karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

子供の頃にあこがれていた職業って……

今、はてなで、「あなたの未来は?」という特別お題が出されている。

“人生や仕事の計画・未来の自分について考えるキャンペーン”

“将来やりたいことや、そこに向けていま努力していること。いまの職業や会社を選んだ理由(わけ)、その奥にある大切にしたい想い。子どものころに描いていた未来の地図。転職や起業で新しい道を選択する計画を具体的に立てている方も、将来の夢をずっと温めている方も、ぜひその目標をブログに投稿してください。”

とのことだ。

この特別お題で、「子供の頃にあこがれていた職業」について思い出した。といっても、今回私が書く記事は、努力とか計画とか目標とかいったことからかけ離れている。「特別お題キャンペーン参加記事」とするには恥ずかしいから、不参加記事として書く。

 

私は趣味で、とある外国語教室に通っている。

そこで、「職業に関する単語や表現が、たくさん出てくる単元」を学習したことがある。その単元を習っていたとき、「子供の頃にあこがれていた職業について、各自が話す」展開となった。

私以外の人からは、画家、医師、美容師、芸能人、洋菓子屋さん、看護師、教師、パイロット、保育士、調理師といった職業について話がなされた。職業名に重複はなかった。「重複しないように、変えてみた」というケースもあるかもしれないが。

みんなの話を聞いた後、私は思った。「子供の頃にあこがれていた職業って、結構その人らしさがでるものかもしれない。」と。

「話し手と職種を変えてイメージしてみたら、『変えないほうがしっくりくる』感があるな。」と、思えたからだ。

因みに、私があこがれていた職業は「(子供向け)科学雑誌の編集者」である。「講師をやって20年になるけど、編集者という職業が出てきたのは初めて。」と、先生からお話があった。他の受講生からも「レアだ」との声があがった。

鳥取県内での記録的豪雪

今週のお題「雪」

 

「雪」という言葉で、鳥取県西部在住の私には、「2010年12月31日から2011年1月1日にかけての記録的豪雪」や「2017年2月9日から12日にかけての記録的豪雪」のことが頭に浮かんでしまう。

前者は鳥取県西部と中部で、後者は鳥取県東部と中部で、特に被害が大きかった。被害だけではなく「日付」までが印象に残ってしまう豪雪だった。

 

「2010年12月31日から2011年1月1日にかけてのから2011年1月1日にかけての大雪」鳥取地方気象台

http://www.jma-net.go.jp/tottori/severe/2010-2011_heavySnow.pdf

2010年12月31日の昼過ぎに、私は思った。「これは、米子市の積雪の新記録もあるかもしれないぞ。」と。夕方には、「これは、おそらく新記録になる」と思った。とにかく、短時間のうちに、これまでに私が経験したことのないペースで雪が降り、積もっていたのだ。リンク先のグラフを見ても、それがよくわかる。

中国電力送電鉄塔3基が雪の重みで折れ、その他電柱の倒壊や送電線の断線が相次ぎ、停電が発生した。確か、1月1日午前9時の時点で、停電が多発していたように記憶している。

私の住んでいる地域では停電はなかった。だが、他の地域に住んでいる人達のことが心配だった。1月3日頃までは、新聞も年賀状も届かなかった。正月早々、地域住民が雪かきに追われていた。高齢者の独り暮らし世帯(特に女性)の雪かきが大変そうだった。隣近所の人々も手伝っていた。

「新聞も年賀状もないから、正月という感じがしない」といったところなのだろうか、母(認知症が入っている)が、「(年越し)そばを食べなきゃ、だめじゃないの。」と言い続けていた。1月5日頃まで。

この年の元日を、おそらく私はずっと忘れないだろう。

 

「2017年2月9日から12日にかけての記録的豪雪」

鳥取県西部の海側地域での積雪は、東部や中部ほどひどくなかった。しかし、ピークの頃は豪雪の影響で、新聞が届かなかった。

この豪雪のピークは、11日(土曜日)だった。14日は、鳥取県東部の小中高校と特別支援学校のほとんどが臨時休校、中部の一部の学校では始業時刻変更となった。直前の土曜日曜には交通が乱れ、営業時間短縮の店が多かったらしい。

つまり、この地域の「バレンタイン商戦」は、だいぶダメージを受けたとのことである。もっとも、地域の人にとっては「バレンタインデーどころではない」状態だったらしいが。

