karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題「テスト」

今週のお題「テスト」

今回は、高3の初夏(1982年)に受けた「河合塾の模試」関連思い出話。

 

私は高校卒業まで鳥取県で暮らしていた。高校時代は地元の「自称進学校」に通っていた。

この自称進学校では、「一クラスまるまる勉強家」的な方針で勉強をさせていた。「自分独自のやり方で勉強を進めていく」ことは、ほとんどの生徒に許されていなかった。また、その当時鳥取県には予備校がなかった。現役で進学しなかった人は、高校に設置された「専攻科」に進むケースがほとんどだった。

こんな調子だから、校外模試については「学校側が事前に申し込んだ集団受験」以外、ほとんど情報が入らなかった。

もっとも、この高校では、夏休みや冬休みに「補習」なるものを押し付けていた。タテマエは「自主参加」なのだが、実際には拒むことは困難だった。3年生になると、平日放課後も補習漬けだった。

こんな状態では、校外模試に関する情報を入手したとしても、受験する余裕なんかない。

当時周りにいた大人も、次のような態度だった。「受験産業は、受験テクニックに走った点取り勉強をやらせる。専攻科は、高校の先生がきちんと面倒を見る、いんちき点取り勉強ではない良い制度。」という態度。

これって、「学校の方針と相性が悪い生徒」にとっては抜け道がない制度に思えるのだが。

 

そんなある日、ある友人が私を、河合塾の模試に誘ってくれた。「岡山であるけど、一緒に受けないか?」と。

当時、その友人も私も「学校側の方針と自分との相性が悪い」という思いをずっと抱えていた。「押し付けられる補習よりもおもしろそうだ。岡山って、行く機会がないし。」と思った私は、その話にのった。

模試の申込用紙に必要事項を記入する、特急列車に乗る、岡山のまちを歩く、全部新鮮な体験だった。いい気分転換にもなった。高校卒業までずっと、学校と家との往復以外のことをする機会に乏しかったから。

 

高校卒業までずっと、私にとって岡山は「大都会」だった。今では「大都会岡山」とネットでよくネタにされているようだが、私にとっては文字通りの「大都会」だった。

冬に「雪がない、晴れている」、岡山県営球場で阪神主催のプロ野球公式戦が行われる(昭和40~50年代の話)、気候も食文化も大きく違う、新幹線も走っている。中国山地を超えるだけで大きく変わる岡山。小学生時代の私には「大都会」に思えた。

そして、この模試を受けたときにも「大都会」を感じた。

会場では、模試の問題や解答以外にも、いろいろなパンフレットをもらった。パンフレットには、合格者の声とか講師による激励文とか講習会の案内とか出ていた。

「現役生が大手予備校の模試を受けていたことが、あたりまえのように書かれている」という事実に、私も友人も驚いた。模試が終わって本屋に寄ったら、その本屋がとても大きい。中に入ったら、「鳥取の本屋にはなさそうだな」と思った本もたくさんあった。まちの様子もまるっきり違っていた。

「学校の方針と相性が悪くても、いろいろと抜け道がありそうだな。都会が羨ましい。鳥取では、河合塾の模試があるということすら知られていないというのに。」と、友人も私も言った。

と同時に、「鳥取生まれというのもハンディだ」と思って勉強するしかないなと思った。「県外の大学に合格したら、こういう本屋にも行けるんだな。」とも思った。

 

この模試の結果は、友人も私も「C判定」だった。「C判定」は、私の出身校教員なら「志望校の再検討を要する」と意訳する判定である。しかし、友人も私もこの判定にへこむ余裕はなかった。「河合塾の模試を受けられるということじたいが、贅沢なことだ」という思いでいっぱいだったから。

入試本番では、友人も私も第一志望校に合格した。

合格したとき私が最初に思ったのは、「友人が模試にさそってくれたことが、一番大きかったな。」だった。友人も、「夏炉冬扇なら、河合塾の模試を受けることを、抜け駆けとか身の程知らずとか言わないと思った。だからさそった。自分も、この模試が大きかったと思う。」と言ってくれた。

 

鳥取でも河合塾や代々木ゼミの模試が個人で受験できるようになったのは、1987年頃である(駿台模試はもう少し後)。帰省したとき地元の書店に入ったら、それらの申込書も学参売り場に置いてあった。「岡山までいかなくても受験できるようになったんだな。後は高校側の態度だ。」と思った。

 今はネットの時代。模試の申し込み方法も当時と違う。模試に関する情報も入手しやすくなっている。ただ、少子化の影響だろうか? 大手予備校主催模試の試験会場は鳥取県内にはない。学校や塾経由の受験が可能になっているのだろうか? 代々木ゼミは全国模擬試験を廃止し、特定大学志願者向け模試のみとなった。鳥取県の「高校設置の専攻科」制度は、5年ほど前に廃止された。

「大都会岡山」とか「大手予備校の模試を受験するということじたいが、貴重な経験」という思いは、当時だから持てたんだなと思う。