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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題「憧れの人」

発達障害

ブログをみんなで楽しもう 今週のお題「憧れの人」

 

「自分は非コミュだ。常識がわからなすぎる。場の空気が読めない。」

この言葉を、私は、「私が憧れている人たち」からよく聞く。

ひょっとしたら、「私が憧れる人たち」は、コミュニケーションに対して次のような思いを持っているのでは……と私は捉えている。

・「以心伝心・阿吽の呼吸を踏み外さないのが、よいコミュニケーションである」という言説を、疑う必要がでてくる場合もありうる。

・「コミュニケーションにずれがある」ということは、「価値観や世界観が多様であること」に起因するのかもしれない。

・「コミュニケーションにくっついた、ずれや誤解」など、様々な「空気の読めないこと」によって、逆に「コミュニケーションのふくらみや楽しさ」が生み出されることもある。

 

そのような思いが、私のような人間を助けているんだろうなとも思う。

私は、所謂「暗黙のお約束事」を理解することに、困難を感じている。

暗黙のお約束事が「暗黙」であるのは、お約束事の背景にある「価値基準」が隠れた状態で絶対基準化しているからだろう。

どうやら私は、その「絶対基準化した価値基準」を理解する能力を壊滅的に欠いているらしい。

私の憧れる人たちは、次のような言動で、私のような人間を助けているんだろうなと思う。

・「暗黙のお約束事に反した行為」を私がとった(と他の人が認識した)場合、「私が憧れる人たち」は、「夏炉冬扇は、以心伝心・阿吽の呼吸という美しいコミュニケーションをぶち壊す極悪人」と決めつけない。

・「その価値基準を絶対視しないで、その価値がつくりだされた過程や意味などについて再考する」という態度をとる。

・「価値基準を共有しない側が間違い」と決めつけるのではなく、「誰にとってのどんな正しさなのか」という観点から再考する。

 

発達障害が話題になる際、「発達障害者は、平気で人を傷つけることを言う。人の感情がわからないから。」などと言われることがある。この物言いには、私は疑問を持っている。

「人の感情がわからないから」というよりも、「隠れた状態で絶対基準化した価値基準を、理解することに難儀しているから」というケースが多いのでは……と私は疑っている。

 

発達障害関連本やサイトで、よく取り上げられる例

発達障害児は、太っている人に対して、「太っているね」と平気で言う。「言われた人が傷つく」ということがわからないから言う。(ここで説明終わり)

 

ところが、とある発達障害児の場合は、次のような理由から「太っているね」と言っていたのだった。

その児童は相撲好きだった。力士は太っている。その児童にとっては「太っている人はかっこいい人」だった。

だから、「かっこいい人」という意味で、「太っているね」と言った。

というように、「絶対基準化した価値基準」の理解困難さがネックとなっているケースも結構あると、私は考えている。

 

「価値基準を共有しない人を最初から排除」するのではなく、「今までの、自分たちの常識も再考する」ことを経て、コミュニケーションを広げる。

この可能性を感じて、「憧れ」となっているんだな。私の場合は。

勿論、「価値基準を共有しないと、ペナルティーを科される危険性のある」場は存在する。そういう場では、「所謂一般常識」の下での社会的スキルを習得し使用する必要がある。

「所謂一般常識の世界」と「自分の価値基準の世界」の両方があってもよいということを認めて初めて、その社会的スキルを学ぶ余裕ができるのかもしれない。