karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

今週のお題「部活動」

今週のお題「部活動」

 

もしも、タイムマシンに乗って中高生時代の自分に会えたなら、私は次のことを話すだろう。

・「部活動は楽しいに決まっている。部活動で青春を謳歌するのが普通。」という類の言葉を聞かされているのなら、「アビリーンのパラドックス」という言葉も知っておいて損はないぞ。大学に入って、「部活動を楽しめない自分は、おかしいのだと思っていた。」という告白をしてくれた人が結構見つかったぞ。

・「部活動は楽しいし、人間的に成長できる。帰宅部の子は無気力。」という類の話を聞かされていると思うけど、それって実は、菊池寛の小説『形』みたいな話だぞ。

 アビリーンのパラドックス - Wikipedia

 菊池寛 形

 

以前、はてなハイクに次のような文章を書いた。

「部活動は好意的な評価をされているのに、塾通いは悪く言われる」ことに、合点がいかなかった(今でもそうだが)。
帰宅部は、無気力とか時間を有意義に使っていないとか非難されまくっていた。
一方、塾通いに対しては、抜け駆けしようとしているとか教育パパ(ママ)とか、大人が陰口が言っていた。陰口を言いながらも自分の子供は塾に行かせていたようだが。
塾は嫌なら簡単にやめられる。しかし、部活動は違う。やめたいと言えば、教師や親から「根気がない」とかなじられるのが相場だった(少なくとも、私の出身地域では)。
「活発な子だと思われたい」とか「無気力な子だと思われたら嫌」というだけの理由で、部活動をやっていた人も結構いるもんだと、大学時代に知った。
どうして部活動は好意的に評価されるのか? 謎だ。

 

小学生時代の私は成長の遅れた子供だった。体力がなく、学校にいるだけで疲れ切って、うちに帰るとボーとしている子供だった。習い事をする余裕もなかった。テレビで芸能人を見る元気すらなかった。しかも、実技教科の成績は全部ビリだった。

そういう私に対して親は、「この子が部活動なんかやると、周りに迷惑がかかる。やったとしても上達なんかしないに決まっている。だからやらせない。」という方針を取っていた。私も、学校にいるだけで疲れていたから、やりたいという思いすら持てなかった。

それと同時に親は、部活動というものを美化していた。「○○さんのところの長男は、バスケット部でがんばっている。部活動で成長している。内申書にもよく書かれるだろう。次男は帰宅部で無気力でダメな子。」といった類の陰口も、しょっちゅうたたいていた。

中1の3学期頃から何故か体力がついて、下校後もいろいろと活動できるようになった。しかし、部活動文化に染まるには、遅すぎる。

中高生時代の私は、「部活動文化に対する疑問を持つ」一方で、「部活動文化から早々と排除される人間にしかなれない私には、人間的な魅力がない」という思いも同時に 抱えていた。

大人の本音は「『部活動という形で学校にしばりつけて、校外で問題を起こさないようにさせる。街中を子供にウロウロされたら、正直言って邪魔だし。』といったところなんだろうな。」と思ってよい。そう確信したのは、大学に入ってからだった。

 

大学に入って、「実は、『部活動にしばられている』という思いをずっと抱えていた。楽しいと思わず、しばられていると思う自分はおかしい悪い人だという思いも抱えていた。」という告白をする人が結構いることを知った。

「水泳部にいたけど、『寒くなったらプールに入れない』という理由も加わって、休むことを許されなかった。『月食を観測したいから休ませてください。』と顧問に話したら、こっぴどく怒られた。その時点で急に、『部活動が原因で他のおもしろそうなことができなくなる』という事実がバカバカしくなって、やめた。せいせいした。プリンプリン物語(注 当時、夕方に放送されていた番組)もみられるようになってよかった。」

といったことを話してくれた人も意外とたくさんいた。

「運動部の下手くそ部員だったけど、ほとんど毎日長時間の活動だった。生理が止まるのもしょっちゅうだった。そのことを大人に相談したが、『それくらいでなければ上手にならない。強くならないといけない。やめるのは根性なし。』と叱咤されるだけだった。下手くそ部員でさえこうなんだから、大会に出るような部員はもっとひどかっただろうな。」という告白も、いろいろな人から聞いた。

そういう告白をしてくれた人は、「部活動は有意義だった」と発言する人よりも、人間的な魅力に乏しかったか?

帰宅部だった」と告白してくれた人も何人かいたが、彼(女)らは人間的な魅力に乏しかったか?

