karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

その「発達障害啓発活動」、排除や疎外の拡大再生産を呼ぶ可能性もあるんじゃねーの? 1

非難されそうなことをあえて書く。

タイトルを見て、「ああ、2018年4月16日放送『あさイチ 発達障害のグレーゾーン』に出てきた中山秀征のことだね。酷いタレントだよ。」と思った人も多いだろう。Twitterでの反応から考えるに。

しかし、私の見解は異なる。

  • この番組での中山秀征に関するTwitterでの反応、これって実は、発達障害者を押さえつけて排除していく力の源となっているもののうちのひとつかもしれない。
  • この番組での中山秀征に関するTwitterでの反応、「非発達障害者に歓迎される発達障害者像に、うまく同化できない発達障害者」に対する反応と、相似形じゃねーの?
  • 違和感や排除の意識が中山秀征に対して湧いたのは、私達の側に問題があるのではなく中山秀征個人に問題があるから。彼は、私達のような「発達障害の理解者」とは違う。私たちは「理解者」だから、自らの常識を疑う必要なんかない。
  • そうした違和感や排除意識を解消したければ、彼自身が「発達障害専門家や啓発活動に接して勉強/矯正」しなければならない。矯正して「問題のある酷いタレント」から「発達障害のことを(自称)理解している私達と、同じ世界の住人」になればいい。

という発想のもとで「あさイチ 発達障害特集」に期待をかけてんじゃねーの? と私は思った。

  

あさイチ 発達障害グレーゾーンの特集に出演した中山秀征さんが炎上 #発達障害 #あさイチ - NAVER まとめ

中山氏の無理解というより問題提起と思う。発達障害を相互行為の中で捉えず、「彼(女)らの中の障害が原因、我々の『常識』を再考なんて不要」空気は無か?「社会性を育みながら能力開発」ではなく「同化を目標」?

2018/04/22 02:00

  

はてなブックマーク - あさイチ 発達障害グレーゾーンの特集に出演した中山秀征さんが炎上 #発達障害 #あさイチ - NAVER まとめ

「彼(女)らは私達とは別世界の、『偏りの激しい』子。専門家介入で様々な『歪み』をなくし、私達の世界を脅かさないよう、私たちの世界の枠組みの中に『収めて』あげなきゃ。」啓発。これを中山氏にも適用

2018/04/22 02:16

 

 正直なところ私は、「発達障害啓発活動」やそこで語られる「理解」「支援」なる言葉に胡散臭さを感じている。

次のようなことを、安易に自明視してるんじゃねーの? と疑っている。

  • 発達障害への理解が高まれば、発達障害者を取り巻く状況は改善される。異なるものへの違和感は、無知が原因で生ずるもの。だから、知る/理解することによって乗り越えられる。だから、専門家主導の発達障害啓発活動は「よい活動」に決まっている。
  • 発達障害への「専門家介入」は、大きな効果を持っている。(その「効果」に関する実証がなされているかどうかは別として。)
  • 発達障害専門家は、発達障害者本人や家族の味方」ということになっている。専門家の見解なら、よいものであり正しいものである。
  • 発達障害者の家族(特に親)は、本人の味方である。
  • 本人が抱える「苦悩」「遅れ」は、本人の生物学的要因からもたらされている。「遅れている(とされる)『発達』に含まれる意味や、私達の日常的な言動や思考や感情等への問い直しなんか不要。多様性は大切だ。だが、何が多様性にあたるのかは。『専門家を中心とした私達』が決定する。
  • 「非発達障害者」が変わらなくても、学校教育を受けている年齢の段階で「専門家の提唱する支援」を受けていたら、学卒後に本人は、適応できる人になれる。

 これらの自明視に対して、私は次のような違和感を抱き続けていた。いまでもそうである。

  • 「障害」に対する「理解」は、個人個人の持つ発達観や価値観によって大きく左右されるものでは? 「自分の持つ発達観や価値観が、啓発活動内容でのそれと一致する」と確信なさっているのだろうか?
  • 「理解像」が不明。どんなことがわかったら、理解したことになるんだ?
  • 「専門家介入」による効果、本当に実証されているのか? されているのなら、「成人発達障害者」にも何らかの影響がありそうだが?
  • 発達障害というカテゴリーを、本人以外が支配している」のでは? そして、そのカテゴリーにくっつけられた「価値や意味」などと、あてはめられた本人が生活する現実との関係性はどうなっているのだろう?

