karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

母(認知症高齢者)の骨折入院

今年1月下旬から、母(認知症高齢者)が入院している。転んだことから始まった。

入院診療計画書によると、「骨折で歩行困難な状況、2~3ヶ月の入院予定」とのことだ。

「高齢者の転倒は、しっかり予防しなければならない。骨折以外にもいろいろな面で大きな影響を及ぼすから。」と、よく言われている。現在、それを痛感している。

「大きな影響」以外にも、「家庭内の特定の人に介護や家事の仕事が集中。それ以外の人は『無関心、無責任』な態度を取り非協力的。」という問題も、これまでに輪をかけて大きくなっている。

こういうわけで、なかなかブログを更新できなかった。

この「大きな影響」や「特定の人に丸投げ問題」について、今後、ある程度時間が取れるときに書いていきたい。

これらのテーマ以外に、「短時間で書きやすい、全く関係のないお題」が見つかったら、それを優先して書くかもしれない。

 

入院の1週間近く前に、ある病院(昔からの持病のために定期通院している)玄関付近で転んだ。その直後から「歩けない」とうったえ、病院内では車椅子使用。診察終了後、看護師さんに車でうちまでおくっていただいた。

翌日、整形外科の個人病院受診。レントゲン検査を受けた。

「レントゲン検査の結果からは、骨折とははっきり断定できない。しかし、痛がり方がひどいことから骨折も考えられる。骨折疑いということで紹介状を書きますので、総合病院でCT使用の検査を受けてください。」とのことだった。

 

その2日後の午前中、総合病院で検査。その日の午後、整形外科の個人病院を再受診。勿論、午前中の検査結果を提出して。

検査結果について、「骨折でした。ただ、『どうしても手術しなければならない場所』というわけではありません。治るまでは1ヶ月程度かかります。次回は2週間後に来てください。」と告げられた。

そして、その後すぐ、「どうしても生活が成り立たないようなら、希望すれば、ある総合病院(CT検査を受けた病院ではない)に入院できる状態です。入院希望の場合は、まず当院に連絡してください。」と告げられた。

ただ、告げられたのが金曜日だった。土曜日曜を挟んでいるから、入院は月曜以降となる。この土曜日曜が大変だった。

そして月曜、個人病院による紹介状などを持って、ある総合病院で入院手続き。実際に入院して、「1ヶ月程度」どころか「2~3ヶ月の入院予定」と診たてが変わっていた。な、なんて話だ……。

といった経過で、入院診療が始まった。

 

入院までの受診、入院時、入院後、それぞれの場面で、「『無関心、無責任』な態度を取り非協力的」な父を痛感した。これについてブログに書くことも、父と私を反面教師にする意味があるかもしれない。

実際にブログをやってみたら、想定外のことがいろいろと

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

 

私がブログ初心者に贈る言葉、それは、「『シジャギ パニダ』という諺を実感できるかもしれない。」である。

もっとも、私も初心者みたいなものだが。

 

以前書いたことがあるが、私は、この諺に背中を押された感じでブログを始めた。

はてなブックマークを使って意見発表をするために、アカウントを取ろうと思った。そのとき、ついでに「はてなブログを始めよう」の部分も読んでしまった。

読んだ後、「シジャギ パニダ」という韓国の諺が脳裏をかすめた。そして、その勢いではてなブログ開設を決めた。

ということになる。

「シジャギ パニダ」を直訳すると、「始まりが半分だ。」となる。「何かを始めたとき、すでに半分到達している。」という解釈になるらしい。

はてなブックマークと関連させてブログ記事を書くこともできるな。ここで、この諺が頭に浮かんでしまったんだ。よし、やってしまおう。」と思ってしまったのだ。

本当は、この「シジャギ パニダ」という諺には、二つ意味があるらしい。もう一つの意味は

「準備段階がとても大変だけど、始まったら結構スムーズに進むものだよ」というイメージを持ったもの(つまり、「準備が大切」「始めが肝心」というような意味合い)らしい。

後になってからそれを知った。

 

では、「シジャギ パニダ」とはどういうことなのか?

