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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

ある発達障害者にとっての、わかりやすい文章

その文章を難しいと判断して、「頭がいいと思われたい人なんだ」と他人の内心を忖度してるのは誰の基準でしょうか - 太陽がまぶしかったから

私のブックマークコメント

「ある人が、わかりやすいと感じた文章」が、他の人にとっては難しく感じられる文章ということもある。発達障害者の中には、「わかりやすいと感じる文章」が多数派と異なっている人もいる。後で拙ブログに書く予定。

 

発達障害者の中には、「情緒的な文章を、難解に感じる」人がいる。そのような発達障害者が書く文章や発する言葉が、非発達障害者にとっては難解と思われるかもしれない。

そのことで、非発達障害者が戸惑うことがあるかもしれない。

ひょっとしたら、「頭がいいと思われたくて、わざと難しい表現をやっている」と誤解されているかもしれない。

 

A 風が吹いて、稲穂がお辞儀をしているようだ。

B 風が吹いて、稲の先が穂の重さと重力によって3センチメートルほど垂れている。

 

AとBの文章では、どちらがわかりやすく感じられるだろうか?

私の身近にいる人のほとんどは、Aのほうがわかりやすいと答える。

しかし、私にとっては、Bのような文章のほうがわかりやすい。

「Bのほうがわかりやすい」と答える人は、発達障害者のほうが多いのでは……と私には思える。

 

私は、情緒的な文章を上手く読み取れない。私には、演歌の歌詞はとても難しいものと思える。

私が小5だったときの3月、キャンディーズというアイドルグループが、『春一番』という歌をリリースした。

この歌では、つくしが擬人化された表現がなされている。

当時の私は、この表現に当惑した。「何故、植物であるつくしが、はずかしいということになるんだ? 意味が分からない。」と。

当時の小学生は、テレビ番組や歌謡曲のことをよく話していた。こんな調子だったから、私は他の子と会話がうまくできなかった。

子供向け童話・物語の類も、読むのが苦痛だった。心情に関する描写が、わからなかったからだ。

もっというと、『りぼん』や『なかよし』や『少年ジャンプ』のような漫画雑誌も、当時の私にとっては難しいものに思えた。

少年漫画が読めるようになったのは、小5の3学期頃で、少女漫画が読めるようになったのは、中2頃だった。

 

その一方で、「科学的で、小難しそうな文章」を読むことは好きだった。

分厚い図鑑には、「小難しそうな文章の書かれた、解説ページ」もあった。それらの文章はすんなり読めた。楽しく読んでいた。

こんな調子だったからだろうか、子供の頃からずっと、話し言葉が書き言葉調になってしまう。

しかも、Aの文章よりもBの文章に近い調子の。

 

「テレビ番組や歌謡曲についての会話ができず、小難しそうな科学読み物を楽しんで読む」「リボンや仲良しや少年ジャンプなどの漫画雑誌を読むことが、苦痛」という子供なんて、そうそう簡単には見つからないんだろうな。ワケのわからないガキと思われていたんだろうな。

「本当は頭が悪いくせに、頭がいいと思われたくて、変わった言い方をしている。そんなことでは、人から嫌われる。」と、いろいろな人(特に大人)から言われた。

当時の小学校では、作文やら感想文やら日記やらをよく書かせていた。

それらを書くたびに、「お前の文章は理屈っぽい。そんなことではダメだ。」と怒られていた。

 

人の感覚って、ほんとにさまざまなんだな。