karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

不自由研究の持つ(裏)教育的意義

今週のお題「わたしの自由研究」

素朴な疑問。「自由研究は、大人にとっても子供にとっても不安な宿題。不安な上に、教育的に意義があるとは思えない。教育的な意義をはっきりと示してもいいのでは? また、自由研究のあり方を見直してみてもよいのでは?」的な提言が、過去になされたことがあるのだろうか?
本心ではそのように思っている大人(特に親御さん)や子供本人もいるのでは? と私は密かに疑っている。
「思っているのだが、実際に発言するのはまずい」とか「そのように思うことじたいが、悪いことだ」という思いなのでは? と私は捉えている。
では、教育的な意義について夏炉冬扇はどう捉えているのか? これに対する答えは、おそらく、世間一般からは「残酷なもの」と思われるものだろう。
 

自由研究については、過去に、トゲのある記事を書いたことがある。

karotousen58.hatenablog.com

この過去記事で特に書きたかったことは

  • 自由研究といってるけど、本当は不自由だぞ。
  • 自由研究という宿題には、実はとんでもない目的が隠れてるんじゃねーの?
  • 他に目的があるのなら、はっきりと子供に示してもいいんじゃねーの?

だった。
 

小中学生なんて、まだ、基本となる知識の量がごく僅かである。行動できる範囲も極めて狭い。取扱に注意を要する薬品や道具を使用するのも困難だ。

知識も経験も乏しい状態で、テーマを決めなければならない。 テーマを決めたら、実験や観察の方法や作品制作方法を考えて実行しなければならない。そして、結果や考察等を踏まえてまとめなければならない。

「テーマと選定理由、理論的背景、実験や観察の方法や準備、結果や考察、それを踏まえてのまとめ」なんてことを、普段の授業でやっているわけではなさそうだ。「それらのやり方について、小中学校で指導を受けた」という声を、私は聞いたことがない。どういうわけか、教えなくてもできることとみなされているらしい。

「小中学生がやらされる自由研究」と『裸の王様』もどき - karotousen58のブログ 

結局のところ、自由研究や作品制作という宿題の目的は、

・「もともと素質があり、かつ、自由研究や作品制作に意欲を燃やすことのできる環境が確保された子」がいるかどうか、いるとしたら誰なのか、学校側が把握したい。

・「下手な子供が、目も当てられないような下手くそ研究や作品を自力で作成」することよりも、「大人が教育力を持っていることや、大人の教育力によってド下手な子供でも上達・成長しましたという物語」を、示してほしい。また、その空気を読める子に成長してほしい。

といったところではなかろうか? 私はそのように疑っている。

「小中学生がやらされる自由研究」と『裸の王様』もどき - karotousen58のブログ

 

自由研究を通して、子供にどのようになってほしいのか? 親御さんを対象としたアンケートと、大学の先生によるコメントが見つかった。

アンケートは、「夏休み2018宿題・自由研究大作戦」なるイベントの入場事前登録時に実施。アンケートの期間は7/2~7/13。つまり、「大人からの支援なんてほとんど期待できない家庭」は、ハナから除外されていると思われる状況での実施。

https://www.jma.or.jp/img/pdf-report/summer_2018.pdf

そもそもなぜ「自由研究」は夏休みの宿題なの? ひと皮むける4つのポイント (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

 「やりきる力を身につけてほしい」「探求力を高めてほしい」「自主的な学びのスキルを習得する、絶好のチャンス」というコメントがあげられている。

コメントを読んだ私のホンネは、「それらの力やスキルを、屏風から出してくれ。『自由研究や作品制作に意欲を燃やすことのできる環境が整っていない』子を対象として。」である。

 

「もともとの素質に乏しく、かつ、自由研究や作品制作に意欲を燃やすことのできる環境も整っていなかった」私にとって、自由研究の持つ教育的意義は何だったのか?
それは、過去記事で書いた「目的」と、「『ごまかし』と向き合うこと」だったと思われる。
「できてあたりまえ」とみなされていることや、「できないなら、それ相応の処遇を受ける」ことが、この世にはある。それらのことがうまくできないorできそうにない場合、「ではどうするか? どう乗り越えるか? どうごまかすか? などを模索」する必要が出てくる。
最後に出てきた「どうごまかすか?」を模索することは、しばしば、「道徳的に悪いこと」として禁止される。特に、「清く正しく美しく」的お題目で純粋培養的な育て方を目指す大人のもとで。
汚い言い方をすると、「不自由研究で、『どうごまかすか?』を模索する機会にもなり得る」ということになる。
「どうごまかすか?」は、「ではどうするか?、どう乗り越えるか?」よりも心証が悪い。しかし、「これを模索することの必要性は、ゼロとは言い切れない」と私は思う。

