karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

鳥取砂丘で食べる弁当

今週のお題「お弁当」

 

鳥取市出身の友人から聞いた話である。

1970年代、鳥取市平成の大合併より前)の小中学校では、春の遠足目的地は「鳥取砂丘」となる場合がほとんどだったらしい。

参加者は、鳥取砂丘で弁当を食べることになる。鳥取砂丘という場所は風が強い。つまり、風で砂が飛ばされることもある。

注意しないと、弁当の中は砂だらけになってしまう。友人は毎年、これが原因で弁当を食べきれなかったということだ。友人の証言によると、「他にもそういう人がいた」ということだ。真偽のほどは定かでないが、私が過去に鳥取砂丘に行ったときは、確かにいつも風が強かった。

遠足でこういう経験をするハメになるケースって、他にもあるんだろうか?

プロ野球観戦と弁当

今週のお題「お弁当」

 

競技場でスポーツ観戦をする際、他の人は食事をどのようにしているのだろうか?

私がこれを初めて意識したのは、平和台球場福岡ダイエーホークスの試合を知人3人と一緒に観たときである。

平和台球場での野球観戦、福岡ダイエーホークス」という言葉から何をイメージするか? 1990年頃のプロ野球パ・リーグを知っている人なら、おそらくこれだろう。「勝ち試合をなかなか見られない、ホークスファン」というイメージ。

 

私は当時、平和台球場の野球観戦では「球場で売っている弁当」を買うことにしていた。昔のクラウンライターライオンズのようなことにならないように、できるだけ応援しようと思っていたからだ。知人3人もその弁当を買った。

知人のうちの一人が、2回のホークス攻撃中○○選手が打席に立ったとき、弁当を食べ始めた。すると、他の一人が言った。「おっ。『○○じゃ打てねー』と見たようだな」と。

その場にいた私は思った。「他の人は、試合の状況を考えながら弁当を食べるタイミングなんてものを考えているのか。私ならそんなことにまで頭が回らない。腹の減り具合で決まるんじゃないのか。」と。

 

球場で西武戦を観たのは、この試合が初めてだった。「平和台球場福岡ダイエーホークス」時代の西武といえば、当時のプロ野球ファンならおわかりだろう。開幕前に「優勝チーム予想」を聞いたら、ほとんど全員が「西武」と答えていた時代だ。この時代、西武のセカンドのレギュラーは辻発彦選手(現監督)だった。

「辻の守備は上手すぎる」という言葉、当時いろいろな場所で見聞きしていた。試合をナマで観て、この言葉を実感させられた。あまりにも上手すぎて、ファインプレーに見えない。相手チームながらあっぱれ。カネを払ってでも球場で観る価値のある守備だと思った。

当時、西武では、守備固めとしてショートに奈良原浩選手(現中日コーチ)が入る試合も多かった。奈良原選手の守備も凄かった。「辻選手と奈良原選手の二遊間」となったら、更に凄味が増す。

「西武が守りについているときに弁当を食べていたら、確かに、辻、奈良原両選手の守備を見逃すこともありうるな。」と思った。

 

当時の福岡ダイエーホークスは、とにかく弱かった。攻撃では「ノーアウト満塁から、大きな外野フライさえ飛ばない。」、投手は「メッタ打ちをくらって点を取られたのならまだあきらめがつく。意味のなさそうな四死球で塁が埋まって、その後にタイムリーを打たれる。」といった光景がザラだった。

「ワンサイドで負けるのでも、どこか見せ場を作ってくれ。所謂敗戦処理投手が『次回が楽しみ』と思わせる投球をするとか、誰かがプロ入り初安打を打つとかいった。」という声が、いろいろな場で出されていた。

つまり、相手チームの攻撃時間が長いことが多かった。そこで、「当時のダイエーファンは、相手チームの攻撃中に弁当やいろいろなものを食べていたんだろうか?」なんてことを考えてしまった。