答えは勿論ノーだ。

 

今の私なら言える。

「部活動をする子は帰宅部の子とは違って、人間的に成長している。」というお話は、『形』でいう「赤い羽織や目立つ兜」になりうる。

「部活動をやらない子は無気力。時間を有意義に使っていない。やめる子は根気がない。」という類の言葉は、「赤い羽織や目立つ兜という姿ではない兵を、雑兵と決めつける」行為になりうる。

「本当は、部活動以外にもいろいろなことをしてみたい」という思いを持っていてもそれを言えない状態は、「赤い羽織や目立つ兜をつけないために、雑兵と思われてしまう」ことを警戒している状態と似ているのかもしれない。

「部活動を辞めたいと言った子供を、なじる大人」には、「(中村ではない)初陣の兵でも、赤い羽織や目立つ兜をつければ相手が逃げてくれる。それなのに、それらを捨てたいとは何事か。」という発想が隠れているのかもしれない。

 

考えてみれば、現状では部活動に関して生徒が決めることができるのは、「やるか否か」「何部に入るか」程度のものなんだな。

「週何回、どれくらいの時間の活動を希望」とか、どんな指導者の下でやりたいかとか、「(例えば)夏は水泳、冬は料理」といったような「短期間でいろいろと変えていって楽しむことも検討」とかいったことって、生徒側が提案することなんて想定されてなさそうだな。

気軽に参加できる「部活動以外の課外活動の場」って、大人になったらいろいろと候補先が頭に浮かんでくる。しかし、(特に田舎の)中高生にはイメージしにくいものかもしれない。

大人たちにお願いしたい。部活動(特に、帰宅部と呼ばれている状態)に対して教育的に過剰なイメージを押し付けないでほしい。

部活動文化に窮屈さを感じている中高生も、存在しうる。「部活動をやらないなら、家でボーっとしてるだけじゃないか」という反論もあるかもしれない。しかし、「ボーっとしているだけのようにみえても、実は、本人の内部にはいろいろな変化があるのかもしれない」と私は思っている。

外国語教室は自己紹介大会の会場かもしれない

今週のお題「自己紹介」

 

私は趣味で外国語教室に通っている。

最初の2年間は文法中心の学習だった。

一昨年の4月頃から会話の学習比率が高くなってきた。そして、半年ほど前からは、「150~300字程度で、テーマに沿って短文を積み上げて書く作文」も加わるようになった。

この「会話や作文」というやつ、受講生それぞれの個性がでてくるものである。特に作文で。

 

例えば、「好きな季節」というテーマで書くとする。

「夏が好き」とか書くだけでは、150~300字には届かない。「その季節に対して持つイメージ」とか「その季節によく行うこと」とか「今年、その季節にやりたいこと」とか、いろいろと他に書き加える必要が出てくる。これらの「他に書き加えた内容」が、受講生それぞれの個性を強く出してくる。

「えっ、この人、こういう一面もあるんだ。ちょっと意外。」とか思ったこともある。逆に私が、「そういうことに興味があるようには、見えなかった。」とか言われることもある。

「受講生それぞれの個性」が出される様子は、「自己紹介」のような役割を果たしていると思う。

 

これまで扱ったテーマで一番印象に残っているのは、「もらいたいor贈りたいプレゼント」というものだった。

「今までにもらったor贈ったことのあるプレゼント」とか「誰に贈った、誰からもらった」とか「一番印象に残っているプレゼント」とか「今後もらいたいor贈りたいプレゼント」とか、いろいろと披露された。

私は「下心のこもった」贈り物(特に、反復継続的になされるもの)が苦手である。贈るのも贈られるのも。

これについて書いていたら、簡単に字数が埋まってしまった。こういう文章を書く受講生は、やはり、私だけだった。

強烈な「自己紹介」になってしまった。

「発達障害の理解や支援」に隠れているもの

 

 

支援を受けられぬまま死んでいったある発達障害者についての述懐 - decinormal

"なんてもったいないのだ。こんなに知的で繊細な人を皆が無視してきた"の記述も重要。「本人に『困難や問題』が備わっていて、教育や福祉の支援で改善」という発想ではなく、相互行為についても検討していく姿勢。

2017/04/07 15:43

 

 

発達障害系の記事が注目を集めるたびに 皆さんが救われてほしいと思ってい..

