一人で食事をとること
私のブクマコメント
「『メシを食うことのほうが楽しいに決まっている』という決めつけがNGであってそれ以外の主張内容は悪いとは言い切れない」のか?「一人で食べたほうが味わい尽くすことができる」という内容がまずいのか?謎だ。
私のメタブクマコメント
「本当に美味しいものを食べるときは食べることに専念したい」という主張が、「一人が良くて他人と一緒は嫌」に変換される過程がわからない。「一人飯は対人交流の放棄」という価値観が隠れているんだろうか?
元記事を読んで思い出したのは、すぎむらなおみさん(高校の養護教諭)のエッセイだった。
学校で「ひとりで食べるとは」 というエッセイだ。(日本評論社 こころの科学 No.159に掲載)
この本を立ち読みですませたので、正確な記述ではないのだが、確か次のようなことも書かれていた。
・「一人で昼食をとるということは、学校的価値観から逸脱した行為だ」と、小学校5年生の段階ですでに認識されている。
・「一人で昼食をとろうとすることは、コミュニケーションを放棄しているということだ。コミュニケーションをとろうとするように、導いてあげないといけない。」と、認識している教師が多そうだ。
(事例をあげて説明されていた)
すぎむらさんのエッセイを読んだとき、最初に思ったのは次のことだ。
・「うわ、一人でいることイコール悪」という価値観って、やっぱり小学校からずっと長い年月をかけて刷り込まれてきているんだ。
・「一人でいることは必ずしも悪とは言い切れない。孤独な状態で、自分自身が感じたり考えたりしていることをじっくりと味わって、自分の内面を見つめていくことが好きであっても、何ら悪いことではない。」という価値観もあると私は思っているのだが、これを表明するたびに、「暗い」とか「低いコミュニケーション能力を高くするように努力しなければいけない。」と言われまくる。これも当然のことというわけなのか。
元記事を読んで最初に思ったのは、次のことだ。
・「会話よりメシを食うことのほうが楽しいに決まっている」という決めつけは、やはりまずいのでは?
・増田さんは次のように思っていたのかもしれない。
1.本当に美味しいものを食べるときは食べることに専念したい。会話とか取り分けとの同時進行がうまくできない。それ以外のときの、複数の人との食事を否定しているわけではない。気を許した相手だから、「食べることに専念」が「あなたと一緒には食事をしたくない」と変換されることはないだろう。
2.気を許した相手だから、「一人で食べることに専念」ということに対しても、「一人イコール悪」という変換はなされないだろう。一人でじっくりと味わうのも悪いことではないという価値観も認めてもらえるだろう。
3.とはいえ、「一人イコール悪」という価値観を持っている人が、おそらく多数派だろう。だから、「一人で味わうことも悪ではない」ということが伝わらなさそうだったら、力説したら通じるかもしれない。
はてなブックマークでは、元記事に対して次のような批判がなされていた。
・自分の心の中だけにしておけばいいのに、「あなたとは食事をしたくない」と遠まわしに表明したことになる。
・「力説」という形までとる。
・過剰に気を使っている。
・気を遣わなくていい相手がいない増田さんは、かわいそうだ。
これらの批判コメントを読んで、正直私は驚いた。次のようなことが頭に浮かんだ。
1.確かに、「メシを食うことのほうが楽しいに決まっている」という決めつけをしたうえでの主張はまずい。しかし、「本当に美味しいものを食べるときは」という条件以外なら、「複数の人との食事を否定」したわけではないと思うのだが。どうして、「他の人と食事をしたくない」という解釈になるのだろう?
2.すぎむらさんのエッセイに書かれていた、「一人で昼食をとろうとすることは、コミュニケーションを放棄しているということだ。」という価値観って、やはり学校以外の世界でも支配的みたいだな。
3. 2の価値観が支配する世界では、「一人でいることは悪とは言い切れない。一人の状態で自分自身の感覚で食事を味わうのも、悪いことではない。」という価値観はやはり否定されそうだ。
4. 2の価値観が支配する世界では、「他の人に気を使いすぎ」などと言われても額面通りに受け取れない。その言葉を額面通りに受け取って複数の人と食事をしても、他の人のグラスの空き具合等に気が回らなかったら、「コミュニケーションを放棄している」などと解釈されそうだ。
5. 2~4の状態なら、確かに、「力説」という行動に出てしまうかもしれない。
「一人で行動するのが好き」と表明することは、「あなたとは一緒に行動したくない」という表明をしたことだとみなされるということなのだろうか?
「一人でいることは必ずしも悪とは言い切れない。孤独な状態で、自分自身が感じたり考えたりしていることをじっくりと味わって、自分の内面を見つめていくことが好きであっても、何ら悪いことではない。」という価値観は、「自分の心の中だけにしまっておいて、他人に表明してはいけないもの」なのだろうか?
だとしたら、私にとってこの社会は生きづらい。