 

中山秀征を非難するコメントを読んで、それらの違和感に加えて、次にあげることが頭に浮かんだ。

  • 発達障害について知られていないから、発達障害者が排除/疎外される。」のではない。「一方的につくりあげられた、発達障害イメージ」と結びついた「日常生活のリアリティー」を、「発達障害者を(自称)支援してあげる私達」が持っているからこそ、排除/疎外がなされる。「一方的につくりあげられたイメージ」に意義を見出し、それを何らかの形で受容/共感しているからこそ、排除/疎外がなされる。
  • 「専門家主導の発達障害啓発活動は、よい活動に決まっている」という見解を支持している人の中には、次のような思いがあるんじゃねーの?
  1. 「どの程度正しいのか、本当はわかっていない」にもかかわらず、「専門家やマスコミの見解」を信頼し、「発達障害者らと社会的関係を作っていく」。専門家やマスコミは権威を認められている。そして、一般人は「専門家やマスコミ」によって啓蒙される存在である。
  2. 一般の「非専門家」は、専門家やマスコミの見解を「自分の『知』」として取り入れることによって、「大切な知識取得に一歩近づくことができる」という幻想を持つ。そして、知らない人や否定する人を、「大切な知識を、持っていない人」であると認識→その知識を「啓蒙」しようと企てる。
  3. ここで、「知らない人や否定する人」が、啓蒙の内容に賛同すれば、「理解に向かってワンランクアップ」として認められる。しかし、否定したり疑問を持ったりすれば、「非専門家のくせに不勉強」というイメージがつけられてしまう。いくら、「いろいろな角度から熱心に考えて行動した」としても、その見解は却下されてしまう。「権威を持たない者」と規定されているから。

この番組中で、中山秀征は、次のようなポジションに置かれているのでは? と私は考える。

  • 既に先に「専門家に接触している」人が、後から来る人達を自分たちの色に染める」という営みは、各種障害者運動の中にもしばしば見られる。→「後から来る人達」のポジション
  • 同じ「障害者、当事者」というカテゴリーの中でも、「先に関わったりしていた人達」と「後から来て、これから勉強しようと思っている人達や、何かを知ったばかりの人達」との間には、力関係が存在する。知識や技術や他者との折衝ノウハウなど、いろいろな差がある。→「後から来て、これから勉強しようと思っている人達や、何かを知ったばかりの人達」のポジション

更に厄介なことに、「等しい立場で、情報を交換したり支え合ったりしましょう」といった類の言葉を使って、力関係を覆い隠すというケースもある。「置かれてきた環境も持っている背景も個々に違う」ということを無視して。

 (念のための注 専門家視点と本人視点は、必ずしも対立的/互いに排除し合うとは限らない。)

 

 「夏炉冬扇が一体何を主張したいのかわからない」と思われた方が多いと思う。次回は、「中山秀征の発言内容/Twitterでの反応/それらから私が考え感じたこと」と今回の記事とを、関連付けて書く予定。

「LGBTが気持ち悪い人の本音」記事に対して思うこと

 

LGBTが気持ち悪い人の本音 「ポリコレ棒で葬られるの怖い」 - withnews(ウィズニュース)

アンケート記述の"非寛容、被害者意識、選民思想感"という感情と向き合うことが大切と思う。感情が湧いたこと自体は悪ではない。感情の背後に暗黙のうちに前提とされているような、複雑な社会構造を考える必要有かも

2018/04/07 01:21

  

絶賛炎上中の「LGBTが気持ち悪い人の本音」記事はなぜ完全にダメなのか | BUZZAP!(バザップ!)

元記事には大きな問題有。しかし、"「ただの差別主義者」へのインタビューに愚にも付かない感想が"と決めつけることには疑問有。差別を「個人の行動」としてのみではなく「社会のあり方」として捉え再考も必要では?