「不自由研究」の持つ(裏)教育的意義は、「過去記事で書いた『目的』プラス「できない/できそうにないことを、上手にごまかすスキルを模索」である。私はそう捉えている。

 

今は、自由研究関連書籍や実験観察キット、自由研究関連サイトがある。大人になってからそれらを見て、私は思った。

「制作者は、子供の頃に本当にこれらの内容を考えついたのだろうか? 後でもっと高度なことを学んだからできるんじゃねーの? 『テーマは思いつくけど、実験観察方法を思いつかない』とか『理論的背景を調べる方法がわからない』とか『実験観察に無理がある(例 チューリップの種まき。なぜ種をまかないんだ?からスタートのテーマだが、花を咲かせるのに5年以上かかる。)』とかいった経験はなかったのだろうか?」と。
子供の頃の私は、「テーマだけはたくさん思いつく」「関係のありそうな本を探したり読んだりすることじたいは、好き」という子供だった。しかし、実験観察方面がうまくいかない子供だった。
「実験観察方法を思いつかない」「方法の書かれた本を見つけても、装置をうまくつくれなかったり操作をうまくできなかったり」「実は、チューリップの種まきみたいなテーマだった」「理論的背景の書かれた本を、うまく見つけられない」状態だった。

子供の頃、「実験観察方面にはあまりふれないで、本で見つけた『関係のありそうな事柄』をいろいろと組み合わせて、自由研究という宿題を一応は完成させる」ということは、8月上旬までの段階でできていた。しかし、父はこの「一応は完成させた宿題」を許さなかった。「実験観察がないなら、ダメ」といわれた。
「市販の『自由研究本』を買って、そこに書かれている実験観察やまとめをそのまま真似したものでなければダメだ。お父さんも一緒にやるから。」と言われた。

だが、うちの家族も親戚も、「図画工作の類と理数系は、大の苦手で大嫌い」という人ばかりだった。実際に実験観察を父が試みても、装置をうまく作れなかったとか変な結果がでたとかいった、調子だった。
たぶん、父にとって自由研究は、「親の顔を潰す」ものだったのだろう。自由研究終了後に、私はいつも怒られた。「どうして、ちゃんとしたテーマにしないのだ。他の子は親が手伝わなくてもやっているのに。」と。


私の場合、不自由研究という宿題では、(大人の期待しているであろう)「やりきる力や探求力や自主的な学びのスキル」とやらは身につかなかった。「父に怒られることが目に見えている宿題」だった。

ただ、「テーマについていろいろと考える」とか「関係のありそうな本を探したり読んだりする」「関係のありそうな事柄をいろいろと組み合わせて、まとめて書く」ことじたいは、とても楽しかった。「科学のアルバム(あかね書房)」とか、図書館に行くたびに、全巻読みたいと思ったものだ。

「怒られる嫌な宿題」という思いと、「ドサクサに紛れていろいろな面白い本を楽しめる宿題」という思いが、子供の頃からずっと私の中に同居している。変な感じだ。

 

「過去記事で書いた『目的』プラス「できない/できそうにないことを、上手にごまかすスキルを模索」という、「不自由研究」の持つ(裏)教育的意義。

この(裏)教育的意義を、子供の頃の私はわかっていなかった。もしも私が、それをわかる子供だったなら、私の人生はどう変わっていただろう? 

