karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

特別お題「私の一人暮らし」

#私の一人暮らし

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このお題でも、「お若い人には通じないと思われワード」がいろいろと浮かんでしまう。

私が初めて一人暮らしをしたのは1983年。実家から遠く離れた大学へ進学したことがきっかけだった。

「賄い付き下宿」って今はどのくらいあるのだろう? とか「『合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学』なんて今では難しくなっているようだな」とか、最初に頭に浮かんだ。

私は、親から信用されていない子供だった(今でもそうだが)。大学入学手続も、親は私にさせてくれなかった。親がしゃしゃり出て、大学まで行って手続きをした。そのときに、親が勝手に下宿を決めてきた。

親は最初、賄い付き下宿にする気マンマンだったらしい。「どうせおまえは、料理なんてできないだろう。」と言っていた。しかし、私の姉が猛反対をした。

「賄いつき下宿の中には、『ごはんのおかずがうどん』とかいったトンデモなものを出すところもある。自炊ぐらいできるようにしたほうがいい。」と姉が主張した。入学後、そのような証言を数人の学生から得た。

そして、賄い付き下宿の話はお流れになった。「大学の近くに安い定食屋がたくさんある。そこか学食を使え。」と親は私に言った。

 

大家さんの職業は、質屋だった。高校卒業までは、意識しなかった職種である。家賃を払うために、初めて質屋の入り口を開けたとき、わくわくしていた。そのときのことを今でも覚えている。

洗濯は、コインランドリーを使っていた。

コインランドリーには、いろいろな雑誌が置いてあった。高校卒業までは全然意識しなかったタイプの雑誌もあった。週刊ベースボール週刊朝日の類、中央公論の類、女性週刊誌、主婦の友の類、いろいろあった。少し古い雑誌が置かれていた。1975年発行といったような、大昔の雑誌が置かれていたこともある。

これらを読むのも楽しかった。

コインランドリー近くには、缶入り飲料の激安自販機もあった。この自販機を使うのも楽しかった。

 

食事については、親の言いつけを無視して自炊をした。

以前書いたことがあるが、私の親は2人とも食べ物の好き嫌いが激しい。両方の親が嫌っている食材は、うちの食卓には出てこなかった。「うちの食卓に出てこない料理を食べたい」と表明するだけで、親は不機嫌になった。学校給食で使われなかった食材は、私にとっては「未知の食材」だった。

一人暮らしを始めるまでは「未知の食材」がたくさんあった。それらを食べてみたかった。だから、「あれも食べたいこれも食べたい」という思いで自炊をしていた。「未知の食材」を使うときは、更に気合が入ったものだ。

炊飯器などの調理家電も買った。当時は、いわゆる「花柄家電」が出回っていた。

下宿には風呂がついていなかった。近くの銭湯に通っていた。番台の人とか銭湯の常連客が、私に声をかけてくださった。みんないい人だった。銭湯通いも楽しかった。

「自炊してるんでしょ。えらいねえ。」と商店街の人から声をかけられたこともある。戸惑うと同時に嬉しいと思った。「えらいのかな? ただ単に、実家での食事がつまんないから自炊してる。」と戸惑った。

 

賄い付き下宿、「合法的家出としての、実家から離れた地域への大学進学」、質屋、花柄家電、銭湯(スーパー銭湯の類ではない)、どれも時代を感じさせる言葉である。

1983~1994年まで、私は一人暮らしをした。その間、2回引っ越しをした。一人暮らしをしていた頃のアパート、今はもうない。ストリートビューを見ると、アパート周辺の風景も当時とだいぶ違う。私もトシをとるはずだ。

 

「下宿には電話をつけたくない」と私は強く主張した。親とはできるだけ話したくなかったからだ。「週1回うちに電話をする」ということにした。

親は私に、「否定形をとった命令や目標」を押し付けたがる人だった。「人さまの邪魔にならないように。」とか「どうせうまくいかないんだから、最初から不戦敗を決めろ。マイナスの結果なんか出すな。」とか「どうせうまくできないのだから、反感を買わない形でお願いして人に助けてもらいなさい。」いった調子で。

週1回の電話で「それらの命令や目標を、忠実に実行できているぞ」アピールをすることが、苦痛だった。「どうせおまえは、『可』を取るだけでいっぱいいっぱいだろう。」という類の言葉、当時、嫌というほど親から浴びた。

 