2018/04/12 00:30

 言及されている記事を読んで、いろいろなことが私の頭に浮かんだ。てんかん発達障害への偏見/差別にまつわる今までの経験や(注 私はてんかん患者であり発達障害者でもある。)、今までに受けてきた「差別や人権に関する、啓発教育/活動」の内容などを。

言及されている記事のBさんや原田記者へ、激しく批判や非難がなされている。言及されている記事には、確かに、大きな問題があると私も思う。「ポリコレ棒」や「最後の行」についてどのような認識がなされているのか、きちんと説明がなされていない等。

しかし、私は現段階では、Bさんや原田記者を「ただの差別主義者」と決めつけることができない。

非難されそうなことを敢えて書く。

ひょっとしたら、Bさんの「気持ち悪い」という表現は、Bさんが自分自身と向き合ったからこそ浮かんだものかもしれない。 仕事のクライアントに会うまでは、「LGBTの人なんて、我々とは関係のない別世界の人達。」としか考えていなかった。しかし、クライアントと実際に接して、「我々とは関係のない別世界の人達」ではなく、「我々の日常生活に入っている人達」という思いも浮かんできた。

そして、「関係のない別世界」以外の、「(勝手に想像していた,、保毛尾田保毛男イメージ等)ではなくクライアントのリアルな存在」や「保険金の受取人になれないこと」などに思いを巡らせるようになった。

思いを巡らせることは、これまで「別世界の人としていたこと」や「自分自身が、差別や排除のなされている社会を構成する一員であった」ことを自覚することを、せざるをえなくなることでもあった。これはとてもつらいことである。

このつらさに直面したからこそ「気持ち悪い」という表明がなされたのかもしれない。

私はそう考える。そして、「Bさんは『このつらさを、存在しないことにする』と表明したわけではない」と、私は信じたい。

そして、「ひょっとしたら、原田記者の思惑は『次のことを考えながら読んでほしい』だったのかもしれない。」と、私は思っている。

  1. 「差別や排除は悪いこと」「自分は差別や排除をしたくない」というのが、ほとんどの人が持つ思いなのだろう。しかし、LGBTに対して、少なからぬ違和感や拒絶的反応が表明されることがしばしばなされる。では、「差別や排除は、人権感覚に乏しい特定の人達が引き起こすこと。その人達が、知識や感情や考え方を変えたらよいだけ。」と考えてよいのか?
  2. 差別や排除は、実は、「人権感覚に乏しい特定の人達」以外によってもなされているのでは? 否、「なされている」というより、「個人の中の差別意識の有無とは無関係に、差別に加担してした形になった」ということもありうるのでは? つまり、「ごく普通の人が、本人にもわからないまま差別に加担していた形になっていた」ということも起こりうるのでは?
  3. 2.について考える場合、1.で述べた「違和感や拒絶的反応」に着目することも重要では?そして、そこから、差別や排除について新たに考えてもよいのでは?

そのように思った背景には、てんかん発達障害への偏見/差別に対する私の思いと、今までに受けてきた「差別や人権に関する、啓発教育/活動」の内容とがある。

 

てんかん発達障害の場合、「患者でも障害者でもない人のホンネは、次のようなものが多数なのだろうな。」と今の私は思っている。

  • てんかん発達障害に対しては、差別や偏見がある。差別や偏見については、患者や障害者本人の自助グループや家族や医療関係者の団体内で対策や療育方法を考えて実行していけばよい。患者や障害者でない我々とは別カテゴリーの人達なのだから。
  • 差別や偏見はやはり悪いことであり、きちんとした知識を持つべきだ。だが、どんなことが差別や偏見とみなされるのかわからない。差別や偏見のない状態を目指すためには、お互いの日常を脅かすかもしれない関わりをもつことを、できるだけ回避する行動を取るのが無難。

つまり、「差別や偏見は悪いこと」という認識は、自らを「差別する側でもされる側でもない、かかわりのない立場。差別や偏見の存在する場とは、別世界で暮らしている立場。」に置いたうえでなされている。私はそう考える。

 

私が今までに受けてきた「差別や人権に関する、啓発教育/活動」について、「次のような方向で行われている」というイメージを持っている。このイメージについては「教育/活動内容について、私が誤解している」可能性もありうるが。

  • 差別や排除は「知識や感情や考え方」の問題である。それらのあり方を変えることが教育や活動の目的である。
  • 知らないから差別をする。無知を克服して偏見をなくすことがまず大切。このことを周知させる。
  • 排除や差別は、人権感覚に乏しい特定の人達が引き起こす行為。偏見を持っていることと「優しさや思いやり」が足りないことが原因で、差別が起こっている。優しさや思いやりの心を涵養する必要がある。
  • 差別や排除の事例(特に、ショッキング/悲劇的な内容のもの多し)を紹介して、受講者のテンションを高くさせる。→それらへの怒りや被害者への共感を学習者から引き出す。
  • 教育/活動を行った側が喜びそうなことを、感想として情緒的に発表することを目標にする。

