karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

『贈りもの』(岡野薫子 作)という児童文学を、突然思い出した

突然、『贈りもの』(岡野薫子 作)という児童文学を思い出した。

この作品は、私が小5の頃の国語教科書(教育出版発行)に掲載されていたものである。教科書ではタイトルが「おくり物」となっていた。

小学校の授業以来、この話を思い出すことなんてなかったと思う。「何故、唐突に今?」

更にそのとき、この話の細かい描写を次々と思い出してしまった。「これだけ覚えているにもかかわらず、何故、今の今まで思い出すことがなかったのだろう?」

昭和49年度版 - 教育出版

私には2つ上の姉がいる。姉は昭和48年(1973年)度版の小5用国語教科書を使っていた。姉の教科書にも、この作品は掲載されていた。私の小学生時代、「教科書の音読」という宿題も担任から頻繁に出されていた。たぶん、姉も何度か音読していたのだと思う。この話は、4月の授業で扱った。参観日の授業にされたのも覚えている。

そういう条件があるとしても、何故、私は細かい描写をいろいろと覚えていたのだろう?

我ながら不思議。

 

今はネットの時代。検索してみたら、『砂時計』(偕成社文庫)という本に収録されているとのことだった。地元図書館にあったから借りた。再読して、「本当は恐ろしい話かもしれない『贈りものごっこ』」だと思った。

砂時計 (偕成社文庫3041)

砂時計 (偕成社文庫3041)

 

 

『贈りもの』は、次のようなお話である。(注 読解力がなく国語の成績も悪くひねくれた性格を有している私が、とんでもない誤読をしている可能性あり。)

 学校で「贈りものごっこ」なる遊びがはやっていた。主人公を含む仲良しグループ(スクールカースト上位層)が、この遊びを楽しんでいた。

ある日、よし子ちゃんという女の子(内向的で友達がいない子)が、「私も(贈りものごっこに)入れて」と主人公に言う。

仲良しグループはよし子ちゃんを歓迎せず、「嫌がらせ的方法」を用いてよし子ちゃんと一緒に贈りものごっこをする。それにもかかわらず、贈りものごっこに参加した後のよし子ちゃんの態度は、「ぐう聖」的だった。 

 

 突然思い出した直後、私の頭の中には次のことが浮かんでいた。

スクールカースト、「集団が個人に及ぼす力」の怖さ、恐喝や暴行とは異なる「仲間外れ」系排除、要領のよいいじめっこと要領の悪いいじめっこ、「みんなと打ち解けて、話のできる子にならなきゃいけませんよ」的メッセージ

小5の頃の私は、「皆と打ち解けて……」的メッセージ以外は頭に浮かばなかった。「仲良しグループが嫌な奴らだ」とか「『よし子ちゃんを見習え』などと、担任や親から言われまくるだろうな」ということで頭がいっぱいだった。

よし子ちゃんの家は八百屋で、彼女はよく手伝いをしていた。よし子ちゃんの接客の様子、嫌がらせ的方法やよし子ちゃんの持ってきたプレゼントについての具体的描写を、何故か私は覚えていた。43年以上後に再読して、「私が覚えていなかった描写」を知ることができた。

「集団が個人に及ぼす力」とその怖さについて、主人公によるモノローグ的描写もあった。「主人公は要領の悪いいじめっこタイプのようだな。仲良しグループの他メンバーは、要領のよいいじめっこタイプで。」と思わせる描写もあった。それらの描写について、私は覚えていなかった。というより、「当時の私が精神的な面での成長が遅れていた」「関心を持つところまでいかなかった」のだと思う。

  

恐喝や暴行とは異なる「仲間外れ系」排除。それはしばしば、「仲良しグループ以外の人の関心をひきにくい、目立たない方法 と犠牲者を選ぶ」かたちの排除となる。

被害の証拠が残らない。更に、「仲間外れにされている」と誰かに訴えることは、「自分は人気のない劣った存在」と自己申告することに近い。それ故、「誰かに相談する」ということが困難となる。

『贈りもの』では、次のような形で「仲間外れ系排除」がなされていた。

仲良しグループのメンバーが、「内向的で友達がいないこと」=「よし子ちゃんに問題がある」と認識→逸脱の一種としてみなす。そして、「よし子ちゃんについての勝手なフィクション」を作り上げ、それを排除の理由とする。「勝手なフィクション」を作り上げたメンバーは、「自分たちが作り上げたフィクション」であることを忘れてしまい、最初からあった事実のように思い込んでしまう。