一人暮らしをやっていて、当然、うまくいかないことが出てくる場合もある。

「とても辛い味噌汁」とか「ご飯を鍋で炊いたのだが、水加減が変だったと思われるもの」を作ったこともある。

「まあ、これも経験だ。これが下宿じゃなくてうちだったら、親がぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる。下宿でよかった。」と思った。

一人暮らしをして初めて体調を崩したとき、思った。「ああ、風邪をひいてもバカ騒ぎをされずに済むんだ。これまでよりずっとましだ。」と思った。

 

一人暮らしをして、一挙にいろいろな世界が広がった。「コインランドリーでの洗濯や銭湯に行く等といった類の、日常生活のありふれたことでも、世界を広げていくきっかけになっていたのだな。」ということを、この記事を書いて再認識した。

「視野を広げろ。広い世界に出ろ。狭い世界に満足しないで頑張れ。」といった類の提言、いろいろな場でいろいろな人からなされる。

「頑張ろうと意識しなくても、案外、日常のささいな行動が世界を広げることに繋がっている場合もあるかもしれないよ。」とも私は思う。

男の子のひな祭り

今週のお題「ひな祭り」

 

「山陰地方のひな祭り」で有名なものといえば、鳥取県東部の民俗行事「流しびな」があげられる。流しびなについては過去に書いたことがある。

今週のお題 「ひな祭り」 - karotousen58のブログ

 山陰地方でも、鳥取県西部や島根県東部になると様子が違ってくる。今回は、これらについて書く。

 

この地域では、ひな祭りのお祝いは女の子のものだけではない。男の子も男児用ひな人形「天神さま」(「天神さん」ともいう)を飾る風習がある。人形ではなく掛け絵を飾る地域や家庭もある。また、旧暦に沿って、約1か月遅れで祝う場合も多い。

「天神さま(さん)」とは菅原道真のことである。島根県松江市宍道町菅原道真誕生の地と言われており(誕生の地に関しては、諸説あり)、天神さまを飾って、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う。

昔は、長男は家を継ぐから「座った天神さま」、次男からは「立った天神さま」を贈られていたらしい。

 

ひな祭りについて、鳥取県立博物館のサイトで調べてみた。すると、意外なことがわかった。

「男の子にも天神さま(さん)を祭っていた」地域は、鳥取県中部や東部にもあった。「鳥取県東部の流しびな」イメージが大きすぎて、鳥取県中部や東部では「女の子のお祭り」だと、調べる直前までずっと思い込んでいた。

鳥取県中部と東部のひな祭りは、地域が「海側にあるか中国山地側にあるか」「美作国(今の岡山県北東部。読みは、みまさかのくに)側にあるか兵庫県側にあるか」で、微妙に違いが出ているようだ。

美作国に近い地域の一部で、昭和時代の始めまでは「男の子にも天神さま(さん)」を祭っていた。美作国の影響を受けたと思われる。とのことだった。

 

美作国での「男の子のひな祭り」も、天神さま「菅原道真」と関係が深い。やはり、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う祭りらしい。今では珍しくなってしまったらしいが。

ひな飾りとして使われる人形は、津山では「ねり天神」美作国全体では「泥天神」とよばれているらしい。これらは、泥を固めただけの人形で、焼いたりしないのが特徴である。泥で作ったのは、古くなったり壊れたりした天神を、川に流す習慣があったからということだ。

 

ネットサーフィンをしていたら、「昔は男女一緒にひな祭りを祝っていた」という地域がいろいろと見つかった。

広島県北部もそうだった。節句人形は、「三次人形」(三次は地名)とよばれている。やはり「菅原道真の人形」を基本としたものらしい。

丹波地方でも、昔は初節句を男女一緒に祝っていた。「稲畑人形」という土人形がひな壇を彩っていたとのことだ。稲畑人形の代表格は、やはり、「天神さん」だとのことだ。

東日本でも見つかった。

静岡県の志太榛原地方では、男の子に天神人形を贈る習慣がある。やはりここも、菅原道真の卓越した才能にあやかれるようにと願う。

この地域で使われる人形は、これまであげた西日本の地域で使われたものと微妙に異なっている。江戸時代末期から明治初期にかけては、土でできた「ねり天神」がつくられていた。その後、人形の胴体が藁になり、布の着物を着せた衣装着天神がつくられるようになった。「志太天神」という名前ということだ。画像を見ると、衣装の豪華さがわかる。

 