実際にブログを書いてみて、「アクセス数の少ないブログでも、ROM専と実際にやってみるのとでは、感触は全く違うものなのだな。想定外のことってあるもんだな。」と思った。この思いが、私にとっての「シジャギ パニダ」である。

そのうちの一つについて、今週のお題「私がブログを書く理由」 - karotousen58のブログで書いた。

また、他の人によって書かれた記事を読んだときに、拙ブログの過去記事を思い出すこともあった。そして、過去記事を書いたときには「ほとんど頭の中になかった事柄」が、私の頭の中に新たに浮かんでくることもあった。こういう、意外な発見もあった。

いろいろなブログにアクセスする場合でも、感触が違ってくる。

拙ブログ記事にスターやブックマークをつけてくださった方々のブログ、読者登録してくださった方々のブログ、私が読者登録をしたブログ。それらのブログにアクセスしてみる。ブログにはそれぞれの個性が現れていて、面白い。

例えば、どこかの美術館で「丸山応挙展」をやっていたときだった。アクセス先のいろいろなブログで、その「丸山応挙展」について記事が書かれていた。

それぞれのブロガーさんの、ご自身の感性と言葉で、「丸山応挙展の魅力」が書かれていた。特に強く惹かれた部分とか、文章表現の仕方とか、ブロガーさんによって異なる。違いが個性として感じられて楽しかった。私がブログを書いていなかったら、「丸山応挙展」の存在すら知らないままだった。

 

「やっぱり、ROM専と実際にやってみるのとは、全く違うものだのだな」と、ブログを書いてみて思った。

知名度が低いかもしれない「豆腐餅」

私の母は認知症で、要介護2と認定されている。毎月1回、ケアマネージャーさん(以降、ケアマネさんと表記)が訪問に来られることになっている。12月の訪問日には、「餅」のことがよく話題になる。

「餅」関連の話題を初めて聞いたのは、6年前の12月だった。

 

6年前の12月、ケアマネさんから訊かれた。「正月はどんな食事にしますか?」と。

私は答えた。「餅を食べさせるのは、正直言って怖いです。だけど、母から『餅がない。買ってこい。』と毎日言われます。」と。

そのとき、ケアマネさんが、「豆腐と片栗粉で、餅に似たものを作るという方法があります。」と教えてくださった。「ネットで調べたら、作り方が出ていそうだな。」と思った。

検索したら見つかった。「豆腐餅」とよんでいる人もいた。それ以来、うちでは、餅を買わないで豆腐餅なる「代用餅」を作ることにしている。家族からも、特に抵抗はない模様である。貧乏舌の私には、「餅」で通用する食べ物と思える。

 

今年は、「作り方を教えて」という展開になった。私は即答した。道具も材料も技術も、特別なものは必要ないし。「電子レンジ」が特別だといえば、そうかもしれないが。

ところが、ケアマネさんから意外なコメントが返ってきた。「作り方がわからないという人がほとんど。検索の仕方がわからないという人も多い。そもそもネットを使わないという人も結構いる。」とのことだった。

試しに、「高齢者 餅 代用」といった感じで検索してみた。すると、いろいろな代用餅関連記事が見つかった。しかし、「豆腐と片栗粉」を使ったものは、クックパッド関連記事以外ではなかなか見つからない。「大根餅」や「おから餅」や「いも餅」や「ご飯シートで代用」や「高齢者向けとうたわれた市販品利用」という記事は簡単に見つかるのだが。

そして、それらの代用餅については、コレジャナイ感を訴える人も少なからず存在するようだ。更に、道具や材料や技術について、「私が作る豆腐餅」よりも高度なものもあった。

クックパッドには、「『料理の基本がわかっていない人』が手を出したら、うまくいかない」レシピも少なからず存在する。だから、「クックパッド以外の記事」から試してみるという人も、いるかもしれない。