この年、鳥取県内では2月14日を過ぎてもホワイトデー商戦に入らずに、「遅れてごめんねバレンタイン」商戦に方針が変わった。

この豪雪も「日付」までが印象に残ってしまった。

 

もっと昔の豪雪に、「38豪雪」、「56豪雪」、「59豪雪」とよばれているものがある。数字は昭和38、56、59年を意味する。56豪雪や59豪雪では、鳥取県東部や中部でも積雪がすごかったらしい。56豪雪については、鳥取県東部や中部の状況がマスコミ報道されていたのを覚えている。

56豪雪と今回記事に書いた豪雪とでは、被害状況に関する報道が微妙に違っている」と思った。今回記事に書いた豪雪では、「車社会が進んだことによる影響」や「高齢者が雪かきなどをせざるを得ない状況」を強く感じた。

意外な場所で、ラ・フォンテーヌ作品を知った

今回は、「奇妙な偶然が重なって、ラ・フォンテーヌ寓話を読みたくなった」という記事。

奇妙な偶然とは

  1. はてなハイク(注 株式会社はてなが運営するポータルサイトで提供されているサービス。2019年3月27日サービス終了とのこと)で、去年の12月26日から今年の1月初めにかけて、『打ち切り童話』なるお題が盛り上がっていた。
  2. 今年1月中旬から、母が入院している。

ということである。

「意味不明」と思われたかたがほとんどだと思う。これらについて書いていく。

 

母が入院している病院、院内に「談話室」のような場所がある。そこには、いろいろな本がある。

それらの本の中に、「世界童話文学全集 講談社」(昭和30年代発行)の本があってびっくり。全18巻のうち、5冊が置いてある。

白状すると、私は子供の頃、「世界昔話」の類の本をあまり読まない子供だった。例えば、『ジャックと豆の木』とか『ヘンゼルとグレーテル』とか『王様の耳はロバの耳』とかいった話を、実は本で読んだことがない。大人になってから、いきなりこの種の本を読むチャンスが出てきたといったところである。

大人になってからだと、「解説のページから読んでやろう」とか「時代背景がどうなのか。それを考えると読みやすくなるかもな。」などと、変なことも考えてしまう。子供の頃に全然興味を持てなかったタイプの本を、50代半ばになってから「面白いかも」と思って読んでいく。自分がこういうことをするとは、思ってもいなかった。

とりあえず、短編の話から読んでいくことにした。

 

それらの本の中に『8 フランス童話集』がある。この本に、ラ・フォンテーヌの作品も3編収録されている。『おおかみといぬ』『かしの木とあし』『かいめんをつんだろばとしおをつんだろば』だ。私はそれまで、ラ・フォンテーヌという人も作品も意識したことがなかった。

読んでみて、最初に思った。「これらの作品、作風がはてなハイクのお題『打ち切り童話』っぽいぞ。」と。

 はてなハイクお題「打ち切り童話」は、次のようなものである。(注 はてなハイクは2019年3月27日サービス終了とのこと)

打ち切り童話 - はてなハイク

 

この本を読んだのが、今年の1月下旬。その少し前に、はてなハイクで、お題「打ち切り童話」が盛り上がっていた。もしも、このお題がそのタイミングで盛り上がっていなかったら、「ラ・フォンテーヌか。ちょっと変わった作風だな。」と思っただけで終わっていたかもしれない。作品に興味を持つまでには至らなかったかもしれない。

また、「昭和30年代発行の、世界童話文学全集」を読むチャンスなんて、そうそう簡単には遭遇できない。しかも、遭遇した場所は、「読書家がたくさんいそうな場所」というわけでもない。病院の談話室という、意外な場所だった。

これらの奇妙な偶然が重なって、ラ・フォンテーヌ寓話を読みたくなった。

もしも、母が違う病院に入院していたら? これらの本が、母のいる病棟ではなく他の病棟の談話室に置かれていたら? これらの本が、談話室に置かれていなかったら? そもそも、この本にラ・フォンテーヌ作品が収録されていなかったら? 私は一生、ラ・フォンテーヌという名前を意識しないでいたかもしれない。

神様のくれたタイミング? に感謝。

 

今月に入ってから、病院に「面会制限」が出された。正当な理由がない場合、原則として面会不可となる。
住んでいる県でインフルエンザ警報が発令されたことを受けて、出されたものらしい。
正当な理由がある場合も、「手指消毒をしマスク着用の上で、面会前に看護師に申し出て許可を得る」ことが必要となる。