わたしと国鉄特急「まつかぜ」

今週のお題「わたしと乗り物」

 

列車という乗り物は、私にとって特別な思い入れがある。

高校卒業までは、列車を使う必要性がほとんどない生活をしていた。列車を使うのは、旅行などの限られた場合だけだった。だから、子供の頃の私は、「列車に乗る」というだけで、心がとてもわくわくしていた。

私が初めて乗った列車は、国鉄特急「まつかぜ」だった。初めての乗車に、強烈な思い出がある。更に、この特急「まつかぜ」、私が大学に進学してから再び意識するようになった。

 

1972年3月の終わり、突然、父が提案した。「父と姉と私とで、大阪の親戚の家へ旅行しよう。(弟はまだ幼いから)弟と母は留守番だけど。」と。当時、私は小2になる直前だった。鳥取から大阪へは、国鉄の特急「まつかぜ」で行くということだった。

当時の私にとって、列車は、「線路を走っているのを眺めるもの」「絵本や子供向け雑誌に出ているもの」でしかなかった。小学校の通学路途中には、踏切があった。列車が走っているのを時々見た。「この線路を走っている列車、乗ったことがある」と同級生が言っていた。それを聞いたとき、「どうして、この同級生には列車に乗るチャンスがあったんだろう?」と思った。「うらやましい」というより、「チャンスがあるということが不思議」だった。

「この旅行で、初めて列車に乗れる。絵本や子供向け雑誌の列車が現実のものとして現れる。何か不思議。」と、わくわくした。

 

大人になってからの私は、この旅行に疑問を持つようになった。「なぜ、突然、父は旅行に行こうなんて言い出したのだろう?」と。

父も母も、いわゆる「出不精」な人である。「旅行の計画を立てる」といった類のことも面倒くさがる人である。大阪の親戚関連で、特別な用事があったわけでもなさそうだ。夏休みや冬休みなら、「作文や日記の宿題が出されるから、ネタにする」という目的の旅行にしたかもしれないが。春休みだから、それは違う。

大人になってから父に訊いたが、父はこの旅行のことを覚えていないということだった。

 「1972年3月15日」という日付、当時岡山近辺で暮らしていた人ならピンとくるかもしれない。その日は、新幹線が岡山駅まで開業した日である。

新幹線が岡山まで延長。延長による影響は、関西~山陽・九州間だけではなかった。関西~山陰間の輸送体系にも、大きな影響があった。

また、1970年、「全国新幹線鉄道整備法」なる法律が制定された。その中で「山陰新幹線」なる構想もあったらしい。当時出ていた子供向け雑誌に、「全国新幹線」という記事が出ていた。

ひょっとしたら、当時、姉や私の同級生やその家族から、「うちでは、この春、京阪神旅行に行く」といった類の発言が結構なされていたのかもしれない。新幹線開業をうけて、姉が「旅行をしたい」とねだったのかもしれない。

 

どんな列車なのか全然知らない状態で、「まつかぜ」に乗った。乗ってすぐ、車内放送があった。食堂車の位置も放送された。

「食堂車! 弟の絵本に出ていた、あの『食堂車』。本当にあるんだ。そこで食べてみたい。」と思った。姉も賛成した。そして、みんなで行くことにした。ずっと、わくわくしていた。

メニューには、「ハムエッグ」なるものがあった。「ハム」はわかるけど「エッグ」が何であるのか、当時の私は知らなかった。それを頼んでみた。当時うちでは、目玉焼を作ることはあってもハムエッグにすることはなかった。面白い食べ物だと思った。

大阪では、いろいろな所に連れて行ってもらった。「大阪駅」だけではなく「新大阪駅」の存在も知った。この「新大阪」という名前が不思議だった。「新鳥取や新松江なんかないぞ。大阪だと、こういう名前もあるのか。」と驚いた。大人から見たら些細なことでも、子供にとっては「大発見」と思えることって結構あるものだ。

 

1983年、私は大学に入学した。当時の「まつかぜ」は、「大阪or新大阪~博多」間と「大阪or新大阪~米子」間の2種類あった。九州の大学に進学したから、「まつかぜ」と急行「さんべ」の存在を意識するようになった。

初めて乗ったときは、視線は京阪神方面だった。そして大学入学後、視線は九州方面。「まつかぜ」の名は同じでも、視線の向かう先がまるっきり違う。不思議に思えた。と同時に、「ずいぶんと気の長い列車だなあ」と思った。

ところが、1985年3月のダイヤ改正で、「まつかぜ」の博多駅発着が廃止された。「まつかぜ」は米子駅発着に変更された。「米子~博多」間は、新設の特急「いそかぜ」に系統分割となった。食堂車があって車両の数も多かった「まつかぜ」、使えなくなった。とはいっても、「さんべ」と「いそかぜ」は、貧乏学生の私にとって貴重な存在だった。