ひな祭りは元々は、男女一緒に祝う日だったらしい。江戸時代になって、女の子を祝う祭りとなったらしい。

また、この頃から菅原道真をかたどった土の練り人形や張り子が作られるようになった。そして、節句に人形を飾る習慣が始まったということだ。菅原道真(845~903)の、時代や地域を越えた影響力の大きさに吃驚。

私が九州で暮らしていた頃、「男の子のひな祭り」について訊いたことが何度かある。「男の子もひな祭りを祝う? 菅原道真にあやかれるようにと願う? 聞いたことない。」という返事しかなかった。菅原道真といえば、「大宰府」がすぐに頭に浮かぶのだが。

江戸時代以降もひな祭りを男女一緒に祝っていた地域、他にもいろいろあるのだろうか? 中国地方に多いのも不思議だ。

シャム猫・三毛猫・尾曲がり猫

今週のお題「ねこ」

 

シャム猫・三毛猫・尾曲がり猫」は、猫の「(私にとって)興味深い特徴」がわかりやすく出ている。

 

小学生の頃からずっと不思議に思っていた。「シャム猫は、顔面や四肢や尾の先だけ黒っぽい。ヒマラヤンもそうだ。他の猫はそうとは言い切れない。何故だ?」

高校時代、「雄の三毛猫は非常にまれ」と知った。「遺伝子が関係するらしいが、どういうメカニズムなのだろう? 知りたい。」と思った。しかし、当時の私は、それを調べる方法すら思いつかなかった。

それから20年ほどたって、ネットが使える時代になった。15年前の今頃、突然、「三毛猫と遺伝子」のことが頭に浮かんだ。すぐにネットで調べた。そのとき、『ネコの毛並み―毛色多型と分布(ポピュラー・サイエンス)』(野沢謙 著)なる本の存在を知った。

 

ネコの毛並み―毛色多型と分布 (ポピュラー・サイエンス)

ネコの毛並み―毛色多型と分布 (ポピュラー・サイエンス)

 

しかし、この本はすでに絶版となっていた。地元図書館にあって、借りて読んだ。

勿論、「三毛猫と遺伝子」に関する説明が書かれていた。それ以外にも、いろいろと面白いことが書いてあった。面白いことのうちの一つが、「尾曲がり猫」に関することだった。

尾曲がり猫比率の、都道府県別分布図/近畿東海での更に詳しい分布図/南西諸島地域での更に詳しい分布図が出ていた。

私は高校卒業まで鳥取県で過ごした。卒業後、九州の大学に進学した。九州でいろいろな人から次の言葉を聞いた。「九州の日本猫って、変わったしっぽの猫が多いだろ?」。

分布図を見て納得。長崎県での尾曲がり猫比率は確か8割近くだったと、記憶している。

 

2010年頃、日本「長崎ねこ」学会(今は「長崎尾曲がりネコ学会」という名称らしい)を、ネットで偶然に知った。尾曲がり猫について検索していたら、『ネコと遺伝学(新コロナシリーズ)』(仁川純一 著)という本が見つかった。

 

ネコと遺伝学 (新コロナシリーズ)

ネコと遺伝学 (新コロナシリーズ)

 

この本にも、いろいろと面白い記述があった。「毛色を決める遺伝子」の説明がなされている箇所に、シャム猫に関する記述もあった。

そこでは、私が子供の頃から持っていた疑問である「シャム猫やヒマラヤンは、顔面や四肢や尾の先だけ黒っぽい。それは何故なのか?」ということについて、説明がなされていた。

40年以上前から疑問に思っていたことに対して、こういうかたちで解説にたどり着くとは思ってもいなかった。面白いものだ。

この本のまえがきで、『三毛猫の遺伝学』(ローラ グールド 著)という本も紹介されていた。この本にも興味を持ったのだが、残念ながら絶版ということだった。『ネコの毛並み』と『ネコと遺伝学』は、高校で習う生物1の知識がない場合にはとっつきにくく感じられるかもしれない。検索したところ、『三毛猫の遺伝学』は、これら2冊よりもわかりやすいとのことだ。ぜひ読んでみたい。

 

三毛猫の遺伝学

三毛猫の遺伝学

 

今週のお題「表彰状」

今週のお題「表彰状」

 

表彰された経験? そんなものはない。今後も表彰される見通しなんかない。

と書いた直後、「長寿犬表彰」なる言葉が頭に浮かんだ。

前にも書いたことがあるが、私が物心ついた頃から、うちにはずっと犬がいる。犬とのつきあいが長いと、世間一般の飼育リテラシーや飼育環境の変化がわかる。先代犬は長寿犬で、17年4か月生きた。もともと丈夫な犬でもあったのだと思う。こんな飼い主でも、このような長寿犬となった。

