karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

特別お題 わたしの2022年

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと


私の2022年は、「母が急死した年」として忘れられない年となった。12月前半の夜だった。
おそらく、誤嚥による窒息死。病院に緊急搬送されて1時間ほど経った頃、「死亡を確認」という電話連絡が病院からあった。
誤嚥」という言葉は使われなかったが、「食べ物が詰まっていた」という表現がなされた。死体検案書には、「窒息死」と書かれていた。
「自宅で死亡し、警察関係者による検視がなされた」ため、「死亡診断書」ではなく「死体検案書」が作成されたとのことである。

私は週一回、夕方から夜は外国語教室に通っている。その日は、私が外国語教室に通う曜日だった。教室に行く前に、父と母の夕食用にスーパーで弁当を買った。
18時前に、「じゃ、(外国語教室に)行ってくるね」と言って、私は家を出た。その時点では、何の問題もなさそうだった。

21時過ぎに家に帰った。夕食後、母は薬を飲むことになっている。父は、母に薬を飲ませることをせずにテレビでもみている。これがいつものパターンだった。
父が薬を飲ませていないことを確認した後、薬を飲ませるために母のところへ行った。
「さ、薬を飲むんだよ」と声をかけたが、反応がない。「もしや、呼吸が止まっている?」と思った。そして、母の手は冷たくなっていた。
「おいおい、どうした、母さん」と私が大声を出して、父もやっと異変に気づいた。

その日の朝から昼は、母はデイサービスに行っていた。デイサービスの連絡帳には、体調良好との記述があった。デイサービスから帰ってきたときも元気そうだった。
その前日は定期通院日だった。「最近、体調が良さそうですね」と言われたところだった。あまりにも急すぎる死で、私の頭の中は真っ白。

人が最期を迎えたときは、速やかに行わなければならない事柄が次々と出てくる。
これまで、「死」について考えたり話し合ったりすることは、ほとんどなかった。その状態で、急にそれらの事柄と向き合うことになった。
更に、それらの事柄は、「コロナ禍の影響」も受けて以前とは少し違う状況となっているようである。それも踏まえる必要がある。それらについてのマスコミでの報道は、「家族葬が増えたという報道」程度のようだが。
「終活」という言葉が新語・流行語大賞でトップテンに選出されたのは2012年だった。まだ、コロナ禍の影響がなかった頃だ。そのときに、エンディングノートなどが話題になった。
話題になった当時と、コロナ禍の影響を受けた現在との違い。終活やエンディングノート等に関する情報を集める場合、それらを意識したほうがいいと思った。

私の2023年は、「人生の締めくくり方」について、いろいろと考える年になる。備忘録的に、いろいろな角度からブログに書いていくかもしれない。