 

いわゆるいじめっこには、要領のよいタイプと要領の悪いタイプが存在する。例えば、要領のよいいじめっ子は直接には手を下さず、誰かをそそのかせていじめさせる。そそのかされて直接いじめるのは、要領の悪いいじめっこである。そして、しばしば、被害者が「自発的に」集団から出ていくのを待つという方法が取られる。

『贈りもの』では、「嫌がらせ的な贈りものの準備と、よし子ちゃんからの贈りもの受け取り」を、主人公がやる展開となっていた。

 

スクールカーストめいたものは、私の小学生時代にもあった。集団内部の力関係や人間関係をうまく読み取れる子がスクールカースト上位層だ。学校内部で最も力を持っている人が誰であるのか、その人と仲良くなるにはどの人を味方につければいいのか、必要以上に仲がよくなるとまずいのは誰なのか、といったことをうまく読み取れる子が、上位層となる。「友達のいない子」は、スクールカースト最下層とみなされる。

もっとも、それらの洞察力は、「他人との調和を上手にはかりながら集団をつくる」ことというよりも「波風を立てないようにする」ことに向けられているのだが。

学校内において、「教師や親」と児童生徒は、対立関係になることもあれば連帯関係になることもある。「教師や親が、スクールカースト上位層の子と連帯意識を強く持つ」こともある。そうなると、スクールカースト最下層の子は、教師や親からもみくびられてしまう。

私が小5のときの担任も私の親も、「スクールカースト上位層との連帯意識」を強く持つ人に思えた。私は「スクールカースト最下層」の子だった。「よし子ちゃんを見習って、友達をたくさん作る努力をしなきゃいけませんよ」的メッセージを、当時の私も感じていた。

 

贈りものごっこに参加した後のよし子ちゃんの態度は、「ぐう聖」的だった。その態度によって主人公は、「集団と個人との関係や力」について、自分を見つめ直した。そして、よし子ちゃんに対する認識を変えた。この出来事の後、よし子ちゃんは打ち解けて、主人公たちと話をするようになった。

ひねくれている私は、この結末にモヤモヤしている。

「ぐう聖」的態度の取られた場には、「仲良しグループの他のメンバー」はいなかった。つまり、主人公以外が、「よし子ちゃんに対する認識」を変えるきっかけになったか否か? 「ぐう聖」的態度という「結果オーライ」じゃねーの? 排除された側が「ぐう聖」的態度を取ることを、(特に大人が)アテにしてるんじゃねーだろうな? ついつい疑問を持ってしまう。

「この話はフィクションだろ。夏炉冬扇は大袈裟だな。」と思われるかもしれないが。

スクールカースト上位層との連帯意識」を強く持った人(特に大人)によって、「一人でいるのは悪いこと。仲間になる努力をしなきゃいけない。」「排除されても、ぐう聖的態度を取ってがんばって強くならなきゃいけない。」という価値観が「隠れたカリキュラム」として作用するかもしれない。とも思った。もしもそうなら、個人的には嫌だな。

 

この単元で、「集団と個人との関係」や「仲間」ということについて、当時の小学校でどのような授業がなされていたのだろう? 教科書準拠の参考書や問題集では、どのような記述がなされていたのだろう? これらが気になってしまう。

フードコート感覚で気軽に入るのにちょうどいいカフェ

フードコート感覚で気軽に入るのにちょうどいいカフェ、それは「LABAR 車尾店」である。「車尾」は、鳥取県米子市の難読地名。「くずも」と読む。スーパーマーケットの中に店舗がある。

「フードコート感覚ではなく、ゆっくり時間を過ごせる店がいい。」という場合は、車尾店以外の店舗をおすすめ。

 

鳥取や島根では、大手のカフェチェーンが進出しなかったからローカルチェーンが生き残る余地が生まれた」という説を、どこかで聞いたことがある。

だが、私はその説に同意できない。

「違う。順序が逆だ。鳥取や島根には、もともと地場コーヒー文化が強い。大手チェーンが進出しなかったのは、田舎だからというのもあるが、ローカルチェーンがすでに人気を持っていたという条件が大きい。」と思っている。