「これじゃ、『豆腐餅』のレシピにたどり着かない人も結構いそうだな」と思った。

 

「豆腐餅」の知名度は低いかもしれない。「私の家族以外の人には、豆腐餅に対してコレジャナイ感を持っている人もいるのだろうか? 知りたい。」と、私は前々から思っていた。しかし、検索してもコメントはほとんど見つからない。クックパッド中のコメントは、おおむね好評のようだが。

 

うちでは、次のようにして豆腐餅を作っている。

材料

絹ごし豆腐150g 片栗粉 大さじ4(好みによって調整を。アバウトでも結構うまくいく。)

作り方

  1. 豆腐を容器(電子レンジ使用可能なもの)に入れ、フォークの背でつぶす(豆腐の水切りはしない)。
  2. 1に片栗粉を入れ、しっかり混ぜる。
  3. 2にラップをかけ、電子レンジで2分加熱。
  4. 取り出して、再度ラップをかけ、もう2分加熱。
  5. 豆腐の白い部分が残っていたら、再度数十秒加熱。
  6. 少し透明感が出て、弾力が出たら出来上がり。

検索したら、砂糖で甘味を付けた「豆腐餅」のレシピも見つかった。

豆腐と片栗粉でできる!もっちもち豆腐餅の作り方 | nanapi [ナナピ]

 

日本の雑煮は、地域によって大きく違う。餅についても、「四角い形か、丸い形か」「焼いてから入れるか、煮るか」という違いがある。

大雑把にいえば、東日本は「角餅を焼いて入れる地域」が多く、西日本は「丸餅を煮る地域」が多いということらしい。

角餅と丸餅|探る|日本鏡餅組合

私も親も、東日本を生活圏としたことがない。私の親は、「角餅を焼いて入れた雑煮」にはなじみがないようだ。

「丸餅を煮る文化圏」なら、豆腐餅でも抵抗は少ないかもしれない。しかし、「角餅」や「焼いて入れる」場合は、豆腐餅だと使いにくいんだろうなと思う。

豆腐餅関連記事がなかなか見つからない理由、こういうところにもあるのだろうか?

ピザはあこがれの食べ物だった

「ピザにまつわる思い出やエピソード」ではあるのだが、「ちょっとしたパーティー感をさりげなく演出する素敵なピザのストーリー」とは大きくかけ離れた記事になる。

「1960年代半ば生まれの、田舎出身者」である私にとっての、「ピザにまつわる思い出やエピソード」。それは、田舎出身ではない人やお若い人にとっては、「何それ? 変。」と思われるお話かもしれない。

 

私の記憶では、地方でも「ピザのデリバリー」が始まったのは、バブルの頃だったと思う。「10回クイズ」が流行ったのも、確かこの時期だった。

1970年代後半、私にとっての「ピザ」は、「マスコミで時々報道されるが、実体がわからない」食べ物だった。また、「ピザ」ではなく「ピザパイ」と言われていた。ピザパイ関連のマスコミ報道に、都会や青春のイメージを私は持っていた。

1980年代前半には、私にとっての「ピザ」は、「冷凍食品のピザ」や「ピザまん」や「ピザトースト」や「ファミレスのメニューにあるもの」となった。

バブルの頃からやっと、「専門店のピザ」イメージが浮かぶようになった。

 

私が「ピザパイ」なる食べ物を知ったのはいつだったのだろう? たぶん、1976年頃だと思う。1976年、この年はアメリカ建国200年の年。私は小6だった。「アメリカのことで、何故日本が騒いでいるのだろう? 不思議だ。」などと考えている、かわいげのないガキだった。

その当時のマスコミでは、「ピザパイとコーラを前に青春を謳歌している、都会の若者」「欧米イメージとしてのピザパイ」という感じの報道が、アメリカ建国200年騒ぎと一緒になされていた。ラジオの深夜放送でも、そのような話がなされていた。姉が買っていた少女漫画にも、「レストランで働いている女の子が、彼氏へ食べさせるピザパイに大量のトッピングをする」シーンがあった。

