karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

てんかん患者と家族

クレーン車暴走:母にも賠償責任 宇都宮地裁判決

 http://mainichi.jp/select/news/20130424k0000e040211000c.html

 

 私はてんかん患者。

 てんかん患者と家族と医師のそれぞれの思惑が、異なっていることは多々ある。そして、家族の思惑は、意外と大きな力を持っているものだ。その「大きな力」は、特に「自動車運転免許取得問題」が絡んできたときに、とても厄介な問題の背景となりうる。

 

 家族の思惑として、「てんかんであることを認めない・認めたくない」というものがある。認めない・認めたくない家族が患者本人に、「車の免許をとれ圧力」をかけるケースが、実は少なからず存在する。

「認めないも何も、実際発作を起こしているんだろう? どうしてそんな思惑が持てるのだ?」と、患者でも患者の家族でもない人は思うかもしれない。

 

 認めない・認めたくない背景として、「心因性てんかん性発作」というものが、(てんかんと間違えやすいが)てんかんとは違う発作として存在するという事実がある。

心因性てんかん性発作」とは、「ストレスなどの心因で、意識消失やけいれんなどの発作が起こる」というものだ。

思春期や成人になってから発症した患者の場合、周りの人(特に家族)が勝手に心因性てんかん性発作ということにしてしまうケースを、私は何度も見聞きしている(ネット上でもリアルでも)。

 患者本人が勝手に「心因性てんかん性発作」と自己診断してしまうケースも、おそらくかなりある。

てんかん発作の可能性を私が指摘したときに、「ストレスがたまっていたからだろう、たぶん。」という返事が返ってくることがかなりあるから。

 

 「思春期に発症した患者」と「認めたくない家族」との組み合わせも、厄介である。

この場合、医師の側が、「患者本人よりも、認めたくない家族の意向」にそった行動をとることも、実はよくある。

医師が、思春期に発症した患者本人に対して、てんかんであることを告知しない。そして、患者の家族が、「心因性のものであって、失神みたいなもんだよ。」という偽の告知を本人にする。その後、何らかの事情により、てんかんであることを患者本人が知りショックを受ける。

一年に一回は、私はこの種の話を聞いている。

 

私がてんかんと診断されたのは、1981年。高校時代だった。

私の親は今でも、「お前のは心因性てんかん発作だ」と私に対して言う。

私も医師も、てんかんと認識しているのだが。

 

 「てんかん患者が病名を隠して、簡単に運転免許を取ることができる」と、世間一般にはどうやら信じ込まれているようだ。

てんかん患者が運転免許を取るには、正当な手続きを踏むのならば医師の承諾が必要となる。

しかし、現実には、医師が承諾する可能性は極めて低い。

「承諾すれば、医師本人にも責任問題が絡んでくる危険性がある」という事実は、やはり医師の側も踏まえていると思われる。

てんかんという診断名が付いた時点で、「車の免許取得は慎んでください」と、患者本人にも家族にも宣告することが、トラッドとなっている。

 

 一方で、日本の田舎では、「成人は車を運転することが前提となっている」と言わんばかりの生活設計がなされているのが現実だ。

車を運転できないということ以外にも、いろいろな社会的制約がある。しかし、利用できる社会資源はほとんど期待できない。

 

 正直、この記事を書くのは怖かった。「薬を飲みさえすれば普通に暮らせる。だから、てんかんのことはもう話すな。」という言葉を、患者はしょっちゅう言われているからだ。