岡山県倉敷市には長寿犬表彰制度がある」と知ったのは、先代犬がいなくなってから2年後だった。私が住んでいる市には、この制度はない。次のようなイベントが年1回あるのだが、このイベントでは「参加申し込み頂いた方の中から、最もご長寿犬をたたえ、表彰させて頂きます!」となっている。「最も」となると難しい。先代犬が生きていた頃は、このイベントはなかった。

人と動物の会 イベント・講習会のお知らせ

倉敷市の場合、「倉敷健康福祉まつり いきいきふれあいフェスティバル」というイベントが公園で開催され、そこで表彰が行われるとのことだ。検索したら、このイベントの様子について書かれた記事も見つかった。去年は、天候不良のためにイベントが中止になったとのことだった。

 「長寿 犬 表彰」といった類のことばで検索すると、他の地方での表彰制度も見つかる。画像検索すると、表彰状や犬の写真がたくさん見つかる。表彰状の文面がいろいろとあって面白い。楯とかバッグなどの記念品がもらえる地域もある。

 

検索したら、表彰対象となる年齢は、地域によって違うようだ。また、「公益財団法人 日本動物愛護協会」でも、住んでいる地域と関係なく「長寿動物表彰」を行っているようだ。この法人の場合、「動物の長寿化に伴い、2017年4月より表彰年齢変更」とのことである。

変更前:17歳以上の犬猫
変更後:小型犬・猫:18歳~ 中型犬:15歳~ 大型犬:13歳~ 超大型犬:10歳~ 

    ハーフ犬、ミックス犬:体重で10㎏未満を小型犬、20㎏未満を中型犬、それ以上を大型犬と分類

 

うちでは12歳4か月の雑種犬(中型犬相当)を飼っている。あと3年ほどで表彰年齢に届く。今でも元気のよすぎる犬である。今の状態が続けば表彰の対象になるだろう。15歳を過ぎても、元気で長生きしてほしい。

15年ほど前に知った、バレンタインデー関連商品

今週のお題「バレンタインデー」

 

バレンタインデーについては、過去にこういう記事を書いた。私の方針は当時と変わっていない。

今週のお題「バレンタインデー」 - karotousen58のブログ

 

今回は、「15年ほど前に知った、バレンタインデー関連商品」について書く。

この商品を最初に見た場所は、ホームセンターだった。「うへえ、こういうもの、買う気になれねーや。高級すぎるぞ。」と思った。

ここまで書いて、「ああ、ひょっとしてあの系列の商品かな?」と思った人がいるかもしれない。

正解は、「ペット用バレンタインデー関連商品」である。

「バレンタイン 犬用」といった類の言葉で画像検索すると、ピンク色やハート形の含まれた派手な画像がたくさん見つかる。犬用チョコやら馬肉のトリュフやら、いろいろなものが見つかる。

 

断っておくが、ここでいう「犬用チョコ」は本当はチョコレートではない。チョコレートの主成分であるカカオにはテオブロミンという成分が含まれている。犬は、テオブロミンを代謝(解毒分解)する能力が非常に低いということらしい。だから、犬にチョコレートを食べさせるのは、とても危険なことである。犬にはチョコレートを与えてはいけない。

犬用チョコは、野菜や魚や豆腐などを使用したおやつということだ。犬が食べられない「カカオ」を使用せずに、チョコレートの見た目を再現したということらしい。

15年ほど前に見たとき、値段は2000円前後だった。「私が食べるものよりも、ずっと高価なものを食べられるということなのかな。よそのお犬様は。」と思った。

勿論、うちの歴代犬がこの種の商品にありついたことはただの一度もない。貧乏な飼い主だし。

もっとも、うちの歴代犬も貧乏舌の持ち主のようだが。こういう変なところも飼い主に似ている。

学習障害・タブレット・「書き写してこそお勉強」文化

 

読み書き計算が苦手… 学習障害ディスレクシアとどう向き合う? #あさイチ - Togetter

タブレットワープロ使用でもいいじゃないか」の主張は以前からある。しかし、「ノートとりに難儀」と「それ故器具使用」との間に飛躍はないか?。間に「書き写してこそ勉強」文化有では?この「文化」も再考が必要