私は、「これらの『教育/活動』の方向性」には怖い面があると思う。

ひょっとしたら、これらの「教育/活動」像をBさんも持っているのかもしれない。元記事の「ポリコレ棒」「社会的に葬られる」イメージは、この「教育/活動」像とつながっているのかもしれない。

 

「誰も排除しない、差別しない、偏見を持たない」人には、なれるのか? 答えはおそらくノーだ。おそらく誰もが、「他の誰かを排除/差別し、偏見を持つ」危険性を持っている。

誰かを疎外することが、組織的に生じたり公的な場で起こった場合、人権は脅かされる。多くの人が「いつも誰かを疎外してしまう、僅かな危険性」に気付いていない場合、その「僅かな危険性」が積み重なってその場を支配していく。そして、「誰かを疎外するシステム」が社会全体に組み込まれてしまう。こういう形で生ずる「差別や排除」もあると思う。

こういう形で生ずる「差別や排除」の場合、個人個人の中の偏見や差別意識の有無とは無関係に、「差別に加担したり引き起こしたりしてしまう」ことになりうるのでは? と私は思う。

差別者と被差別者、簡単にカテゴライズできるのか? これについても考える必要があると思う。

 

私はてんかん患者である。高校時代に発症した。高校、大学、会社員時代に「私以外のてんかん患者に対する、差別発言」がなされた場に居合わせたことがある。

高校と大学のときは、その場で私はケンカを売った。差別発言がなされた場では、発言した人以外にも人が何人かいた。発言者以外は傍観していた。ケンカを売ったときに私は、自分がてんかん患者であることを隠した。会社員時代になされたときは、私は黙っていた。

この場合、「傍観していた人」が「自分の行為は差別なのか?」と悩むこともありうる。個人個人の中の偏見や差別意識の有無とは無関係に。そして、私は「差別者、被差別者」のどちらとも考えられる。

 

てんかん患者が、患者しかいない場で次の言葉を言うことがしばしばある。

「親が最初の差別者だった。てんかんだとどこがどうダメなのか、何故差別的な目で見るのか、全然説明してくれなかった。他の人に相談しても、『親が自分の子を差別するなんてありえない。おまえはひねくれている。」と言われるだけだった」と。

この場合も、てんかん発症の時点で、「個人個人の中の偏見や差別意識の有無とは無関係に」差別が生じてしまったのかもしれない。そして、親は「世間一般からの被差別者」にもなったと思われる。

 

話を元記事関係に戻す。「実は、Bさんは次のような状態になっていた」という可能性はゼロとは言い切れないと思う。

Bさんが仕事のクライアントに接したことがきっかけで、それまで疑ったことのない異性愛中心主義についてふりかえることになった。

異性愛中心主義がもたらしている抑圧(例 "上の世代は『気持ち悪い。人間じゃない。』と切り捨ててしまう"発言)、加害する危険性を持っているかもしれない自分、「個人個人の中の偏見や差別意識の有無とは無関係に、生ずる差別」での自分の立場、これらが頭の片隅に浮かぶようになった。

そのとき、Bさんは自分自身の「日常のあたりまえ」を揺さぶられたように思った。

その「揺さぶられ」のレベルが大きかったがために、Bさんは自分自身の「日常のあたりまえ」を「守ろう」と試みる。そのとき、「自分とは無関係、別世界の人達。理解不能。」として自分と切り離そうとしたり、怒りや恐怖を表明したりする。

「切り離し、怒りや恐怖の表明」自体が持つ問題性について、更に指摘されて混乱しまう。

Bさんにとって、つらいこととして認識される。

 

この「つらさ」を「あってはならない感情」と誰かがみなし、次のような主張をすることがあるかもしれない。「差別や排除について学び、差別や排除をしていた自分を自覚して、被差別者に共感しなければいけない。」という主張を。

しかし、私は思う。「下手をすると、差別や排除の拡大再生産にもつながりうるのでは?」と。

では、この「つらさ」にどう向き合うか?