そして、1986年11月、特急「まつかぜ」は廃止となった。次の年の3月に、私の学生生活も終わった。廃止を知ったとき、「まつかぜ」との妙な縁を感じた。

NHKのど自慢への出場(冷やかし)申込話

 

私の友人には、いわゆる「出たがり」の人が結構いる。この「出たがり」友人から誘いを受けた。この番組は、次のような流れで出場者が決まる。「最初に往復はがきで申込→応募者の中から250組程度を選出、前日の予選会に出場→予選通過の20組程度がテレビ出演」

はがき予選を通過するには、選曲理由のところに「胸を打つエピソード」が必要らしい。ところが、友人も私も、その種のエピソードを思いつかない。どうせはがき予選でアウトなのだから、お気楽である。

番組用選曲を意識してYouTubeを見ていたら、YouTubeの「あなたへのおすすめ」がカオス状態になっていた。

今週のお題「2019年上半期」 - karotousen58のブログ

「この番組」は、NHKのど自慢である。今月、地元で開催予定。生放送である。

今回は、 予選会と「カオス状態」について書く。

 

申込にあたって、まずは曲と選曲理由を考える必要がある。友人も私も、最初のこの段階で、バカバカしいことしか頭に浮かばない。

この番組には、「よく歌われる定番ソング」めいたものがある。それらの中にも、いろいろなタイプがありそうだ。「鐘2つ以下専用ソング」とか「上手な人が狙うタイプの歌」とか。我々が定番ソングを選んでしまったら、ほぼ間違いなくアウトとなる。歌唱力も「胸を打つエピソード」もないから。となると、他の人が選びそうにない曲から考えるしかない。

そこで、友人や私の頭に浮かんでしまった曲は、『算数チャチャチャ』(ペギー葉山)、『キャンディ・キャンディ』(アニソン)、『あしたがすき』(キャンディ・キャンディのED曲)だった。どの曲もキーが合わない(話、そこか?)。それはさておき、『あしたがすき』は隠れた名曲だと思った。

去年、私の住んでいる県の中部で、この番組の開催があった。そのときの放送は、アニソンが多かった。だから、アニソンは外すことにした。

 

友人と私の頭の中で暴走は続く。「この歌での申込、過去にあったのだろうか?」とか「番組の構成上、不利になるタイプの曲がある」とか。

『ひとり』(ゴスペラーズ)、『トルコ行進曲』(由紀さおり安田祥子)、『夜明けのスキャット』(由紀さおり)での申込、過去になされたことがあるのだろうか?

検索したら、『トルコ行進曲』と『夜明けのスキャット』は過去の放送にあった模様。歌唱力のない我々がスキャットを歌うのは、自殺行為である。

 

放送の前日に予選会がある。予選会で歌う順番は、曲名の50音順である。放送本番と同じステージで、プロのバンドが伴奏。40秒ほど歌って、次の人と交代する。

予選会の最初に歌いたいのなら、『ああ上野駅』(井沢八郎)あたりがよさそう。トリで歌いたいのなら、『ワンダー・ブギ』(石野真子)あたりがよさそう。

歌えるのは歌のはじめの40秒程度。となると、サビが出るのが遅い歌だと、不利になることが予想される。放送本番でも、やはり不利となりそうだ。また、プロのバンドが伴奏となると、「あまりにもマイナーの度が過ぎる歌だと、演奏者に迷惑。視聴者にとっても面白くないし。」となる。『算数チャチャチャ』だと、まずいだろう。

くだらないことを考えながら、とりあえず曲名決定。問題は選曲理由をどうするかだ。「枯れ木も山の賑わい」とか「歌える音域が狭くて、歌える歌が限定されてしまうから」とか「コスプレを考えなくてよいから」などと、正直に書くわけにはいかない。

はがき申込締切の一週間ほど前に、まともなエピソードを思い出した。しかし、エピソードと歌が、絶望的なほどミスマッチである。このエピソード、後に「友人の知人」が使って「駆け込み申込」をしたとのことだ。

 

決めた曲と『ワンダー・ブギ』の影響で、YouTubeの「あなたへのおすすめ」がカオス状態となった。『どうにもとまらない』(山本リンダ)のジャズピアノ風演奏とか、『乙女のワルツ』(伊藤咲子)を男性がカバーした動画多発とか。