私が高校を卒業するまで、私の出身地には、「ピザパイの外食ができる店」が(たぶん)なかった。私の家族が、ピザパイに使われる食材を嫌っているという条件までついていた。親が2人とも、チーズ、ピーマン、オニオンなど「ピザパイ定番の食材」を嫌っていた。こうなると、「ピザパイを食べる機会」なんてものは想像つかない。

「親が嫌う、都会にしかない、青春イメージを煽る」といった感じで、私にとってピザパイは、「都会と青春を感じさせる、あこがれの食べ物」だった。

 

1983年、私は実家から遠く離れた大学へ進学した。大学のゼミで一緒だった学生の中に、女子寮に入っている人がいた。その女子寮では年に1回、「寮祭」なるイベントがあった。大学1年のとき、その寮祭に行った。

その女子寮生は、寮祭で「ピザトースト」なるものをつくっていた。私はそのとき初めて、ピザトーストを知った。そして食べた。高校までなら食べる機会すらなかったその食べ物が、気に入った。その後、喫茶店やファミレスで、「ピザトースト」を意識するようになった。

 

バブルの頃、私は一人暮らしをしていた。その頃から、「ピザのデリバリー」関連チラシも見かけるようになった。

「たくさんの種類がある。ポテトやシーフードというものもあったのか。ソースもいろいろある。面白い。ピザトーストとは比べ物にならない。」が、チラシを見たときの感想だった。

当時、ピザを食べるときは、「『一人じゃ食べきれないから、一緒に食べない?』と誰かが声をかけ、複数人で食べる」というケースがほとんどだった。気に入った人と一緒に食べるピザは、私にとってごちそうだった。

 

現在、私は家族と暮らしている。ピザを食べるとしたら、「自分一人で食べきる」しかないケースがほとんどである。今では、プルコギとかカルビとか牛タンシチューとかいったものもあるようだ。これらは、私が一人暮らしをしていた頃にはなかったと思う。新しい味も試してみたい。

1枚で4種類の味が楽しめるタイプのものが、特に食べたい。

犬の移行上皮癌

11/16に、うちの愛犬が逝ってしまった。その3日前に、移行上皮癌(膀胱癌の一種)と診断されたばかりだった。泌尿器系の病気は初めてだった。11/3までは、まだ散歩をする余裕があった。11/13までは食欲旺盛だった。えさも犬用おやつもおいしそうに食べていた。

9月に入ってすぐに、通院を始めた。しかし、それでは遅すぎた。早く異変に気付かなかったということを、とても後悔している。

今回の記事は、「うちの家族の轍を踏まないでほしい」という内容。犬(特に高齢犬)を飼っている人や身近な人に向けて。

 

犬(特に高齢犬)を飼っている人や身近な人にお願いです。

  1. 「トイレが近くなったのは、歳を取ったからだろう。」と決めつけないで、受診させてください。膀胱炎を何度か繰り返している犬の場合、定期的に検査をしたほうがいいそうです。
    診察の際には、超音波検査(エコー)もしてください。「医師が膀胱炎と決めつけて超音波検査をせず、腫瘍や結石が見逃された」という声も、ネット上にありました。
  2. 人間用の味付けがしてあるものは、犬には与えないでください。塩分や糖分や脂肪分が、犬にとっては多すぎます。人間用のハムやソーセージなどや練り製品も、同様の理由で与えないでください。
    うちでは私以外は、「ほんのちょっとだから、いいでしょ」とか「犬だって人間と同じものを食べたいよね」という調子でたくさん食べさせていました。家族の友人までが同調していました。ここ数年は、「異常食欲という行動に出ている、認知症の母」がうちの犬にたくさん食べさせていました。
    「ベビー用品の、ドア・引き出しロック」を冷蔵庫に取り付けたのですが、遅すぎました。ブレーキをかけられなかった自分がふがいない。その思いでいっぱいです。
  3. 犬の肥満には気を付けてください。うちの犬を今年1年近くで6キロ近く太らせてしまった、このこともとてもまずかったと思います。「癌ならやせるだろう」と思われるかもしれませんが、うちの犬の場合はそうではありませんでした。
  4. 「毎年血液検査をやっている。毎回『異常なし』だから、重病ではないだろう。」と決めつけるのは危険です。検索していたら、次のような事例もありました。
    「毎年の血液検査は異常なし。元気があって食欲旺盛。しかし、念のために人間ドックならぬ『ドッグドック』を受けてみる。→一般身体検査も血液検査もレントゲン検査も異常なし。しかし、超音波検査(エコー)だけ異常所見あり。→専門機関による病理検査により、移行上皮癌と確定。」

