるのかもしれない。

 

子供のいじめを母親が1日で解決した方法 - きなこ猫のスッキリ生活 の記事を読んで、「私が過去にしたいじめ」を思い出した。

恥ずかしい話なのだが、私が過去にしたいじめは次のような経過をとることがあった。

誰かのことを「気に入らない」と思い、その人をいじめる。

何度かいじめた後ある日突然、いじめをすることじたいを何故かバカバカしく思うようになって、いじめをやめる。いじめをやめた後、何故か、過去にいじめていた人の長所や魅力を感じるようになってしまう。「こいつ、結構いい奴じゃないか。」というふうに。

矢印の部分に何があったのか? それは、次のようなことだったのでは? と思った。

「あ、この人の周りには『この人を脅かさない人。この人の味方でいる人』がいるんだ。だけど、私はそうではない。いじめという行動を取ったとしても、『味方のいる人とそうでない自分』を見せつけられるだけだ。」という思いが私の中に湧いてきたのでは(言語化していなかったが)? ということだ。

これも恥ずかしい話なのだが、私は、「その後改心していじめをやめる」ということをしなかった。いじめのターゲットを変えただけだった。誰かをいじめたくなったときに、「あ、私、味方のいる人に対して嫉妬しているんだな」と気付くようになったのは、高校卒業後だった。遅すぎる。

 

いじめられて学校へ行きたくないから自分の頭を丸坊主にした話 - うにのひとりぼっち育児日記 の記事を読んで、「無理に『行け』と言わないこと、居場所、リセット」に対する思いが私の頭に浮かんだ。

「無理に『行け』と言ったら駄目だよ。」「居場所やリセットは大切だよ。」という言葉は、いろいろな場で言われる。ただ、どういう思いを持ってその言葉を発しているのかが、私は気になってしまう。『自分の身の安全確保が一番大切だから』という思いか? 『負け犬は要らないから去れ』という思いか?

ということが。

この記事の「いじめられている子に大切なこと」の所を読んで、「そうか、『自分の味方なんて、誰もするはずがない』という思いは、『安全確保が一番大切』という発想を奪ってしまう怖いものなんだな。」と思った。この記事では「居場所、リセット」について書かれている。それらを「味方でいてほしい」という言葉とともに書いてくださったことがうれしい。

 

「自分の周りにいる人は、全員が全員『自分を脅かす人』だ。自分の味方をする人なんかいないに決まっている。」という思いにとらわれるのは、とても危険なことだ。

いじめと裏社会性 4 - karotousen58のブログ で、「イジメ・カッコワルイ」について書いた。

 

「私が加害者であるいじめ」に関して言えば、どう考えても「イジメ・カッコワルイ」である。 異なる他者を認める柔軟さを、欠いた行為である。 それだけではない。「いじめ以外に、もっと有意義なもの・ことを探したり没頭したりする」という発想がわたしになかった。有意義なことを探したり没頭したりする方が、私だけではなく共通の場にいる人を利することにつながると思う。 いじめによって、私は他の人を無力化しようとしたことになる。そして、私自身の無力化にもつながった。

いじめと裏社会性 4 - karotousen58のブログ

その思いにとらわれていたら、 「いじめは他人も自分も無力化する行為だ。いじめ以外に有意義なことを探したり没頭するほうが、自分を含めて共通の場にいる人を利することにつながりうる。」という発想にも、おそらくつながらないだろう。