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「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

「人に迷惑かけていい」と「障害者が声をあげる」の間にあるもの 1

 

はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース

この記事と搭乗拒否事件とのブコメ反応に温度差を感じる。この記事では「私的な人間関係の中で『優しさ/ふれあい』によって問題解決」重視、搭乗拒否事件では「各種機関の責務や制度も要再検討」と障害者側が主張故?

2017/08/01 01:43

 

 

www3.nhk.or.jp

 

 

山田 太一さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス

障害者の声を聞き取った者が、どんな立ち位置にいるかが不問にされているケース多し。「声」は、聞き手が本人に期待する事柄によって、不採用のリスク有。その辛さを無視した「迷惑かけていい」なら脅威ともなりうる

2017/07/28 00:41

 

好意的なブックマークコメントが結構ある。しかし、私は釈然としない思いを持っている。

 

釈然としない思い 1

「恐れるな」「周囲に遠慮しながら暮らさなくてよい」「しかし、節度は必要」といった類の言葉を、障害者はおそらく、今までに何回も「(自称)支援者や(自称)理解者」から浴びている。

「それのどこが悪い? いいことじゃありませんか?」と思われるかもしれない。しかし、私は思うのだ。

障害者が声をあげたとき、その「声」を聞き取った人がどのような立ち位置にあるのか? それが不問にされ続けている状態にあるのでは?

障害者本人の「声」は、「聞き手が本人に対して望んでいる内容」であるか否かによって、「支援に値するものとそうでないもの」に分けられる危険性があるのでは? 後者が却下や非難につながり、「声」が無効化されてしまう危険性があるのでは?

と。

「3年間にわたって車いすの人たちとつきあい、大変な苦労をしている日常に接する中で到達したものです。彼らは、とても大きなものに縛られていて、あそこまで露骨に言わないと、世間にわかってもらえないと思いました」

 「大きなものに縛られていて」の「大きなもの」と「縛られ」がいったいどういうものなのか、これについても検討してみる必要があると私は思う。

「自分の意見や感想、助けを求めることなど、どこまで言っていいのかわからない。勇気を出して声をあげたとしても、相手がどう解釈するかわからない。相手に被害感情を持たせてしまったこともある。自分が苦しんだり損をするだけならまだマシ。被害感情を誘うことはもっと辛い。でも、声をあげないと相手にはわからない。辛い。」

という内容の発言を、私は今まで、複数の障害者から聞いたことがある。

 

釈然としない思い 2

障害者があげた「声」は、どういうものなのだろうか?

・障害者個人が、特定の個人的利害を追及するための圧力か?

・「障害者と非障害者との平等」を基本とした権利に基づくもの→「非障害者文化を中心とした、現代社会の構成原理」のつくりかえに向けて、いろいろな人が検討していく必要のある事柄が隠れたものなのか?

・特別な人の為になされる、特別な救済活動へとつなげるものなのか?

・多様な人々にとって助けになったり役立ったりする活動へと、つなげるものなのか?

「これらについて(特に非障害者側が)検討しない状態で、『迷惑』という表現がなされている」と私には思える。

 

釈然としない思い 3

「(自称)支援者や(自称)理解者」が「優しさ/思いやり/ふれあい」という類の言葉を悪用して、障害者があげた声を「無効化」する。これって、実はよくある話なのでは?

障害者が直面する問題には、そこでの多様な社会的関係や制度的文化的特徴などのいろいろな要素が隠れている。それらを切り捨てて思考停止して対人関係を作ろうとする場合、「優しさ/思いやり/ふれあい」といった類の言葉が悪用される危険性があるのでは?

「優しさ/思いやり/ふれあい」「支援/理解」という言葉が使われたら、「悪意をむき出しにされる」場合よりも更に、反駁や拒絶が難しくなる。それらを表明すると次の言葉が返ってくる。「助けてあげているのに。」「言葉尻をあげつらうんじゃありません。」「思い通りにならないからといって、文句ばかり言うな。」「味方になってくれるはずの人達を悪く言うなんて、愚かな行為。」「そんなことをすると、他の障害者までが『文句ばかり言う障害者』という目で見られることになる。他の障害者にも迷惑だよ。」といった類の言葉が。

 

本人の「声」は、「聞き手が本人に対して望んでいる内容」であるか否かによって、扱われ方が違ってくる。本人や家族の持つ「各種資本や社会的地位や多様な能力」によっても、扱われ方が違ってくる。私はそう考える。そして、「(自称)支援者や(自称)理解者」が、(無自覚に)次のようなことをしている。

