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てんかん・思春期・偏見

 

インスリン注射「トイレで打って」 理解進まぬ教育現場:朝日新聞デジタル

"「隠れるようにして注射はしたくない」と思い、学校での注射を黙ってやめて"が重い。私はてんかん患者。周囲がてんかんに偏見を持ち「学校では服薬や通院について嘘を言え」と命令→患児が混乱し服薬拒否 もよくある

2017/06/27 00:45

" 生徒は「隠れるようにして注射はしたくない」と思い、学校での注射を黙ってやめてしまった。"の部分は、重要な問題提起だと私は思う。「思春期のころ、周りの人が持つ偏見に振り回されて混乱→服薬拒否という行動に出てしまった経験のある、てんかん患者」を連想してしまったからだ。

私が勝手に想像するに、この生徒は身近な人から、「注射を黙ってやめたこと」を咎められただろうと思う。しかし、「隠れるようにして注射はしたくない」の思いを周りの人が真摯に受け止めた状態で、「注射をやめたことについてふれられた」のか否か。私はそこが気になる。

この記事では「てんかん」の場合について書く。

 

てんかんとわかったとき、親をはじめとする身近な人が、偏見をもった行動をとった。思春期に、たぶん混乱と反抗の混ざった状態で服薬拒否という行動に出てしまった。大人になった今では後悔している。他の患者さんは、私の轍を踏まないでほしい。」といったことを語る成人てんかん患者は、実は少なからず存在する。リアルでもネットでも私は多く見聞きした。1980年代から1990年代半ば頃には、雑誌の読者ページへの投稿もあった。

しかし、それらの発言では、「偏見を持っていた側がその内容について再検討し、無知や誤解を認めて正しい知識を得た。」といった類の記述はほとんど見られなかった。

てんかん発作が起こったら周りも迷惑するだろ。服薬なんて簡単にできることだし。それをやらないなんて患者のわがままでしかない。親を悲しませるな。」と思われるかたも多いだろう。5年ほど前に、てんかん患者による自動車等の運転事故について、マスコミで大きく取り上げられたことがある。そのときネット上で見られた、医療関係者や親御さんの意見も、そのトーンのものが多数だった。

「服薬なんて簡単にできること」、それは確かに正論である。しかし、私は服薬拒否の手記等を読んで次のことを思ったのだ。

・服薬拒否という行為の背景には、周りの人(特に大人)による偏見と、偏見に対して本人が混乱したこと、思春期という時期の難しさが隠れている。

・周りの人(特に大人)が、偏見やそれが与える影響について再考することがほとんどない。その状態で「患者のわがまま」と叱咤するだけでは、事態は好転しない。

 

  成人てんかん患者による発言は、次のようなものがほとんどだった。

「病名や薬のことは、学校では隠せ。おまえのはてんかんなんて恥ずかしい病名ではない。周りの気を引くための、心因性てんかん性発作( てんかん患者と家族 - karotousen58のブログ 参照)だ。」と言われると同時に、「発作は恥ずかしいから薬を飲め」とも言われ続ける。

本人は、「身近な人(特に親)が偏見を持っている」という事実にショックを受ける。ショックを受けつつも、「何故、この病気にかこつけてこのようなことを言われなければならないのか、納得がいかない」という思いも同時に抱える。

学校に病名を隠すことで、学校側から不審に思われる。病名を明かした場合は、身近な人(特に親)から、「どうしてあんな病名を言うのだ。ダメだと言ってただろ。」と責められる。本人も、いろいろな思いを持ち混乱する。

「悪く言われることについて、あきらめるしか方法がなさそうだな」という思い、「発作があったからといって、自分という人間が違う人間になるわけではない。発作自体も、ただ単に『人目を引く症状』というだけのこと。それなのに、どうして悪く言われなきゃならないんだ。」という思い、「患者に対しては『人格を高めろ』と言いながら、自分たちは偏見について反省すらしない。どういうつもりなんだ。」という思い、等。

医療関係者や身近な大人に相談しても、混乱状態を受け止める人なんか見つからない。「薬を飲みさえすればいいんだ。ごちゃごちゃ面倒なことを言うな。」でおしまいにされる。

(大人になってから思うに)混乱と反抗とで頭の中がいっぱいになる。そして服薬拒否という行動に出てしまった。

 

思春期の場合、更に次のような事情も加わる。

1.てんかん治療の基本方針は服薬である。抗てんかん剤は種類が多い。病状に応じて薬剤の種類や量を調整しながら治療するのだが、それらが合わない状態だと発作の回数が増える場合もある。副作用で悩むこともある。適切な種類や量が決まるまでは、ある程度時間がかかる。

「適切な種類と量が決まるまでの試行錯誤」の時期と思春期とが重なるケースは多い。

2.「進路模索や決定」の必要がでてくる。進路によっては、あきらめることが必要となるケースも出てくる。特に、野外実習系分野への進学や就職を検討している場合、発作コントロールや薬剤がうまく決まっていなるか否かで状況がだいぶ変わる。

また、田舎に住んでいる人の場合は「自動車運転免許」の問題が出てくる。免許を持たない理由を「病名を伏せて」説明し納得してもらうのは、正直な所難しい(私も、現段階で難儀している)。

 

このように、思春期のてんかん患者がいろいろな悩みを抱えていたとしても、何ら不思議はない。

しかし、「偏見が嫌だ」とか「進路や学校との関係や治療のことで解決の糸口がつかめない」とか周りの人に話しても、それらの「問題」は無効化されてしまうことが多い(私の経験や他の患者の証言から考えるに)。

偏見でへこんでしまうのは「本人の気にしすぎ、心が弱い」、進路や学校との関係で悩むのは「他の人も同じ」、治療については「ごちゃごちゃ考えるな。医者や親の言うことを聞きさえすればよい。お前は心が弱い。」で片づけられる。

つまり、思春期のてんかん患者が、周りから「二重の排除」を受けることはじゅうぶんありうるということになる。

「周りからの偏見等」という排除と、「気にしすぎ、心が弱い」といった類の表現で「自分の抱えている『問題』を周囲が否認する」という排除の。

 

てんかん患者の身近にいる人(特に親御さん)にお願いします。「二重の排除」に気を付けてほしいです。

身近な人が「偏見をうのみにしている」のか、「偏見を持っていた自分と向き合い、見つめなおし、そこに何があるのかじっくりと考えている」のか、患者本人には結構伝わっていると思います。

「病気そのものよりも、『この病名なんか嫌』という周りの態度が嫌だった」という声、私は他のてんかん患者からもよく聞きました。

ただ、「高校卒業後、他の人に病名をカミングアウトすることについては慎重に。それについてはいろいろな情報を得て考えたほうがよい。」ということも同時に伝えたほうがいいと思います。「てんかんに関する誤解や偏見がまかり通っている場で、被る不利益」というものは、やはりありますから。矛盾しているようで難しい内容ですが。