「キモい/無能な/発達障害」の認識をもたらすものは、障害をめぐる「非発達障害者の『期待や想定や志向性』」に基づいたやりとりによる面も大では?と私は疑う。そのやりとりで障害を「個人の心身の問題」還元は不当。

2017/04/10 01:22

 4/2~4/8は、発達障害啓発週間だった。啓発活動では、発達障害に対する「理解や支援」の必要性が主張される。しかし、私はこの「理解や支援」に関するアピールにしっくりこないものを感じていた。

「理解や支援」に隠れているものがある。私はそう考えている。

では、何が隠れているのか? それは次のものである。

1.発達障害者本人の主張を聞く(聞こうとする)側が持っている、「理解のスタイル」

2.「支援の必要性や中身を『認識/決定』するのは誰なのか、また、どのように決定するのか」ということ

 

これらの「隠れているもの」が検討されない状態で、次の見解が自明視されているのでは? そして、その自明視は発達障害者本人にとって「社会的不利益を受けること」にもつながりうるのでは? と私は疑っている。

1.「発達障害者本人=理解や支援のなされる側」、「周囲や社会=理解や支援をする側」という見解

2.「発達障害者本人に『困難や問題』が備わっている。だから、教育や福祉を用いた、本人に介入する支援によって改善や矯正をする必要がある。」という見解

3.発達障害者本人は問題の「対象」であって、その問題を抱えているのは「周囲の人々や社会」という見解

 

発達障害者の周囲の人々が、「あの人には発達障害が疑われる」と認識する場合、その認識はどのようにしてなされるのか? 

勿論、「周囲の多数の人が医学的診断基準を知っていて、その基準について緻密な検討を重ねて、発達障害者という認識に至る」というわけではない。

発達障害カテゴリーは「曖昧さを持つカテゴリー」である。人々はその場の状況や文脈に基づいて、人それぞれのやりかたで「発達障害カテゴリー」をイメージする。曖昧ゆえ、その場の状況と文脈に応じて、様々な行為を発達障害に関連付けることが可能となる。そして、関連付けて「本人との関係を作る」ことも可能となる。その際、「常識や慣習や文化」といった一定の枠組みが語られることもよくある。

つまり、「あの人は発達障害者」という認識は、「発達障害カテゴリーのもつ曖昧さをベースに、人々が他者の行為を発達障害とみなし、『その他者と関係を作る上で、適切である』」とみなした結果と考えられる。

 

周囲の人々や社会が「発達障害の理解や支援」を訴える際、<社会>と<発達障害>をめぐる、周囲の「期待や想定や志向」が大きな意味を持ってくる。

すなわち、周囲にとって、「発達障害者がどのように変わってほしいのか、発達障害者のどういうところを発達障害らしいとみなすのか、発達障害者に対してどのようにやりとりをしていくことが望ましいのか」などといったことが大きな意味を持ってくる。

では、周囲の「期待や想定や志向」は現状ではどういうものになっていることが多いのだろうか? 次のようなところでは……と私は疑っている。

発達障害者には社会性の遅れやいろいろな能力の欠如がある。それ故、非発達障害者と同様のやりとりをうまくできない。発達障害者自身にトラブルの原因がある。うまくできるようになるために、発達障害者本人が社会性の遅れや能力の欠如を克服すべきである」という視点からなされた研究や解釈が多数派をなしているのでは? 

更に、「医療や福祉という分野を介入させ、『問題や困難』を外部化(発達障害者本人と医療や福祉関係者や家族で解決していく)することが解決方法。」という発想が強まっているのでは? 

と私には思える。

その一方で、

遅れているとされる「発達」に含まれる意味は何であるのか? 

「能力の欠如」とみなされる際、その場がどのようなシステムになっているのか? そして我々が日常的に行っている対人的やりとりが何を生み出しているのか? 

ということに対して「再検討をしていこう」という方向の意見はほとんど出されない。

 

はじめにあげたブックマークコメント元記事中の、"なんてもったいないのだ。こんなに知的で繊細な人を皆が無視してきた"の記述は、「問題や困難の、外部化」から導かれたものではない。

「理解や支援に隠れているもの」「<社会>と<発達障害>をめぐる、期待や想定や志向」に対して、ブログ主が真摯に向き合って導かれたものだと思う。

次にあげたブックマークコメント中の、「キモい/無能な/発達障害」認識は、「その場の『状況の中』にある、また、そのようなものとして成し遂げられた『やりとりの中』」で作られたものかもしれない。

言い換えると、「キモい/無能な/発達障害」認識は、「本人に『困難や問題』が備わっていて、教育や福祉の支援で改善」という発想を元記事作成者が押し付けられて導かれたものかもしれない。

ある種の「<社会>と<発達障害>をめぐる、期待や想定や志向」を基準として対人関係を設定すること、それによって、「キモい/無能な/発達障害」認識が強調されることになる。ということもありうるのでは?

その基準を基に、「あるべきとされた対人関係」に沿った観察が、発達障害者本人以外の人から一方的に行われる。→それによって、発達障害者の「キモい/無能な/発達障害」認識が強調されることになる。 といったところもあるのでは?