制限前は、面会を終えた後にそれらの本を少しずつ読んでいた。しかし、制限が出されてからは、読みづらい。患者さんらにとって必要な制限だから、当然のことではあるが。

「バレンタインデー」で思い出した本

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 

お題を見て、この本を思い出した。 

OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書)

OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書)

 

目次
序章 OLという存在
第1章 「女の敵は女」のウソ
第2章 ゴシップ
第3章 バレンタインデー
第4章 OLの抵抗の行為
第5章 男のストラテジー
終章 ジェンダーの落とし穴(gender trap)

 

 20年以上前に出た本である。労働や雇用などの状態が今とはだいぶ違っている。現在は、「男性社員とOL」というより「正規雇用と非正規雇用」では? と思う。とはいえ、「この本に出ている(20年以上前の)、男性社員とOL」と「現在の、正規雇用と非正規雇用」との関係は似ていると思う。

お題を見て、この本の第3章を思い出した。

第3章の内容、とにかく「エグい」。社員間のここまで複雑な心理的背景は、私なら読めない。というより、「心理的背景が存在する」ということすら、わからない状態でいるだろう。この本が手元にない(図書館で読んだ)から、詳しい内容について書けない。残念だ。

この本について検索していたら、次の論文が見つかった。

http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/hans/124/4_yamada.pdf

 この論文、続きが読みたいのだが見つからない。私の検索方法がまずいのか?

認知症高齢者の入院と身体拘束

今年1月下旬から、母(認知症高齢者)が入院している。入院診療計画書によると、「骨折で歩行困難な状況、2~3ヶ月の入院予定」とのことだ。

今月に入ってから、歩行がやりやすい状態になったようだ。

 

ところが、歩行がやりやすくなったらなったで、また新たな問題が出てきた。「無断で、ベッドから出て歩行していた」とのことだ。

認知症で、ナースコールについて、理解困難な模様。転倒、転落の危険があるため、「緊急やむを得ない身体拘束に関する説明書」が出された。勿論、書面記載事項に関する説明も、丁寧になされた。

 

認知症高齢者が入院する場合、「緊急やむを得ない身体拘束」についても考えておく必要があると思った。

「緊急やむを得ない身体拘束に関する説明書」の中に、「身体拘束の方法(場所・行為・部位・内容)」に関する記述がある。拘束具の名称がいろいろと出ている。コールマット、うーごくん、座コール、安全ベルト、閉鎖4本柵など。今まで見聞きしたことのない名称で、最初、面食らった。

身体拘束について最初に私が思ったことは、「コールマットの知名度について、医療/介護関係者の認識と一般人のそれとに、ギャップがあるかもしれない。」だった。

 

私が知る限りでは、今までに母は3回入院したことがある。過去2回は内科系疾患での入院だった。過去の入院で、私は初めて「コールマット」なるものを知った。

しかし、そのときは、コールマットに関する説明はなかった。病院側から「これを使いますので」と言われただけだった。「これと言われても、どんな目的でどんなふうに使うのだろう? わからない。」が、そのときの私の正直な思いだった。知識がないまま、私が不用意に、このマットを何度か踏んでしまった。そのときの看護師さんの行動から、このマットの目的や意味を推測した。

「コールマットについて説明がなされなかったため、最初、戸惑った」という人、私だけではないかもしれない。高齢者が入院する際、家族も知っておいたほうがよいと思った。

母(認知症高齢者)の骨折入院

今年1月下旬から、母(認知症高齢者)が入院している。転んだことから始まった。

入院診療計画書によると、「骨折で歩行困難な状況、2~3ヶ月の入院予定」とのことだ。

「高齢者の転倒は、しっかり予防しなければならない。骨折以外にもいろいろな面で大きな影響を及ぼすから。」と、よく言われている。現在、それを痛感している。

「大きな影響」以外にも、「家庭内の特定の人に介護や家事の仕事が集中。それ以外の人は『無関心、無責任』な態度を取り非協力的。」という問題も、これまでに輪をかけて大きくなっている。

こういうわけで、なかなかブログを更新できなかった。

この「大きな影響」や「特定の人に丸投げ問題」について、今後、ある程度時間が取れるときに書いていきたい。

これらのテーマ以外に、「短時間で書きやすい、全く関係のないお題」が見つかったら、それを優先して書くかもしれない。

 

入院の1週間近く前に、ある病院(昔からの持病のために定期通院している)玄関付近で転んだ。その直後から「歩けない」とうったえ、病院内では車椅子使用。診察終了後、看護師さんに車でうちまでおくっていただいた。