当時、近鉄バファローズというチームもあった。野茂英雄投手が活躍していた。野茂投手も、「相手チームながらあっぱれ」とダイエーホークスファンから思われていた。「(ダイエーが)負けるのはわかりきっている。だけど、野茂が投げそうな試合だからチケットが欲しい。」という声を、当時、いろいろな場で聞いた。

「野茂投手が投げている間も、弁当を食べていられなかった客が多かったのかもしれないな」と思う。

 

球場で売っている弁当、当時と今とでは微妙に違う。たぶん、チームによっても違いがあるのだろう。

昔は、「ホームラン弁当」とか「ホークス弁当」とかいったベタな名前だった。他に「●●弁当(注 ●●は選手の名字)」というのが何種類かあった。

今では、「●●選手プロデュース弁当」といった類のものがたくさんでているようだ。ストラップやカード等のおまけがついている弁当もあるらしい。

久しぶりに球場でプロ野球を観たくなった。

児童文学『おさるのキーコ』(講学館 1962)を思い出した

今週のお題「読書の秋」

 

漢字の「四」に隠された意外な秘密 - ねとらぼ

『おさるのキーコ』という児童文学を思い出した。その本に「漢字の4を書く」と言って、横棒を4本並べたシーンがあった。本を読んで45年ほど経ってから、本当にそういう漢字があったと知るのも、面白い。

2017/09/30 01:47

 

 

twitter.com

漢字の「四」について書かれた記事を読んでいて、『おさるのキーコ』という児童文学を思い出した。小学校卒業以降、この児童文学を意識することはなかったのに。この話が書かれていた本は、私の姉が小学生時代に学校図書室で何度も借りていた本だった。

漢字の「四」以外にどういうことが書かれていたっけ? と思って検索したら、「『おさるのキーコ』からすこしずつつぶやきます」というTwitterが見つかった。

ツイートを読んでいて、「そうそう、このシーン確かにあった。」と思ったこと数回。

 

ネットをやってなかった頃なら、この本を思い出したとしても、「ああ、こんな話があったな。」で終わっていただろう。地元図書館で閲覧できるかどうか調べる程度の事しかできないで。

ところが、最近この話を思い出したときは、状況がまるっきり違っていた。「昔読んだ本に関する記憶をたどる際に、Twitterが使える場合もある」なんで、全然想像がつかなかった。作者名や出版年も初めて知った。

更に、ネットを使って「図書館の蔵書検索」もできる。検索したところ、隣の市の図書館で帯出も貸出もできるとのことだ。

思い出したきっかけも、また、「ネットが関係したこと」だった。漢字のことを知りたくて調べていたわけではない。偶然辿り着いた記事がきっかけとなった。この記事にたどり着かなかったら、この本を思い出すことなんてあっただろうか?

ネットの力を感じた。

 

この話、「おさるのキーコは学校がきらいです」で始まるんだな。ちょっと意外。

「学校や団体行動と相性が悪い」といった類の記述、児童文学ではほとんど見かけなかったような気がする。子供の頃の私が児童文学や読書を好きになれなかった理由は、たぶんその認識にもあると思う。

思い出した。『つる姫じゃ~っ!』(土田よしこ 作 1973~1979年にかけて『週刊マーガレット』で連載)という漫画を画像検索したことがある。そのときに、「どーも私、団体行動が性格的に合わないの」という内容の科白が書かれたコマが見つかった。

「案外、昔は、タテマエしか許さない場とそうでない場の両方が存在していたのかもな。漫画が後者の役割を果たしていたこともあるのかもな。」とそのときに思った。

「児童文学が、タテマエの場の役割を果たしている」という認識、ひょっとしたら、私の思い込みもあるかもしれないな。『おさるのキーコ』が、想像もつかなかった見解とつながってしまった。面白い。

1970年代の目録や出版案内まで読みたくなった

今週のお題「読書の秋」

 