と私は疑っている。

 

勿論、「<社会>と<発達障害>をめぐる、『期待や想定や志向』」は、発達障害者側も周囲に対して持っている。そのことを踏まえて、「その期待や想定や志向の中に、不適切なものはないか考えていくこと」や「自分たちが日常的に行っているやりとりが生み出しているものについて、いろいろと検討を続けていくこと」や「それによって、日々のやり取りをよりよいものにしていくこと」を発達障害者側も心がける必要がある。

発達障害に限らず、障害に関する「困難や問題」は、「場の状況やお互いの対人的やりとりを検討」することによって初めて、その複雑さに近づくことが可能となるのかもしれない。「障害者本人に『困難や問題』が備わっている。そして、教育や福祉の支援(という形の外注)で改善」という発想の下では、近づくことが困難なものとなりうるのかもしれない。

障害に関する啓発活動を考える際、「理解と支援」に隠れているものを意識する必要がある。私はそう考える。

特別お題「おもいでのケータイ」

特別お題「おもいでのケータイ」

 

私にとって最も印象に残っているケータイは、「F672iらくらくホン(mova)」である。

といっても、このケータイは私が使っていたものではない。母が最初に使ったケータイである。私が使ったわけでもないのに最も印象に残っている理由は、「このケータイが、風が吹けば桶屋が儲かる的な感じで、私のケータイ機種変更に影響を与えた」からである。

 

2004年秋だった。その当時私の地元では、公衆電話設置箇所や台数減少が続いていた。更に、テレホンカードも利用しづらい状態になっていた。だから、ケータイを持っていない場合は、「外出先から電話をかける」ことがやりにくい。「電話をかけるとき、他の人からケータイを借りることになる。何か落ち着かない。」と母が言っていた。

「高齢者に使いやすいケータイ発売」という新聞広告が出ていた。それを見て私は思った。「余分な機能なし、文字も大きい、これなら母にも使えるかもしれない」と。

店でカタログをもらってきた。画面や文字が大きい、音量調節が簡単、ワンタッチで登録先に電話がかかるワンタッチダイヤルボタン3つ付き、通話とメールとiモード可能だがカメラは非搭載、という機種だった。

標準内蔵着信音も、「高齢者を意識したのかな?」と思わせるものだった。きよしのズンドコ節、もしもピアノが弾けたなら、瀬戸の花嫁、YESTERDAY ONCE MORE、ツァラトゥストラはかく語りき、アメージンググレース、冬の星座、だった。

その当時、ケータイの買い方は今と違っていた。新規購入と機種変更とで値段が大きく違っていた。機種変更の場合、2万円超えがあたりまえという感じだった。カタログをもらった店では、その機種は新規購入タダとなっていた。そして、母は購入を決めた。

実際に使ってみて、「着メロの音もきれいだし、ワンタッチですぐかかるし、気に入った。」とのことだった。

 

2006年11月頃、「この機種はカメラ非搭載」ということが大きな意味を持ってきた。母が言った。「他の人は、待受画面にペットの犬や猫の写真を使っている。私もうちの飼い犬写真を待ち受け画面にしたい。カメラで写真も撮りたい。機種変更できない?」と。

それを聞いて思った。「機種変更って、滅茶苦茶カネがかかるぞ。それに、機械音痴の母にも使えそうな機種なんて、このらくらくホンしか考えられないぞ。機種変更なんて、カネをドブに捨てるようなものだ。」と。

無駄だと思いながら、カメラ搭載のらくらくホンカタログ目的で店に行った。すると、店では、私が想定していなかったキャンペーンがなされていた。「movaからFOMAへの乗り換え促進キャンペーン」だった。

そのキャンペーンは、「movaからFOMAへの機種変更なら大幅値引き、タダで機種変更が可能なものもあり。購入時にポイントも使える。」というものだった。母の場合、ポイントを使ったら2000円程度で、カメラ搭載の「FOMAらくらくホン」への機種変更ができるとのことだった。

「2000円程度で機種変更ができる。信じられない。このチャンスを逃すのはもったいないかもしれない。」と私は思った。そして、母のケータイはカメラ搭載の「FOMAらくらくホン」となった。

 

母の機種変更を終えた後、私も機種変更をしたくなった。その当時使っていた機種は、カメラの画面が砂嵐状態になっていた。「このキャンペーンとポイントをフルに使って、面白そうなケータイを買ってみよう。今の機種は2年半程度でカメラ機能がダメになったから、違う系列にしてみよう。」と思った。

カタログをいろいろと見ていると、「ボイスレコーダー機能搭載」となっていた機種がでてきた。この機能を試してみたくなった。こうして、私のケータイは「SH702iS」となった。このケータイ、私にとっては、前の機種やらくらくホンよりもずっと使いやすいお気に入りの機種となった。デザインも好みだ。3000円程度で機種変更ができた。

「こんな安価で、いいケータイが手に入るなんて……」と驚いた。

それを知った父も機種変更を決めた。父も「FOMAらくらくホン」に変更した。

 

