karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

(国公立大二次/私大)物理と「1980年代前半の地方自称進学校」との相性

今週のお題「受験」

 

「大学受験」に関するイメージは、受験生の置かれている条件が異なると、いろいろと変わってくると思う。世代とか選択科目とか地域/学校の受験文化とかいった条件が。「勉強法などのアドバイスや合格体験記の類」を参考にする際には、これらの「条件の違い」についても考える必要があると思う。

 

私は1983年に第5回共通一次試験を受けた。当時の共通一次は5教科7科目(理科/社会はそれぞれ2科目)が必修だった。国公立大学入試への共通一次試験制度導入が1979年である。それまでの国公立大学入試は、「一期校/二期校」という制度だったらしい。

私の大学時代、院生や助手等に「一期校/二期校」入試を経て入学の方も多かった。その方々の証言によると、「共通一次制度導入で、高校(特に地方の自称進学校)の方針や書店の学参売り場がガラっと変わった。学校側が『生徒を十把一絡げ』的方針を取るようになった。また、じっくり考えよう系学参が少なくなって、マークシート対策タイプ学参ばかりになってしまった。」ということだ。

「1980年代前半の地方自称進学校」では、「共通一次制度(5教科7科目制)を強く意識した、学習指導や進路指導」がなされていたようだ。私の出身校や他地域の「自称進学校」出身者の証言から考えるに。

(国公立大2次/私大)物理と「1980年代前半の地方自称進学校でなされた、学習指導や進路指導」との相性を、私はどのように捉えているか? 結論から言うと「最悪」と捉えている。

特に私の出身校の場合、この「学習指導や進路指導」によって、物理という科目に変なイメージがつけられたのでは? と私はひそかに疑っている。

私とは違った世代や学校や受験文化の下でも、(国公立大二次/私大)物理と学習指導や進路指導との「相性」の良し悪しというものがあったのだろうか? 高校時代からずっと、このことについて私は疑問に思っている。

 

(国公立大二次/私大)物理入試って、どんな特徴があるの? と訊かれたら、私は次のように答える。

  • 教科書章末問題と入試問題との難易度に、大きなギャップがある。
  • 入試問題で点数が取れるようになるまでに、時間がかかる(即効性がない)。しかし、実力が伸びるときは急に伸びる。現役生の場合は特に、年が明けてからの急上昇もありうる。
  • 「公式を覚えて、それにあてはめ」戦法ではうまくいかない。公式導出過程が重要。とはいえ、「解説の丁寧な良問」(←ここ重要)もある程度解かないと実力がつかない。

 私が高校生だった当時の高校物理授業には、もう一つやっかいな要素があった。それは、「物理を勉強するために必要な数学(三角関数等)」を、数学授業よりも先に自力で勉強する必要が出てくることであった。

これらの特徴と「自称進学校の学習指導や進路指導」との相性は、最悪である。

 

では、自称進学校とはどういう学校か? それは「ブラック企業高校バージョン」である。 今週のお題「テスト」 - karotousen58のブログでも書いたが、「一クラスまるまる勉強家(自分独自で勉強できる生徒なんていないに決まっている)」的な方針で学習指導や進路指導を行う学校である。

  • 教科書以外の副教材(内容は無関係)を学校側が複数指定、指定教材と普段の授業について頻繁に小テストを行う。小テストの点数が低かった場合、莫大な課題(しかも、「書いて覚えましょう」系)を押し付ける教師もいる。課題提出を義務付けられる場合もあり。「ちょっと体調を崩した」といったことでもあれば、課題が「借金雪だるま」的なものになる危険性大。理数系指定教材には、詳しい解説がついていない。答えの数値のみが出ている。
  • 「宅習カード」なるカードの提出が義務付けられていた。例えば「○月△日21時~22時英語構文暗記、22時~23時徒然草文法学習」といった申告をさせる。
  • 夏休みや冬休みには「補習」なるものを押し付けていた。タテマエは「自由参加」なのだが、実際には拒むことは困難。「夏休み」は、実質的には盆をはさんだ2週間程度。3年生になると、平日放課後も補習漬け。
  • 「地元国立大学や、そこと似たようなタイプの選抜方法をとる大学」を生徒に勧める。違うタイプの大学を希望することは、「教師や親へ挑戦状をたたきつけること」を意味する。
  • 学校配布の「合格体験記」は、「学校の先生を信じて、学校の方針通りに一生懸命勉強して合格しました。」という内容ばかり。学校配布以外の学参や大手予備校模試のことを話題にしようものなら、「身の程知らず。学校の勉強以外はするな。」と教師から言われまくる。
  • 選択科目についても、学校側がいろいろと口出しをする。学校側は「定期試験や目先の小テスト」のできで生徒を判断。だから、「実力がつくまでに時間がかかる(即効性がない)」タイプの科目を学校側は歓迎しない。というか、生徒本人よりも先に学校や親が、「どうせ、この科目はこの子にはできない」と早いうちから決めつけてしまう。物理と日本史が特に嫌われていた。日本史と世界史の両方履修を希望する生徒に対して、「一つは地理にしろ」と命令もザラ。
  • 高3で履修する科目は、授業では教科書を全部終えることができない。「生徒十把一絡げ扱いの、目先の小テストや補習漬け」のほうを優先。
  • こういう調子だから、「現役で勉強漬けにしてもこの程度なんだから、浪人しても学力は伸びない。」と学校側が決めつける。

