karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

 

ブログ名の下にブログの説明がある。

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

である。この矢印部分でいろいろなことが私の中で起こる。

そのプロセスが興味深いと思えたときや、そのプロセスについて「現段階ではうまくまとまらないが、なんとかしてまとめたい」と思ったときに、私はブログを書きたくなる。

この矢印部分でしょっちゅう頭に浮かぶのは、「『普通』と『排除』の関係性」や「『普通』の持つ権力性」である。

「普通」って何なのさ? とか 「普通」と「排除」の間にあるものが気になるぞ とかいったことが発端となるケースが多い。

 

「そんなもの(こと)が好きなんて変。普通はそんなもの(こと)好きになるはずがない。普通の人が好きになるもの(こと)を好きにならなきゃいけません。」

私が子供の頃、当時身近にいた(多数の)大人からしょっちゅう言われていた言葉である。子供の頃の私は、この言葉がとても怖かった。そして、この言葉に囚われていた。高校卒業までずっと、「私が考えたり感じたりすることに、ロクなものなんかない。考えたり感じたりしたことが他の人にバレたら、こっぴどく否定されるに決まっている。」と思っていた。

大学入学後、おそるおそる自分の考えや感情を他の人の前で出してみた。そうでもしないと、間が持たなかったからだ。実際にやってみて、「私の考えたり感じたりしたこと全部が全部、否定されるとは限らない」とわかった。

逆に、面白がってくれる人が出てくることもあった。

こういう経験を何度か積んだからだろうか、今では、「変」という言葉について考えることが、子供の頃とは違う意味を持つようになった。

 

「変だ」と思ったとき、それで終わらない。

「何故、どこが、どのように変?」「『変』と思ったものやことの内実は、本当に変なのか?」「『変』と思った私の感覚や常識は、『変』ではないと言い切れるのか?」

など、いろいろな推論を暴走させていくこと。私にとっては、それが面白い。