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karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

「昆虫写真を外したノート」に関する雑感

 

ジャポニカ学習帳から昆虫が消えた 保護者や教師からのクレームで - withnews(ウィズニュース)

ジャポニカ学習帳はお金持ちが買うもの」と子供の頃思っていた。子供の頃、店で実物を見て百科事典が欲しくなった。五十音順配列(分野別ではない)の子供向け百科事典を読むような子は今は少ないのだろうか?

2014/11/29 01:14

 

私のブックマークコメントとは、直接関係のない記事になる。 

ブックマーク元記事を読んで私が最初に思ったことは、「えっ、保護者や教師が文具メーカーに、困っているという意見を寄せるのか? 昆虫写真を嫌う人が存在するということは想像できるが、意見を寄せる前にやってみることもあるだろ。」「一人でも嫌だと感じる人がいるのであればやめる、という見解にも疑問。」だった。

「子供が昆虫写真に対して不快感を持った」ということに対して、保護者や教師がどのように捉えたのか? それが私は気になる。

・不快という感情と、行動(ノートを持てないなど)とをつなげているものは何なのか、模索する。

・模索したうえで、「それならば、これこれこういうふうにやってみよう」といった対策を考える。

・どんなことに対して意見を寄せたいのかを熟考する。

これらがきちんとなされたうえでなされた行動なのだろうか? 疑問に思う。

「意見を寄せる」という行動には、「文具メーカー側の行動を変えることを、求める」目的が隠れていると思われる。

行動を変えるように説得する場合、「不快だ」と表明するだけでは安易だと私は思う。「異なる他者とのフェアな共存のためにはどうか」ということを考えたうえでの説得が、必要だと思う。

現代社会は、いろいろな物事が複雑に絡み合った社会である。この複雑な社会で暮らすということは、他者の自己決定が自分の生活に及ぶことを意味する。それだけではない。影響の仕方もまた複雑になる。

だから、意見を寄せる際には、「自分の決定が他者に影響を及ぼしうるということを、想像力をフルに使って考える」必要が出てくる。私はそう考える。

 

感情というものは、一見、極めて個人的なものである。しかし、実は感情には社会とのつながりも存在している。

「自分の感情と、自分なりにうまくつきあう力をつけていくこと」、これは大切なことだと思う。

他者が自分の感情を受け取り、反応が返っていく。そうしたやり取りも、自分自身を客観視したり相対化したりする第一歩となりうる。

それらを経験していく中で、「知らないうちに、自分が身につけていた価値観」を自覚し、それをより望ましいと自分が思えるものにつくりかえていく力がつくのかもしれない。

「子供が不快感を持った」ことに対して、「不快感という感情と、本人なりにうまくつきあうこと」について模索することも、大切だと思う。

 

「自分個人の快、不快」という観点と「異なる他者とのフェアな共存のための行動」という観点、これらを混同しての昆虫写真排除であるのなら、まずいと私は思う。