1970年代やそれより前の児童書に対して、思いがどんどん暴走していく。暴走していって、「1970年代の目録や出版案内まで読みたくなってしまったこと」について、まとまりのない文を書いてみる。目録や出版案内が「読書」にカウントできるかどうか、微妙ではあるが。

 

前回書いた「世界名言集(全20巻 ポプラ社)」で終わらないで、図書館で近くに置いてあった他の本まで思い出してしまった。近くには、「私たちはどう生きるか」シリーズ(全20巻 ポプラ社)や「君たちの未来のために」シリーズ(偕成社)もあった。当時の私には、難しそうな本に思えた。

「私たちはどう生きるか」シリーズは1960年頃に初版が出たようだ。ラインナップは、次のようになっていた。

  1. 吉野源三郎集 星空は何を教えたか 石だんの思い出
  2. 寺田寅彦集 団栗 柿の種
  3. 谷川徹三集 人生案内 雨ニモ負ケズ
  4. 天野貞祐集 おむすびの思い出 今の世を生きぬく力
  5. 武者小路実篤集 真実の美しさ 人生の名人
  6. 亀井勝一郎集 友情について 達人のことば
  7. 小泉信三集 平生の心がけ 国土のすがた
  8. 西尾実集 ことばの生活 ことばの芸術
  9. 高村光太郎集 生きたことば 智恵子の半生
  10. 渋沢秀雄集 父 渋沢栄一 心のアンテナ
  11. 笠信太郎集 ものの見方について 日本人としての教養
  12. 串田孫一集 雪の森の一夜 博物誌
  13. 本多顕彰集 わたしの好きな人、トルストイとわたし
  14. 金田一京助集 アイヌの話 啄木の話
  15. 清水幾太郎集 孤独な少年、愛国心について
  16. 池田潔集 スポーツに学ぶ 世界の窓から
  17. 辰野隆集 青年とわれら、たたかう心ゆるす心
  18. 井上靖集 あすなろ物語(抄) ある偽作家の生涯
  19. 伊藤整集 おていさいの真心 言論の自由と平和
  20. 中谷宇吉郎集 黒い月の世界 白い月の世界

「これらの本が図書館の児童書コーナーに置いてあったんだな。スゲー。今の私がこれらの本を手にとったとしても、内容を理解できる自信がないぞ。」「『生き方について、本を読んで考える』という態度も、当時は許されていたのだな。今なら、『本に頼った頭でっかちはダメ。友達をたくさん作って人間関係から学ばないとダメ。』とか言われまくるぞ。」と本気で思う。

小学校卒業直前に、このシリーズの『吉野源三郎集 星空は何を教えたか 石だんの思い出』を借りた。

「小6国語教科書に『石だんの思い出』が出ていた。他にどんなものがあるのか読んでみよう。」と思ったからである。読んでみたが、当時の私には難しすぎた。「君たちの未来のために」シリーズは、真面目な人生訓のような内容だったのでは?と想像している(読んでいない)。

これらのシリーズ、ろくすっぽ読んでいないのに、背文字の人名だけは覚えた。「精神的な成長の遅れた、読解力のない子供」だった私が、何故、これらの本が置いてあるコーナーに視線を向けていたのだろう? 不思議だ。

 

最近、ある知事や政治家による「アウフヘーベン」発言が話題になった。「アウフヘーベン? この言葉の意味をきちんと理解できている自信は、私にはないぞ。高校の倫理社会(注 私が高校生だった頃の科目名)で習った言葉だけど、資料集を読んでもわからなかったぞ。」と私は思った。

ここで、私の頭は変なことをついつい考えてしまう。「ひょっとしたら、昔の児童書なら、哲学とかヘーゲルとか弁証法とかアウフヘーベンとかいったことについてふれた本もあるかもしれないな。」と。

「哲学 ポプラ社」で検索したら、アイドル・ブックス(全60巻)60『哲学ノート』がでてきた。著者は勿論三木清。『人生論ノート』もでてきた。発売年月1967年1月となっていた。他の本のラインナップから考えるに、アイドル・ブックスは中学生も対象となっているようである。