もしも「F672iらくらくホン(mova)」がカメラ搭載だったなら、2006年の機種変更話はたぶん出てこなかっただろう。「movaからFOMAへの乗り換え促進キャンペーン」を知らないままだっただろう。カメラ機能がダメになったケータイを使い続け、キャンペーン終了後に高い金を出して機種変更ということになっていたかもしれない。たぶん、変更後の機種も違うものになっていただろう。

こういうわけで、私にとって最も印象に残っているケータイは、(私のケータイではなく)「母が最初に使った ケータイ」となってしまった。

 

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「カラオケの十八番」にしたくても、できそうにない歌

今週のお題「カラオケの十八番」

 

私にとって、「カラオケの十八番」にしたくてもできそうにない歌、それはゴスペラーズの『ひとり』である。

この歌は好きだ。しかし、アカペラかつ高音となると私は混乱してしまう。否、「混乱」以前に声が出ない。

この歌を「カラオケの十八番」にできる人が、うらやましい。

ひとり LIVE

 

前にも書いたことがあるが、私の好きな音楽ジャンルはイージーリスニングである。所謂「流行もの」を私は知らないことが多い。カラオケに行っても、「他の人が知っている歌を私だけが知らず、私が知っている歌を他の人が知らない」状態になることがしょっちゅうである。予約された曲名を見るだけで、「私が曲を予約しているか否か」が簡単にバレてしまう。

20年ほど前、私は言われたことがある。「カラオケでは、他の人の歌を聴いてる人なんていないよ。流行ものを選んでみんなで盛り上がるもんだよ。誰も知らない歌なんか選んでも盛り上がらないよ。」と。

どうやら、「未知の歌を知る楽しみがあって、面白い」などと思っていた私は、トンチンカンな認識をしていたようだった。かといって、流行ものをいちいち覚える気力もない。仕方がないから、「知らない曲ばかり選ぶ奴」を貫くことにした。

 

こういうことをしていると、意外な人物が意外な近づき方をしてくることもある。

「自分は本当は韓国歌謡(「K-POPよりも少し古いタイプの歌」ということらしい)が好きだ。だけど、同好の士がいない。一緒にカラオケ行かない?」と言う人が、5年ほど前に現れた。

その人曰く、「韓流ブームの頃から、カラオケで歌える韓国の歌がとても多くなった。だからいろいろ歌ってみたい。だけど、みんなが知っている歌を歌わなきゃいけないという暗黙のお約束事があるから歌えない。」ということだった。

韓国語でカバーされた日本の歌って、結構たくさんある。アニソンも多い。『女々しくて』や『Let It Go』は、他にもいろいろな言語でカバーされている。『おどるポンポコリン』や『キャンディ・キャンディ』などのアニソンも、韓国バージョンが結構ある。

その人とカラオケに行くと、日本語バージョンと韓国語バージョンの違いを楽しめる。面白い。日本語カバーが(たぶん)されていない韓国歌謡も、独特の雰囲気があって魅力的だ。最近のK-POP、1970~1980年代の韓国歌謡、それよりも昔の歌、微妙に雰囲気が違う(気がする)。「歌詞の意味がわかったら、もっと楽しめると思うよ。」とよく言われる。

とは言っても、私にとって韓国語は難しい。だから、「韓国語バージョンの、日本の歌」も、今のところ「カラオケの十八番」にできそうにない状態にある。

『Let It Go』の韓国語バージョンは、『다 잊어』というタイトルらしい。「すべて忘れて」という意味らしい。だが私には、日本語の「退場」と聞こえてしまう。(1:00のあたり)


Let It Go 【Korean(韓国語)】

今週のお題「卒業」

今週のお題「卒業」

 

義務教育時代の卒業式について、私は変な思い出を持っている。

私が経験した卒業式では、ムードを盛り上げようとしてなのか、やたらと悲しそうな音楽が流されていた。

小学校の卒業式では、「呼びかけ」なることがやたらとなされていた。この「呼びかけ」に、私はわざとらしさを感じていた。

私は、「泣かせようとして、悲しそうな音楽を流したり呼びかけをやらせている。わざとらしくて、何て嫌らしいんだ。」と思うような、かわいくないガキだった。今でもそうだ。
「わざとらしい」という思いで頭がいっぱいになったとき、何故かわからないのだが、私はついつい笑ってしまうのだ(声の出ない笑いである)。
「卒業式という場で笑ったら、ヤバい。」ということぐらい、わかっている。しかし、笑ってしまうのだ。
「他の人が泣いている場で、私一人が笑う」これって、怖い光景だ。

 

