karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

特別お題「私の一人暮らし」

#私の一人暮らし

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このお題でも、「お若い人には通じないと思われワード」がいろいろと浮かんでしまう。

私が初めて一人暮らしをしたのは1983年。実家から遠く離れた大学へ進学したことがきっかけだった。

「賄い付き下宿」って今はどのくらいあるのだろう? とか「『合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学』なんて今では難しくなっているようだな」とか、最初に頭に浮かんだ。

私は、親から信用されていない子供だった(今でもそうだが)。大学入学手続も、親は私にさせてくれなかった。親がしゃしゃり出て、大学まで行って手続きをした。そのときに、親が勝手に下宿を決めてきた。

親は最初、賄い付き下宿にする気マンマンだったらしい。「どうせおまえは、料理なんてできないだろう。」と言っていた。しかし、私の姉が猛反対をした。

「賄いつき下宿の中には、『ごはんのおかずがうどん』とかいったトンデモなものを出すところもある。自炊ぐらいできるようにしたほうがいい。」と姉が主張した。入学後、そのような証言を数人の学生から得た。

そして、賄い付き下宿の話はお流れになった。「大学の近くに安い定食屋がたくさんある。そこか学食を使え。」と親は私に言った。

 

大家さんの職業は、質屋だった。高校卒業までは、意識しなかった職種である。家賃を払うために、初めて質屋の入り口を開けたとき、わくわくしていた。そのときのことを今でも覚えている。

洗濯は、コインランドリーを使っていた。

コインランドリーには、いろいろな雑誌が置いてあった。高校卒業までは全然意識しなかったタイプの雑誌もあった。週刊ベースボール週刊朝日の類、中央公論の類、女性週刊誌、主婦の友の類、いろいろあった。少し古い雑誌が置かれていた。1975年発行といったような、大昔の雑誌が置かれていたこともある。

これらを読むのも楽しかった。

コインランドリー近くには、缶入り飲料の激安自販機もあった。この自販機を使うのも楽しかった。

 

食事については、親の言いつけを無視して自炊をした。

以前書いたことがあるが、私の親は2人とも食べ物の好き嫌いが激しい。両方の親が嫌っている食材は、うちの食卓には出てこなかった。「うちの食卓に出てこない料理を食べたい」と表明するだけで、親は不機嫌になった。学校給食で使われなかった食材は、私にとっては「未知の食材」だった。

一人暮らしを始めるまでは「未知の食材」がたくさんあった。それらを食べてみたかった。だから、「あれも食べたいこれも食べたい」という思いで自炊をしていた。「未知の食材」を使うときは、更に気合が入ったものだ。

炊飯器などの調理家電も買った。当時は、いわゆる「花柄家電」が出回っていた。

下宿には風呂がついていなかった。近くの銭湯に通っていた。番台の人とか銭湯の常連客が、私に声をかけてくださった。みんないい人だった。銭湯通いも楽しかった。

「自炊してるんでしょ。えらいねえ。」と商店街の人から声をかけられたこともある。戸惑うと同時に嬉しいと思った。「えらいのかな? ただ単に、実家での食事がつまんないから自炊してる。」と戸惑った。

 

賄い付き下宿、「合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学」、質屋、花柄家電、銭湯(スーパー銭湯の類ではない)、どれも時代を感じさせる言葉である。

1983~1994年まで、私は一人暮らしをした。その間、2回引っ越しをした。一人暮らしをしていた頃のアパート、今はもうない。ストリートビューを見ると、アパート周辺の風景も当時とだいぶ違う。私もトシをとるはずだ。

 

「下宿には電話をつけたくない」と私は強く主張した。親とはできるだけ話したくなかったからだ。「週1回うちに電話をする」ということにした。

親は私に、「否定形をとった命令や目標」を押し付けたがる人だった。「人さまの邪魔にならないように。」とか「どうせうまくいかないんだから、最初から不戦敗を決めろ。マイナスの結果なんか出すな。」とか「どうせうまくできないのだから、反感を買わない形でお願いして人に助けてもらいなさい。」いった調子で。

週1回の電話で「それらの命令や目標を、忠実に実行できているぞ」アピールをすることが、苦痛だった。「どうせおまえは、『可』を取るだけでいっぱいいっぱいだろう。」という類の言葉、当時、嫌というほど親から浴びた。

 

一人暮らしをやっていて、当然、うまくいかないことが出てくる場合もある。

「とても辛い味噌汁」とか「ご飯を鍋で炊いたのだが、水加減が変だったと思われるもの」を作ったこともある。

「まあ、これも経験だ。これが下宿じゃなくてうちだったら、親がぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる。下宿でよかった。」と思った。

一人暮らしをして初めて体調を崩したとき、思った。「ああ、風邪をひいてもバカ騒ぎをされずに済むんだ。これまでよりずっとましだ。」と思った。

 

一人暮らしをして、一挙にいろいろな世界が広がった。「コインランドリーでの洗濯や銭湯に行く等といった類の、日常生活のありふれたことでも、世界を広げていくきっかけになっていたのだな。」ということを、この記事を書いて再認識した。

「視野を広げろ。広い世界に出ろ。狭い世界に満足しないで頑張れ。」といった類の提言、いろいろな場でいろいろな人からなされる。

「頑張ろうと意識しなくても、案外、日常のささいな行動が世界を広げることに繋がっている場合もあるかもしれないよ。」とも私は思う。