「他人からの援助を引き出せる障害者」と「それが困難な状態にある障害者」という、「障害者内部における新たな線引きや序列化」を。更に、それにもかかわらず、「迷惑かけていいんだよと語り、優しさ/思いやり/ふれあいで、本人の声を尊重」しているかのような錯覚をさせて。

そして、そのことによって「問題」の正体がわかりにくくなっていると、私は思う。

「迷惑かけていいんだよ」と言われてはいても、「(自称)支援者や(自称)理解者の価値観から外れた」障害者には、「(自称)支援者や(自称)理解者が主導する援助(却下や非難も含まれる)」が提供されることになる。

→結局は、「生き辛さや差別をつくっている『社会や制度や文化等』に対して異議申し立てをすることではなく、本人が自己責任で生き辛さや困難と闘う」ことになる。そしてそれは、「非障害者中心の『社会や制度や文化等』を受け入れることを義務付ける。

私はそう考えている。

 

「(自称)支援者や(自称)理解者」による無効化。 次回はこれについて書く予定。

今週のお題「高校野球」

今週のお題高校野球

 

正直なところ、高校野球にはあまり興味がない。

「9回2アウトで勝敗がほぼ決定という空気になった時点」の映像が特に、私は苦手である。昭和時代は、「応援している生徒(特に、今にも泣きだしそうな女子生徒)のアップ」が出てくるのが相場となっていた。

「お涙頂戴物語に仕立て上げたいんだな」と、ひねくれ者の私は思ってしまう。

 

ただ、子供の頃は高校野球のほんの一部分だけを楽しんでいた。正しく言うと、「ふるさと紹介」のコーナーが好きだった。知らない地名がたくさん出てきた。そして、名産品や歴史や文化などが紹介された。知らない地域、家族親戚と全く接点がない(と思われる)地域に対して、漠然と憧れた。

夏の高校野球で「各都道府県代表」制度が始まったのは、1978年のこと。それより前は、私の出身県「鳥取」の高校は、代表校になれないことが多かった。1978年まで私は、鳥取県の「ふるさと紹介」を視聴したことがなかった。

1978年の鳥取県代表は倉吉北高校。「倉吉ならこういう紹介がなされるんだ」と思った。馴染みのあるまちについての紹介なのに、新鮮に感じられた。

 

昭和時代になされた「鳥取県のとある代表校の『ふるさと紹介』」が、変な意味で印象に残っている。「過疎の町が甲子園出場で、町中は活気にあふれています」という感じのしめくくりがなされていた。

「わざわざ、『過疎』のことばを入れなくてもいいだろ」と思った。

鳥取県民自慢のアイス

今週のお題「好きなアイス」

 

このお題を見て最初に頭に浮かんだのは、「大山乳業農業協同組合」で製造されているアイスである。

大山乳業協同組合は、鳥取県酪農家で組織した専門農協である。ここで製造されている牛乳は、「白バラ牛乳」という名前で親しまれている。

製品紹介 | 大山乳業農業協同組合

私は、「大山おいしい珈琲もなか」が特に気に入っている。家族は「白バラ抹茶もなか」が特に気に入っている模様。「大山おいしい珈琲モナカ」の珈琲アイスは、甘すぎないところが気に入っている。「白バラ抹茶もなか」以外のモナカは、牛乳瓶型をしている。「カウィー」なるマスコットキャラクターを大山乳業では使っているのだが、モナカの皮の部分には、この「カウィー」のイラストがついている。

夏場に、山陰以外の地域の人が訪ねてくるときは、この「白バラアイス」を切らさないようにしている。私の甥が中高生だった頃、彼らが夏休みにうちに泊まりに来たときには、うちの冷凍庫の中を白バラアイスでいっぱいにしていた。

「大山牧場」は高級品。貧乏な私には、なかなか手が出せない。

商品ラインナップ | 大山牧場プレミアムアイス [大山乳業農業協同組合]

「ギフトボックス」は、「下心のこもった贈り物」としては使いたくない。

 

「アイスクリーム」「ラクトアイス」「アイスミルク」以外のアイスとして、「氷菓」がある。大山乳業以外の氷菓では、赤城乳業から出ている「ガリガリ君」と「ガツン、と」が好きだ。猛暑日となったら、これらの「氷菓」のほうが欲しくなる。