山本リンダヒット曲も出まくり。こうしてみると、山本リンダのヒット曲は、タイトルが物騒である。

今はネットの時代。これらの昭和歌謡について検索もできる。

『どうにもとまらない』に、阿久悠(作詞者)が最初付けたタイトルは『恋のカーニバル』。後に阿久悠は、「タイトルが『恋のカーニバル』だったら、この曲の運命は全く違っていただろう」と述懐した。という記述が見つかった。変更後のほうが物騒感があるな。

他にもいろいろと出てきた。『Lui-Lui』(太川陽介)、『ワンダー・ブギ』(石野真子)、『乙女のワルツ』(伊藤咲子)、「2010年代にご本人が歌唱」という動画。リリースされた1970年代よりも楽しそうに聞こえる。「年齢のいい重ね方だなあ」と思った。

『時の流れに~鳥になれ~』(五輪真弓)も出てきた。「名曲なのだが、この番組とは壊滅的に相性の悪い歌」だと思った。サビが出てくるのはだいぶ後。音域も広い。この番組云々という話ではなく、この歌を上手に歌える歌唱力を持っている人がうらやましい。

 

99.99%、「はがき予選通過ならず」となるだろう。それでも、「バカバカしい発想」や「カオス状態」はとても楽しかった。観客として予選会を楽しむことにしよう。

 

2019/08/11追記

無事、落選通知到着。485通の申込があったとのことだ。

ちなみに、この記事に出てきた「友人の知人」は、はがき予選通過。テレビ放送の20組に入ってほしいな。

今週のお題「わたしの好きな歌」

今週のお題「わたしの好きな歌」

私の好きな歌は『へんな女』(歌 水原弘)である。

 

1970年発表の歌である。当時、私は幼稚園児。歌詞の「へんな女に会いました」の部分だけを、何故か覚えた。歌のタイトルも歌っていた歌手の名前も、わからない状態だった。

それから46年後に、文字通り「へんな」ことがきっかけで、この歌のタイトルと歌詞と歌っていた歌手の名前を知った。2016年秋にあった「アメリカ大統領選挙」に関するマスコミ報道がきっかけとなってしまった。

トランプとヒラリーの対決となった選挙である。「大統領候補討論会で、トランプがヒラリーに対して『嫌な女』と発言」という報道があった。この「嫌な女」で、「へんな女に会いました」を思い出した。

 

思い出してすぐ、「変な女 歌」で検索してみた。歌のタイトル、歌詞、歌手名、全部わかった。「変」はひらがなだったが。動画も調べた。間違いない。作詞者が浜口庫之助であることにも吃驚。

フルコーラス聴いて、「ここまでぶっとんでいた歌詞だったのか。この歌詞、拙ブログにぴったりだぞ。」と思った。

その後、 今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」 - karotousen58のブログを書いたとき、「この記事最後の段落、この歌にも重なるぞ。」と思った。次のような歌詞である。

ウパウパティンティン ウパウパティン
ウパウパティンティン ウパウパティン
へんな女に会いました へんなところで会いました
へんな気持ちになっちゃって 俺はその子に惚れたのよ
へんな格好してるへんな女

ウパウパティンティン ウパウパティン
ウパウパティンティン ウパウパティン
へんな女はいいました あなたはほんとに へんな人
あたしのような へんな女 どこがいいのよ 好きなのよ
へんなものすきな へんな大人

 

ウパウパティンティン ウパウパティン
ウパウパティンティン ウパウパティン
そこでおいらは いいました 俺はもともと へんな男
まともな女じゃ ものたりない へんな女が すきなのよ
へんな音ならす へんなバンド

ウパウパティンティン ウパウパティン
ウパウパティンティン ウパウパティン
恋はもともと へんなもの へんな女に へんな男
それでも好きなら いいじゃないの 恋はいいもの へんなもの
へんな歌うたう へんな男 水原弘!
ウパウパティンティン ウパウパティン
ウパウパティンティン ウパウパティン
ウパウパティンティン ウパウパティン

 

 「ウパウパティンティン」という謎の擬音(?)や「水原弘!」の部分は、児童合唱団らしきコーラス(?)が入っている。もしも、私の姉にこのコーラス(?)への参加話が出ていたら、私の親は合唱団退団を命令したと思う。当時の大人たちは、どういう反応をしていたのだろう? そういえば、近所の子供にも通っていた幼稚園にも、歌っていた子はいなかったような気がする。

