鈍感な味覚を持つ私が、偏食について書く
「好き嫌いなく食べなさい」と子供に言い聞かせる矛盾 - 色々虎威 ゆるり
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カボチャの、「うちの妻が、いろんな味付けで多様するうちに、慣れてしまいました」部分は、大きな意味を持っているのかもしれない。後で拙ブログに書く予定。
2015/05/14 02:08
偏食について過去に書いたことがある。偏食にまつわる、くだらん話 - karotousen58のブログ
ブックマークした記事を読んで、私は勝手な決めつけを持った状態で、この過去記事を書いていたのだと思った。
気付かせて下さった、虎ちゃん(ブックマークした記事のブログ主さん)、ありがとうございます。
拙ブログ過去記事で私は、「食べ物の好き嫌いを持つ大人」のことを、「嫌いな食材に対して、どうせまずいものと決めつけ続けて現在に至っている人」と決めつけていた。そしてそのことに私は無自覚だった。これは傲慢な態度だ。勝手に決めつけてしまって、ごめんなさい。
嫌いな食材に対して、「食材のどういう特徴が苦手なのか、その特徴はどうやったら薄れるのか、考える」「生で食べるのは苦手だが、加熱したら味や食感が変わって食べられる」とか「こういう調味料を使うと食べやすくなる」とか「苦手な食材だけど、他の、この食材とは合う」とか、色々と考えてきた人もおそらくたくさんいるだろう。ブックマーク先の記事で、そのことに気付いた。
「食べ物の好き嫌いについて厳しく言わなくても、大人になったら変わるから」という見解を述べる人は、次のような経験を積んでいったのかもしれないな、と思った。(述べる本人が意識しているかどうかは別として)
「子供の頃は、『この食材は、どう料理してもまずいに決まっている」と決めつけていた。しかし、成長していくにつれて、『あれ嫌いこれ嫌いではなくて、苦手な食材だけどこういうふうにしたら食べられる』と考えるようになった。そしてその結果、大人になってから、食べられる食材が増えた。」
子供の偏食については、「偏食は悪いのか悪くないのか」という観点以外に、「『どう料理してもまずいに決まっている』という決めつけから解放していく」という観点も必要なのかもしれない。「この料理方法や、この調味料を使ってみたらよかった」という経験がひとつあったら、その後、その食材に対する感覚が少し変わるということもあるのかもしれない。
決めつけから解放していく過程の中で、次のようなことを経験するケースがあるのかもしれない。味覚が鈍感でかつ嫌いな食材を思いつかない私が、勝手に想像したことに過ぎないが。
・自分で実際に料理してみること
・他の家庭の料理方法を知ること
・食文化の違う地域で暮らしてみること
・食材や料理法や調味料などについて、いろいろな知識をつけること
私の身近には、「嫌いな食べ物はあるが、人前ではなんとか食べられる」という人も何人かいる。
その人たちが全員、次のことを言っていた。
「子供の頃、親から、『嫌いでも、この少量だけは食べましょうね。』と言われた。そしてとりあえず、その量だけは食べた。そうして育った。」と。
「少量であっても、とりあえず食べ続けてみる」という経験も必要なのかもしれない。「とりあえず食べてみる」ことがなかったら、「料理方法による違い」が実感しにくくなるのかもしれない。
「決めつけ」を疑ってみるのは、大切なことなんだな。私の勝手な決めつけに対して再考する機会をくださった虎ちゃん(ブックマークした記事のブログ主さん)、本当にありがとうございます。