 

大山乳業のアイス、中国地方近畿地方以外では見つける機会がほとんどないかもしれない。他地域にお住いのかたも、食べる機会があったらいいなと思う。

早生まれの子供にとっての「年齢」と「選択」

私は2月後半生まれである。小学生時代から、「早生まれ」という形で「年齢」を意識していた。早生まれで得をしたと思ったことは、正直なところ一度もない。

私の親は、早生まれに産んだことを恩に着せた。「早生まれはどうして得なの?」と私は親に何度か訊いた。

「大人になってから、若く見られるから。」という答えしか返ってこなかった。それのどこがいいのか、全然わからなかった。今でもわからない。

早生まれの人に訊いてみたいことがある。だが、その「訊いてみたいこと」について、面と向かって訊きにくいという思いも私の中にある。訊いてみたいこととは、

1.早生まれは不利だと思うか

2.不利だとしたら、いつごろまで不利だと思うか

3.不利だとしたら、どういう点で不利だと思うのか

ということである。

「訊きにくい」と思う理由は、私自身が、私の親のような人から散々言われたからだ。「早生まれは得にきまってるでしょ。いい年して、早生まれの差なんて何くだらないことを言ってんのよ。過去のことをウジウジ言ってもムダでしょ。」という類の言葉を。その結果、「早生まれの事なんて、話題にしても無駄だ」と思うようになったからだ。

一方で、何かの拍子に、「早生まれって、損だよね。」という類の言葉が他の人から発せられる。それを何度か聞いたことがある。

「訊いてみたいこと」に対する私の本音は、次のようになる。

1.不利

2.世間一般では『大人になったら、早生まれによる差なんてなくなる』と思われているようだが、下手すりゃ大人になってもハンディがつきまとうことになる。

3.環境によっては、『早生まれの子供に対して、身近な大人が誘導する選択』がとんでもないハンディを呼び寄せることになる。

 

私の本音について、詳しく書いてみる。

 

教育制度上で対立する主義がある。「年齢主義と課程主義」「履修主義と修得主義」である。

 年齢主義と課程主義 - Wikipedia

日本での高校までの教育は、年齢主義と履修主義を基本として運用されている。そして、一クラス40人近い人数で一斉授業が行われている。学力等の到達度には、当然個人差ができてくる。到達度には、家庭の持つ経済資本や文化資本社会関係資本の影響も大きい。

所謂「奥手の子」で、しかも各種資本の乏しい家庭出身だと、どうしても不利な立場に置かれてしまう。

例え話をあげてみる。

「ボールをつきながら走る」という動作がある。この動作は、「止まってボールをつく」という動作と「走る」という動作をそれぞれ、ある程度こなしてからでなければ困難である。

はっきりと覚えていないのだが、このことは確か、岩波新書『ズポーツとからだ』という本に出ていたと思う。

 スポーツとからだ - 岩波書店

「止まってボールをつく」経験を積んでいない段階で学校での一斉授業でいきなり「ボールをつきながら走る」ことを要求された場合、うまくできないケースが考えられる。

早生まれの子のほうが、「経験を積む以前の状態で、いきなり一斉授業で高度なことを要求される」状態になる危険性が高くなると考えられる。それだけではない。学年が上がるにつれて要求されるレベルが高くなる。そして、他の子に輪をかけてどんどん授業から取り残されていく。

合唱コンクールとか団体スポーツとかいった類の集団行動」が絡んできた場合、さらに悲惨なことがありうる。「壊滅的にできないこと」が「集団内でのお荷物」と認識されることである。「みんなの足を引っ張っておきながら、自分一人だけがみんなの頑張りにただ乗りする極悪人」という認識を本人が持ってしまう、そういう危険性も考えられる。

年齢主義と履修主義のもとでは、「止まってボールをつく練習」という発想を持つことも困難かもしれない。

 

「うまくできない」ことを、身近な大人がどのように捉えるか?