しかし、この「ウパウパティンティン」という擬音(?)、どういう経路で出てきたのだろうか? 「へんな」雰囲気に拍車をかけている。私には発想が及ばない。

今週のお題「2019年上半期」

今週のお題「2019年上半期」

 

今年上半期ほど、「次から次へといろいろな変化ありまくり」の時期は今までなかった。

  • 新年早々、14年半使っていたお気に入り自転車(外装6段変速)が使えなくなった。そして新車購入。
  • 1月中旬、母が、とある病院の玄関で転倒し骨折。それが原因で90日入院。
  • 1月末で、母担当のケアマネージャーさん退職。新しいケアマネージャーさんに交代。
  • (本当は、3月中に新しいパソコンを購入予定だった。しかし、入院のため方針変更。)
  • 5月、スマホ駆け込みデビュー。
  • 6月、テレビ番組「NHKのど自慢」への出場申込の話(ほとんど冷やかし状態)浮上。

といった調子だった。

そして、これらの変化が、「意外な面白いものを見つける」ことに繋がるケースもあった。

 

自転車購入の際、想定外のことが起こっていた。お気に入り自転車(10年ほど前に販売終了の車種)の後継車種が、去年の10月に販売終了となっていたのだ。同時に、「26インチの外装6段変速車」がそのメーカーのラインナップからなくなっていた。

私は小柄である。ついでに言うと、日本人的な体型である(つまり、脚が短い)。だから安全面を考えると、27インチ車よりも26インチ車が無難である。他のメーカーのカタログも見たが、やはり26インチ外装6段変速車はなかった。仕方がないから、内装3段変速車に方針変更。

内装変速車は、外装変速車よりもメンテナンスは楽である。しかし、買い替えたばかりの頃はやはり、何となく物足りなさを感じていた。慣れた今では、「停車時でも変速できるし、内装車も悪くないな」と思っている。

 

母が入院して、「保険会社の給付金」や「中高年男性の、家事/介護への意識」についていろいろと考えさせられた。保険会社の給付金に関しては、「骨粗鬆症と骨折とに、関連性があるかどうか」「どういうタイプの骨折か」で、免責となる場合があるようだ。実際に入金通知を受けるまで、正直不安だった。

母の入院中、「中高年男性の、家事/介護への意識」について、二極化を強く感じた。

「家事/介護は大切なこと。誰かに丸投げせず、自分も参加」と「特定の誰か(女性の場合多し)にやってもらって当たり前」の、二極化である。

後者タイプの中高年男性が連帯意識を持つ場合もあるようだ。「特定の誰か」が「中高年男性(特に独身者)」である場合、この連帯意識を特に強くぶつけられるらしい。ネットでもリアルでも、私はいろいろな人からそういう話を聞いた。

私の父も、「やってもらって当たり前」系の態度を取っている。私の父は高血圧で、とある病院に定期通院している。その病院の医師も、どうやらその系列らしい。父とその医師との連帯意識を、私も見せつけられてしまった。

このことについて、「反面教師としての」ブログ記事を書きたい。ずっとそう思っているのだが、トゲのある描写になってしまう。それで、まだ発表できない状態にある。

母が入院していた病院の談話室に、想定外のタイプの本が5冊以上あった。そのうちの1冊に、特に強く驚かされた。実際に手に取るまでは、「正直言って、この童話作家は嫌い。話が暗すぎるから。」と思っていた本だった。ところが、退院直前には「一番興味深い1冊」となっていた。

 

スマホ駆け込みデビューについては、過去記事のような調子である。

4月中旬、ある大手携帯キャリアが「新料金プラン」なるものを発表。この発表までは、フィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」のこと)からスマホへの契約変更をほとんど考えていなかった。しかも、5月6月という時期は、「新生活キャンペーンの割引」が終わって、面白くないと思っていた。

ところが、この発表を知って、スマホ駆け込みデビューを決めた。まさか、この時期にデビューするとは思ってもいなかった。

 

6月、テレビ番組「NHKのど自慢」への出場申込話が浮上。

私の友人には、いわゆる「出たがり」の人が結構いる。この「出たがり」友人から誘いを受けた。この番組は、次のような流れで出場者が決まる。「最初に往復はがきで申込→応募者の中から250組程度を選出、前日の予選会に出場→予選通過の20組程度がテレビ出演」

