karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

挨拶を「条件反射的に」できない 1

はてなブックマーク―たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ikedahayato.com/index.php/archives/22924

 ブクマコメントを読んで、驚いている。挨拶に関する次のような見解は、正直なところ私には想像のできない見解だ。

・気持ちが全くこもってなくてもできるコミュニケーション

・繰り返しの努力だけで身につく簡単なスキル

 

 私は、挨拶を「条件反射的に」できない。「ぎこちないけど、挨拶という行為を軽視しているわけではなさそうだ」と他者から解釈されるのならば御の字、という状態である。「無愛想」とか「人を人と思っていない」と解釈されることも多々ある。

私の経験則では、「挨拶を条件反射的にできない」イコール「挨拶ができない極悪人」とみなされるようである。

 

 「挨拶ができているかどうか」を判断する基準は、私以外の人が持っていることになる。

私の経験則では、「挨拶の言葉が発される」だけでは、「挨拶ができている」とはみなされない。「非言語性情報」も重要な役割を果たしているようだ。例えば、次のような条件も満たされていなければならないようだ。

・声の大きさや抑揚が適切

・相手を不快にさせない表情やしぐさでなされる

これらの条件を、私はうまくクリアできない。つまり、「挨拶のできない、人間失格者」とみなされてしまうようだ。

 

 私は、アスペルガー症候群の傾向が強い人間だ。

特に、次の点に難がある。

・非言語性情報のやりとりがうまくできない。それ故、状況判断がうまくできない。

・複数の物事を同時進行することがうまくできない。

私が挨拶を「条件反射的にできない」背景には、これらの事柄があると思う。もう一つ付け加えると、私は吃音症も持っている。

 

 挨拶をするときは、「いつ、どこで、誰に、何というか」を下準備しておかないと、私は不安になる。

「おはようございます」といったような、ルーティン化している挨拶なら、なんとか言葉は出る。

 しかし、「今日は暑いですね」のような変則的な挨拶だと、急に言われると言葉が出ないことがある。

「お花見に行かれましたか?」の類となったら、言葉に詰まる。

 

 「おはようございます」とか「今日は暑いですね」といった類の挨拶についてなら、練習する機会はかなりある。しかし、「お花見に行かれましたか?」のような、期間限定の挨拶になると練習が難しい。

「○○さんに、お孫さんができました」という類の挨拶になると、予想すらしていない状態で言われることが多いので、とっさに言葉が出てこない。

 

 声の大きさや抑揚、表情やしぐさについては、言葉以上に難儀している。

「無表情でロボットに喋らせたような、気持ちのこもらない(と相手からはみなされる)挨拶」か「大袈裟な芝居がかった挨拶」のどちらかになってしまう。

「人の目を見て挨拶をしよう」としたならば、「目を見なければいけない」ということにばかり意識が集中して、他のことに神経がまわらなくなる。

そして、結果的に、「相手を不快にさせる挨拶」となってしまう。

 

 挨拶についてもう一つ。「挨拶をしたのに、karotousen58は挨拶を返さなかった」と、相手に思われているケースもおそらくあると思う。

私としては、「挨拶をされたら挨拶を返す」ようにしているつもりなのだが、次のようなことになっている場合もありうると思う。

・挨拶をするタイミングがずれてしまった。

・どういう言葉を言えばいいのか一瞬わからなくなり。言葉が出なかった。

・挨拶をする必要のある関係にある人なのか、挨拶をしたらかえって不審に思われるような関係性にあるのか、関係性がわからない。

つまり、「私としては、相手を無視しようとか不快にさせたいとかいう意図はない。しかし、相手にはそれが伝わっていない。」という事態もありうる。

 

 「まあまあ、そう難しく考えんと気楽に気楽に。」とか「要は慣れだよ。」とかいった助言を下さる方はたくさんいらっしゃる。

しかし、その助言を聞くと、私は追い詰められた気持ちになる。