2018/01/26 01:06

 「ノートに書く、タブレット端末に入力する、それらが選べるといい」というコメントは、ブクマ元記事にもある。また、「タブレットありきではなく、その子に合わせた方法を」というコメントもある。

これらのコメントを否定するわけではない。ただ、「『ノート取りに難儀する』という障害が、個人に内在する」という方向だけで考えていいのか? 他の方向から考える必要もあるのでは? いきなり、ノートかタブレットかの2択に走るのは、まずいのでは? という思いを私は持っている。

では、他の方向とは何なのか? それは、私が「書き写してこそお勉強」文化と呼んでいるものと、関係がある。

この文化が重視されすぎている学校やそれに繋がった社会のありかたが、「障害」とよばれている状態をつくっている。そういう面はないのか? この文化の内実はどうなっているのか? これらについて再考していくという方向からも考えられないか? ということである。

 

この文化については、過去記事「書いて覚えましょうメソッド」との相性 - karotousen58のブログでも書いている。

  

私の周囲には、「書いて覚えましょうメソッド最強」信仰の人多し。私の場合、「ノートとり」と「見る・聞く」の同時進行がうまくできない。後者重視のほうが内容が頭に入るのだが、怠け者の言い訳と解釈されてしまう

「書いて覚えましょうメソッド」との相性 - karotousen58のブログ

  

・かといって、「書くことなんて無駄」と主張したいわけではない。断片的な事柄を知った後、それらの事柄がどのようにつながっているのか、書くという方法を使って考えていく。その後、自分なりにまとめる。という方法がやりやすい。断片的な事柄を知らない状態で「書いて覚える」ということは、私にとってやりにくい。

「そんな面倒なことをしなくても、先生様が丁寧に板書事項としてまとめておられるのだからそれを覚えるほうがずっと効率がよい。」という主張もよく聞くが、私には実感がわかない。

・「見る・聞く重視」と「ノートをとること重視」のどちらの方法が、自分にとって相性が良いのか? (或は、両方を同時に満たすことを、自分なりに身につけているのか?) 悩んだり実際に試したりしたことのある人は多いのだろうか? それとも、迷うことはなかった人のほうが多数派だろうか?

・私のブックマークコメント中の、「書いて覚えましょうメソッド」は、しばしば、「ノートの乱れは心の乱れ」という見解とセットで用いられる(特に、大人によって)。

・「書いて覚えましょうメソッド」って、実は、「勉強しましたという、雰囲気作り」と「机に向かうことによって、外で無駄なことをさせることを防ぐ」という目的も隠れているんじゃね―の? という疑念を、私は持っている。

・確かに、漢字を覚えようとする場合は、実際に書かないと、漢字全体のバランスを意識しないことになる。その結果覚えられないということはありうる。しかし、(携帯電話が出回る前の話ではあるが)よく電話をかける相手の電話番号って、いちいち書いて覚えたんだろうか? 疑問がある。

・「特定の時間内に、反復できる回数」は、どうしても、「書く」場合よりも「見る・聞く・声に出す」という場合のほうが多くなる。「断片的な事柄について知る」段階では、反復回数も意味を持ってくるのでは?

また、「どれか一つの方法だけをとる」以外に、「複数の方法を併用」も有効なのでは?

「書いて覚えましょうメソッド」との相性 - karotousen58のブログ

実は、私の場合、「内容が頭に入らない」という問題以上に「文字を書くスピードが遅いため、とても汚い字(誰も読めないほどの)しか書けなくなる。」という問題も大きい。

学生時代は、「友人が学校を休んだとき、慌てて別紙に授業ノートの内容を書き写してそれを友人に渡す」という状態だった。

また、大学時代、試験が不安だった。大学の試験は、論述問題が多い。採点者が読める字を書こうとすると時間がかかって、制限時間内に書けないこともあった。制限時間内に書こうとすると、どうしても速く書こうとすることになる。そうなると、もともと汚い私の字は輪をかけて汚くなる。仮に私が優秀な学生で立派な答案を作れる実力があったとしても、採点者が汚い字を読めなかったらお話にならない。「読めない字が原因で、不合格となる」ことになりそうで、不安だった。

私は理系出身だ。だから、数字とアルファベットで間に合う部分もあった。それらは漢字やかなよりも、読みやすい字を速く書ける。もしも文系なら、漢字かな交じり文の答案を作る必要性がもっと高くなっていただろう。もしも小論文入試だったら、大学進学はできなかったと思う。

 