 

犬の移行上皮癌は、発現数の上では腫瘍全体の1%前後ということだ。検索しても、「この癌に罹った犬を、飼っていた人」による情報はなかなか見つからなかった。うちの家族でも、反面教師としての情報になりうるかもしれない。

犬の移行上皮癌は、いろいろな意味で厄介な癌である。膀胱炎などの「炎症」なのか、そうではない「腫瘍」なのか、わかりにくいケースもあるらしい。うちの犬がそうだった。

腫瘍性のものであるかどうかの判断は、病院外の「専門機関による病理組織学的診断」の結果も踏まえてなされる。「腫瘍細胞」が確認されるかどうかが、大きな鍵となる。

ところが、犬の移行上皮癌の場合は、「癌がかなり進行した場合でも、『腫瘍細胞とは確定困難な、状態』というケースがかなりある」ということだ。うちの犬もそうだった。9月と10月中旬、更に11月始めに、専門機関に病理検査を依頼したのだが、いずれも、「上皮性・腫瘍性疑い」(確定的所見が得られなかった)という診断だった。

「この癌に罹った犬を飼っていた人」のブログの中には、「炎症か腫瘍か確定が難しい状態」について「医師に不信感を持った」コメントも見つかった。「癌と決めつけようとしている」とか「炎症への対症療法で時間をとらず、はやく癌治療をしてほしかった」とかいったコメントが見つかった。

うちの犬が通院していた病院の場合、獣医師さんもスタッフさんも、きちんとした検査や診察や説明をしてくださった。初診のときに、超音波検査(エコー)もなされた。獣医師さんやスタッフさんに感謝しています。

 

愛犬よ、至らない飼い主でおまえを苦しめてしまって申し訳ない。こんな飼い主でも、13年近く一緒に暮らしてくれてありがとう。もう、痛くも苦しくもないね。ゆっくりお休み。

外国児童文学の新訳が気になる

今週のお題「読書の秋」

 

外国文学は、訳によって作品の印象が大きく変わってしまうこともあるらしい。確か、それを「カニグズバーグの本を初めて読む人なら、松永ふみ子さんの翻訳作品がおすすめだよ。」という内容の文章で読んだ。

読んだ後、『星の王子さま』の新訳が多く出版されたときの報道を思い出した。日本では、岩波書店が長らく作品の翻訳権を有していたが、2005年1月に翻訳出版権が消失したので、新訳が多く出版された。報道では「いろいろな新訳。あなたはどれが好み?」といったトーンで紹介されていた。「どのように違うのか」には、ふれられていなかったように思う。当時の私には、「はあ、そうですか」程度の感想しか浮かばなかった。

 

その後、『星の王子様』についていろいろな解釈がなされていることを知った。 

「星の王子さま」の心理学―永遠の少年か、中心気質者か

「星の王子さま」の心理学―永遠の少年か、中心気質者か

 

 この本は、新訳が出版される前に出た。新訳との関連はどうなったのだろう?