「できるか/できないか」「他の子に比べて勝っているか/劣っているか」「表面的な出来栄えが、周囲の人からどのような評価を引き出すか」に強く関心を示す。

というケースが考えられる。その結果、子供までが、大人による解釈を内面化してしまうという危険性も考えられる。

 

「早生まれの子は、小学校卒業までは同級生との競争で不利になる。勝てたことや選手に選ばれたことで、人は自信を持つ。中学以降ではそれらの差はなくなるから、中学以降で自信を持たせればいいだけのこと。」という見解を、私は過去にいろいろな人から聞かされた。

しかし、私は思う。「もっと怖いことを見逃しているぞ」と。

もっと怖いこと、それは、「身近な大人が、本人よりも先に諦める→それらのことに関心を持つことすら、禁止する。実際に行動に出るよりも、不戦敗を選ぶように仕向ける→それらを積み重ねて、本人までが、どうせ、できっこないと決めつけて、最初から不戦敗選択を常習化するようになる」ことである。

しかも、それらは「キレイな言葉」を使って語られる。「あくせくしなくても、いいじゃないの」とか。「できない子はダメな子なんて言わない、あたたかい目で見ている私たち、いい人でしょ。」とでも言わんばかりに。

実際には、「不戦敗でも、『他の人の頑張りにただ乗りしてやがる』と非難されたらいけない。だから、同時進行で『上手な人から可愛がられる』努力をしろ。」というメッセージも同時に送られることが多いのだが。

「条件の不平等から、結果が予想できる。だから、無駄な努力なんかするな。」と、身近な大人が主張する。しかし、「負けた場合の損失」や「敗者復活戦」や「セーフティネットの有無」について彼(女)らが検討したのか否か? 疑問が残る。本人が「たいした損失ではない」と思っていたとしても、「取り返しのつかない大ごと」と騒ぎ立てる場合もよくある。

 

早生まれの絡んだ「年齢」と「『どうせ、できっこない』と決めつけて、最初から不戦敗を選択」、これによっていろいろなものを失ってしまった。私はそう思っている。次のような発想を、早いうちから持っていればよかったかもしれない。

 ・現段階ではうまくできない。必要とあらば、他の人と違った方法を工夫してみるのもいいかもしれない。上達するプロセスも、他の人とは違うかもしれない。その人独自の方法やプロセスは、他の人のそれらと比べれば見栄えがしないかもしれない。だけど、工夫することやプロセスを楽しめるのならそれでいい。自分に合ったやり方を工夫していくことは大切な事。

・「負けた場合の損失」や「敗者復活戦」や「セーフティネットの有無」について考えることも、必要かもしれない。

・(早生まれとか遅生まれとかいった観点を外れて、)「ロールモデルのない状態で、試行錯誤しながらいろいろな行動をしている」人も、たぶんいる。その人や行動からも、何かを考えることは可能。そして、楽しいかもしれない。

 

特別お題「『選択』と『年齢』」

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1970年代の夏、しょっちゅう聞かされた歌

今週のお題「私の『夏うた』」

 

私の好きな音楽ジャンルはイージーリスニングである。このジャンルは「うた」としてのカウントは難しそうだ。

こういう私の知っている「うた」は、とても少ない。だからこの記事では「夏うた」を、「夏によく流れる(流れた)うた」と解釈して書いた。

そして、お題を見て最初に浮かんだ「夏うた」は、『新しい朝が来た』である。

『新しい朝が来た』よりも『ラジオ体操のうた』というほうが、わかりやすいかもしれない。


ラジオ体操のうた

 

私は1971年に小学校へ入学した。私の小学生時代の夏休みには、毎日ラジオ体操参加が義務付けられていた(雨天の日を除く)。当時からずっと、「ラジオ体操の持つ教育的意義」が私にはわからなかった。「この運動は、どういう理由で身体のどこの部分にどのような効果をもたらすのか、わからないから教えてください。」などと、夏休み宿題の日記に書いた。私はそういう嫌なガキだった。今でもそうである。

当時は、小学校一学期の最終日に「ラジオ体操の出席カード」なるものを渡された。そのカードには何故か、簡易保険の宣伝めいた文章も書かれていた。子供心にも「簡易保険とラジオ体操が何故関係あるんだ?」と思った。

当時、私の家のすぐ近くに公園があった。そこでラジオ体操をやらされていた。20年近く前に引っ越しをした。そのときまで、(実家にいる場合)夏休みの時期は、雨天の日以外「ラジオ体操」の曲で私は起こされていた。

そして、大人になってからは、「『同じ時間帯に、同じ場に集合させられ、同じ運動を行わせ、一体感を持たせる』というのは、全体主義とか洗脳とかいったものを連想するぞ」なんてことを考えるようになってしまった。