私が通っていた小学校の通信簿には、生活記録のページなんてものがあった。いろいろとチェック項目があって、そのうちの一つに、「ささいなことで腹を立てたり泣いたりしない」というやつがあった。

こういう項目があることから考えるに、学校という場では「泣く」という行為は原則的には禁止されているものと思われる。しかし、どういうわけか卒業式ではこの項目は意味を持たなくなる。わざわざ悲しそうな音楽を流すところから考えるに、「むしろ、泣くという行為が期待されているのでは?」とも考えてしまう。

なぜ、卒業式では「泣く」ことを禁じられないのだろうか? ずっと疑問に思っていた。

 

「6年生を送る会」といった類の行事って、今でも小学校でなされているんだろうか?
子供のころ、この行事の意義がわからなかった。大人になった今でもわからない。
この行事では、学年全員で、合唱や合奏をするといったようなことをやらされた。呼びかけをやらされたこともある。そのための練習もやらされて、教師からけなされたものだ。
合奏や合唱をすることが、どうして、「6年生を送る」ことになるのかがわからなかった。今でもわからない。
合奏や合唱に使われる歌や音楽自体が、「私にとっては面白くもない歌や音楽」であった。
「6年生にとっては、楽しい歌や音楽なのだろうか?」と疑問を持っていた。

 

大人になって、「感情労働」という言葉を知った。そして思った。「卒業式も、一種の感情労働めいたものが期待されたものなのでは?」と。そして、「私が感情労働をうまくこなせなかったのは、発達障害が大きな影響を及ぼしていたからなのでは?」とも思った。

その後、(有本真紀 著)『卒業式の歴史学』(講談社選書メチエ)なる本が出版された。私の持つ「変な思い出」について、いろいろな角度から捉えなおすことができた本だった。私にとっては面白い本だ。

ただ、この本は人によっては、「読むと卒業式で感動できなくなる(危ない)本」となるかもしれない。また、「卒業式で感動できない、泣けない自分はおかしいのでは?」と悩む子供(特に発達障害系の子供)に接している人に、読んでほしい本である。

『卒業式の歴史学』(有本真紀):講談社選書メチエ|講談社BOOK倶楽部

はてなブックマーク - Amazon.co.jp: 卒業式の歴史学 (講談社選書メチエ): 有本 真紀: 本

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まず、笑(嗤?)いながら序章を読んでしまった。講談社選書メチエを、笑(嗤?)いながら読むことになるなんて、思ってもいなかった。一冊読み終えた後、「『涙の卒業式』には、所謂『隠れたカリキュラム』大ありなんだな」と思った。「自ら泣いたというよりも、感情教育として泣かされていた」んじゃねーの? などと、意地の悪いことも頭に浮かんでしまった。

「卒業式で感動したい」という思いを持つ人からは、「この内容を笑うなんて、けしからん」と言われそうだが。

 

この本の序章より引用

  しかし、学校にも泣きが禁じられない場面、むしろ涙が望ましいとされる状況がある。つまり、誰も理由を問うことのない涙である。

それは、個人が泣くのではなく複数の個々人が泣くのでもない「集団の涙」であって、連帯の証となるような「共同化された涙」であることが重要な条件となっている。
この「涙の共同化」は、努力や感動ときわめて親密な関係を持っている。たとえば、スポーツ競技や合唱コンクールなど「みんなでがんばった」結果が表れる場面の涙は、美しく道徳的なものとみなされる。
「みんなで泣く」ことが、子供たちの精神的成長の表れと解されることもある。その際教師も一緒に涙するならば、良好な教師‐生徒関係が築かれているとして肯定的に受け止められることが多い。(9頁)

子供は状況に応じて適切な感じ方と感情表出ができるよう社会化されなければならない。個々の時と場にふさわしい感情を持てるか、それを適切に表出したり抑制したりできるか否かは、道徳性や人格にかかわる評価にさらされる事態だからである。社会的に期待される感情の規則から常に著しく逸脱するならば、場合によっては「障害」の範疇に含められることもある。(12-13頁)

 当然、家庭も学校も職場も感情文化に取り囲まれているわけだが、学校がとりわけ組織的に感情を社会化する強力な機関であることは言を俟たない。
本の学校では、特に「気持ち」や「みんなの心を一つにすること」が重視される。感動や涙をめざして卒業式の練習が念入りに繰り返されるのも、その一例といえよう。
卒業式の練習がそうした感情の社会化場面であることは、次の回想からもうかがえる。
 (中略)
 このように、卒業式が「社会的な期待にそって心をこめるべき事態」であるという規範と、その規範に従う方法が、あらかじめ繰り返し教えられる。
式の参加者が感動を共有することをめざして児童への働きかけが行われ、式当日には演出と練習の結果が観客の前で演じられる。
このようにして、「感情文化」への招待は、個々人の内に「社会が積み上げてきた感情」を刻印することをもってなされる。(14-15頁)