  • 差別や排除を「個人の行動」としてのみ捉えるのではなく、「社会のあり方」としても捉えること
  • 「差別や排除を心で肯定する自由は存在するが、それを社会的に行動に移す自由はない。」と認識すること

この2点を踏まえる必要があると思う。

「社会のあり方としても捉える」というのは、「責任を社会に擦り付ける」という意味ではない。

「『よりよい社会にするために、全ての人にできることがある。』と捉えることが必要」という意味である。

被差別者を生み出す構造、自分自身がその構造の中でどんな立ち位置にいるのかということ、自分自身の感情を相対化していくこと、それらをじっくりと考えていくことが重要だと思う。

確かに、これらは混乱を要することであろう。そして、すぐに「わかった」といえるものではないと思う。しかし、「他者とつながる社会」をより豊かにする可能性にも、後につながりうることだとも思う。

 

2018/04/15追記

「ひょっとしたら、原田記者の思惑は『次のことを考えながら読んでほしい』だったのかもしれない。」関連記述は、どうやら的外れだった模様。原田朱美記者2018年4月10日付Tweetから考えるに。

特別お題「私の一人暮らし」

#私の一人暮らし

はてなブログでCHINTAI特別お題キャンペーン「私の一人暮らし」
Sponsored by CHINTAI

 

このお題でも、「お若い人には通じないと思われワード」がいろいろと浮かんでしまう。

私が初めて一人暮らしをしたのは1983年。実家から遠く離れた大学へ進学したことがきっかけだった。

「賄い付き下宿」って今はどのくらいあるのだろう? とか「『合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学』なんて今では難しくなっているようだな」とか、最初に頭に浮かんだ。

私は、親から信用されていない子供だった(今でもそうだが)。大学入学手続も、親は私にさせてくれなかった。親がしゃしゃり出て、大学まで行って手続きをした。そのときに、親が勝手に下宿を決めてきた。

親は最初、賄い付き下宿にする気マンマンだったらしい。「どうせおまえは、料理なんてできないだろう。」と言っていた。しかし、私の姉が猛反対をした。

「賄いつき下宿の中には、『ごはんのおかずがうどん』とかいったトンデモなものを出すところもある。自炊ぐらいできるようにしたほうがいい。」と姉が主張した。入学後、そのような証言を数人の学生から得た。

そして、賄い付き下宿の話はお流れになった。「大学の近くに安い定食屋がたくさんある。そこか学食を使え。」と親は私に言った。

 

大家さんの職業は、質屋だった。高校卒業までは、意識しなかった職種である。家賃を払うために、初めて質屋の入り口を開けたとき、わくわくしていた。そのときのことを今でも覚えている。

洗濯は、コインランドリーを使っていた。

コインランドリーには、いろいろな雑誌が置いてあった。高校卒業までは全然意識しなかったタイプの雑誌もあった。週刊ベースボール週刊朝日の類、中央公論の類、女性週刊誌、主婦の友の類、いろいろあった。少し古い雑誌が置かれていた。1975年発行といったような、大昔の雑誌が置かれていたこともある。

これらを読むのも楽しかった。

コインランドリー近くには、缶入り飲料の激安自販機もあった。この自販機を使うのも楽しかった。

 

食事については、親の言いつけを無視して自炊をした。

以前書いたことがあるが、私の親は2人とも食べ物の好き嫌いが激しい。両方の親が嫌っている食材は、うちの食卓には出てこなかった。「うちの食卓に出てこない料理を食べたい」と表明するだけで、親は不機嫌になった。学校給食で使われなかった食材は、私にとっては「未知の食材」だった。

一人暮らしを始めるまでは「未知の食材」がたくさんあった。それらを食べてみたかった。だから、「あれも食べたいこれも食べたい」という思いで自炊をしていた。「未知の食材」を使うときは、更に気合が入ったものだ。

炊飯器などの調理家電も買った。当時は、いわゆる「花柄家電」が出回っていた。

下宿には風呂がついていなかった。近くの銭湯に通っていた。番台の人とか銭湯の常連客が、私に声をかけてくださった。みんないい人だった。銭湯通いも楽しかった。

「自炊してるんでしょ。えらいねえ。」と商店街の人から声をかけられたこともある。戸惑うと同時に嬉しいと思った。「えらいのかな? ただ単に、実家での食事がつまんないから自炊してる。」と戸惑った。

 

賄い付き下宿、「合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学」、質屋、花柄家電、銭湯(スーパー銭湯の類ではない)、どれも時代を感じさせる言葉である。

1983~1994年まで、私は一人暮らしをした。その間、2回引っ越しをした。一人暮らしをしていた頃のアパート、今はもうない。ストリートビューを見ると、アパート周辺の風景も当時とだいぶ違う。私もトシをとるはずだ。

 

「下宿には電話をつけたくない」と私は強く主張した。親とはできるだけ話したくなかったからだ。「週1回うちに電話をする」ということにした。

親は私に、「否定形をとった命令や目標」を押し付けたがる人だった。「人さまの邪魔にならないように。」とか「どうせうまくいかないんだから、最初から不戦敗を決めろ。マイナスの結果なんか出すな。」とか「どうせうまくできないのだから、反感を買わない形でお願いして人に助けてもらいなさい。」いった調子で。