「全国で唯一、スタバの店舗がない鳥取県」と言われていた頃も、私の観測範囲内では次のような意見が結構聞かれていた。

「LABARや澤井珈琲や服部珈琲工房(のローカルチェーン)があるから、無理に進出しなくていいぞ。鳥取県に進出した時点で、スタバは特別な場所ではなくなるぞ。」

(注 「スタバが鳥取県にない」ということが話題になった後に、「すなば珈琲」というチェーンが新しくできた。)

それぞれのチェーンにそれぞれ違った魅力がある。同一チェーン内でも、店舗によってメニューが違うこともある。

更に言うと、個人経営カフェの中にも魅力的な店が結構ある。

これらのチェーンの中で私が一番気に入っているのが、LABARである。

 

今回の記事でとりあげるのは、「LABAR 車尾店」である。私の生活圏内では、この店舗だけが「フードコート的雰囲気」を持ったものになっている。この店舗にはランチメニューはないが、他の店舗ではパスタなどもある。

アレンジコーヒーがいろいろと楽しめる。エスプレッソが特に面白い。コーヒー系が苦手な人も、ジュースやスムージーなど、他のものも楽しめる。テイクアウトもできる。

オリジナルの工房で制作されたスイーツもおいしい。スーパー内ベーカリーのパンもおいしい。

「山陰の地場コーヒー文化、他地域の人にも味わってもらえる機会があったらいいな」と思う。

r.gnavi.co.jp

#ちょうどいいお店

チョコミント続報

家族に盗み食いされないチョコミントアイス - karotousen58のブログで、「今シーズンはまだ、チョコミントフレーバーのお菓子を見かけない」と書いた。しかし、書いた直後にそれらが店に並ぶようになった。

今までのところ、「特別よく売れている」という雰囲気ではなさそうである。ただし、「私の住んでいる地域は、チョコミント不人気ゾーンにある」とは決めつけられない状態にある。

というのは、「今年の夏があまりにも暑すぎる」からである。

一日の最高気温が36度以上となる日が続くと、やはり、「売れ行きのよいスイーツ」が変わってくる。

アイスなら、乳成分の多いものよりも「氷菓」の人気が高くなる。

暑すぎる日が続くと、やはりチョコレート系商品の売れ行きは落ちるようだ。

 

チョコレート系スイーツ、高級すぎる商品だと、私が食べられないケースがでてくる。

理由は、私が貧乏人であるということだけではない。高級すぎる商品だと、「洋酒使用。アルコールに弱い方はご注意ください。」という類の注意書きがあることが多いからだ。

私は下戸である。その種のスイーツを食べるだけでも、気持ち悪くなってしまう。

最近も、ある店で「○○乳業 焼スイーツ 夏限定チョコミント」なる商品を見つけた。「期間限定か。ちょっと買ってみるか。」と思って手に取った。やはり例の注意書きがあった。買えなかった。残念。

 

去年の今頃、鳥取県民自慢のアイス - karotousen58のブログという記事を書いた。

この記事でふれた「大山乳業協同組合」でも、今年、「チョコミント ラクトアイス」が発売となった。

dainyu.or.jp

製品紹介 | 大山乳業農業協同組合

しかし、私の居住地域ではその商品を見かけない。「チョコミント不人気ゾーン疑惑」がある地域だからなのか? 疑惑に関係なく、「暑すぎるから、乳成分の多いアイスよりも氷菓が売れそう」ということなのか? 理由は不明である。

この「チョコミント ラクトアイス」を売っている店、どのくらいあるのだろう? 謎だ。

 

この暑さが続くと、チョコミント系スイーツの売れ行きが心配になってくる。特に、「チョコミント不人気ゾーン疑惑」のある地域だと、「店頭に並ばなくなるかも?」いう不安がある。

チョコミント系スイーツを楽しめる程度の暑さにとどまってほしいものだ。

今週のお題「2018年上半期」

今週のお題「2018年上半期」

 

「考えれば考えるほど、『発達障害』というものがわからなくなってしまう。」

2018年上半期は、これを痛感した。

 

確かに、「発達障害、何それ?」ではなく、「あの子には問題があるけど、障害かもしれないから配慮してあげなきゃ。」というトーンで語られることは増えてきた。

では、その語りが何をもたらしているのか?

