karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

平成・消費税・学校文化

今週のお題「平成を振り返る」

 

「平成」と聞いて最初に浮かぶ言葉、私の場合、それは「消費税」である。そして、その次に浮かぶのが「学習障害から捉えた学校文化」である。

1989年(平成元年)4月1日、消費税が初めて導入された。当時の税率は3%だった。その後、1997年(平成9年)4月1日~2014年(平成26年)3月31日は税率5%となり、2014年(平成26年)4月1日からは税率8%となった。税率5%の頃、「内税表示、外税表示」も話題になった。

この「消費税」、私にとって「意外な面」での影響を意識した税金だった。今回はそのことについて書く。

 

消費税が初めて導入されたとき、私は九州で暮らしていた。友人に、実家が印刷業の人がいた。その友人が当時、「消費税導入で、うちの業界は無茶苦茶忙しくなった。」とぼやいていた。

確かに、印刷業界は大変だっただろうな。「昭和」を「平成」に変える必要も出てくる。価格表示も、変えなければならない。しかも、価格表示方法が複数あった。「定価×××円(本体●●●円)」、「定価:本体×××円(税別)」など。

その友人の話によると、当時の出版業界で、「消費税導入をきっかけに、改訂する」という動きも結構あったらしい。出版業界でもいろいろ混乱があったのかもしれない。

消費税が導入されたばかりの頃、買い物をする際には注意が必要だった。店員さんが電卓を使って価格を計算することも多かったからだ。そのとき、慣れない店員さんが「1.03ではなく1.3をかける」というケース、何度かあったのだ。

 

1997年4月1日(平成9年)、消費税率が5%に変わった。ここで、私にとって変な形で「消費税」の影響が出てきた。 税率が変わって、「多くの本が、品切れ・重版予定なし」状態となってしまったらしい。消費税導入のときとは違って、「改訂」という方向に出ないケースが多かったらしい。個人的思い出話としては、次のようなことになってしまった。

1991年(平成3年)秋、『QA』という雑誌(平凡社)に、「LD児(学習障害児)」に関する記事が掲載された。

『QA』は、「読者からの多方面の日ごろの疑問の投稿を募り、それへの回答を掲載」という雑誌だった。「LD児ってどういう子供ですか?」という問いと、それに対する回答が掲載された。回答は、「学習障害(LD)児について、(特に学校)教育的観点から書かれた書籍」を踏まえたものだった。「1987年(昭和62年)頃、有斐閣から出版された本」が紹介されていた。

LD児に関しては、その記事を読むよりも前に、何冊か医学書を立ち読みしたことがあった。医学書には、高機能自閉症、(今でいう)アスペルガー症候群、AD/HDなどについても書かれていた。「これって、私のことじゃないのか? 私が子供の頃にわかっていたら、対策が立てられて今よりずっとマシになってたんじゃねーのか? とはいっても、今更知ってもしょうがねーな。」と、そのときは思っていた。

しかし、『QA』の記事を読んで気持ちが変わった。この記事は、今の発達障害関連出版物とはトーンが違っていた。「学習障害(LD)は、学級崩壊や非行の大きなリスク要因。放置されて育った成人当事者が、とんでもないことをやらかす。あんな風にならないために、早期発見早期療育を」というトーンよりも、「学習障害(LD)はわかりにくい概念だが、なんとかして一般の人にイメージしやすくなるように考えて書きました。『わけのわからない子供として本人を否定するだけ』ということにしないように。」というトーンだった。

「教育系でも本が出ていたのか。知らなかった。ちょっと読んでみるか。」と思った。1980年代後半は、今とは違って、LDは知的障害を伴わない発達障害をほとんど含むといってもいい概念であった。このことについては、こうもり氏による『障害者と生産性の過去・現在・未来』というブログ内記事にも出ている。(https://uramonken.at.webry.info/200504/article_13.html ) 

そして、教育系の本を実際に読んでみて、「今の私が暮らしやすくなるための、指針に近づくかもしれない」という思いが出てきた。教育系の本にもやはり、高機能自閉症、(今でいう)アスペルガー症候群、AD/HDなどについても書かれていた。

それから私は、学習障害(LD)関連書籍をいろいろと読み漁るようになった。平成1桁の頃は、「発達障害」「自閉症」「AD/HD」を前面に出した本は、(私の観測範囲内では)ほとんどなかった。

読み漁っていくうちに、「学習障害(LD)と学校文化との、相性の悪さ」について考えるようになった。「相性の悪さ」を考えていくうえで、(特に教育)社会学や心理学等に興味が出てきた。それらの本も読むようになった。