週1回の電話で「それらの命令や目標を、忠実に実行できているぞ」アピールをすることが、苦痛だった。「どうせおまえは、『可』を取るだけでいっぱいいっぱいだろう。」という類の言葉、当時、嫌というほど親から浴びた。

 

一人暮らしをやっていて、当然、うまくいかないことが出てくる場合もある。

「とても辛い味噌汁」とか「ご飯を鍋で炊いたのだが、水加減が変だったと思われるもの」を作ったこともある。

「まあ、これも経験だ。これが下宿じゃなくてうちだったら、親がぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる。下宿でよかった。」と思った。

一人暮らしをして初めて体調を崩したとき、思った。「ああ、風邪をひいてもバカ騒ぎをされずに済むんだ。これまでよりずっとましだ。」と思った。

 

一人暮らしをして、一挙にいろいろな世界が広がった。「コインランドリーでの洗濯や銭湯に行く等といった類の、日常生活のありふれたことでも、世界を広げていくきっかけになっていたのだな。」ということを、この記事を書いて再認識した。

「視野を広げろ。広い世界に出ろ。狭い世界に満足しないで頑張れ。」といった類の提言、いろいろな場でいろいろな人からなされる。

「頑張ろうと意識しなくても、案外、日常のささいな行動が世界を広げることに繋がっている場合もあるかもしれないよ。」とも私は思う。

男の子のひな祭り

今週のお題「ひな祭り」

 

「山陰地方のひな祭り」で有名なものといえば、鳥取県東部の民俗行事「流しびな」があげられる。流しびなについては過去に書いたことがある。

今週のお題 「ひな祭り」 - karotousen58のブログ

 山陰地方でも、鳥取県西部や島根県東部になると様子が違ってくる。今回は、これらについて書く。

 

この地域では、ひな祭りのお祝いは女の子のものだけではない。男の子も男児用ひな人形「天神さま」(「天神さん」ともいう)を飾る風習がある。人形ではなく掛け絵を飾る地域や家庭もある。また、旧暦に沿って、約1か月遅れで祝う場合も多い。

「天神さま(さん)」とは菅原道真のことである。島根県松江市宍道町菅原道真誕生の地と言われており(誕生の地に関しては、諸説あり)、天神さまを飾って、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う。

昔は、長男は家を継ぐから「座った天神さま」、次男からは「立った天神さま」を贈られていたらしい。

 

ひな祭りについて、鳥取県立博物館のサイトで調べてみた。すると、意外なことがわかった。

「男の子にも天神さま(さん)を祭っていた」地域は、鳥取県中部や東部にもあった。「鳥取県東部の流しびな」イメージが大きすぎて、鳥取県中部や東部では「女の子のお祭り」だと、調べる直前までずっと思い込んでいた。

鳥取県中部と東部のひな祭りは、地域が「海側にあるか中国山地側にあるか」「美作国(今の岡山県北東部。読みは、みまさかのくに)側にあるか兵庫県側にあるか」で、微妙に違いが出ているようだ。

美作国に近い地域の一部で、昭和時代の始めまでは「男の子にも天神さま(さん)」を祭っていた。美作国の影響を受けたと思われる。とのことだった。

 

美作国での「男の子のひな祭り」も、天神さま「菅原道真」と関係が深い。やはり、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う祭りらしい。今では珍しくなってしまったらしいが。

ひな飾りとして使われる人形は、津山では「ねり天神」美作国全体では「泥天神」とよばれているらしい。これらは、泥を固めただけの人形で、焼いたりしないのが特徴である。泥で作ったのは、古くなったり壊れたりした天神を、川に流す習慣があったからということだ。

 

ネットサーフィンをしていたら、「昔は男女一緒にひな祭りを祝っていた」という地域がいろいろと見つかった。

広島県北部もそうだった。節句人形は、「三次人形」(三次は地名)とよばれている。やはり「菅原道真の人形」を基本としたものらしい。

丹波地方でも、昔は初節句を男女一緒に祝っていた。「稲畑人形」という土人形がひな壇を彩っていたとのことだ。稲畑人形の代表格は、やはり、「天神さん」だとのことだ。

東日本でも見つかった。

静岡県の志太榛原地方では、男の子に天神人形を贈る習慣がある。やはりここも、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う。