『人生論ノート』?中学生がこれを読むのか?スゲー。

 

 

1970年代、ポプラ社からは「理科の実験観察シリーズ全50巻」「子供向けの古典文学全集」も出版されていた。これらのシリーズの内容も興味深い。検索したら、「ポプラ・ブックス」や「ポプラ社の少年文庫」というシリーズも見つかった。

 

古典文学全集 (3) 竹取・落窪物語

古典文学全集 (3) 竹取・落窪物語

 

 

「1970年代のポプラ社児童書目録なんてあるんだろうか?もしもあるのなら、たくさんの面白そうなシリーズものをチェックしてみたい。本によく挿んである出版案内とかもあったんだろうか?それも読んでみたい。」「ポプラ社以外の出版社についても、昔の目録や出版案内を読んでみたい。」なんてことを考えてしまった。

世界名言集(全20巻 ポプラ社)を読みたくなった

今週のお題「読書の秋」

 

「45年前に出版された、中高生向け科学本」のことを前回書いた。この科学本を手にして、1970年代の児童書についてもいろいろと思い出した。そうしているうちに、小6の頃に読んだ(というより眺めたという感じだが)世界名言集(全20巻 ポプラ社)を読みたくなってきた。今回はこれについて書く。

私は1971年に小学校へ入学、1980年に中学校を卒業した。つまり、私にとっての1970年代は義務教育とつながっている。本屋の児童書コーナーは、今と当時とではだいぶ様子が違っていた。

当時の児童書コーナーには、ジュニア版文学全集の類がたくさん置いてあった。当時の私は、これらの本に対して複雑な思いを持っていた。私は、精神的な成長の遅れた子供だった。これらの本が、お堅い、難しすぎる本に思えた。私の姉や弟は読んでいたようだが。

「これらの本を読みたい」という積極的な思いは持てなかったのだが、これらの本に対して「ある種の気楽さ」も同時に感じていた。当時の私は、「『子供向けに、やさしく書きました』という感じの本を読んだのだが、大人の好きそうな感想を持てなかった」というときに、「お前は読解力がない。幼稚すぎる。」といった言葉を大人から浴びていた。「見るからに難しそうな本だから、わからなかったと言っても他の本を読んだときほどは責められない」という思いも持っていた。

これらの本に対しては、とりあえず、タイトルと作者の名前だけは覚えた。それで子供時代が終わった。読解力のある子供にとっては、楽しい読み物だったのかもしれない。

 

坊っちゃん (ジュニア版日本文学名作選 4)

坊っちゃん (ジュニア版日本文学名作選 4)

 

 

小学生時代、読書は好きではなかった。しかし、小6の頃毎週土曜日は地域の図書館に行くことにしていた。校区外に出るというだけのことが、当時の私にとっては楽しいことだったからだ。

小6の梅雨時期だったか、何故か、図書館にあった『歴史名言集(日本編)世界名言集19』(岡田章雄 ポプラ社 1968年第1版)に興味がわいた。借りてみた。世界名言集は、1966~1968年に第1版が出された本である。

 

文学名言集 日本編 (世界名言集 17)

文学名言集 日本編 (世界名言集 17)

 

 『歴史名言集(日本編)世界名言集19』の表紙には、武田信玄の言葉と肖像があった。写真やイラストもたくさん使って、名言と人物について説明してあった。しかし、私の読解力ではこの本の内容がよくわからなかった。

わからなかったのだが、何故か、「このシリーズ読むのやめよう」とはならなかった。「ティーンエージャー向け」と、このシリーズ本には書かれていた。「ティーンエージャー」の意味をうちにあった辞書で調べた(小学生向け辞書には出ていなかった)。すると、「10代の人」といった意味が出ていた。

「私は11歳。だから、ティーンエージャーだ。読めるはずだ。」と、とんでもない誤解を当時の私はした。ティーンエージャーの意味を知ったのは、中学に上がってからだった。