「親や支援者が特別に配慮してあげなければならない無力な存在」か「社会機構の円滑な運営を妨げる人達。だから、本人が自覚と自己管理をできるように、親や支援者が配慮してあげなければならない存在。」としてのポジション提供をもたらしたんじゃねーの? と私は疑っている。

 

発達障害に限らず、「障害者」を「他者」化して線引きする動きがある。そして最近、そのやり方が巧妙化しているのでは? という思いが新たに出てきた。

わかりやすい偏見に基づく差別に関しては、やはり批判はなされる。しかし、その批判は、「自らがどんな立ち位置にいるか」を意識しない状態でなされている。

何か世間を騒がせる問題が起こった際、「あの事件に関係のある人も、発達障害みたいだな。」というコメントを見ることが増えたように思う。特定の人を「発達障害者」に仕立て上げることによって他者化し、自分を「私は、そういう問題を起こさない、普通のみんなの仲間」に仕立てる。「発達障害者」とされた人の状況について調べたわけでもなく、その人の意見を聞いたわけでもなく、「普通」の内実について検討したわけでもない。

「あんな事件を起こすなんてけしからん」ではなく、「障害かもしれないから、考えなきゃ」という、一見「寛容」なコメント。実は、いろいろなシカトがなされている。私はそう捉えている。

 

「学校でトラブルを起こす子供」について、ホットエントリーとなったものがある。該当記事が削除されているため、詳細は書けないが。

この記事に対するコメントに、「発達障害と思われるから、病院に連れていけ」的内容のものがたくさんあった。

コメントを見て、私は驚いた。

「いきなり発達障害を持ち出すのか? 『意思疎通を図ることがあまりにも困難』とでもいうのならまだわかるが。相互行為のあり方とか、状況とか、その場に特有の構造的な制約とか、いろいろな条件を吟味して、その吟味の段階で発達障害概念を使うほうがよさそうと判断した場合に適用、という方向ではないのか?」

「障害名を、子供の全人格というふうに捉えているのだろうか? 障害名は、ある場所・ある目的・ある都合によって作り出されたという面もあるのでは?」

「子供の場合、『発達の途上』という軸と『どんな場面で障害として考えられるのか』という軸の両方があるんじゃねーの? 前者を軽視している可能性もあるぞ。」

といった思いが出てきた。

そういえば、発達障害関連本や発達障害啓発マスコミ報道やweb記事でも、始めに「関係性をきちんと作れないのが、発達障害」という見解が出されることがよくあるな。関係性って、他者や場との関係によって変わってくるものでは? 問題を「発達障害とされた個人」にだけ還元していいのか? この思いもある。

「安易に(←ここ重要)発達障害概念を『誰かの全人格』と仕立てて、ディスコミュニケーションの原因とする」よりも前に、「どのような文脈で、誰の、どんな言動が影響しているのかを。その都度、コミュニケーションの場にいる個々人がじっくりと考える」という方向性。これを踏まえる必要があると思った。

家族に盗み食いされないチョコミントアイス

今週のお題「チョコミント

 

私の家では、「アイスクリームを冷凍室に長時間入れておく」ことは危険な行為である。家族に盗み食いされる危険性が極めて大であるから。しかし、チョコミントだけは盗み食いを免れるアイスである。私以外の家族は、チョコミントを嫌うから。

 

私がチョコミントアイスを食べるようになったのは、15年ほど前からだったと思う。それまでは、チョコミント系スイーツを特別に意識していなかった。

チョコミント系スイーツを初めて食べたきっかけは、ある日、何も考えずに母がチョコミントアイスを大量に買ってきたことだった。完全閉店直前の店で、とんでもない値段になっていたから買ったということだった。

私を除いた家族全員が、一口食べて「これいらない。おまえにやる。」と私に言った。一方、私は「面白い味だな。氷菓でもなく、普通の乳製品系とも違う。別ジャンルとして気に入った。たくさんもらえてラッキー。」と思った。それ以来、新製品を見るとチェックするようになった。

チョコミント以外のアイスなら、買ってきたらすぐに食べなければヤバい。店でおいしそうなアイスを見かけたとしても、そのとき空腹でなかったら買わない。その点、チョコミントアイスだと安心して買える。

「チョコミントが好きだが、居住地域ではそれらは人気がない」という人の中に、同じようなことを考えている人や経験した人もいるのだろうか?

