karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

1970年代の夏、しょっちゅう聞かされた歌

今週のお題「私の『夏うた』」

 

私の好きな音楽ジャンルはイージーリスニングである。このジャンルは「うた」としてのカウントは難しそうだ。

こういう私の知っている「うた」は、とても少ない。だからこの記事では「夏うた」を、「夏によく流れる(流れた)うた」と解釈して書いた。

そして、お題を見て最初に浮かんだ「夏うた」は、『新しい朝が来た』である。

『新しい朝が来た』よりも『ラジオ体操のうた』というほうが、わかりやすいかもしれない。


ラジオ体操のうた

 

私は1971年に小学校へ入学した。私の小学生時代の夏休みには、毎日ラジオ体操参加が義務付けられていた(雨天の日を除く)。当時からずっと、「ラジオ体操の持つ教育的意義」が私にはわからなかった。「この運動は、どういう理由で身体のどこの部分にどのような効果をもたらすのか、わからないから教えてください。」などと、夏休み宿題の日記に書いた。私はそういう嫌なガキだった。今でもそうである。

当時は、小学校一学期の最終日に「ラジオ体操の出席カード」なるものを渡された。そのカードには何故か、簡易保険の宣伝めいた文章も書かれていた。子供心にも「簡易保険とラジオ体操が何故関係あるんだ?」と思った。

当時、私の家のすぐ近くに公園があった。そこでラジオ体操をやらされていた。20年近く前に引っ越しをした。そのときまで、(実家にいる場合)夏休みの時期は、雨天の日以外「ラジオ体操」の曲で私は起こされていた。

そして、大人になってからは、「『同じ時間帯に、同じ場に集合させられ、同じ運動を行わせ、一体感を持たせる』というのは、全体主義とか洗脳とかいったものを連想するぞ」なんてことを考えるようになってしまった。

その後、1998年に『素晴らしきラジオ体操』という本が出版された。この本を初めて書店で見つけたとき、立ち読みした。すぐに購入を決めた。

 

素晴らしきラジオ体操 (草思社文庫)

素晴らしきラジオ体操 (草思社文庫)

 

 昔、ケータイの着メロを『新しい朝が来た』にしたことがある。だが、勤務先で「ふざけた着メロはやめろ」と言われた。それ故、この着メロは仕事用では使えなくなった。

 

この記事を書く前に、「ラジオ体操 夏休み」等のワードで検索してみた。今では、「夏休みのラジオ体操事情」はだいぶ変わっているようだ。

20年前、職場で同僚が「今ではラジオ体操って、平日だけなんだな。過保護だ。」と話した。そのとき私は、「どうせなら、平日だけとかいった中途半端なことをしなくて自由参加にすればいいのに」と思った。

今では、やらない小学校もあったり、あっても日数が限られていたり(例 夏休み最後の一週間だけ)するらしい。

昔ほど熱心にやらなくなった背景としては、騒音とか防犯上の問題があるらしい。

そうなのか、『新しい朝が来た』とか『ラジオ体操のうた』とか言っても、お若い人には通じないのかもしれないな。今後気をつけよう。