karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

一人郷土研究部

今週のお題「部活」

部活動に関しては、トゲのある記事を過去に書いたことがある。

karotousen58.hatenablog.com

今回も、トゲのある記事を書いていく。

青春の思い出を語ろう!「部活」をテーマにブログを書いてみましょう 

ときたか……

「青春」という言葉がここで出てくる。「世間一般で言われている青春」像から外れた年齢の人が入部することは想定されているのだろうか? という意地の悪い疑問が私の頭に浮かんだ。

最近、興味深いコメントをTwitterで見た。コメント・青春・部活 が私の頭の中で変なつながりを持ってしまった。 

現在の一般的な校則では、40代のおばさんの高校入学には大きな壁があるという結論に達しました

でもっって、40代のおばさんが入学してきても無理なく過ごせる校則にすると、若者にも優しいんじゃないかという話になりました。

そうだな。「高校生なら10代後半だな」という発想から自由になったほうが、いろいろと面白いかもしれない。「校則」を「部活動に対する、教育的に過剰なイメージ」に変えたくなる。

私は、「学校の部活動には『家庭の文化資本社会関係資本』めいたものを露にする面があるのでは? うちはどちらの資本も乏しすぎる。」という思いもずっと抱えている。10代の頃も、子供心にも漠然と思っていた。

 「普通科を卒業すれば、工業科等なら入学出来ます、が。」というツイートもあったが、私の生活圏の場合、詳細がわからなかった。

もしも私が今、実業高校に入学(私は公立普通科高校卒)して部活動をやるとしたら、どういう活動を考えるだろう? 最初に頭に浮かんだのは郷土研究部。次は園芸部。その次は(一人)イージーリスニング研究部。最後に浮かんだヤツに至っては、たぶんイミフとしか思われないだろう。

そういえば、郷土研究部、園芸部、(一人)イージーリスニング研究部のどれも、リアルの高校時代に、ある種の接点があった。思い出した。

郷土研究部

 私は中学卒業まで、居住地の校区内と市の中心部以外に出かける機会がほとんどなかった。それらから外れた地名を意識することは、ほとんどなかった。

高校入学後、「生徒名簿」なるものを配られた。名前や住所などが出ていた。違う中学の出身者だと、住所のところに出てくる地名が「初めて見聞きするもの」であるケースがほとんどだった。「これ、どこだ? どんなところなのか調べてみたい。」などと思い、市街地図を買って、休日に自転車で行くようになった。市街地図の「図面外」となっている地名もたくさんあった。

中学卒業までは「面白いものなんか何もない地元」と思っていた。しかし、「知らない町を探検」というノリで動いてみると、記念碑とか結構あるものだとわかった。

このとき、「郷土研究部って、どうだろう?」と思った。が、ほとんど同時に次のことも頭に浮かんでしまった。

「郷土研究部の人って、どういう動機で入部したのだろう? 地元を『研究の対象』とする発想が、どこから湧き出たのだろう? やはり、いろいろな所へ旅行に行くような家庭とか、歴史や文化の知識を持った家族のいる家庭の人なんだろうな。そういう文化のない私だと、たぶん浮いてしまうな。」

結局、高校時代は「一人郷土研究部」活動で終わった。

園芸部

出身中学に園芸部があったか否か、よくわからない。出身高校にはなかった。

しかし、昭和50年代の漫画には「園芸部」という部活動がちょくちょく出ていた。高校に入学したばかりの頃、「園芸部って、どんな感じなんだろう?」と思った。

しかし、私の身近には園芸をやっている人がいない。知識がない状態で「園芸部をつくりたい」などとは言えなかった。

大学入学以降も、リアルで「学校では園芸部員でした」という声を私は聞いたことがない。「面白そう」という思いと「本当に存在するのだろうか?」という思いが、私の中で同居している部活である。

(一人)イージーリスニング研究部

昭和50年代、イージーリスニングブームなるものがあった(らしい)。私が中学校に入学したのは1977(昭和52)年。当時、地方公立中学生の間では、「ラジオの深夜放送を聞くこと」が社交常識となっていた。また、(特に女子生徒の間で)「歌謡曲のベストテン番組」の類を見ることも社交常識となっていた。

ラジオの深夜放送で、偶然イージーリスニングを知った。気に入った。ラジオFM放送の番組表を見て、関連番組を探して聴いた。

謡曲のベストテン番組は、私にとってはつまらない番組だった。しかし、当時、学校内で行われる行事はしばしば、「ベストテン番組に出てくる歌」を歌う展開になっていた。「歌を知らない」などと言おうものなら、「ガリ勉」と罵られた。だから、その種の番組は、「浮世の義理」として見ていた。

こういう学校文化の下では、「イージーリスニングが好き」などとは外部には言いづらい。当時の私には、同好の士がいるとは思えなかった。「イージーリスニング部がないから、同好会を作ります」などという発想は、当然持てない。だから、「一人イージーリスニング研究部」活動で終わった。

大学に入ってから、同好の士がいることがわかった。「150人に1人」程度の割合で見つかった。その後、ネットを使うようになってから意外なことがわかる。ネット上では、「実はイージーリスニングが好き。同好の士はなかなか見つからない。」とカミングアウトする人が結構いた。

ひょっとしたら、高校時代にも身近に「隠れイージーリスナー」がいたのかもしれない。

トゲのある過去記事でも書いたが、「帰宅部の子は無気力で魅力のない子」的な物言いを、中高時代に私はしょっちゅうなされていた。部活動を楽しめない自分は、おかしいのだと思っていた。

しかし、こうしてみると、「『一人部活動』というヤツを、当時の私は結構楽しんでいたんだな」と思う。