この地域で使われる人形は、これまであげた西日本の地域で使われたものと微妙に異なっている。江戸時代末期から明治初期にかけては、土でできた「ねり天神」がつくられていた。その後、人形の胴体が藁になり、布の着物を着せた衣装着天神がつくられるようになった。「志太天神」という名前ということだ。画像を見ると、衣装の豪華さがわかる。

 

ひな祭りは元々は、男女一緒に祝う日だったらしい。江戸時代になって、女の子を祝う祭りとなったらしい。

また、この頃から菅原道真をかたどった土の練り人形や張り子が作られるようになった。そして、節句に人形を飾る習慣が始まったということだ。菅原道真(845~903)の、時代や地域を越えた影響力の大きさに吃驚。

私が九州で暮らしていた頃、「男の子のひな祭り」について訊いたことが何度かある。「男の子もひな祭りを祝う? 菅原道真にあやかれるようにと願う? 聞いたことない。」という返事しかなかった。菅原道真といえば、「大宰府」がすぐに頭に浮かぶのだが。

江戸時代以降もひな祭りを男女一緒に祝っていた地域、他にもいろいろあるのだろうか? 中国地方に多いのも不思議だ。

シャム猫・三毛猫・尾曲がり猫

今週のお題「ねこ」

 

シャム猫・三毛猫・尾曲がり猫」は、猫の「(私にとって)興味深い特徴」がわかりやすく出ている。

 

小学生の頃からずっと不思議に思っていた。「シャム猫は、顔面や四肢や尾の先だけ黒っぽい。ヒマラヤンもそうだ。他の猫はそうとは言い切れない。何故だ?」

高校時代、「雄の三毛猫は非常にまれ」と知った。「遺伝子が関係するらしいが、どういうメカニズムなのだろう? 知りたい。」と思った。しかし、当時の私は、それを調べる方法すら思いつかなかった。

それから20年ほどたって、ネットが使える時代になった。15年前の今頃、突然、「三毛猫と遺伝子」のことが頭に浮かんだ。すぐにネットで調べた。そのとき、『ネコの毛並み―毛色多型と分布(ポピュラー・サイエンス)』(野沢謙 著)なる本の存在を知った。

 

ネコの毛並み―毛色多型と分布 (ポピュラー・サイエンス)

ネコの毛並み―毛色多型と分布 (ポピュラー・サイエンス)

 

しかし、この本はすでに絶版となっていた。地元図書館にあって、借りて読んだ。

勿論、「三毛猫と遺伝子」に関する説明が書かれていた。それ以外にも、いろいろと面白いことが書いてあった。面白いことのうちの一つが、「尾曲がり猫」に関することだった。

尾曲がり猫比率の、都道府県別分布図/近畿東海での更に詳しい分布図/南西諸島地域での更に詳しい分布図が出ていた。

私は高校卒業まで鳥取県で過ごした。卒業後、九州の大学に進学した。九州でいろいろな人から次の言葉を聞いた。「九州の日本猫って、変わったしっぽの猫が多いだろ?」。

分布図を見て納得。長崎県での尾曲がり猫比率は確か8割近くだったと、記憶している。

 

2010年頃、日本「長崎ねこ」学会(今は「長崎尾曲がりネコ学会」という名称らしい)を、ネットで偶然に知った。尾曲がり猫について検索していたら、『ネコと遺伝学(新コロナシリーズ)』(仁川純一 著)という本が見つかった。

 

ネコと遺伝学 (新コロナシリーズ)

ネコと遺伝学 (新コロナシリーズ)

 

この本にも、いろいろと面白い記述があった。「毛色を決める遺伝子」の説明がなされている箇所に、シャム猫に関する記述もあった。

そこでは、私が子供の頃から持っていた疑問である「シャム猫やヒマラヤンは、顔面や四肢や尾の先だけ黒っぽい。それは何故なのか?」ということについて、説明がなされていた。

40年以上前から疑問に思っていたことに対して、こういうかたちで解説にたどり着くとは思ってもいなかった。面白いものだ。

この本のまえがきで、『三毛猫の遺伝学』(ローラ グールド 著)という本も紹介されていた。この本にも興味を持ったのだが、残念ながら絶版ということだった。『ネコの毛並み』と『ネコと遺伝学』は、高校で習う生物1の知識がない場合にはとっつきにくく感じられるかもしれない。検索したところ、『三毛猫の遺伝学』は、これら2冊よりもわかりやすいとのことだ。ぜひ読んでみたい。