(注 「相性が悪い」のであって、「本人が間違い、悪人」と決めつけるわけではない。学校文化について考えてみることも、学習障害(LD)の特性(とされている)ことがらについて考えてみることも、両方必要という意味である。)

平成2桁となった頃から、発達障害(特にAD/HD)関連本が増えてきた。しかし、「トラブルメーカーとしての障害児。問題児を作らないために、早期発見早期対応が必要」というトーンの本が多かった。2004年(平成16年)に発達障害者支援法ができてからも、同じ調子だった。否、それをもっとひどくしたトーンの「大人の発達障害」関連本出版ラッシュとなった。

そこで、「平成1桁やそれより前に出た学習障害(LD)関連本を、買うことにしよう。」と思った。

消費税率が5%に変わった際、私が興味を持った本は、多くが絶版となっていた。学習障害(LD)関連本もそうなってしまった。残念ながら「改訂」の方向には進まなかったようだ。社会学や心理学等のジャンルでもそうだった。地元の図書館にも置いてない本が、多かった。残念だ。

税率8%となった2014年(平成26年)にも、「今回も、多くの本が『品切れ・重版未定』状態になってしまうんだろうな。もっとも、税率が変わらなくても、『売れそうにない本は、増刷しない』方針になってるんだろうけど。」と思った。「買いたい本はいろいろある。しかし、カネがない。」というところだ。

 

そして、平成の最後。「イートインと持ち帰り、軽減税率」やら「ポイント還元」やら迷走のもようである。

最初から最後まで「消費税」が話題になる元号、それが、私にとっての「平成」である。

「活動」と「安全」のバランスが大切な、高齢者転倒予防

母(認知症高齢者)の骨折入院 - karotousen58のブログで書いたが、今年1月下旬から母(認知症高齢者)が入院している。転んだことから始まった。「大腿骨骨折で歩行困難。2~3ヶ月の入院予定。」となった。

 

「高齢者の転倒は、しっかり予防しなければならない。骨折以外にもいろいろな面で大きな影響を及ぼすから。」と、よく言われている。現在、それを痛感している。

母(認知症高齢者)の骨折入院 - karotousen58のブログ

 認知症高齢者の場合は、この「予防」について、「認知症」ということも踏まえて考える必要があると思った。

恥ずかしい話だが、転倒予防について私は、「段差や床のすべりやすさなどの、外的な要因」にばかり関心が向いていた。認識が不十分だった。転びやすくなる要因は、外的要因や身体機能だけではなかったのだ。

「お母さんの場合、訓練室という場での成果としては、かなり良好な状態となっています。しかし、実生活の場では、『認知力の低下』という要因も考える必要が出てきます。体力的に違いがない場合でも、認知力が弱いと転倒の危険性が高くなってきます。」という説明が、病院側からあった。

これまで私は、「転倒予防」と「認知症」とを、別々のこととして捉えていた。認知症に関しては、「入浴拒否や異常食欲」等に囚われていた。また、「動かなければ、身体機能はどんどん低下してしまう」という思いにも囚われていた。これではまずい。

 

とはいえ、「動かなければ、身体機能はどんどん低下してしまう」というのもまた、事実である。また、本人が「活動したい」という思いを持っている場合も考えられる。「転倒したらいけない」という理由で、「活動したいという思いを、抑える」ことにも疑問がある。「活動したいという思いを、抑える」ことは、本人の意欲や喜びを奪うことにもなる。

「本人の望む活動」を抑えつけないで、「安全」を確保する、このバランスが大切だ。

今の身体の状態に合った動き方ができるように、配慮する必要がある。一つ一つの動作を確かめながら、本人がゆっくりと行動するよう、配慮する必要がある。勿論、周囲の状況にも注意をしながら。

高齢者が入院した場合、「動く意欲の減退、病気によるストレス、慣れない生活」などの精神的な影響も大きくなる。運動能力をできるだけ維持していくためには、精神的な面でのケアも必要かもしれない。「生活に支障が出ない」ことを踏まえた上で、「身体を動かす機会」を作る必要がある。

 

一般的に、「高齢者における大腿骨骨折の場合は、骨折後の歩行能力(認知能力を含む)が1ランク落ちる」ということらしい。うちの場合でも、要介護認定の区分変更申請となった。

「転倒の危険性と認知力」について整形外科関係者から助言をいただいたのは、初めての経験だった。認知症や介護について、「介護職や心療内科医以外の視点からの、発言」も、重要だと思った。勿論、語り手には「介護職でもなく医療関係者でもない、素人」も含まれる。

身近にいる高齢者が体力的に余裕がある場合は、「筋力や体のバランスをとる力をできるだけ維持するための運動」等の対策も考えておいたほうがよいと思う。骨粗鬆症についても対策を。カルシウム不足にならないよう注意する必要がある。と私は思った。

カップ麺を初めて知ったきっかけは、何?

