karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

いじめと裏社会性 1

 

岩手の中学生いじめ自殺問題

横道に逸れるブコメを。6月29日の生徒による全文が気になる。「感謝していますといった類の内容」プラス「死をほのめかす内容」の文章で、過去にあったいじめ自殺を私は連想してしまう。後で拙ブログに書くかも。

2015/07/11 02:33

 

 

岩手中2自殺:生活ノートに記された気持ち…担任報告せず - 毎日新聞

苛め問題の改善像を学校側がどう捉えていたか?もしも、苛められた側に苛めを否認させる→「仲良くできるように成長を」「辛いことでも我慢できる力を」と問題すり替え が改善像なら、この対策は苛める側に好都合。

2015/07/10 01:10

 

ブコメでふれた「過去にあったいじめ自殺」は、「1986年の中野区での事件」や「1994年の愛知県西尾市での事件」などを意味する。

これらの事件には、「自殺の前に反省文を書かされた」「反省文は、自己否定を書き連ねたものだった」「遺書の内容が、苛めた側を罵倒するような表現にはなっていない」という共通点がある。

岩手の中学生いじめ自殺問題でクローズアップされた生活記録ノートで、私はこの「反省文や遺書の内容」を連想した。

 

自殺は、本人にとっては「不本意な状況を打開するために放った、起死回生の一打」のようなものと認識されてしまった行為なのかもしれない。

「辛い、苦しい」だけでは、自殺という行為には行き着かないと、私は思う。

自殺直前、本人の頭の中には、次の思いがあったのではなかろうか。私の勝手な想像にすぎないが。

・いくら辛くても泣き言を言わない、元気と笑顔に満ちた暮らしをする、いじめた相手を責めないで許す、ノートに回答して下さった先生に感謝する、正しい子供であることを大人は自分に求めている。そして自分は、それにきちんと従う努力をしなければならない。

・さりとて、その大人が求めていることを、実現できる気がしない。本当に相手を許しているのなら、気持ちはすっきりとする筈。しかし、実際はそうではない。

つまり、「大人が求めていることを実現できない」という不本意な状況を打開するために放った起死回生の一打が、「感謝の言葉を述べたノートプラス自殺」となってしまったのでは……と私には思えて仕方がない。

 

自殺を防ぐためには何が必要か? それは「自分の身を守ることが、一番大切なことだ。ただし、その方法にも上手なものと下手なものがある 。最も下手な方法は、言うまでもなく自殺である。できるだけ上手な方法を模索していこう。」と本人が認識することである。

その認識を支えているものの中には、私が「裏社会性」とよんでいるものも含まれる。否、結構高い割合を占めている。現段階では私はそう考えている。ただ、その「裏社会性」は、一歩間違えると「邪悪なもの」と解釈されてしまうものである。

 

いじめ問題への最も安直な対策は

・いじめられた側に、いじめであることを否認させる。(例「いじめではなくふざけやからかい」と言いくるめる。)

プラス

・いじめられた側に、仲良くできるように成長するよう努力しろとか耐性が弱すぎるから強くしろとか指導する。

プラス

・いじめた側には、大人は介入しない。物理的暴力のなされている現場に大人がいた場合は、介入もありうるが。

と私は捉えている。

この「最も安直な対策」は、実は、一番多く用いられている対策ではないかと、密かに私は疑っている。

更に、この「最も安直な対策」は、「いじめられた側から、裏社会性を学ぶ機会を壊滅的に奪ってしまうもの」だと私は考えている。

私の住んでいる県では、「いじめ対策を熱心にやっています」アピールがしばしばマスコミや市報等でなされている。「いじめ・不登校総合対策センター」なるものまである。

いじめ・不登校総合対策センター/とりネット/鳥取県公式サイト

サイト内にある、いじめ防止対策ブック「笑顔でつながる」を読んで、「これは、最も安直な対策への誘導になりそうだな。下手すると、大人の介入が火に油を注ぐことにもなりかねない。」と私は思った。

「表紙、1~4(PDF:3544KB)」の22~23ページの部分だけでも、それを私は感じる。

2015年7月12日付の、私が住んでいる地域の地方紙に、「4月7日から6月29日までの、生活記録ノートでの主なやり取り」が載っている。

それを読んで私は、「最も安直な対策臭が漂っているな」と思った。

 

今回の記事には、「反省文や遺書の内容」「起死回生の一打」「裏社会性」など、私以外の人から見ると意味不明な言葉が次々と出ている。それらについて、次回以降に書いていく。