「一人はダメだよ教」とのつきあい方を模索 3

はてなブックマーク - 「休み時間は1人で過ごすよりも友達と楽しむべき」という教師の投書に様々な意見が寄せられる「押し付けないでほしい」「遊ぶことも大事」 - Togetterまとめ

「大勢の人の中にいることで、協調性や社会性が身に付く。一人でいるのは好ましくないことだ。一人の世界から、大勢の世界に自然に目が向くようにはならない。他人に関心を持たないまま成長する危険性がある。」

私が子供の頃、親や教師はこのような思いを持っていたらしい。

「人とつながることをきっかけとして、協調性や社会性が生まれてくる」ということも、事実だと思う。しかし、「背景にある事情を無視した状態で、このことを声高に主張する」のは危険だと、私は思う。

相手が「この子と時間を共有できて楽しい・安心だ」と思って接しているか、「この子は人間関係の作れない、かわいそうな子供だ。だから、哀れんでつきあってあげる」という態度で接しているのかで、だいぶ状況が違ってくる。

 大人がお膳立てをして後者のようなお友達を本人に付けたとしても、本人には協調性やら社会性やらいったものを身につける余裕はできないのでは? と私には思える。

 

 私が子供の頃、親や親戚や教師は、「友達は大切。たくさんつくらないといけない。」と力説していた。しかし、当時の私にとっては、「友達の大切さ」という言葉は、不気味なものと思えた。不気味だと思った理由は、次のことにある。

1 私が子供の頃、親や親戚は「そんなことをすると、人が笑うよ」と言って叱った。この言葉の裏には、「自分の弱いところや醜い感情を感づかれたら、馬鹿にされたり酷い目にあったりするよ。」というメッセージが隠れていると、私には思えた(当時は意識していなかったが)。

 「誰とでも仲間になって、仲良しになりなさい」と「そんなことをしたら、人が笑うよ」という2種類の、矛盾したメッセージを同時に受けて、私は混乱した。

2 私は、ひとりでいるのが苦にならない子供だった。一つには、「場の状況を認知したり判断したりする力が弱すぎて、それらの情報処理を試みるのに手いっぱい→他の児童という情報も加わるとますます混乱→だから一人でいる」という状態だったという事情もある。

親や教師は、「友達を作ろうとしないおまえは、悪い子だ」と主張し続けた。「友達を作る練習」と称して、「毎週土曜日の午後、出来の良い子の家に行き、一緒に遊んでもらうこと」を私に義務付けた。一方で私には、大人が「友達作りを強要する理由」がわけのわからないものに思えた。
 大人側の、ホンネの理由は次のBとCがメインだと(少なくとも私は)思う。しかし、このホンネを大人は明かさない。理由Aという建前を、大人は主張したがる。「理由BやCを大人が要求している」と思うことを、大人は許さない。理由Aを満たすことができない私は、人間として欠陥があるのだとずっと思っていた。

A「一緒にいて楽しい」から、友達を作る

B 友達がいなかったら、社会性が身に付かなくなる。だから、「社会性を身につけるお道具」として、友達が必要。
C 友達がいなかったら、周りから浮き上がらないための情報が得られなくなる。また、友達のいない人は、信用されていない人だというふうに思われる。このように、「世間体を守るための手段」として、友達が必要。

 

「友達ができないのは、あなたの考え方や感じ方が他の人とは変わっているからです。変わっているところをなおして、普通になるように努力しなければいけません。他の人が喜ぶことを話さなければいけません。他の人の気分を害することがあってはいけません。そのようなことができないのは、あなたに思いやりがないからです。」と、私は言われ続けた。
 そしてその結果、「自分が考えたり感じたりすることには、どうせロクなものなんかない。それらが他の人にバレたら、バカにされたり酷い目にあうに決まっている。それだけではない。たった一回でも誰かの気分を害したら、その人は私を許してはくれない。ましてや友達になんかなってもらえない。」という思いをもつようになった。

 友達作りを強要されたのは、私だけではなかったようだ。「友達になろう」と、私に声をかけてくる人が何人かいた。本当に私と友達になりたくて声をかけた人もいた。が、全員が全員そうだというわけではなかった。
 「『友達がいない人は、性格に問題のある人』というふうに思われる。だから、友達を作る必要がある。だけど、他の人にはもうすでに友達ができていて、声をかけづらい。夏炉冬扇は友達がいないようだから、声をかけやすい。」という理由で、声をかける人もいた。
 つまり、「夏炉冬扇に興味・関心を持って近づいたわけではない。世間体を守るための友達作りなんだから、相手は誰だっていい。」ということである。そういう理由で私に近づいた人が、後になってから私に次のような言葉を浴びせたこともある。「夏炉冬扇と友達になっても面白くない。他の人が興味を持っていることを面白がらないなんて、おかしい。」

