karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

皮肉な皆勤賞 1

 

武田鉄矢の大暴言で“金八失格”!問題ありすぎな「皆勤賞は体が丈夫で頭の悪い子が取れる賞」発言|日刊サイゾー

“皆勤賞なんてのは、身体が丈夫で頭の悪い子が唯一取れる”この科白、親からも小5のときの担任からも、私は浴びた。思春期にてんかんを発症して、総合病院への定期通院が必要となったとき、皆勤はストップ。

2020/11/07 00:49

この放送について、Twitterなどでいろいろなコメントを見た。コメントを見ていて、「私と違う意見が多い」と思った。


私は、幼稚園から高1まで皆勤を続けた。ブックマークコメントで書いたように、高2でストップした。

ストップしたとき、「お前みたいな奴でも取れる賞は皆勤賞だけなのに。これで取れなくなった。もう何も賞は取れない。」と親から言われた。

小5のときの担任からも、「どうせなら、皆勤賞は出来のよい子が取ればいいのに。お前が休んだほうが、邪魔者がいなくなる。もっとも、皆勤賞は病気をしなけりゃバカでも取れる、お前みたいな奴にはありがたい賞だけどな。」と言われた。

こういう私がブックマーク元記事を読んで、最初に思ったのは次のことだった。
「皆勤賞『なんて』と『唯一』取れる」ときたか。この人の価値観がにおうなあ。だった。ただし、私はこの放送を見ていない。放送での発言どおりの言葉かどうかはわからない状態にある。

その次に思ったのは、次のことだった。

  • 私にとっての「皆勤」は、けっして褒められたことではない。
  • 夏炉冬扇は、自分の頭で考えて行動することのできなかったおバカさんだった。
  • 夏炉冬扇のような『学校文化と壊滅的に相性が悪く、不利な立場に置かれる人間』が、相性や立場を直視することから逃げていた。
  • 「不利な立場という現実から出発して、学校生活とどのように向き合っていくか、いかにして他者や集団内の関係を模索していくか」を考えてこなかった。「出席さえしていれば、学んだことになる」という、何の根拠もない希望的観測だけで過ごしていた。

「学校文化」は中立的なものではない。人の能力や思考や感情等がさまざまである故、学校文化的に不利な立場に置かれる子供も出てくる。


Twitterなどでいろいろな人のコメントを見て、次のような思いも浮かんだ。

「褒めてくれるという喜びがあるから、明るく通う」「褒めてもらうことが、自己肯定に繋がる」んだろうか?
皆勤賞「なんて」とか「唯一」取れるとかいった価値観をくっつけられた状態で褒められて、うれしいんだろうか?
私の場合は、「褒められるから」よりも、「何かに没頭して楽しめる」かどうかが大切なことだった。


私が通っていた幼稚園と高校では、皆勤賞の表彰制度があった。小中学校では表彰制度がなかった。こういうところも、私にお似合いだ。
皆勤だった当時も、「皆勤はよいこと、誇らしいこと」という思いは私の中に全然なかった。「たまたま、そのように生まれついただけ。学校を休もうにも、特に理由となることがないし。」と思っていた。
どうやら私には、「感染症に対する、ある種の特異体質」めいたものがあるらしい。
子供の頃、学校や隣近所でいろいろな感染症が流行しても、何故か私一人だけが感染しなかった。おたふくかぜや水ぼうそうが流行したとき、姉や弟は感染した。しかし、私は感染しなかった。「兄弟姉妹が水ぼうそうにかかっても、うつらなかった? そいつは珍しい」と、大人になってからいろいろな人に言われた。
今年の新型コロナ禍で、「不顕性感染」という言葉を知った。不顕性感染とは、「細菌やウイルスなど病原体の感染を受けたにもかかわらず、感染症状を発症していない状態」をいう。
ひょっとしたら、私の場合、「各種感染症がうつらなかった」のではなく、「うつっても、不顕性感染となりやすい体質だった」のかもしれない。もっとも、これは私のシロウト考えではあるが。

私の場合、たまたま、こういう体質にうまれたから皆勤となったとしか思えない。「体調管理をしっかりとやった」とか「体力をつけるように努力した」とかいうわけではない。
持病のある人や(平日昼間の)定期的通院が必要な人もいる。家庭のいろいろな事情もある。どんなに体調管理をしっかりとやっても、どんなに体を鍛えても、病気や怪我をすることはありうる。無理をすると、体調不良が長引いて治りにくくなることもありうる。体調が悪い状態で学校に行っても、大人がもくろむような学びにつながるのか? 疑問ありまくり。


「皆勤は良いこと」という価値観の裏に、「学校を休むのは悪いこと」という価値観が隠れていることがある。その隠れた価値観を揺さぶってみてもよいのでは?と私は思う。
「自分の体調を意識する。休むことが必要かどうか、自分で判断する。」「感染症の場合、できるだけ他人にうつさないようにするにはどうすればよいのか? 考えて行動する」「調子が悪いときでも、悪いなりにしのいでいくこと」「休んで勉強などが遅れた分を、その後に取り返していくこと」
これらも立派な学びだと、私は思う。

 

「皆勤賞を取れなかったのが残念だった。インフルエンザが流行するとき、いつも罹っていたから。」という類のコメントも、いくつか見られた。取りたい人が取れず、欲しくない私が皆勤してしまう。皮肉なものである。

だいぶ長くなった。
「褒めてくれるという喜びがあるから、明るく通う」「褒めてもらうことが、自己肯定に繋がる」んだろうか? といったこと等については、次回書く。世の道徳家が腰を抜かすような内容になるかもしれない。