はがき予選を通過するには、選曲理由のところに「胸を打つエピソード」が必要らしい。ところが、友人も私も、その種のエピソードを思いつかない。どうせはがき予選でアウトなのだから、お気楽である。

番組用選曲を意識してYouTubeを見ていたら、YouTubeの「あなたへのおすすめ」がカオス状態になっていた。

『どうにもとまらない』(山本リンダ)のジャズピアノ風演奏、『乙女のワルツ』(伊藤咲子)を男性がカバーしたものが続出、とかいった調子である。このジャズピアノ風演奏、気に入った。友人がこういうことをしなかったら、この動画を知ることはたぶんなかっただろう。面白いもんだ。

高齢者・スマホデビュー・LINE

大手のとある携帯キャリアが4月中旬に発表した「新料金プラン(6月1日提供開始)」、フィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」のこと)へ契約変更させる狙いもあったのでは……と、私は密かに疑っている。

4月下旬から5月にかけてのツイートを検索したら、やはりいろいろと見つかる。「親がスマホデビュー」「親のガラケーを、各種割引の使えるタイプのスマホに契約変更させた」「じい(ばあ)ちゃん、80代でスマホデビュー」といった内容で。

これらのツイートでは、iPhone購入のケースが多いように思えた。らくらくスマホの類をあまり見かけなかった。「子や孫が使っているものと同系列機種を使うほうが、質問しやすい」といったところなのかな? と思った。

 

「親(じいちゃん、ばあちゃん、80代で)スマホデビュー」と同時に「子や孫とトークのため、LINEデビュー」というツイートが、多かった。そのことに私は驚いた。

私がLINEに対して最初に持っていたイメージは、「中高生やママ友のいじめ」「セキュリティ設定を知らないと危ないかも」だった。だから、私の場合は、最初1か月はLINE登録をやらない方針を取った。「LINEに対する警戒心、強く持っていたのは私だけ?」と思った。

そして、「そうか、LINEに対して持つ最初のイメージ、その人の置かれている立場や環境によって、だいぶ違うのかもしれないな。LINEをやりたくてスマホに変更というケース、結構多いのかもしれない。」と思った。そういえば、私が趣味で通っている外国語教室でスマホデビューを打ち明けたとき、先生や受講生の第一声も「それなら、LINEできるね。」だった。

その後、私が実際にLINEを使ってみて、「LINEも、上手に使うと、高齢者の生活世界を広げる可能性が高い」と思った。特に次の2点で。

  • いざというときの連絡手段の一つとなりうる。連絡手段は複数あるほうが望ましい。
  • トークだけではなく、いろいろな情報伝達が可能。写真、動画、位置情報、ボイスメッセージ、音声通話、ビデオ通話など。

ただし、「上手に使うと」という条件も押さえておく必要がある。私の場合は、「すぐに登録しないで、LINEについて1か月間調べてから登録」としてよかったと思っている。

私の場合、家族はLINEをしない。家族は、スマホどころかフィーチャーフォンすら持たない状態だ。だから、LINEに対して具体的なイメージが湧かない不安も私にあった。「中高生や『ママ友』とよばれている関係内で、トラブルになってしまった事例」のイメージが、スマホ購入時の私にとって大きかった。

調べて最初に、「既読スルー、グループ、セキュリティ設定。この3点については、最低限押さえておかなきゃヤバいかも。」と思った。

実際に使ってみたら、最初に「友だち追加」で戸惑った。セキュリティ設定の状態が影響するらしい。友だち追加の方法を複数知っておいたほうがよい。

LINEでやりとりされる内容には、個人的な情報が多く含まれるケースも多い。だから、情報の漏えいやプライバシー保護について、細心の注意が必要だ。

スマホ駆け込みデビューから20日ほど経って

スマホデビューをしてから、20日ほどが経った。実際に使ってみて、「フィーチャーフォン(いわゆる「ガラケー」のこと)とは、やはり違う。」と思った。また、「違う」のは本体だけではなかった。

購入や契約、実際に使い始めるときなどにも、意外な「難しさ」があると思った。それらについては、書店にある本ではほとんどふれられていなかった。私の生活圏内での話ではあるが。