 

私の出身校の場合、当時の地元国立大学は一次試験重視の選抜方法を取っていた。二次試験の入試科目数も、他大学より少なかった。そして、工学部の二次試験科目からは「理科」が外されていた。

だから、「共通一次で高得点を取り逃げ切る(二次試験の勉強まで手が回らない)。」「二次試験の配点が低く科目数も少ない大学を狙う。」「理科の科目選択ができる場合は物理を避ける。理科が課されない大学を特に歓迎。」戦法を学校側が押し付けた。共通一次の点数が「業者がはじき出したA判定点数プラス30点」未満なら、諦めさせるという方針だった。

前に述べた(国公立大二次/私大)物理入試問題の特徴、これを考えると、(国公立大二次/私大)入試用物理を勉強するには、「自称進学校の、学習指導や進路指導」に従順だと危ない。学校指定教材には、解説の丁寧な良問なんてものは期待できない。「自分なりの勉強を、ある程度まとまった時間を取って、じっくりと続けていく必要がある。」と私は考える。

とはいえ、「目先の小テストや補習漬け」攻撃をかけられまくったら、「自分なりの勉強」なんてさせてもらえなくなるんだよな。悩ましい。

 

私の高校時代、科目選択は次のようになっていた。

数学 数学1(1年生で履修)、数学2B(2年生で履修)、数学3(理系のみ。3年生で履修)。文系の3年生は、志望校によって、「数学1と2の両方履修」か「数学1のみ」のどちらかに。

理科 1年生は、化学1必修。物理1と生物1のうち1科目選択。理系の2年生は、物理2と化学2必修(とはいっても、1年生終了時点で物理1も化学1も教科書を全部終わっていない。)。文系の2年生は、物理1、化学1、生物1、地学1から2科目選択(もっとも、物理1は事実上選択肢から外されているかたちになるが)。理系の3年生は、志望校によって「物理2と化学2の両方履修」か「物理2と化学2のうちどちらか1科目のみ」のどちらかに。後者の場合は、「理科1科目分の空き時間」は、共通一次で選択の社会科科目があてられる。

社会 1年生は、地理と世界史のどちらかを選択。2年生は、1年生での未履修科目と日本史のうち、どちらかを選択。

こういう状態だから、理系希望でありながら、理科や数学よりも「共通一次用科目の点取り学習」に時間を割かなければならなくなってしまう。最悪の場合、肝心の理系科目学習内容に大きな穴が開いた状態で、理系学部に進学することになってしまう。

悲しい話なのだが、生徒のほうも、履修科目数が多くなることを嫌う。「詰め込みは嫌なのだが、学校側の共通一次点取り方針は歓迎」空気に、生徒も親も染まっていた。

「理系希望なら、理科は2科目以上やりたいと思うもんだろ。」と反発していたのは、私を含めた少数だった。当然、教師からは嫌われていた。 

 

2010年に発表された「物理学分野の展望」という報告書(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h-3-3.pdf)によれば、高校における物理履修者の比率は 1970 年代には 80 ~ 90 % 台であったが、1982 年の指導要領改訂以降は 30 % 台に激減し、現在では 20 % 以下と言われている。とのことだ。

私の出身校のような話が、他の高校でもあったのでは? 私は密かに疑っている。

物理という科目に変なイメージを持たないでほしい。可能性を狭めないでほしい。高校生や受験生が悪いのではなく、「学習指導や進路指導方針との相性がたまたま悪かった」という可能性もある。

高校時代に物理を勉強していてよかったと、(少なくとも私は)思っている。