「精神的成長の遅れた、読解力のない、小6児童」が「中高生向けの名言集を背伸びして読んでみようとする」ことに、なってしまっていた。

「世界名言集」のラインナップは、次のようになっていた。

  1. ケネディ名言集 下島連 
  2. 釈迦名言集 友松圓諦
  3. シュバイツァー名言集 三浦靱郎
  4. 親鸞名言集 寺田弥吉
  5. ゲーテ名言集 植田敏郎
  6. 孔子名言集 伊藤高麿
  7. ヘッセ名言集 高橋健二
  8. 聖書名言集 関根文之助
  9. トルストイ名言集 本多顕彰
  10. 福沢諭吉名言集 富田正文
  11. チャーチル名言集 佐藤亮一
  12. イソップ名言集 三浦靱郎
  13. シェイクスピア名言集 本多顕彰
  14. リンカーン名言集 猿谷要
  15. 孫子名言集 山田勝美
  16. 徳川家康名言集 桑田忠親
  17. 文学名言集(日本編)古谷綱武
  18. 文学名言集(世界編)本多顕彰
  19. 歴史名言集(日本編)岡田章雄
  20. 歴史名言集(世界編)関楠生

このブログ記事を書くためにいろいろと検索したら、『文学名言集(日本編)』の表紙画像が見つかった。高見順の名言が書かれている。画像を見て「高見順? 高校あたりで初めて知った名前のような気がする。」と思った。読書好きの人なら、小学生ですでに高見順を知っていたのかもしれないな。文学や歴史等について、今私が持っている知識は、小6の頃とほとんど変わっていない。

その後、「他にどんな人の名言が出ていたのだろう? その人たちについてどのような説明がなされていたのだろう? 今読んだら面白いかも。」「読解力のある子供なら、この名言集を読んで、更に文学や歴史や思想等の本を読みたくなったということもあったかも。」と思った。

「文学や歴史等の教養を持った人が、これらの本を再読」ではない。「教養を持たないまま大人になった人間が、年だけ取った状態でこれらの本を再読」してみたくなる。こういう状態になるなんて、思ってもいなかった。

タイトルに出ている人名、「名前だけは知っている」状態にある。しかし、思想とか背景とかほとんどイメージが湧かない。「名前は知ってる。だけど、義務教育の授業で詳しく扱うわけではない(と私は思った)。中学生にもわかる説明となれば、どんな感じのものになるのだろう?」と思った。

孫子徳川家康については、「何か、今なら児童書というよりビジネス書にありそうだな」などと思ってしまう。中学生向けにどのような解説がなされているのだろう? ビジネス書とタイプが違うんだろうか?」知りたくなった。

 

画像検索で、『ケネディ名言集』『シュバイツァー名言集』『親鸞名言集』『ゲーテ名言集』『福沢諭吉名言集』の表紙を見ることができた。歴史名言集(世界編)の表紙には、確か、ナポレオンの名言が出ていた。

「表紙に出ていた、シュバイツァー親鸞やナポレオンの言葉」を検索した。すると、上位で出てくるタイプの名言ではなさそうだった。「著者独自の解説がなされていそうだな。面白そう。」とますます興味がわいた。

岩波科学の本(1972年第1刷)3冊

今週のお題「読書の秋」

 

先月、地元のとある古本屋に入ってみた。この古本屋は、もともとは岩波書店の本をたくさん置いていた書店だった。毎月、岩波新刊案内のポスターも貼られていた。10年ほど前から、新刊を置かなくなったようだ。

店先のワゴンには、岩波新書や岩波ジュニア新書や岩波文庫の古いものがたくさんあった。100~200円だった。

「面白そうな岩波ジュニア新書がたくさんある。しかも格安で。あれも欲しいこれも欲しい。だけど金がない。」と思った。せっかくだから、店内もみてみようと思った。店内には、新書や文庫以外の本もあった。そして、「岩波科学の本」シリーズのうち、3冊が見つかった。