朝ドラ『まんぷく』終了で、ふと思った。カップヌードルの発売開始は1971年。その当時の「子供」がカップヌードルを初めて知ったきっかけは、何だったのだろう? と。

「そんなこと、覚えてない」という人が多いとは思うが。

 

「1972年2月、あさま山荘事件が起きたときに、機動隊員たちが食べる場面が生放送された。それがきっかけとなって、知名度や売れ行きが急上昇。」と、今では言われているようだ。

あれれ、四半世紀ほど前に、別の話を聞いたことがあるぞ。「札幌オリンピックのとき、外国人選手らしき人が食べているCMが話題になった。それが、カップヌードルの人気が出た理由だ。」という話を。

当時の小学生は、「そのCMがきっかけでカップヌードルを知った」というケースが多いかもしれない。

 

1971年といえば、私が小学校に入学した年である。あさま山荘事件報道を理解できる年齢ではない。私は、オリンピックについても世間一般とは違った見方しかできない、変わった子供だった。選手の活躍や競技の面白さにはほとんど関心を持たず、テレビに出てくる「国旗」にだけ、関心を持つ子供だった。

更にその当時、私の住んでいた田舎では、テレビの民放は1局しか入らなかった。うちでは、テレビのチャンネル権は大人にあった。午後6~8時頃は、NHKでも子供向け番組が結構放送されていた。だから、うちのテレビでは、夜はNHKの番組が選ばれることも多かった。

つまり、うちでは当時、「CM」を見ることも少なかったということになる。「札幌オリンピック当時の、カップヌードルCM」がどんなものだったのか、私にはわかっていない。

当時、私の住んでいた田舎では、「スーパーマーケット」なる店舗も珍しいものだった。「○○食料品店」といった個人商店で、食料品を買っていた。カップヌードルが「○○食料品店」に置いてあったかどうか? はっきりとわからない。

 

私がカップヌードルを初めて知ったのは、1973年のちょうど今頃。小3になる直前だった。
きっかけは、『オバケのQ太郎』という漫画だった。「Q太郎(通称Qちゃん)は大食漢」という設定だった。
その漫画に、「『コップヌードル』というカップ麺が出てきた。そして、浴槽いっぱいにコップヌードルが入っていた。それをQちゃんがおいしそうに食べる。」というシーンがあった。
それを見て、「カップヌードルってどんなものだろう? 食べてみたい。」と思った。

この、「コップヌードル」の話について言及してあるブログ記事も見つかった。「コロコロコミック収録」のものを読んだということだった。ということは、リアルタイムで読んだというわけではなさそうだ。ブログ主さん、お若い人なんだろうな。

この話を覚えている同世代の人、どれくらいいるのだろう?

子供の頃にあこがれていた職業って……

今、はてなで、「あなたの未来は?」という特別お題が出されている。

“人生や仕事の計画・未来の自分について考えるキャンペーン”

“将来やりたいことや、そこに向けていま努力していること。いまの職業や会社を選んだ理由(わけ)、その奥にある大切にしたい想い。子どものころに描いていた未来の地図。転職や起業で新しい道を選択する計画を具体的に立てている方も、将来の夢をずっと温めている方も、ぜひその目標をブログに投稿してください。”

とのことだ。

この特別お題で、「子供の頃にあこがれていた職業」について思い出した。といっても、今回私が書く記事は、努力とか計画とか目標とかいったことからかけ離れている。「特別お題キャンペーン参加記事」とするには恥ずかしいから、不参加記事として書く。

 

私は趣味で、とある外国語教室に通っている。

そこで、「職業に関する単語や表現が、たくさん出てくる単元」を学習したことがある。その単元を習っていたとき、「子供の頃にあこがれていた職業について、各自が話す」展開となった。

私以外の人からは、画家、医師、美容師、芸能人、洋菓子屋さん、看護師、教師、パイロット、保育士、調理師といった職業について話がなされた。職業名に重複はなかった。「重複しないように、変えてみた」というケースもあるかもしれないが。