翌日、整形外科の個人病院受診。レントゲン検査を受けた。

「レントゲン検査の結果からは、骨折とははっきり断定できない。しかし、痛がり方がひどいことから骨折も考えられる。骨折疑いということで紹介状を書きますので、総合病院でCT使用の検査を受けてください。」とのことだった。

 

その2日後の午前中、総合病院で検査。その日の午後、整形外科の個人病院を再受診。勿論、午前中の検査結果を提出して。

検査結果について、「骨折でした。ただ、『どうしても手術しなければならない場所』というわけではありません。治るまでは1ヶ月程度かかります。次回は2週間後に来てください。」と告げられた。

そして、その後すぐ、「どうしても生活が成り立たないようなら、希望すれば、ある総合病院(CT検査を受けた病院ではない)に入院できる状態です。入院希望の場合は、まず当院に連絡してください。」と告げられた。

ただ、告げられたのが金曜日だった。土曜日曜を挟んでいるから、入院は月曜以降となる。この土曜日曜が大変だった。

そして月曜、個人病院による紹介状などを持って、ある総合病院で入院手続き。実際に入院して、「1ヶ月程度」どころか「2~3ヶ月の入院予定」と診たてが変わっていた。な、なんて話だ……。

といった経過で、入院診療が始まった。

 

入院までの受診、入院時、入院後、それぞれの場面で、「『無関心、無責任』な態度を取り非協力的」な父を痛感した。これについてブログに書くことも、父と私を反面教師にする意味があるかもしれない。

実際にブログをやってみたら、想定外のことがいろいろと

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

 

私がブログ初心者に贈る言葉、それは、「『シジャギ パニダ』という諺を実感できるかもしれない。」である。

もっとも、私も初心者みたいなものだが。

 

以前書いたことがあるが、私は、この諺に背中を押された感じでブログを始めた。

はてなブックマークを使って意見発表をするために、アカウントを取ろうと思った。そのとき、ついでに「はてなブログを始めよう」の部分も読んでしまった。

読んだ後、「シジャギ パニダ」という韓国の諺が脳裏をかすめた。そして、その勢いではてなブログ開設を決めた。

ということになる。

「シジャギ パニダ」を直訳すると、「始まりが半分だ。」となる。「何かを始めたとき、すでに半分到達している。」という解釈になるらしい。

はてなブックマークと関連させてブログ記事を書くこともできるな。ここで、この諺が頭に浮かんでしまったんだ。よし、やってしまおう。」と思ってしまったのだ。

本当は、この「シジャギ パニダ」という諺には、二つ意味があるらしい。もう一つの意味は

「準備段階がとても大変だけど、始まったら結構スムーズに進むものだよ」というイメージを持ったもの(つまり、「準備が大切」「始めが肝心」というような意味合い)らしい。

後になってからそれを知った。

 

では、「シジャギ パニダ」とはどういうことなのか?

実際にブログを書いてみて、「アクセス数の少ないブログでも、ROM専と実際にやってみるのとでは、感触は全く違うものなのだな。想定外のことってあるもんだな。」と思った。この思いが、私にとっての「シジャギ パニダ」である。

そのうちの一つについて、今週のお題「私がブログを書く理由」 - karotousen58のブログで書いた。

また、他の人によって書かれた記事を読んだときに、拙ブログの過去記事を思い出すこともあった。そして、過去記事を書いたときには「ほとんど頭の中になかった事柄」が、私の頭の中に新たに浮かんでくることもあった。こういう、意外な発見もあった。

いろいろなブログにアクセスする場合でも、感触が違ってくる。

拙ブログ記事にスターやブックマークをつけてくださった方々のブログ、読者登録してくださった方々のブログ、私が読者登録をしたブログ。それらのブログにアクセスしてみる。ブログにはそれぞれの個性が現れていて、面白い。

例えば、どこかの美術館で「丸山応挙展」をやっていたときだった。アクセス先のいろいろなブログで、その「丸山応挙展」について記事が書かれていた。

それぞれのブロガーさんの、ご自身の感性と言葉で、「丸山応挙展の魅力」が書かれていた。特に強く惹かれた部分とか、文章表現の仕方とか、ブロガーさんによって異なる。違いが個性として感じられて楽しかった。私がブログを書いていなかったら、「丸山応挙展」の存在すら知らないままだった。

 

「やっぱり、ROM専と実際にやってみるのとは、全く違うものだのだな」と、ブログを書いてみて思った。