karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

偏食にまつわる、くだらん話

 

大人になったら食べ物の好き嫌いなんてなくなるよと言われて大人になった結果wwwwwwwwwwwwwww - おいしいお

両親が共に嫌っている食材は、うちの食卓に出てこなかった。だから、「大人になったら好き嫌いがなくなる」は嘘だと、子供の頃から思っていた。一人暮らしを始めたとき、「やっとそれらの食材を試せる」と思った。

2015/02/11 00:19

 

 どうやら、私は鈍感な味覚の持ち主らしい。更に、食べたことのある食材に関して言えば、嫌いなものを思いつかないときている。だから、「嫌いな食べ物」という感覚がよくわからない。

一方で、私を除いた家族には嫌いな食べ物があるということだ。「うちの食卓に出てこない食材を使った料理を、食べてみたい」と私が言うと、親から怒られた。家族で外食をするときも、それらの料理を食べたいと言うと怒られた。

他の家庭では、親の嫌いな食材でも一応は食卓に出てくるのだろうか? 実は大人になったら好き嫌いはなくなる人が多数でうちはレアなケースなのだろうか? 私のように、「親が嫌いな食材は食べたことがない」状態で大人になる人はどのくらいいるのだろうか? 

という疑問を、私はずっと持っていた。

 

大学に入って一人暮らしを始めるまで、私には「未知の食材」がたくさんあった。私にとっては未知でも、他の家庭ではありふれた食材と認識されているものがたくさんあった。それが原因で、過去に、友人を驚かせたことがある。今回の記事は、この、友人を驚かせたくだらない話になる。

 

義務教育を受けていた頃、学校では給食なるものがあった。給食の献立表が、月一回配られた。献立表には、おもな食材の名前も出ていた。

当時の私は、献立表の食材名を必ずチェックしていた。「うちではみられない食材」が楽しみだったからである。

これを話すと、よく友人に笑われたものである。

 

小学校低学年の頃読んだ漫画(確か、『天才バカボン』だったと思う)に、「レバニラ炒め」という言葉が出てきた。

読んだときに、「どうやらこれは、レバーとニラを使った料理の名前らしい」と思った。レバーもニラも、うちの食卓にはのぼらない食材である。また、レバニラ炒めは学校給食にも出てこなかった。それ以来、レバニラ炒めは憧れの料理となった。一人暮らしを始めたときに、「さあ、作ってみるぞ」と思ったのを覚えている。

これを真顔で話して、よく笑われたものである。

 

ナスという食材も、一人暮らしを始めるまでは未知の食材だった。「ナスの味噌汁」にも私は憧れていた。

ただし、ナスの味噌汁は、実際私が料理をするよりも前に、友人が私にご馳走してくれた。その友人には、ナスのことについてはそれまで全然話したことがなかった。「親の偏食が原因で、未知の食材がたくさんある」ということは話していたが。

味噌汁の中にあるナスは、店で売られているナスとは全く違う状態になっている。汁の色も、黒っぽくなっている。ナスを食べたことのない私には、それが「ナスの味噌汁」であるということがわからなかった。

「これって、何の味噌汁?」と私が訊いた。

その友人も、まさか、「ナスの味噌汁を知らない人」がいるなんて、思ってもいなかったらしい。

「何って、ナスに決まってる。」という返事があった。

「そうか、これがナスの味噌汁か。ナスって、店にある状態しか知らないからわからなかった。」と私が言うと、その友人が派手に笑いまくった。

 

私がこういう育ち方をしたから、大学時代、「嫌いな食べ物」についていろいろと友人と話すこともあった。

「大人になったら食べ物の好き嫌いがなくなるなんて、嘘くさいな。」と思った。

「『偏食についてのしつけをやりたくない』人が、この言葉を使うこともありうるな。」とも思った。

 

「大人になったら、『嫌いな食材でも栄養のバランスを考える』などの習慣がついて、嫌いなままでも食べるようになる。」とか「食べられないものが多すぎると、社交の上で不利になることがある。大人になるとそれがわかるから嫌いなままでも食べるようになる。」とかいったところでは? と、今では私は考えている。