みんなの話を聞いた後、私は思った。「子供の頃にあこがれていた職業って、結構その人らしさがでるものかもしれない。」と。

「話し手と職種を変えてイメージしてみたら、『変えないほうがしっくりくる』感があるな。」と、思えたからだ。

因みに、私があこがれていた職業は「(子供向け)科学雑誌の編集者」である。「講師をやって20年になるけど、編集者という職業が出てきたのは初めて。」と、先生からお話があった。他の受講生からも「レアだ」との声があがった。

鳥取県内での記録的豪雪

今週のお題「雪」

 

「雪」という言葉で、鳥取県西部在住の私には、「2010年12月31日から2011年1月1日にかけての記録的豪雪」や「2017年2月9日から12日にかけての記録的豪雪」のことが頭に浮かんでしまう。

前者は鳥取県西部と中部で、後者は鳥取県東部と中部で、特に被害が大きかった。被害だけではなく「日付」までが印象に残ってしまう豪雪だった。

 

「2010年12月31日から2011年1月1日にかけてのから2011年1月1日にかけての大雪」鳥取地方気象台

http://www.jma-net.go.jp/tottori/severe/2010-2011_heavySnow.pdf

2010年12月31日の昼過ぎに、私は思った。「これは、米子市の積雪の新記録もあるかもしれないぞ。」と。夕方には、「これは、おそらく新記録になる」と思った。とにかく、短時間のうちに、これまでに私が経験したことのないペースで雪が降り、積もっていたのだ。リンク先のグラフを見ても、それがよくわかる。

中国電力送電鉄塔3基が雪の重みで折れ、その他電柱の倒壊や送電線の断線が相次ぎ、停電が発生した。確か、1月1日午前9時の時点で、停電が多発していたように記憶している。

私の住んでいる地域では停電はなかった。だが、他の地域に住んでいる人達のことが心配だった。1月3日頃までは、新聞も年賀状も届かなかった。正月早々、地域住民が雪かきに追われていた。高齢者の独り暮らし世帯(特に女性)の雪かきが大変そうだった。隣近所の人々も手伝っていた。

「新聞も年賀状もないから、正月という感じがしない」といったところなのだろうか、母(認知症が入っている)が、「(年越し)そばを食べなきゃ、だめじゃないの。」と言い続けていた。1月5日頃まで。

この年の元日を、おそらく私はずっと忘れないだろう。

 

「2017年2月9日から12日にかけての記録的豪雪」

鳥取県西部の海側地域での積雪は、東部や中部ほどひどくなかった。しかし、ピークの頃は豪雪の影響で、新聞が届かなかった。

この豪雪のピークは、11日(土曜日)だった。14日は、鳥取県東部の小中高校と特別支援学校のほとんどが臨時休校、中部の一部の学校では始業時刻変更となった。直前の土曜日曜には交通が乱れ、営業時間短縮の店が多かったらしい。

つまり、この地域の「バレンタイン商戦」は、だいぶダメージを受けたとのことである。もっとも、地域の人にとっては「バレンタインデーどころではない」状態だったらしいが。

この年、鳥取県内では2月14日を過ぎてもホワイトデー商戦に入らずに、「遅れてごめんねバレンタイン」商戦に方針が変わった。

この豪雪も「日付」までが印象に残ってしまった。

 

もっと昔の豪雪に、「38豪雪」、「56豪雪」、「59豪雪」とよばれているものがある。数字は昭和38、56、59年を意味する。56豪雪や59豪雪では、鳥取県東部や中部でも積雪がすごかったらしい。56豪雪については、鳥取県東部や中部の状況がマスコミ報道されていたのを覚えている。

56豪雪と今回記事に書いた豪雪とでは、被害状況に関する報道が微妙に違っている」と思った。今回記事に書いた豪雪では、「車社会が進んだことによる影響」や「高齢者が雪かきなどをせざるを得ない状況」を強く感じた。

意外な場所で、ラ・フォンテーヌ作品を知った

今回は、「奇妙な偶然が重なって、ラ・フォンテーヌ寓話を読みたくなった」という記事。

奇妙な偶然とは

  1. はてなハイク(注 株式会社はてなが運営するポータルサイトで提供されているサービス。2019年3月27日サービス終了とのこと)で、去年の12月26日から今年の1月初めにかけて、『打ち切り童話』なるお題が盛り上がっていた。
  2. 今年1月中旬から、母が入院している。

ということである。

「意味不明」と思われたかたがほとんどだと思う。これらについて書いていく。

 