その後、1998年に『素晴らしきラジオ体操』という本が出版された。この本を初めて書店で見つけたとき、立ち読みした。すぐに購入を決めた。

 

素晴らしきラジオ体操 (草思社文庫)

素晴らしきラジオ体操 (草思社文庫)

 

 昔、ケータイの着メロを『新しい朝が来た』にしたことがある。だが、勤務先で「ふざけた着メロはやめろ」と言われた。それ故、この着メロは仕事用では使えなくなった。

 

この記事を書く前に、「ラジオ体操 夏休み」等のワードで検索してみた。今では、「夏休みのラジオ体操事情」はだいぶ変わっているようだ。

20年前、職場で同僚が「今ではラジオ体操って、平日だけなんだな。過保護だ。」と話した。そのとき私は、「どうせなら、平日だけとかいった中途半端なことをしなくて自由参加にすればいいのに」と思った。

今では、やらない小学校もあったり、あっても日数が限られていたり(例 夏休み最後の一週間だけ)するらしい。

昔ほど熱心にやらなくなった背景としては、騒音とか防犯上の問題があるらしい。

そうなのか、『新しい朝が来た』とか『ラジオ体操のうた』とか言っても、お若い人には通じないのかもしれないな。今後気をつけよう。

今週のお題「テスト」

今週のお題「テスト」

今回は、高3の初夏(1982年)に受けた「河合塾の模試」関連思い出話。

 

私は高校卒業まで鳥取県で暮らしていた。高校時代は地元の「自称進学校」に通っていた。

この自称進学校では、「一クラスまるまる勉強家」的な方針で勉強をさせていた。「自分独自のやり方で勉強を進めていく」ことは、ほとんどの生徒に許されていなかった。また、その当時鳥取県には予備校がなかった。現役で進学しなかった人は、高校に設置された「専攻科」に進むケースがほとんどだった。

こんな調子だから、校外模試については「学校側が事前に申し込んだ集団受験」以外、ほとんど情報が入らなかった。

もっとも、この高校では、夏休みや冬休みに「補習」なるものを押し付けていた。タテマエは「自主参加」なのだが、実際には拒むことは困難だった。3年生になると、平日放課後も補習漬けだった。

こんな状態では、校外模試に関する情報を入手したとしても、受験する余裕なんかない。

当時周りにいた大人も、次のような態度だった。「受験産業は、受験テクニックに走った点取り勉強をやらせる。専攻科は、高校の先生がきちんと面倒を見る、いんちき点取り勉強ではない良い制度。」という態度。

これって、「学校の方針と相性が悪い生徒」にとっては抜け道がない制度に思えるのだが。

 

そんなある日、ある友人が私を、河合塾の模試に誘ってくれた。「岡山であるけど、一緒に受けないか?」と。

当時、その友人も私も「学校側の方針と自分との相性が悪い」という思いをずっと抱えていた。「押し付けられる補習よりもおもしろそうだ。岡山って、行く機会がないし。」と思った私は、その話にのった。

模試の申込用紙に必要事項を記入する、特急列車に乗る、岡山のまちを歩く、全部新鮮な体験だった。いい気分転換にもなった。高校卒業までずっと、学校と家との往復以外のことをする機会に乏しかったから。

 

高校卒業までずっと、私にとって岡山は「大都会」だった。今では「大都会岡山」とネットでよくネタにされているようだが、私にとっては文字通りの「大都会」だった。

冬に「雪がない、晴れている」、岡山県営球場で阪神主催のプロ野球公式戦が行われる(昭和40~50年代の話)、気候も食文化も大きく違う、新幹線も走っている。中国山地を超えるだけで大きく変わる岡山。小学生時代の私には「大都会」に思えた。

そして、この模試を受けたときにも「大都会」を感じた。

会場では、模試の問題や解答以外にも、いろいろなパンフレットをもらった。パンフレットには、合格者の声とか講師による激励文とか講習会の案内とか出ていた。

「現役生が大手予備校の模試を受けていたことが、あたりまえのように書かれている」という事実に、私も友人も驚いた。模試が終わって本屋に寄ったら、その本屋がとても大きい。中に入ったら、「鳥取の本屋にはなさそうだな」と思った本もたくさんあった。まちの様子もまるっきり違っていた。

「学校の方針と相性が悪くても、いろいろと抜け道がありそうだな。都会が羨ましい。鳥取では、河合塾の模試があるということすら知られていないというのに。」と、友人も私も言った。