 

三毛猫の遺伝学

三毛猫の遺伝学

 

今週のお題「表彰状」

今週のお題「表彰状」

 

表彰された経験? そんなものはない。今後も表彰される見通しなんかない。

と書いた直後、「長寿犬表彰」なる言葉が頭に浮かんだ。

前にも書いたことがあるが、私が物心ついた頃から、うちにはずっと犬がいる。犬とのつきあいが長いと、世間一般の飼育リテラシーや飼育環境の変化がわかる。先代犬は長寿犬で、17年4か月生きた。もともと丈夫な犬でもあったのだと思う。こんな飼い主でも、このような長寿犬となった。

岡山県倉敷市には長寿犬表彰制度がある」と知ったのは、先代犬がいなくなってから2年後だった。私が住んでいる市には、この制度はない。次のようなイベントが年1回あるのだが、このイベントでは「参加申し込み頂いた方の中から、最もご長寿犬をたたえ、表彰させて頂きます!」となっている。「最も」となると難しい。先代犬が生きていた頃は、このイベントはなかった。

人と動物の会 イベント・講習会のお知らせ

倉敷市の場合、「倉敷健康福祉まつり いきいきふれあいフェスティバル」というイベントが公園で開催され、そこで表彰が行われるとのことだ。検索したら、このイベントの様子について書かれた記事も見つかった。去年は、天候不良のためにイベントが中止になったとのことだった。

 「長寿 犬 表彰」といった類のことばで検索すると、他の地方での表彰制度も見つかる。画像検索すると、表彰状や犬の写真がたくさん見つかる。表彰状の文面がいろいろとあって面白い。楯とかバッグなどの記念品がもらえる地域もある。

 

検索したら、表彰対象となる年齢は、地域によって違うようだ。また、「公益財団法人 日本動物愛護協会」でも、住んでいる地域と関係なく「長寿動物表彰」を行っているようだ。この法人の場合、「動物の長寿化に伴い、2017年4月より表彰年齢変更」とのことである。

変更前:17歳以上の犬猫
変更後:小型犬・猫:18歳~ 中型犬:15歳~ 大型犬:13歳~ 超大型犬:10歳~ 

    ハーフ犬、ミックス犬:体重で10㎏未満を小型犬、20㎏未満を中型犬、それ以上を大型犬と分類

 

うちでは12歳4か月の雑種犬(中型犬相当)を飼っている。あと3年ほどで表彰年齢に届く。今でも元気のよすぎる犬である。今の状態が続けば表彰の対象になるだろう。15歳を過ぎても、元気で長生きしてほしい。

15年ほど前に知った、バレンタインデー関連商品

今週のお題「バレンタインデー」

 

バレンタインデーについては、過去にこういう記事を書いた。私の方針は当時と変わっていない。

今週のお題「バレンタインデー」 - karotousen58のブログ

 

今回は、「15年ほど前に知った、バレンタインデー関連商品」について書く。

この商品を最初に見た場所は、ホームセンターだった。「うへえ、こういうもの、買う気になれねーや。高級すぎるぞ。」と思った。

ここまで書いて、「ああ、ひょっとしてあの系列の商品かな?」と思った人がいるかもしれない。

正解は、「ペット用バレンタインデー関連商品」である。

「バレンタイン 犬用」といった類の言葉で画像検索すると、ピンク色やハート形の含まれた派手な画像がたくさん見つかる。犬用チョコやら馬肉のトリュフやら、いろいろなものが見つかる。

 

断っておくが、ここでいう「犬用チョコ」は本当はチョコレートではない。チョコレートの主成分であるカカオにはテオブロミンという成分が含まれている。犬は、テオブロミンを代謝(解毒分解)する能力が非常に低いということらしい。だから、犬にチョコレートを食べさせるのは、とても危険なことである。犬にはチョコレートを与えてはいけない。

犬用チョコは、野菜や魚や豆腐などを使用したおやつということだ。犬が食べられない「カカオ」を使用せずに、チョコレートの見た目を再現したということらしい。

15年ほど前に見たとき、値段は2000円前後だった。「私が食べるものよりも、ずっと高価なものを食べられるということなのかな。よそのお犬様は。」と思った。

勿論、うちの歴代犬がこの種の商品にありついたことはただの一度もない。貧乏な飼い主だし。

もっとも、うちの歴代犬も貧乏舌の持ち主のようだが。こういう変なところも飼い主に似ている。