親や教師からも、「○○さんは優しい人だね。おまえのことをかわいそうだと思ってつきあってくれているんだよ。」などと言われた。
 このようなことを何度かされると、「私と友達になりたい人なんかいるわけない。私に近づく人は、何か下心を持っているに決まっている。」という思いまでが出てくる。

 このような思いにとらわれている状態で「友達を作れ」とか「みんなの輪の中に積極的に入って、協調性や社会性を身につけろ」と要求されても、「協調性や社会性とやらを身につける余裕」なんかない。疑心暗鬼の目で他の人を見てしまうことになる。同時に、他の人の長所や魅力を見逃すことにもつながる。

 

高校卒業まで、このような思いを抱えていた。自分の思考や感情について話すのが怖かった。「黄色い花がある」という言葉なら言えても、「この花きれい」とか「この花好き」とかいったことは、怖くてなかなか言えない状態だった。

大学入学後、恐々「自分の思考や感情」について話すようになった。「黄色い花がある」といった言葉だけでは間が持てなかったからだ。恐々話した事柄だったのだが、その事柄について侮蔑や罵倒の表現が返ってくることは、予想よりもずっと少なかった。逆に「その発想、面白い。あんた、気に入った」とか「あの一言を聞いて、『最初はとっつきにくそうな人と思っていたけど、ひょっとしたら、夏炉冬扇さんって話が通じる人かもしれない』と思った」とか打ち明けられることもあった。

正直言って驚いた。こういう経験が何度か重なって、私の思いも少しずつ変わってきた。

「何回か気に障ることを言ったりしたりしても、許してくれる人もいる。仮に相手の気分を害したとしても、後から反省して、自分の言動をどう変えたらよいかわかったら変えればよい。」とか、「私に近づくのは、私のことを気に入ってくれたからかもしれない。私自身をさらけだしても、この人は私を見下すようなことはしないだろう。」という思いに変わった。思いが変わるまで気長につきあってくれる複数の友人に、私は恵まれた。

読書について - karotousen58のブログ のような感じで、友人が接してくれた。

 

それと同時に、大学という場で、「一人でいることも悪とは限らない」という価値観も許されていたと思う。

私の場合、一人でいる時間がある程度確保できて初めて、「自分の思考・感情がどのようなものであるのか、自分の心の動きがどのようなものであるのか、知ろうとすることを許された」という感じだった。

 「一人でいるのはダメ。外に出て人の気持をわかろうとしなければダメ。」という言葉を、それまでに私はよく聞きました。しかし、私は思うのだ。「自分の気持もわかろうとしたことがなくて、他の人の気持なんかわかるのか?」と。

 一人でいる時間をある程度確保できて初めて、「自分の思考・感情について知ろうとする」「今の自分がよい・悪いという問題ではなく、どうやったら暮らしやすくなるのか考えていく」ということに自分の心や頭が向かっていったように思える。 「一人でいるなんて、無駄に時間を過ごすだけだ」とハタからは思われるかもしれない。しかし、私の頭と心は、一人でいたときにフル回転していたのだと思う。

 自分が楽になった状態で人と接してからのほうが、他の人の良いところに目が向くようになったり、他の人の言動を悪意に解釈することが少なくなるのではないかと思う。 

一人でいるときに「自分の思考・感情について知ろうとする」のみならず、「深めていく」ことの出来る人もいるのかもしれない。元記事の女子児童もそうだったのかもしれない。私の勝手な想像だが。

 

 「友達作りを強要」とか「一人でいるのは悪いこと」と声高に主張することが、却って「人に関心を持つことに、恐怖感を持つ」「『孤独を悪と思わない自分は極悪人』という罪悪感を持つ」方向に向かわせることもありうる(少なくとも、私はそうだった)。

「恐怖感や罪悪感を持ってしまったがために、他の人から遠ざかってしまう」ことは、本人にとって不利益となりうるだけではない。本人以外の人にとっても、不利益となっているのかもしれない。

「一人でいるのは悪いこと」「一人でいるような人は、人との関わり方を学べていない人」といった類の決めつけを疑ってみることは、これまで遠ざけていた人とつながるきっかけになりうるかもしれない。その「これまで遠ざけていた人」は、実は、「一人でいるときに、いろいろと内面を深めていた」人かもしれない。

ひょっとしたら、「一人はダメだよ教を絶対視しない態度」は、本人にとっても周りの人にとっても「自らの生活」を豊かにすることにつながるのかもしれない。

 

(このシリーズひとまず完結)