と同時に、「鳥取生まれというのもハンディだ」と思って勉強するしかないなと思った。「県外の大学に合格したら、こういう本屋にも行けるんだな。」とも思った。

 

この模試の結果は、友人も私も「C判定」だった。「C判定」は、私の出身校教員なら「志望校の再検討を要する」と意訳する判定である。しかし、友人も私もこの判定にへこむ余裕はなかった。「河合塾の模試を受けられるということじたいが、贅沢なことだ」という思いでいっぱいだったから。

入試本番では、友人も私も第一志望校に合格した。

合格したとき私が最初に思ったのは、「友人が模試にさそってくれたことが、一番大きかったな。」だった。友人も、「夏炉冬扇なら、河合塾の模試を受けることを、抜け駆けとか身の程知らずとか言わないと思った。だからさそった。自分も、この模試が大きかったと思う。」と言ってくれた。

 

鳥取でも河合塾や代々木ゼミの模試が個人で受験できるようになったのは、1987年頃である(駿台模試はもう少し後)。帰省したとき地元の書店に入ったら、それらの申込書も学参売り場に置いてあった。「岡山までいかなくても受験できるようになったんだな。後は高校側の態度だ。」と思った。

 今はネットの時代。模試の申し込み方法も当時と違う。模試に関する情報も入手しやすくなっている。ただ、少子化の影響だろうか? 大手予備校主催模試の試験会場は鳥取県内にはない。学校や塾経由の受験が可能になっているのだろうか? 代々木ゼミは全国模擬試験を廃止し、特定大学志願者向け模試のみとなった。鳥取県の「高校設置の専攻科」制度は、5年ほど前に廃止された。

「大都会岡山」とか「大手予備校の模試を受験するということじたいが、貴重な経験」という思いは、当時だから持てたんだなと思う。

てんかん・思春期・偏見

 

インスリン注射「トイレで打って」 理解進まぬ教育現場:朝日新聞デジタル

"「隠れるようにして注射はしたくない」と思い、学校での注射を黙ってやめて"が重い。私はてんかん患者。周囲がてんかんに偏見を持ち「学校では服薬や通院について嘘を言え」と命令→患児が混乱し服薬拒否 もよくある

2017/06/27 00:45

" 生徒は「隠れるようにして注射はしたくない」と思い、学校での注射を黙ってやめてしまった。"の部分は、重要な問題提起だと私は思う。「思春期のころ、周りの人が持つ偏見に振り回されて混乱→服薬拒否という行動に出てしまった経験のある、てんかん患者」を連想してしまったからだ。

私が勝手に想像するに、この生徒は身近な人から、「注射を黙ってやめたこと」を咎められただろうと思う。しかし、「隠れるようにして注射はしたくない」の思いを周りの人が真摯に受け止めた状態で、「注射をやめたことについてふれられた」のか否か。私はそこが気になる。

この記事では「てんかん」の場合について書く。

 

てんかんとわかったとき、親をはじめとする身近な人が、偏見をもった行動をとった。思春期に、たぶん混乱と反抗の混ざった状態で服薬拒否という行動に出てしまった。大人になった今では後悔している。他の患者さんは、私の轍を踏まないでほしい。」といったことを語る成人てんかん患者は、実は少なからず存在する。リアルでもネットでも私は多く見聞きした。1980年代から1990年代半ば頃には、雑誌の読者ページへの投稿もあった。

しかし、それらの発言では、「偏見を持っていた側がその内容について再検討し、無知や誤解を認めて正しい知識を得た。」といった類の記述はほとんど見られなかった。

てんかん発作が起こったら周りも迷惑するだろ。服薬なんて簡単にできることだし。それをやらないなんて患者のわがままでしかない。親を悲しませるな。」と思われるかたも多いだろう。5年ほど前に、てんかん患者による自動車等の運転事故について、マスコミで大きく取り上げられたことがある。そのときネット上で見られた、医療関係者や親御さんの意見も、そのトーンのものが多数だった。

「服薬なんて簡単にできること」、それは確かに正論である。しかし、私は服薬拒否の手記等を読んで次のことを思ったのだ。

・服薬拒否という行為の背景には、周りの人(特に大人)による偏見と、偏見に対して本人が混乱したこと、思春期という時期の難しさが隠れている。

・周りの人(特に大人)が、偏見やそれが与える影響について再考することがほとんどない。その状態で「患者のわがまま」と叱咤するだけでは、事態は好転しない。

 