「このシリーズが、今、手に入るなんて。信じられない。このチャンスを逃したら、もう読めないかもしれない。格安のジュニア新書よりも先に、これを買うことにしよう。」と決めた。買ったのは次の3冊。

 

湖の魚 (岩波科学の本)

湖の魚 (岩波科学の本)

 

 

 

たねの生いたち (1972年) (岩波科学の本〈3〉)

たねの生いたち (1972年) (岩波科学の本〈3〉)

 

 

 

望遠鏡をつくる人びと (岩波科学の本)

望遠鏡をつくる人びと (岩波科学の本)

 

 『望遠鏡をつくる人びと』のみ、1987年第10刷発行。この本のみ、ISBNが書かれている。本に印刷されている定価は、この本が1700円で他の本は800円。「3冊で2000円でいいよ。」と、店員さんの言葉。ラッキー。

45年前に出た、中高生向け科学本。これを今、大人になってから読む。意外な部分に反応してしまう。『望遠鏡をつくる人びと』はまだ読んでいない。

『湖の魚』は水産学の本。「そういえば、水産学の本ってこれまで読んでなかったな」と初めて意識した。

「漁師がいつどこで、どんな方法で魚をとるかを調べることによって、魚の生活を考える」「魚群探知機」「餌の種類を調べる際に、水生昆虫の勉強が役立った」等読んで、「広いジャンルの知識が必要なんだな」と改めて思った。

「近ごろ環境庁というお役所ができて」という記述もあった。環境庁設置は1971年。なるほど、「近ごろ」という表現になるんだな。

「1963年に皆既日食があって、そのときに日食のときの魚の行動を調べた」ことも出ていた。「日本ではその後46年は見られないというので、北海道まで行って調べた」とのことだ。「その後46年」の皆既日食は、2009年の日食だな。2009年のときも、「生物の行動」が話題になっていた。それを思い出した。当時からみたら、2009年は遠い未来。本を読んでいて2009年のことを思い出すのも、何か不思議。

「これこれこういうことが、今のところはわかっていない」という記述もいろいろとあった。

「日本中の湖での、ワカサギの雄と雌の割合」について書かれていた。「北海道、東北、関東、中部地方では雄のほうが多いが、九州や山陰では雌のほうが多い。その理由は今のところ全く不明」とのことだった。

「今なら理由がわかっているのだろうか?」と思って検索してみたが、関係のありそうな記事をうまく見つけられなかった。見つけられなかったのは、私の検索下手が原因かもしれない。

 

『たねの生いたち』は、シダと種子植物等植物相互の関係、種子でふえる植物がどのような経路を経て進化してきたか、ということについて書かれた本だ。

「シダや種子植物については中学理科の授業で出てきたけど、具体的イメージがわかないまま暗記でしのいできた」ことを思い出した。

『湖の魚』もそうだったが、この本でも「歴史」を感じた。

1948年、遠藤隆次先生が「ペコプテリス・サマロプシス」という化石を満州から持ち帰られた。先生は帰国のときに、それを肌身からはなさず、苦心に苦心を重ねて日本に持って来られた。そのころは、そのころは、中国からいろいろのものを持ち帰るのが、たいへん困難だったからである。

という記述があった。

また、「1953年、シダの採集のため沖縄にでかけた」ことについても書かれていた。台風で食糧がなくなると、島の人びとはソテツを食べた。調査中に、ソテツの実に中毒した人のうわさを聞いたとのことだ。「復帰問題、基地問題、台風情報など、沖縄の報道を見聞きするたびに、ソテツの赤い実が悲しく思い出される。」と書かれていた。

今読んで、この本は「1972年5月20日第1刷発行」なんだなと思った。

 

岩波科学の本シリーズ、他の本も読みたい。しかし、なかなか見つからない。

古本屋には、「福音館の科学シリーズ」もあった。『うくことしずむこと』『ひがしとにし・みなみときた』などが。これも欲しくなった。

欲しい本がたくさん見つかった。しかし、カネがない。

「人に迷惑かけていい」と「障害者が声をあげる」の間にあるもの 3

 

はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース

この記事と搭乗拒否事件とのブコメ反応に温度差を感じる。この記事では「私的な人間関係の中で『優しさ/ふれあい』によって問題解決」重視、搭乗拒否事件では「各種機関の責務や制度も要再検討」と障害者側が主張故?