また、「上手に使えば、スマホには、高齢者の生活世界を広げる可能性がある。『スマホなんて、若い人が使う物』と決めつけるのはもったいない。」と思った。

私の身近には、「スマホなんて使わない。機械文明に踊らされない私、カッコイイ。対面で人とつきあえない、スマホとお友達という人なんて暗い。」的価値観をお持ちなのかも? と思われる人が多い。

 

購入前に、「iPhoneにするかAndroidにするか」決める必要がある。どちらにするかで迷った人は少数なのだろうか? と思った。

私は迷った。「将来、iPadに食指が動くことも考えられる。それを考えたらiPhoneは魅力的。また、iPhoneのほうが使いやすいという噂もよく聞く。スマホを使いこなしている人が、私の身近に見つからない(通話とメール程度という声をよく聞いた)。それを考えたらiPhoneがよさそう。だけど高い。」という思いがあった。結局、価格を考えて(らくらくスマホの類ではない)Androidにしたのだが。

高齢者の中には、決定の際に「らくらくスマホの類とiPhone、どちらがわかりやすいのだろう? どちらも高価だ。」と思われた方もおられるのでは? と私は思った。

スマホ教室の類では、「他のスマホと仕様が異なるため、らくらくスマホの類は対象外」となっている場合がある。一方、携帯キャリア系列ショップでなされているスマホ教室では、「らくらくスマホの類を対象とした講座」がほとんどとなっている(私の生活圏内では)。

「初心者(特に高齢者)に、あなたならどちらを奨めますか? 差し障りがなければその理由も教えてください。」的な調査がなされたことはあるのだろうか? あるのなら調査結果を知りたい。

 

購入場所と契約にも、初心者にとっての難しさがあると思った。

携帯キャリア系列のショップで買うのと家電量販店で買うのと、どちらがいいのだろう?

値引きが大きいスマホの場合、しばしば、「オプション加入」の条件等がついている場合がある。加入しない場合の価格との比較や、後日、オプションの解約ができるか否か? これらを考える必要がある。

料金プランやオプションサービス決定も、「どれがベストなのだろう?」と混乱して不思議はない。データ通信料をどのくらいに見積もって料金シミュレーションをすればいいのだろう? 使ったことがない状態では想像困難。

 

スマホを買っても、紙の「使用説明書」の類は付いていない。スマホが、「移動性」を持っ機器であることや「アップデートが重ねられる」ことが理由なのだろう。

購入の時に、店員さんからどの程度の説明がなされるのか。それもはっきりとわからない。

私が購入したときは、「あ、この店員さんの説明なら、高齢者は『電源オフ』のやりかたを知らないままで終わるぞ。『スリープ』を『オフ』と誤認してしまうぞ。」と正直なところ思った。

ただし、私が購入した日は「スマホ駆け込み購入」等で予約客が多い日だったと思われる。説明の時間を長く取れなかったなどの事情もあったかもしれない。また、「スマホのことをよく知っている客」との接客だと「余計な時間を取らない、よい店員。」なのだろう。

「アプリ終了」と「戻る」の違い、Wi-Fi設定。これらについての説明もなされなかった。これらの点についても注意する必要があると思った。フリック入力に戸惑う人もいるかも。初めて使ったとき、「これが噂のフリック入力か」と私は思った。

 

実際にスマホを使ってみて、初めて分かったこと。それは、「予想以上に、音声操作の利用範囲が広い」ことと「ピンチアウトによる拡大が、便利」ということだった。

音声操作が使えると、「スマホを利用してメモを取る」ことがやりやすくなる。文字入力と音声入力、TPOに応じてやりやすい方法が選べる。

ピンチアウトによる拡大、これは結構魅力的。

今年1~4月、母が入院した。悪天候の日に私が病院へ行く場合は、バスを使った。「地図もバス時刻表も経路案内も、iモードだと提供困難」と、そのとき初めて知った。そこで、バス停の時刻表をフィーチャーフォンで撮影した。写真の文字は小さい。

スマホで初めて写真を撮ったとき、見えている画像をピンチアウトで拡大できることがわかった。「フィーチャーフォン画像の小さい文字も、スマホ写真ならピンチアウトで拡大できそうだ。拡大できたら便利だ。」と思った。

これは、高齢者にとって便利なのでは? と思う。

今後、他にも、高齢者の生活世界を広げる可能性を感じさせることが見つかるかもしれない。

 

スマホでの初写真。シャッターボタンをタップしただけの撮影。今後、修正の練習に使う予定。