 

オズの魔法使い』も、いろいろと新訳が出ている。「ブリキの木こり」関連の訳がどうなっているのかが、一番気になる。児童書だと、「子供が読みやすくするように省略した」部分があるらしい。そして、その省略された部分が実は重要、という見解もある。

「『ブリキの木こりには心がない』わけではない。本当はあたたかい心の持ち主だった。」という内容がどのように訳されているのか? それが一番気になる。訳者によって印象が変わるのだろうか?

 

子供の頃に読んだ、外国児童文学。今出ている本は、私が子供の頃に読んだ本と、翻訳者が違っているものもあるようだ。『小さいおばけ』もそうだった。 読み比べてみたい。

小さいおばけ (1967年) (新しい世界の童話シリーズ〈25〉)

小さいおばけ (1967年) (新しい世界の童話シリーズ〈25〉)

 

  

小さいおばけ

小さいおばけ

 

「尾崎紅葉」で検索してみた

今週のお題「紅葉」

 

このお題を見て、たぶん、いろいろな人がいろいろなことを連想しただろう。

例えば、広島関連(もみじ饅頭や県の花や県の木など)、紅葉にまつわる科学、紅葉と関係のある歌、山村紅葉(タレント)、などなど。

ここで私は何故か、尾崎紅葉を連想してしまった。そして、「尾崎紅葉」で検索していろいろなことを知った。

「いろいろなこと」の脱線状態が、楽しかった。

 

私は文学に疎い。今回検索するまでは、「尾崎紅葉と言われても、『金色夜叉』以外は何も頭に浮かばない」状態だった。

今回検索する際に最初に思ったのは、「尾崎紅葉ってたぶん筆名だろうけど、由来は何なのだろう?」だった。

港区公式ホームページによると、現在の東京タワー付近(当時は増上寺境内)の紅葉山に由来するとのことだ。

検索していたら、他の作家についても、筆名の由来について書かれた記事が見つかった。泉鏡花という筆名は、尾崎紅葉命名したということだ。泉鏡花は、尾崎紅葉に師事していたということだ。初めて知った。

ところが、話はここでは終わらなかった。デビュー当時の、泉鏡花の筆名も初めて知った。デビュー当時の筆名は、「畠芋之助」だった。『高野聖』あたりのイメージと、ギャップがありすぎる。この「畠芋之助」なる筆名を誰がつけたのか、それについてはわからなかった。

 

それから、「『金色夜叉』って、確か、前世紀のセンター試験に出題されたことがあるぞ。日本史だったか現代社会だったかで。」ということを思い出した。

当時の新聞に、センター試験の問題と予備校講師による講評が出ていた。講評には「『金色夜叉』は、今の高校生にはなじみがない作品かもしれない」と出ていた。

「えっ、作品名と『ダイヤモンドに目がくらみ……』程度なら誰でも知ってると思ってた。私も歳を取ったのか?」と思った。

金色夜叉 センター試験」で検索したら、またまた脱線してしまった。前世紀の試験についてはわからなかったが、平成27年追試験で誤肢に『金色夜叉』が使われていた。

この設問は、「並木路子」という人名が書かれている問題文から、「『リンゴの歌(唄)』を導き出すものだった。『リンゴの歌(唄)』の誤肢が『金色夜叉』とは……。私の発想を超えている。

 

この追試験については、「全国歴史教育研究協議会による意見・評価 」も、検索で見つかった。この記事では、「山田耕筰」や「うたごえ運動」が、「やや難解な用語や人名」とコメントされていた。「そうなのか、お若い人にとっては『難解』とみなされるかもしれないのか。私も歳をとったな。」と思った。

その後、「そうか、センター試験の出題者って、共通一次世代(つまり私と同世代)になってるんだろうな。」と思った。

 

尾崎紅葉から、ここまで脱線してしまった。今週のお題に「紅葉」が選ばれなかったら、日本史センター試験問題を面白がるなんてことはなかっただろう。今回も変な脱線だった。