2017/08/01 01:43

 

はてなブックマーク - News Up 「人に迷惑かけていい」40年前のドラマにいま、共感 | NHKニュース

 

 

山田 太一さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス

障害者の声を聞き取った者が、どんな立ち位置にいるかが不問にされているケース多し。「声」は、聞き手が本人に期待する事柄によって、不採用のリスク有。その辛さを無視した「迷惑かけていい」なら脅威ともなりうる

2017/07/28 00:41

前々回と前回の記事で、「降板させられる声」「主役に抜擢される声」「声の無効化」「障害者のための恩恵的な福祉」「『他の者との平等』を基盤とした、権利に基づく福祉」について書いた。

今回は、「障害者の声を受信/発信すること」と「誰のための支援か」ということについて書く。

 

1.「降板させられる」「主役に抜擢される」以前に、「声をあげられる状態になっていない」ケースもある。

 

「声をあげる」ということは、障害者本人にとって、どういうことなのか。次のようなことだと私は考える。

「本人が必要性を感じているときに、何らかの特別なサポートがなされる→そのことによって、非障害者との平等を基盤とした暮らしを行う」ことを願っての行為と。

そして、「平等に暮らしたい。しかし、社会には障害に対する偏見や差別がある。それらを気にせず生きていたい。」という思いを持つことも、正当なことである。

しかし、障害者の中には、「自らが感じた必要性やそれに対する思いが、正当なものである」という感覚を持てない(というより、「これまでずっと持たせてもらえなかった」だと私は思っているが)状態の人もいる。

「自らが感じている必要性を表明することについて、不安感や抵抗感がある」「障壁が除去されたらどんな状態になるのか、全く想像がつかない」という状態なのかもしれない。

  

障害者が感じている「ハンディ」には、次の2種類のものがある。一つは「機能的な制約」、もう一つは「社会関係的な制約」である。私はそう考える。

・「機能的な制約」の例:読み書き計算がうまくできない故、説明書が理解困難などの不便さを感じる。

・「社会関係的な制約」の例:「ひきこもり」のまわりにあるもの 2 - karotousen58のブログで書いたエピソードのような、「機能的な制約の影響で、他人に被害感情が喚起される。被害感情にかられた人が、障害者本人に対して制裁を加えることもしばしば。そして、本人も罪悪感にさいなまされる。」こと。

 

クラス全員で文化祭の準備に勤しんでいるときに、自分が行動しても何一つうまくいかない。ついには何かに躓いて倒れこみ、他人の作業の成果まで破壊してしまう。自分ひとりで後始末できるわけもなく、予定を延長して他の生徒が補修するハメになる。こうして、他人の怒りを買うことになる。 「あいつは他人に迷惑をかけている。何故俺たちがとばっちりを食わなければならないんだ。許せない。」と。

「ひきこもり」のまわりにあるもの 2 - karotousen58のブログ

 「(自称)支援者や(自称)理解者」が、「社会関係的な制約」を否定するケース、これはよくある。「プライドが高い」とか「要は、勇気がないんでしょ」とか「人の目を気にしすぎる、ええかっこしいだね」とか言われたと、私に打ち明けてくれた障害者が少なからず存在する。知的障害者精神障害者発達障害者の場合は更に、「障害の特性故の、偏った認知だね」などと勝手に決めつけられる場合もある。

