その文章を難しいと判断して、「頭がいいと思われたい人なんだ」と他人の内心を忖度してるのは誰の基準でしょうか - 太陽がまぶしかったから
私のブックマークコメント
「ある人が、わかりやすいと感じた文章」が、他の人にとっては難しく感じられる文章ということもある。発達障害者の中には、「わかりやすいと感じる文章」が多数派と異なっている人もいる。後で拙ブログに書く予定。
発達障害者の中には、「情緒的な文章を、難解に感じる」人がいる。そのような発達障害者が書く文章や発する言葉が、非発達障害者にとっては難解と思われるかもしれない。
そのことで、非発達障害者が戸惑うことがあるかもしれない。
ひょっとしたら、「頭がいいと思われたくて、わざと難しい表現をやっている」と誤解されているかもしれない。
A 風が吹いて、稲穂がお辞儀をしているようだ。
B 風が吹いて、稲の先が穂の重さと重力によって3センチメートルほど垂れている。
AとBの文章では、どちらがわかりやすく感じられるだろうか?
私の身近にいる人のほとんどは、Aのほうがわかりやすいと答える。
しかし、私にとっては、Bのような文章のほうがわかりやすい。
「Bのほうがわかりやすい」と答える人は、発達障害者のほうが多いのでは……と私には思える。
私は、情緒的な文章を上手く読み取れない。私には、演歌の歌詞はとても難しいものと思える。
私が小5だったときの3月、キャンディーズというアイドルグループが、『春一番』という歌をリリースした。
この歌では、つくしが擬人化された表現がなされている。
当時の私は、この表現に当惑した。「何故、植物であるつくしが、はずかしいということになるんだ? 意味が分からない。」と。
当時の小学生は、テレビ番組や歌謡曲のことをよく話していた。こんな調子だったから、私は他の子と会話がうまくできなかった。
子供向け童話・物語の類も、読むのが苦痛だった。心情に関する描写が、わからなかったからだ。
もっというと、『りぼん』や『なかよし』や『少年ジャンプ』のような漫画雑誌も、当時の私にとっては難しいものに思えた。
少年漫画が読めるようになったのは、小5の3学期頃で、少女漫画が読めるようになったのは、中2頃だった。
その一方で、「科学的で、小難しそうな文章」を読むことは好きだった。
分厚い図鑑には、「小難しそうな文章の書かれた、解説ページ」もあった。それらの文章はすんなり読めた。楽しく読んでいた。
こんな調子だったからだろうか、子供の頃からずっと、話し言葉が書き言葉調になってしまう。
しかも、Aの文章よりもBの文章に近い調子の。
「テレビ番組や歌謡曲についての会話ができず、小難しそうな科学読み物を楽しんで読む」「リボンや仲良しや少年ジャンプなどの漫画雑誌を読むことが、苦痛」という子供なんて、そうそう簡単には見つからないんだろうな。ワケのわからないガキと思われていたんだろうな。
「本当は頭が悪いくせに、頭がいいと思われたくて、変わった言い方をしている。そんなことでは、人から嫌われる。」と、いろいろな人(特に大人)から言われた。
当時の小学校では、作文やら感想文やら日記やらをよく書かせていた。
それらを書くたびに、「お前の文章は理屈っぽい。そんなことではダメだ。」と怒られていた。
人の感覚って、ほんとにさまざまなんだな。