 

どうやら、私の居住地域ではチョコミントは人気がないようだ。

今シーズンはまだ、チョコミントフレーバーのお菓子を見かけない。

チョコミント系アイスは、2種類だけ見かける。スーパーカップのチョコミントと、とあるドラッグストアのみで売っているものとである。スーパーカップのチョコミントは、置いているスーパーとそうでないスーパーとが半々といった感じである。コンビニではほとんど見ない。

チョコミント系ドリンクを、コンビニで見かけることが稀にある。しかし、その場合でも、他系列のコンビニに行くとその製品が置かれていない。

今週のお題紹介ページでは、「今、チョコミントが旬な季節。店頭にはチョコミントフレーバーのお菓子がずらりと並びます。」と出ている。他の地域ではそうなのか? うらやましい。

『おしゃべり階段』を思い出した

修学旅行でのヘアアイロンの持込み

はてなブックマーク - 修学旅行でのヘアアイロンの持込み

記事とブックマークコメントを読んで思った。

今は、「『コンプレックスとどう向き合うか』というテーマでの会話がやりにくい時代なのかもな」「容姿にまつわるコンプレックスを煽る空気、私が子供だった頃よりもずっと強いんだろうな」と。

そして、『おしゃべり階段』(くらもちふさこ 作)という漫画を思い出した。最近、NHKの朝ドラ『半分、青い』関連でも話題になった漫画である。初出は、別冊マーガレット1978年9月号~1979年3月号。私の姉が、当時、別冊マーガレットを買っていた。

この漫画は、中学から高校、予備校を経て大学受験までの、主人公の成長を描いた作品である。主人公は、「いろいろなコンプレックスを抱えた女子中学生」としてスタート。主人公がいろいろな出来事を経験したりいろいろな人と交わって、コンプレックスと向き合いながら成長していく話である。

 

初出のとき、私は中2だった。リアルタイムで読んでいた。精神的な成長の遅れていた私は当時、この漫画での「コンプレックス」というテーマをほとんど意識していなかった。悪役的な人のうちの一人が、「国分寺さん」という人だった。

この「国分寺さん」、作品中の存在感は大きい。しかし、顔や姿は全然出てこない。活字だけの登場である。

「この国分寺って人、いったいどんな奴? どうして活字だけの登場なんだ?」ということが、当時の私の関心ごとだった。私の感性は、やはりズレている。

 

1990年の盆、私は帰省した。姉も帰っていて、古本屋で『おしゃべり階段』の単行本を買った。当時私は25歳。久しぶりにこの漫画を再読した。そして、「コンプレックスに対する描写、スゲー。やはり、別冊マーガレットの看板作家となるだけの実力派だ。」と思った。

この漫画に次のようなシーンがある。単行本が手元にないから、うろ覚えの記述になるが。

主人公は、「コンプレックスのかたまり」という感じの女子中学生でスタート。主人公にときどきちょっかいをかける男子生徒がいる。主人公はその男子生徒に対して、「いつも自信満々にふるまっている人」というイメージを持っていた。

しかし、あることがきっかけで、「その男子生徒もコンプレックスを抱えている」ことを知ってしまう。また、「それでも、その男子生徒は努力を続けている」ということも意識する。

そして、主人公は決心する。「私も、自信を持てるものを探していこう。私の巻き毛はきれいだ。」と。

(主人公の抱えていたコンプレックスのうちの一つが、天然パーマであることだった。)

「男子生徒のこと」→「決心」となる経過などについては、ネタバレになるから書けない。私が、「コンプレックスに対する描写、スゲー。やはり、別冊マーガレットの看板作家となるだけの実力派だ。」と最初に思ったのは、この場面だった。

変な説教に走らない、安易な解決策を持ち出さない。そういう描写だった。そういう描写で、結構大切なことを伝えていると思った。この場面に限らずいろいろな場面で。

 

リンク先記事を読んで思い出したのは、脇役のことだった。とんがらし、光咲子、立川先生、いい人だなあ。脇役のほうが頭に浮かんでしまう人って、他にもいるのだろうか? 単に私の感性がズレているだけかもな。

 

初出のときは、コンプレックスというテーマをほとんど意識しない状態で読んでいた。当時の私は、精神的な成長が遅れていた。しかし、「コンプレックスを感じることじたいは悪いことではない。コンプレックスとどう向き合うか、これも大切。」というメッセージを、当時の私も心のどこかで、この漫画から感じていたのかもしれない。

