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男の子のひな祭り

今週のお題「ひな祭り」

 

「山陰地方のひな祭り」で有名なものといえば、鳥取県東部の民俗行事「流しびな」があげられる。流しびなについては過去に書いたことがある。

今週のお題 「ひな祭り」 - karotousen58のブログ

 山陰地方でも、鳥取県西部や島根県東部になると様子が違ってくる。今回は、これらについて書く。

 

この地域では、ひな祭りのお祝いは女の子のものだけではない。男の子も男児用ひな人形「天神さま」(「天神さん」ともいう)を飾る風習がある。人形ではなく掛け絵を飾る地域や家庭もある。また、旧暦に沿って、約1か月遅れで祝う場合も多い。

「天神さま(さん)」とは菅原道真のことである。島根県松江市宍道町菅原道真誕生の地と言われており(誕生の地に関しては、諸説あり)、天神さまを飾って、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う。

昔は、長男は家を継ぐから「座った天神さま」、次男からは「立った天神さま」を贈られていたらしい。

 

ひな祭りについて、鳥取県立博物館のサイトで調べてみた。すると、意外なことがわかった。

「男の子にも天神さま(さん)を祭っていた」地域は、鳥取県中部や東部にもあった。「鳥取県東部の流しびな」イメージが大きすぎて、鳥取県中部や東部では「女の子のお祭り」だと、調べる直前までずっと思い込んでいた。

鳥取県中部と東部のひな祭りは、地域が「海側にあるか中国山地側にあるか」「美作国(今の岡山県北東部。読みは、みまさかのくに)側にあるか兵庫県側にあるか」で、微妙に違いが出ているようだ。

美作国に近い地域の一部で、昭和時代の始めまでは「男の子にも天神さま(さん)」を祭っていた。美作国の影響を受けたと思われる。とのことだった。

 

美作国での「男の子のひな祭り」も、天神さま「菅原道真」と関係が深い。やはり、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う祭りらしい。今では珍しくなってしまったらしいが。

ひな飾りとして使われる人形は、津山では「ねり天神」美作国全体では「泥天神」とよばれているらしい。これらは、泥を固めただけの人形で、焼いたりしないのが特徴である。泥で作ったのは、古くなったり壊れたりした天神を、川に流す習慣があったからということだ。

 

ネットサーフィンをしていたら、「昔は男女一緒にひな祭りを祝っていた」という地域がいろいろと見つかった。

広島県北部もそうだった。節句人形は、「三次人形」(三次は地名)とよばれている。やはり「菅原道真の人形」を基本としたものらしい。

丹波地方でも、昔は初節句を男女一緒に祝っていた。「稲畑人形」という土人形がひな壇を彩っていたとのことだ。稲畑人形の代表格は、やはり、「天神さん」だとのことだ。

東日本でも見つかった。

静岡県の志太榛原地方では、男の子に天神人形を贈る習慣がある。やはりここも、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う。

この地域で使われる人形は、これまであげた西日本の地域で使われたものと微妙に異なっている。江戸時代末期から明治初期にかけては、土でできた「ねり天神」がつくられていた。その後、人形の胴体が藁になり、布の着物を着せた衣装着天神がつくられるようになった。「志太天神」という名前ということだ。画像を見ると、衣装の豪華さがわかる。

 

ひな祭りは元々は、男女一緒に祝う日だったらしい。江戸時代になって、女の子を祝う祭りとなったらしい。

また、この頃から菅原道真をかたどった土の練り人形や張り子が作られるようになった。そして、節句に人形を飾る習慣が始まったということだ。菅原道真(845~903)の、時代や地域を越えた影響力の大きさに吃驚。

私が九州で暮らしていた頃、「男の子のひな祭り」について訊いたことが何度かある。「男の子もひな祭りを祝う? 菅原道真にあやかれるようにと願う? 聞いたことない。」という返事しかなかった。菅原道真といえば、「大宰府」がすぐに頭に浮かぶのだが。

江戸時代以降もひな祭りを男女一緒に祝っていた地域、他にもいろいろあるのだろうか? 中国地方に多いのも不思議だ。