平和教育と裏カリキュラム 1
修学旅行生が長崎被爆者に暴言 横浜の中3男子生徒数人 - 47NEWS(よんななニュース)
私のブックマークコメント
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011072701224.htmlを思い出した。生徒を庇うわけではないが、「教育目的は、平和に関する事よりも『ありがたいお話を心して聞き、大人が喜ぶ感想を返す』事」という、空気があったのだろうか?
最初に断わっておくが、この生徒を庇うわけではない。
中学時代の私なら、暴言や妨害という行動にはおそらく出なかったと思う。しかし、「この平和教育において、(特に)大人が目論んでいる教育目標」をクリアできなかっただろうなと思う。
そして、この教育目標は、簡単にクリアできない子供も少なからず存在していると思う(特に、発達障害的なタイプの子供に)。
2回に分けて、「教育目標と子供との関係」について書く予定。
今回は、「2つの目標を支える裏カリキュラム」について述べる。
次回では、「教育目標を簡単にクリアできない子供について、どのように捉えるか」ということについて書く予定。
では、(特に)大人が目論んでいる教育目標とは何か?
この教育目標は、少なくとも2つあると思う。
1つは言うまでもなく、「平和について、被爆体験者の経験を知る」ことだ。
もう1つを、ここでは「裏の目標」と呼ぶことにする。
「裏の目標」という表現になっているが、実際には、この「裏の目標」こそが「メインの目標」であると、私は考えている。
2つの目標を支えるカリキュラムとして、「裏カリキュラム」なるものを書いてみる。
裏の目標とは、私のブックマークコメントに書かれた、「『ありがたいお話を心して聞き、大人が喜ぶ感想を返す』ことによって、自分が精神的に成長したということを表明する」ことである。
私の中学時代ならば、ほぼ間違いなく、修学旅行後に感想文を書かされることになる。
そのときに、次の条件を満たした文章が、おそらく期待されている。
1.「語り部のかたは、『私たちのために、わざわざ貴重なお時間を割いて有難いお話をしてくださった』かたである。当然、感謝の意を十分にあらわさないといけない」と認識していることを示す。
2.被爆という事実が過酷であり、それに対する驚きを示す。
3.(被爆に対しての差別等の行為が、おそらく語られていると思われる)差別等の行為に対して、「不当だとみなしたとか不条理さに対してやるせなく思った」とかいった見解を示す。
4.「自分は、そのような人間にはならないと決心した」という類の表明をする。
5.「差別や戦争等のない社会が実現できるように、一人一人ががんばらなければいけない」という類の表明をする。
つまり、この1.~5.と「裏の目標のほうがメインの目標」ということが、2つの目標を支える裏カリキュラムである。
「平和について、被爆体験者の経験を知る」という目標がサブであるとわかっていない場合、1.~5.の条件を満たした文章を書くことは難しくなる。おそらく、原稿用紙の前で固まってしまうと思われる(少なくとも私はそうだ)。
「平和についてと言われても、感想と言われても、文章が浮かばない」という状態になってしまうと思われる。
メインとサブの把握を間違える子供も、発達障害的なタイプの子に多いのでは? と私は疑っている。
この裏カリキュラムを言語化できたのは、私の場合は大人になってからだ。
他の人は、誰かから教わらなくても裏カリキュラムをクリアできていたのだろうか?
知りたい。