母が入院している病院、院内に「談話室」のような場所がある。そこには、いろいろな本がある。

それらの本の中に、「世界童話文学全集 講談社」(昭和30年代発行)の本があってびっくり。全18巻のうち、5冊が置いてある。

白状すると、私は子供の頃、「世界昔話」の類の本をあまり読まない子供だった。例えば、『ジャックと豆の木』とか『ヘンゼルとグレーテル』とか『王様の耳はロバの耳』とかいった話を、実は本で読んだことがない。大人になってから、いきなりこの種の本を読むチャンスが出てきたといったところである。

大人になってからだと、「解説のページから読んでやろう」とか「時代背景がどうなのか。それを考えると読みやすくなるかもな。」などと、変なことも考えてしまう。子供の頃に全然興味を持てなかったタイプの本を、50代半ばになってから「面白いかも」と思って読んでいく。自分がこういうことをするとは、思ってもいなかった。

とりあえず、短編の話から読んでいくことにした。

 

それらの本の中に『8 フランス童話集』がある。この本に、ラ・フォンテーヌの作品も3編収録されている。『おおかみといぬ』『かしの木とあし』『かいめんをつんだろばとしおをつんだろば』だ。私はそれまで、ラ・フォンテーヌという人も作品も意識したことがなかった。

読んでみて、最初に思った。「これらの作品、作風がはてなハイクのお題『打ち切り童話』っぽいぞ。」と。

 はてなハイクお題「打ち切り童話」は、次のようなものである。(注 はてなハイクは2019年3月27日サービス終了とのこと)

打ち切り童話 - はてなハイク

 

この本を読んだのが、今年の1月下旬。その少し前に、はてなハイクで、お題「打ち切り童話」が盛り上がっていた。もしも、このお題がそのタイミングで盛り上がっていなかったら、「ラ・フォンテーヌか。ちょっと変わった作風だな。」と思っただけで終わっていたかもしれない。作品に興味を持つまでには至らなかったかもしれない。

また、「昭和30年代発行の、世界童話文学全集」を読むチャンスなんて、そうそう簡単には遭遇できない。しかも、遭遇した場所は、「読書家がたくさんいそうな場所」というわけでもない。病院の談話室という、意外な場所だった。

これらの奇妙な偶然が重なって、ラ・フォンテーヌ寓話を読みたくなった。

もしも、母が違う病院に入院していたら? これらの本が、母のいる病棟ではなく他の病棟の談話室に置かれていたら? これらの本が、談話室に置かれていなかったら? そもそも、この本にラ・フォンテーヌ作品が収録されていなかったら? 私は一生、ラ・フォンテーヌという名前を意識しないでいたかもしれない。

神様のくれたタイミング? に感謝。

 

今月に入ってから、病院に「面会制限」が出された。正当な理由がない場合、原則として面会不可となる。
住んでいる県でインフルエンザ警報が発令されたことを受けて、出されたものらしい。
正当な理由がある場合も、「手指消毒をしマスク着用の上で、面会前に看護師に申し出て許可を得る」ことが必要となる。

制限前は、面会を終えた後にそれらの本を少しずつ読んでいた。しかし、制限が出されてからは、読みづらい。患者さんらにとって必要な制限だから、当然のことではあるが。

「バレンタインデー」で思い出した本

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 

お題を見て、この本を思い出した。 

OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書)

OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書)

 

目次
序章 OLという存在
第1章 「女の敵は女」のウソ
第2章 ゴシップ
第3章 バレンタインデー
第4章 OLの抵抗の行為
第5章 男のストラテジー
終章 ジェンダーの落とし穴(gender trap)

 

 20年以上前に出た本である。労働や雇用などの状態が今とはだいぶ違っている。現在は、「男性社員とOL」というより「正規雇用と非正規雇用」では? と思う。とはいえ、「この本に出ている(20年以上前の)、男性社員とOL」と「現在の、正規雇用と非正規雇用」との関係は似ていると思う。

お題を見て、この本の第3章を思い出した。

第3章の内容、とにかく「エグい」。社員間のここまで複雑な心理的背景は、私なら読めない。というより、「心理的背景が存在する」ということすら、わからない状態でいるだろう。この本が手元にない(図書館で読んだ)から、詳しい内容について書けない。残念だ。

この本について検索していたら、次の論文が見つかった。

http://www.tku.ac.jp/kiyou/contents/hans/124/4_yamada.pdf

 この論文、続きが読みたいのだが見つからない。私の検索方法がまずいのか?