「機能的な制約なら、傷つくのは自分だ。だけど、社会関係的な制約だと、自分以外の人も傷つく。後者はもっと辛い。」という思いを、障害者本人が持っていることは多い。

前回書いたことを繰り返すが、

障害者が自分の「声」を聞いてもらうためには、「自分の『声』が正当であること」を提示しなければならないということになる。提示に失敗したら、「自覚と自己管理に失敗しておきながら、他人や社会に何かを要求しようなんて、甘え。」と認識されてしまう。しかし、その「正当性」は、「非障害者中心主義や能力主義等によって台無しにされ続けてきたもの」と私には思えるのだが。

「声」の正当性を求める以前に、「『声』を聞く側の立ち位置や、聞き手が障害者本人に期待していること」について非障害者側が見つめなおしてみることも、必要だ。私はそう考える。

 

2.誰のための支援か

社会環境整備や支援は、

・障害者のために非障害者が行う特別な救済活動へと、つなげるものなのか?

・多様な人々にとって助けになったり役立ったりする活動へと、つなげるものなのか?

も考える必要がある。

社会制度や技術や設備が、どういうモデルで作られているか?「平均的な標準的な人」をモデルとして作られていた場合、それに合致しない人が出てくるケースも考えられる。

ここで、「平均的な標準的な人」の内実がどんなものなのかが問題となってくる。

「平均的な標準的な人をモデルに」というのが、実は、「実際にはほとんど存在しない、標準さんをモデルに」だったというケースも、ありうるのでは? (平均や標準について、誰がいつどこで「これが平均や標準だ」と確かめ合ったのか? むしろ、先にいろいろと分けておいてから、「これが平均や標準」というあべこべな決めつけをしているケースもあるのでは?) 

と私は考える。

「実際にはほとんど存在しない、標準さん」をモデルにして作ると、多くの人が困難を感じることにもなりうる。そうではなくて、「人によっては、こういう困難もありうるかもしれない」といったことをいろいろと勘案して作る策を取ったらどうなるか? 

ひょっとしたら、「何らかの特性を持つ人にとって使いやすい」だけではなく、他の人にとっても使いやすいものとなりうるかもしれない。

 

3.「声」の発信と受信→新たな関係性の構築

  

前々回と前回の記事で、「『援助が受けられるか否かは、障害者側の援助要請スキルにかかっている』という認識」について批判的に書いた。

障害者が「声」をあげたとき、「具体的な援助行動」以外にも何か変化が起こる。それはどういうことか?

答えは「発信した側と受診した側との間で、新たな関係性が構築される。」ということだ。私はそう考える。

新たな関係性を構築するには、発信した側にも受信した側にも何らかの変化が求められる。

嘲笑や揶揄や偏見等が現実に存在する中で、障害者が「声」を発信する。発信することによって、不可逆的な第一歩が始まる。

他方で、受信した側には、「発信された『声』をどのように受け止めどのように解釈したか、それを考えていくこと。」ことが求められる。

発信した側にとっては「考えざるをえないできた問題」、それを「声」としてあげる。その「声」は、受信した側にとっては「考えなくても済んできた問題」。「考えなくても済んできた」側の立ち位置について、考えるきっかけとなる。

そして、「考えざるを得ないできた発信者」と「考えなくても住んできた受信者」との間に、新たな関係性を構築することになる。

 

「発信された『声』をどのように受け止めどのように解釈したか、その解釈に偏向はないのか、受信した側が自らの生き方や価値観を再考すること。」が、受信した側に必要だ。私はそう考える。

・発信した側が、何故、『声』をあげなければならなかったのか。そして、どんなことを願っていたのか。受信した側がそれらの原点に立ち戻る。

・受信した側は、発信した側に対して何を期待しているのか。そして、受信した側が期待しているものや価値観によって、聞く価値のある「声」とそうでない「声」とに分けていないか。それを考える。

という視点が必要だと思う。

勿論、「新たな関係性を、作っていく(どちらか一方だけが作っていくというわけではない)」という認識は、発信した側にも必要である。

そして、そのことは「障害者が声をあげる」以外のいろいろな場面でも当てはまることだと思う。

  

(ひとまず完結)