karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

血液型・星占い

前回の記事で、私の取った対人戦略と取った結果について書いた。

「『夏炉冬扇さんって、100%悪い人という訳ではないんだろうけど、四角四面の何の面白味もない人』として、必要最小限のこと以外では、心理的には蚊帳の外に置かれること」を目指す。 という方法である。勿論「悪い人という訳ではないんだろうけど」と思われるラインはしっかりと考えながら。

という対人戦略と

実際には、「何の面白味もない人」を目指しても、完全にそれを成功させることは難しかった。どこかで自分自身をさらけ出してしまうこともあった。しかし、そういうときでも、「輪をかけてひどい状態になる」とは限らなかった。
逆に、「夏炉冬扇さんって、こういう面もある人だったんだ。わかってからのほうが接しやすいし楽しい。」という態度をとる人が現れることもあった。「何の面白味もない人」を目指して、結果的に、「自分を出すことよりも、他の人に着目する」ことにつながったのでは? と思う。

という結果と。

「どこかで自分自身をさらけ出してしまうこともあった」と書いているが、さらけ出してしまうのはどういうときだったか? そして、どういうことになったか? それらの一例を今回は書く。

 

集団内で血液型が話題にされたとき、私はよく自分自身をさらけ出してしまう。

私は占いが大嫌いである。一番嫌いなのは血液型占い(注 私はこれを血液型性格分析などとよびたくない)である。その次に嫌いなのは星占いである。

嫌いな理由は、

・血液型占いは、占いのレベルを超えている。ハラスメントや差別のレベルに達している。

・星占いは、特定の星座を血液型占いにおけるAB型的ポジションに置いている。

・私の母が、占いや迷信の類をうのみにしまくる人である。このことで私は、今までさんざん振り回され続けてきている。

からである。

 

私の観測範囲では、血液型占いや星占いの好きな人が圧倒的多数のようだ。他の人がにこやかに、「ナントカ型に見られるなんて嫌だなー。私、○○さんと同じ型よ。」などと会話をしていて、「夏炉冬扇さん、何型?」などと訊かれてしまう。そのとき私は、ついついマジレスめいたことをしてしまうのだ。

「血液型は言わない聞かない主義。血液型占いは、ハラスメントや差別のレベルにいってるから。」などと。

星占いの場合は、たいてい、私の「血液型は言わない聞かない主義」が明るみに出た後(直後とは限らない)で話題になる。だから、「星占いとは没交渉を決めている」と答えやすい。

 

単なるお遊びのレベルにとどまっているのなら、私もここまでは嫌わない。「××座の人の、今日のラッキーカラーは黄色」程度なら、大した問題はない。しかし、(特に血液型関連で)なされていることには大いに疑問がある。

・血液型人事を導入した企業があった。(「某電気会社が血液型をもとにAB型だけのメンバーでプロジェクトチームを結成し、商品開発」という新聞記事を、1990年ごろに読んだことがある。新聞記事では好意的に取り上げられていた。)

・血液型を合否判断基準の一つとしている(と思われる)企業もある。(「ナントカ型とカントカ型はとらない」とか、「経理は、この血液型でなきゃだめ」とかいった言葉の飛び交う職場で、私は働いていたことがある。)

・保育園児にまでターゲットに。血液型別に着色した帽子をかぶせ、「教育に活かしている」などとほざく保育園関係者が、話題になったこともある。

・どこかの県警が、「星座から見た交通死亡事故の特徴」などという、トンデモ資料を公開したことがある。

「本人によって選択できない遺伝情報に基づいて、人の性格や能力を決めつける」という行為は、お遊びのレベルを超えている。ハラスメントや差別まで達している。私はそう思う。

 

こういったことを、私はついつい話してしまうのだ。「せっかく盛り上がっているのに、水を差す奴だ」と思われかねないとはわかっているのだが。

ただ、これまでのところ、私以外にはこういうことを実際にする人はほとんど出てこない。「夏炉冬扇さん、きっと、この血液型だ。ぜったいあの血液型ではないね。」などという話題がふられていく。

さて、こういう場で私の血液型は、どの型だと判定されるのだろう? その集団によって、決めつけられた血液型は違っている。A、O、B、AB、どの血液型にしても、どこかの集団で決めつけられた経験がある。笑える。

決めつけられるパターンも、似通っている。

「ナントカ型ではないよね」とかいう声が、複数からあがる→それを踏まえて、集団内で影響力を行使できるタイプの人が私の血液型を決めつける。→他のメンバーも同調。

というパターンだ。

所属する集団によって血液型を変えるなどといった、器用なマネは私にはできない。血液型が変わるわけでもなく、自分が血液型を決めるわけでもない。集団内で影響力を行使できるタイプの人によって、私の血液型が決まるということになってしまう。所属集団によってコロコロ変わる状態で。

最近も、ある集団で、「あの型やこの型ではないよね」と決めつけられた。本当は、その2つのうちのどちらかなのだが。

 

こういう態度でいると、ときどき、「本当は私も、血液型占いは嫌い。だけど、場の空気に逆らえなかった。意見を聞けて良かった。」とカミングアウトしてくれる人も出てくる。「遊び」という形をとってしまったら、確かに反論は難しくなる。悩ましい。