karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

ピザはあこがれの食べ物だった

「ピザにまつわる思い出やエピソード」ではあるのだが、「ちょっとしたパーティー感をさりげなく演出する素敵なピザのストーリー」とは大きくかけ離れた記事になる。

「1960年代半ば生まれの、田舎出身者」である私にとっての、「ピザにまつわる思い出やエピソード」。それは、田舎出身ではない人やお若い人にとっては、「何それ? 変。」と思われるお話かもしれない。

 

私の記憶では、地方でも「ピザのデリバリー」が始まったのは、バブルの頃だったと思う。「10回クイズ」が流行ったのも、確かこの時期だった。

1970年代後半、私にとっての「ピザ」は、「マスコミで時々報道されるが、実体がわからない」食べ物だった。また、「ピザ」ではなく「ピザパイ」と言われていた。ピザパイ関連のマスコミ報道に、都会や青春のイメージを私は持っていた。

1980年代前半には、私にとっての「ピザ」は、「冷凍食品のピザ」や「ピザまん」や「ピザトースト」や「ファミレスのメニューにあるもの」となった。

バブルの頃からやっと、「専門店のピザ」イメージが浮かぶようになった。

 

私が「ピザパイ」なる食べ物を知ったのはいつだったのだろう? たぶん、1976年頃だと思う。1976年、この年はアメリカ建国200年の年。私は小6だった。「アメリカのことで、何故日本が騒いでいるのだろう? 不思議だ。」などと考えている、かわいげのないガキだった。

その当時のマスコミでは、「ピザパイとコーラを前に青春を謳歌している、都会の若者」「欧米イメージとしてのピザパイ」という感じの報道が、アメリカ建国200年騒ぎと一緒になされていた。ラジオの深夜放送でも、そのような話がなされていた。姉が買っていた少女漫画にも、「レストランで働いている女の子が、彼氏へ食べさせるピザパイに大量のトッピングをする」シーンがあった。

私が高校を卒業するまで、私の出身地には、「ピザパイの外食ができる店」が(たぶん)なかった。私の家族が、ピザパイに使われる食材を嫌っているという条件までついていた。親が2人とも、チーズ、ピーマン、オニオンなど「ピザパイ定番の食材」を嫌っていた。こうなると、「ピザパイを食べる機会」なんてものは想像つかない。

「親が嫌う、都会にしかない、青春イメージを煽る」といった感じで、私にとってピザパイは、「都会と青春を感じさせる、あこがれの食べ物」だった。

 

1983年、私は実家から遠く離れた大学へ進学した。大学のゼミで一緒だった学生の中に、女子寮に入っている人がいた。その女子寮では年に1回、「寮祭」なるイベントがあった。大学1年のとき、その寮祭に行った。

その女子寮生は、寮祭で「ピザトースト」なるものをつくっていた。私はそのとき初めて、ピザトーストを知った。そして食べた。高校までなら食べる機会すらなかったその食べ物が、気に入った。その後、喫茶店やファミレスで、「ピザトースト」を意識するようになった。

 

バブルの頃、私は一人暮らしをしていた。その頃から、「ピザのデリバリー」関連チラシも見かけるようになった。

「たくさんの種類がある。ポテトやシーフードというものもあったのか。ソースもいろいろある。面白い。ピザトーストとは比べ物にならない。」が、チラシを見たときの感想だった。

当時、ピザを食べるときは、「『一人じゃ食べきれないから、一緒に食べない?』と誰かが声をかけ、複数人で食べる」というケースがほとんどだった。気に入った人と一緒に食べるピザは、私にとってごちそうだった。

 

現在、私は家族と暮らしている。ピザを食べるとしたら、「自分一人で食べきる」しかないケースがほとんどである。今では、プルコギとかカルビとか牛タンシチューとかいったものもあるようだ。これらは、私が一人暮らしをしていた頃にはなかったと思う。新しい味も試してみたい。

1枚で4種類の味が楽しめるタイプのものが、特に食べたい。