その当時、リアルの世界では、次のような言葉を私は受けていた。

「悩むなんてこと無駄だからやめなさい。いつもにこにこと楽しそうに暮らせないようではダメ。」

「そんなくだらないことで悩むなんて、バカとしか言いようがない。考えるならまともなことを考えろ。」

「スポーツに没頭しろ。そうすれば、くだらない悩みを持たなくてすむ。」

これらの言葉とは違ったメッセージ、「貴重だ」と思った人は他にもいるかもしれない。

修学旅行もどき

今週のお題「修学旅行の思い出」

 

修学旅行か。私が「1970年代に鳥取県の公立小学校に入学」したことを意識させるお題だな、これは。

私は小学校入学から高校卒業まで、公立校にいた。私のいた学年では、小中高いずれも、「修学旅行」なる行事は存在しなかった。

 

小学校と中学校では、修学旅行ではなく「宿泊研修」なるものだった。「青年の家」の類に泊まった。

私が高校に入学したのは1980年。当時、その地域の高校には修学旅行なる行事はなかった。高2のとき、授業中にある教師が、「その昔、新聞の三面記事にのるようなことをやらかした生徒がいて、それ以来修学旅行をやらなくなった。」と語った。その証言については、真偽のほどは定かでない。

私は1983年に大学に入学した。大学で、富山県の高校でも修学旅行がないと知った。(当時の話である。今はどうなのかわからない。)「えっ、富山だけだと思っていた。」と、富山県出身者が驚いていた。

「北陸東海地区の大学なら、富山出身だとわかったら、『修学旅行、どこ行った?』とからかわれる。」と、その人が話していた。その人の証言によると、富山県の場合は、「そんなことをするよりも勉強しろ」という理由で修学旅行が行われないということだった。

 

1970年代後半、鳥取県内の公立中小学校では、何故か「修学旅行のありかたを再検討」ということが流行していたらしい。その再検討とやらの結果、「宿泊研修」に変わった学校が何校かあるらしい。

小学生のときは、私がいた学年から「宿泊研修」に変わった。その前の年までは、京都へ修学旅行に行っていた。

中学生のときは、私より1学年上から「宿泊研修」に変わった。その前までは、四国へ修学旅行に行っていた。

私には2つ上の姉がいる。姉はぎりぎりで両方の修学旅行に参加したことになる。「京都や四国へ行けないなんて、かわいそうだな。」と、当時姉からよく言われた。

しかし、私の思いは違っていた。宿泊研修のほうが気楽だった。やるべきことがはっきりしていて、他の生徒とべたべたくっつく必要が、修学旅行よりもなさそうだったからだ。

  

中学の宿泊研修では、次のようなことが予定されていた。

カッターボート漕ぎ(男子)、テーブルマナー(女子)、「会議の持ち方」というタイトルの講習受講、レコード鑑賞、施設内にある本を読む、天体観測、各クラス単位での出しものがあるレクリエーション(学校での集団行事につきもののやつ)等。

この研修は、1979年6月下旬に、西日本某所で行われた。この時期の西日本といえば、梅雨の真っ只中。しかも、強い雨の降る時期だ。だから、カッターボート漕ぎ(男子)と天体観測は、なされなかった。

この宿泊研修については、どういうわけか、変なことばかりが印象に残っている。

目的地には貸切バスで行った。バスの中では某男子生徒がマイクを独占し、石野真子(当時のアイドル歌手)の歌を歌いまくっていた。狼なんか怖くない、私の首領<ドン>、失恋記念日、日曜日はストレンジャー、プリティー・プリティー、全部歌っていた。

レコード鑑賞では、なぜかアルゼンチンタンゴを聴くことになった。ラ・クンパルシータやエル・チョクロがあったのを覚えている。隣のクラスの担任が音楽教師だったのだが、その教師が、「好みの曲(が入ったレコード)がたくさんある」と異様にはしゃいでいた。

各クラス単位の出し物、クラスというクラスで、『魅せられて』(歌 ジュディ・オング)を歌う展開になっていた。勿論、生徒本人が作った衣装をクラス代表に着せて。

他のクラスの某男子生徒が「当時のプロ野球選手の真似をする」という、出しものもあった。王貞治小林繁掛布雅之竹之内雅史江川卓山本浩二衣笠祥雄星野仙一平松政次大杉勝男といった選手の真似をしていた。江川卓が出てきて岡田彰布が出てこない。このことと『魅せられて』(歌 ジュディ・オング)とで、「1979年の話なのだな」とわかる。

 

「修学旅行もどき」というタイトルだが、私の本心は「この宿泊研修、よかった」である。