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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題「部活動」

今週のお題「部活動」

 

もしも、タイムマシンに乗って中高生時代の自分に会えたなら、私は次のことを話すだろう。

・「部活動は楽しいに決まっている。部活動で青春を謳歌するのが普通。」という類の言葉を聞かされているのなら、「アビリーンのパラドックス」という言葉も知っておいて損はないぞ。大学に入って、「部活動を楽しめない自分は、おかしいのだと思っていた。」という告白をしてくれた人が結構見つかったぞ。

・「部活動は楽しいし、人間的に成長できる。帰宅部の子は無気力。」という類の話を聞かされていると思うけど、それって実は、菊池寛の小説『形』みたいな話だぞ。

 アビリーンのパラドックス - Wikipedia

 菊池寛 形

 

以前、はてなハイクに次のような文章を書いた。

「部活動は好意的な評価をされているのに、塾通いは悪く言われる」ことに、合点がいかなかった(今でもそうだが)。
帰宅部は、無気力とか時間を有意義に使っていないとか非難されまくっていた。
一方、塾通いに対しては、抜け駆けしようとしているとか教育パパ(ママ)とか、大人が陰口が言っていた。陰口を言いながらも自分の子供は塾に行かせていたようだが。
塾は嫌なら簡単にやめられる。しかし、部活動は違う。やめたいと言えば、教師や親から「根気がない」とかなじられるのが相場だった(少なくとも、私の出身地域では)。
「活発な子だと思われたい」とか「無気力な子だと思われたら嫌」というだけの理由で、部活動をやっていた人も結構いるもんだと、大学時代に知った。
どうして部活動は好意的に評価されるのか? 謎だ。

 

小学生時代の私は成長の遅れた子供だった。体力がなく、学校にいるだけで疲れ切って、うちに帰るとボーとしている子供だった。習い事をする余裕もなかった。テレビで芸能人を見る元気すらなかった。しかも、実技教科の成績は全部ビリだった。

そういう私に対して親は、「この子が部活動なんかやると、周りに迷惑がかかる。やったとしても上達なんかしないに決まっている。だからやらせない。」という方針を取っていた。私も、学校にいるだけで疲れていたから、やりたいという思いすら持てなかった。

それと同時に親は、部活動というものを美化していた。「○○さんのところの長男は、バスケット部でがんばっている。部活動で成長している。内申書にもよく書かれるだろう。次男帰宅部で無気力でダメな子。」といった類の陰口も、しょっちゅうたたいていた。

中1の3学期頃から何故か体力がついて、下校後もいろいろと活動できるようになった。しかし、部活動文化に染まるには、遅すぎる。

中高生時代の私は、「部活動文化に対する疑問を持つ」一方で、「部活動文化から早々と排除される人間にしかなれない私には、人間的な魅力がない」という思いも同時に 抱えていた。

大人の本音は「『部活動という形で学校にしばりつけて、校外で問題を起こさないようにさせる。街中を子供にウロウロされたら、正直言って邪魔だし。』といったところなんだろうな。」と思ってよい。そう確信したのは、大学に入ってからだった。

 

大学に入って、「実は、『部活動にしばられている』という思いをずっと抱えていた。楽しいと思わず、しばられていると思う自分はおかしい悪い人だという思いも抱えていた。」という告白をする人が結構いることを知った。

「水泳部にいたけど、『寒くなったらプールに入れない』という理由も加わって、休むことを許されなかった。『月食を観測したいから休ませてください。』と顧問に話したら、こっぴどく怒られた。その時点で急に、『部活動が原因で他のおもしろそうなことができなくなる』という事実がバカバカしくなって、やめた。せいせいした。プリンプリン物語(注 当時、夕方に放送されていた番組)もみられるようになってよかった。」

といったことを話してくれた人も意外とたくさんいた。

「運動部の下手くそ部員だったけど、ほとんど毎日長時間の活動だった。生理が止まるのもしょっちゅうだった。そのことを大人に相談したが、『それくらいでなければ上手にならない。強くならないといけない。やめるのは根性なし。』と叱咤されるだけだった。下手くそ部員でさえこうなんだから、大会に出るような部員はもっとひどかっただろうな。」という告白も、いろいろな人から聞いた。

そういう告白をしてくれた人は、「部活動は有意義だった」と発言する人よりも、人間的な魅力に乏しかったか?

帰宅部だった」と告白してくれた人も何人かいたが、彼(女)らは人間的な魅力に乏しかったか?

答えは勿論ノーだ。

 

今の私なら言える。

「部活動をする子は帰宅部の子とは違って、人間的に成長している。」というお話は、『形』でいう「赤い羽織や目立つ兜」になりうる。

「部活動をやらない子は無気力。時間を有意義に使っていない。やめる子は根気がない。」という類の言葉は、「赤い羽織や目立つ兜という姿ではない兵を、雑兵と決めつける」行為になりうる。

「本当は、部活動以外にもいろいろなことをしてみたい」という思いを持っていてもそれを言えない状態は、「赤い羽織や目立つ兜をつけないために、雑兵と思われてしまう」ことを警戒している状態と似ているのかもしれない。

「部活動を辞めたいと言った子供を、なじる大人」には、「(中村ではない)初陣の兵でも、赤い羽織や目立つ兜をつければ相手が逃げてくれる。それなのに、それらを捨てたいとは何事か。」という発想が隠れているのかもしれない。

 

考えてみれば、現状では部活動に関して生徒が決めることができるのは、「やるか否か」「何部に入るか」程度のものなんだな。

「週何回、どれくらいの時間の活動を希望」とか、どんな指導者の下でやりたいかとか、「(例えば)夏は水泳、冬は料理」といったような「短期間でいろいろと変えていって楽しむことも検討」とかいったことって、生徒側が提案することなんて想定されてなさそうだな。

気軽に参加できる「部活動以外の課外活動の場」って、大人になったらいろいろと候補先が頭に浮かんでくる。しかし、(特に田舎の)中高生にはイメージしにくいものかもしれない。

大人たちにお願いしたい。部活動(特に、帰宅部と呼ばれている状態)に対して教育的に過剰なイメージを押し付けないでほしい。

部活動文化に窮屈さを感じている中高生も、存在しうる。「部活動をやらないなら、家でボーっとしてるだけじゃないか」という反論もあるかもしれない。しかし、「ボーっとしているだけのようにみえても、実は、本人の内部にはいろいろな変化があるのかもしれない」と私は思っている。