  成人てんかん患者による発言は、次のようなものがほとんどだった。

「病名や薬のことは、学校では隠せ。おまえのはてんかんなんて恥ずかしい病名ではない。周りの気を引くための、心因性てんかん性発作( てんかん患者と家族 - karotousen58のブログ 参照)だ。」と言われると同時に、「発作は恥ずかしいから薬を飲め」とも言われ続ける。

本人は、「身近な人(特に親)が偏見を持っている」という事実にショックを受ける。ショックを受けつつも、「何故、この病気にかこつけてこのようなことを言われなければならないのか、納得がいかない」という思いも同時に抱える。

学校に病名を隠すことで、学校側から不審に思われる。病名を明かした場合は、身近な人(特に親)から、「どうしてあんな病名を言うのだ。ダメだと言ってただろ。」と責められる。本人も、いろいろな思いを持ち混乱する。

「悪く言われることについて、あきらめるしか方法がなさそうだな」という思い、「発作があったからといって、自分という人間が違う人間になるわけではない。発作自体も、ただ単に『人目を引く症状』というだけのこと。それなのに、どうして悪く言われなきゃならないんだ。」という思い、「患者に対しては『人格を高めろ』と言いながら、自分たちは偏見について反省すらしない。どういうつもりなんだ。」という思い、等。

医療関係者や身近な大人に相談しても、混乱状態を受け止める人なんか見つからない。「薬を飲みさえすればいいんだ。ごちゃごちゃ面倒なことを言うな。」でおしまいにされる。

(大人になってから思うに)混乱と反抗とで頭の中がいっぱいになる。そして服薬拒否という行動に出てしまった。

 

思春期の場合、更に次のような事情も加わる。

1.てんかん治療の基本方針は服薬である。抗てんかん剤は種類が多い。病状に応じて薬剤の種類や量を調整しながら治療するのだが、それらが合わない状態だと発作の回数が増える場合もある。副作用で悩むこともある。適切な種類や量が決まるまでは、ある程度時間がかかる。

「適切な種類と量が決まるまでの試行錯誤」の時期と思春期とが重なるケースは多い。

2.「進路模索や決定」の必要がでてくる。進路によっては、あきらめることが必要となるケースも出てくる。特に、野外実習系分野への進学や就職を検討している場合、発作コントロールや薬剤がうまく決まっていなるか否かで状況がだいぶ変わる。

また、田舎に住んでいる人の場合は「自動車運転免許」の問題が出てくる。免許を持たない理由を「病名を伏せて」説明し納得してもらうのは、正直な所難しい(私も、現段階で難儀している)。

 

このように、思春期のてんかん患者がいろいろな悩みを抱えていたとしても、何ら不思議はない。

しかし、「偏見が嫌だ」とか「進路や学校との関係や治療のことで解決の糸口がつかめない」とか周りの人に話しても、それらの「問題」は無効化されてしまうことが多い(私の経験や他の患者の証言から考えるに)。

偏見でへこんでしまうのは「本人の気にしすぎ、心が弱い」、進路や学校との関係で悩むのは「他の人も同じ」、治療については「ごちゃごちゃ考えるな。医者や親の言うことを聞きさえすればよい。お前は心が弱い。」で片づけられる。

つまり、思春期のてんかん患者が、周りから「二重の排除」を受けることはじゅうぶんありうるということになる。

「周りからの偏見等」という排除と、「気にしすぎ、心が弱い」といった類の表現で「自分の抱えている『問題』を周囲が否認する」という排除の。

 

てんかん患者の身近にいる人(特に親御さん)にお願いします。「二重の排除」に気を付けてほしいです。

身近な人が「偏見をうのみにしている」のか、「偏見を持っていた自分と向き合い、見つめなおし、そこに何があるのかじっくりと考えている」のか、患者本人には結構伝わっていると思います。

「病気そのものよりも、『この病名なんか嫌』という周りの態度が嫌だった」という声、私は他のてんかん患者からもよく聞きました。

ただ、「高校卒業後、他の人に病名をカミングアウトすることについては慎重に。それについてはいろいろな情報を得て考えたほうがよい。」ということも同時に伝えたほうがいいと思います。「てんかんに関する誤解や偏見がまかり通っている場で、被る不利益」というものは、やはりありますから。矛盾しているようで難しい内容ですが。