karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

(少なくとも私のような人間には)おすすめできない勉強法

「私が子供だった頃、身近にいた大人は次のような「勉強観」をお持ちになっていたのでは? 」と思えて仕方がない。暗記下手で見栄えのしないノートしか作れなかった私は、「勉強する気ゼロの悪い子」とよく言われたものだ。

  • 結果が全て。いくら「今までがんばってきた」なんて言っても、結果が悪ければただの「負け犬の遠吠え」。
  • 学力=記憶力。暗記のできない人は頭の悪い人。
  • とにかく量をこなすのが勉強だ。かけた時間によって点数が変わる。
  • 「書いて覚えること」が勉強。きちんとした内容のことを書き写さないと、覚えられない。子供のいたずら書きみたいなノートじゃだめ。 

高校時代、私は「田舎の公立自称進学校」に通っていた。この高校でも、これらの「勉強観」が支配する空気があった(と私は思っている)。
これらの「勉強観」、実は「骨折り損のくたびれ儲け」的な結果を呼ぶ危険性があるのでは? そして、これらの「勉強観」と結びついた「勉強法」が推奨されているケースもあるのでは? と私は疑っている。
今回は、私が過去に年長者から推奨された勉強法のうちで、「骨折り損のくたびれ儲け的方法が匂うぞ」と思ったものを書いていく。×印を付けて表現し、私の本音をその後に書いた。


 ×英語や古典では、教科書の文章をノートに書き写せ。そうしてから、予習復習や授業の内容をノートに書け。定期的にノート提出させて、点数化して評価する。
本音
ノートに書き写すと、それなりに時間を取られるぞ。しかも、「写し間違い」をする場合だってある。書き写す時間を、「文章に接する時間」として充てたほうがよさそうだぞ。
書き写すよりも、拡大コピーを取ったほうがいいと思う。拡大コピーだと行間も拡大されるから、書き込みもやりやすくなる。勿論、「書き込みのない原文」も確保することが必要。最終的には、「書き込みに頼らないで、学習内容を把握」が必要だから。
とは言っても、「学校の方針」がこれだと反抗困難なんだよな……


 ×英語はとにかく、教科書丸暗記だ。つべこべ言わずに覚えろ。
本音
確かに、公立中学英語教科書なら有効かもしれない。しかし、高校だと分量的に苦しい。また、「テキストや範囲の決まった定期テスト」以外で通用するか? という疑問あり。「つべこべ言わず覚えろ」が「理解の伴わない暗記」となってしまったら、通用しなくなる危険性があるぞ。
私は、「この暗唱用例文の学習ポイントは何であるか? (例 discussは他動詞。discuss about とはなっていない 等)」を意識しないと暗唱できない、暗記下手の人間だ。学習ポイントをはっきりさせないで「覚えろ」と迫る態度には疑問あり。
とはいえ、生徒の立場じゃ、これを言えないんだよな……


×数学の点数は、解いた問題と暗記した解法の量で決まる。学校指定の教材(私の場合は、いわゆる青チャートだった)は、全問解け。解き方を忘れたら、再び解き方を覚えるようにしろ。
本音
青チャート、例題だけでも結構ボリュームあるぞ。例題以外の練習問題って、解説も寂しいしさ。例題だけでも「じっくり考えて」解くほうがいいと思うぞ。
「解法丸暗記」だけだと、他の問題になったら行き詰る危険性あり。第一、勉強していても面白くない。「この例題で、何を学び取ればよいのか」「式のつながりは、こうなっているのか」「問題文から、何を読み取るのか」「解法が複数あるが、(この問題の場合は)どの解法がすぐれているのか考える」といったこともやる必要あり。
とはいえ、学校側が「テスト漬け方針」を取るから、この方法も取りにくくなるんだよな……


 ×学校指定の教材以外は手を付けるな。市販のサブノート使用なんて、手抜き勉強。自分でノート作りをしなきゃダメ。教科書ガイドの類も、怠け者が使う物。そんなものは使うな。
本音
学校指定の教材、問題を集めただけで解説のない、文字通りの問題「集」もたくさんあるんだよな。こういうタイプの教材、下手すりゃ「時間泥棒」にしかならないぞ。
特に、物理の教材が酷かった。学校から指定されていた教科書傍用問題集、解説がほとんどない。載っている問題も、「計算練習が目的か? 」 という感じだった。
この種の教材に深入りするよりも、「公式とよばれているものが、なぜこの問題に適用できるのか」等を考えながら、良問をじっくり解いていくほうがよさそうだぞ。
「じっくり考える時間を捻出」するために、教科書ガイドの類や市販教材の利用も要検討では? (苦手な科目の勉強、体調を崩してしまったとき等)。


×(注 私は共通一次世代の人間)選択科目は、点数を稼げそうなものにしろ。物理や日本史は避けろ。歴史よりも地理のほうが楽。歴史で私大文系受験よりも、地理で共通一次を受けるほうが楽。
本音
私は日本史を選択しなかった(授業では地理と世界史を選択。倫理社会と政治経済は必修科目だった。)。だから、日本史についてはコメントできない。ただ、日本史の教科書と資料集が、地理や世界史のそれよりも厚かったのを覚えている。
物理は、「実力がつくまでに時間がかかる科目」だと思う。しかし、「低迷の時期が長く続いていたが、ある日突然、手ごたえを感じた」というコメントもよく聞く科目である。「現役時代は偏差値30だったのが、一浪して70まで伸びた」というコメント、物理ならありうる。学校側にしてみれば、「ギャンブル的で嫌」ということなのだろうな。
「外国語系学部志望の生徒が、世界史を勉強しない」「化学系志望の生徒が、物理を選択しない」といった類の話、この自称進学校ではザラだった。可能性を狭めるのみならず、「おいおい、ほんとうにそんな態度でいいのかよ?」という疑問がある。

 

最初に述べた「勉強観」を意識するようになったのは、私が大学に入ってからである。教官や他の学生から、「何それ? 」というコメントがあって意識するようになった。
大人になってから、資格学校に通って資格試験の勉強をした。そのとき再度、最初に述べた「勉強観」を感じた。
「骨折り損のくたびれ儲け的方法」という厳しい表現を使ったが、そう感じるのは私のようなタイプの人だけかもしれない。「暗記をすることが楽しい」という人とか、おそらくいろいろな人がいるのだろう。
この「勉強観」との相性の良し悪しを考えて、自分に合った勉強法を模索すること。これは結構大切なことかもしれない。

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by ギノ