それらのことを、「書き写してこそお勉強」文化支持者に話すと、次の言葉をよくかけられる。

「速く書こうとすると、誰でも字は汚くなるよ。発達障害とか学習障害とか大袈裟。」「キミはあれこれ考えすぎるんだよ。余計なことを考えなくても、先生様が丁寧に板書事項としてまとめておられるのだから、それを頭に入れることにだけ集中すればいいんだよ。見る/聞くのは受け身の態度。書くことは積極的な態度。だから身に付く。」という言葉を。

これは的外れな返答である。「言われたことをそのまま書く」という場合でも、他人には見せられない字でしか私は書けない。同じ課題を他の人がした場合、「私が解読できる文字」で内容も正しく書いている。そういう経験を何度も私は積んでいる。

 

どうやら、私の観測範囲内では、「勉強は書いてするもの。書かないと頭に入らないし覚えられない。それが普通。」という推論が日常的に行われているようである。

果たして、その推論は妥当なのだろうか? 「それが普通」という表現での「普通」の内実は? 実は、「どこにもいない平均的な人」をモデルにした「普通」だった。そういう可能性はないのか? 

そして、その可能性があるのなら、その「普通」は「多くの人を排除する危険性のあるもの」になりうるのでは? と私は思う。

 

「文字を書くスピードが遅い、ノートとりに難儀、速く書けるようになりたいのだが、方法を思いつかない。我流で練習したことがあるが、うまくいかなかった。」という類の発言、実は、2000年頃に存在した「成人発達障害系サイトやそこの掲示板」で、何度かなされていた。

大学時代に、「字を書くスピードが遅すぎて、ノートとりや試験が心配」のことを友人に打ち明けたことがある。

「ノートをとってる最中、自分も内容が頭の中には入ってないよ。後に試験対策として見るために書いている。あんたの言うとおり、『黒板を見る/話を聞く重視』のほうが頭に入る。」と告白した友人も少なからず存在した。また、「ノートを貸した人よりも、借りた人のほうが良い成績を取ることなんてザラ」ということは、大学ではよく聞く話だ。

「医師はカルテを英語やドイツ語で書く(注 昭和時代のこと)。その理由は、漢字かな交じりの日本語よりも速く書けるからだ。」と、大学時代に聞いたことがある。「やっぱり、漢字かな交じりという条件は大きいな。」とそのとき思った。

本当に、「書き写してこそお勉強」文化が多くの人と相性が良いのか? 書き写しの負担を減らして「見る/聞く」に集中するほうが相性がよいという人もいるのでは? 書き写しの負担軽減については、「タブレットワープロ使用」以外に方法はないのか? 

タブレットワープロが使えない場合もある。また、ノートとり以外の場面では、自分の考えやいろいろな事項とのつながりを、書いて考えてまとめる勉強が自分にとってやりやすい。だから、使えない場合の負担軽減方法も知りたい。」という思いが本人にある場合はどうか? これらも考える必要があると思う。

 

負担軽減の方向性として、次の2点を考えたことがある。

  1. 「漢字やかな」を、数字やアルファベットや各種記号などの「早く読みやすく書けるもの」に変える工夫
  2. 文字を書くスピードを上げる練習

1.について

名古屋→758、農業→Agri、ゆえに→∴、すなわち→i.e、略字を使って漢字を書く(例 議→言+ギ)、というふうに書き方を変える。その際、「ノートの罫から多少はみ出してもいいから、できるだけ視点を黒板に向けたままで、ノートをとる」ようにした。

(注 勿論、「他の人に読んでもらう必要のある文」に対しては、これらの書き方は使わない。漢字や文章を書く練習は後で別に行う。)

2.について

「行書(文字のくずし)を覚えたら、書くスピードが速くなるかもしれない。そういえば、『中学や高校の同級生で、成績優秀かつ文化資本の高そうな家庭出身の人』が行書っぽいくずしを使っていたな。」と思って、ペン字の本を使って練習したことがある。1日15分の練習を半年間続けた。効果は感じられなかった。今思うに、行書の練習よりも先に「とめ、はね、はらい、といったことを意識して丁寧に楷書を練習する」ことが必要だったのかもしれない。

数日前に書店で「ペン字練習本」の類を立ち読みしたところ、「ひじなどの体の使い方」「横線、縦線、曲線の練習」といったことについてもふれている本があった。これらも意識する必要があるかもしれない。

 

確かに見てくれは悪いかもしれない。しかし、1.のような書き方を使ったノートを子供がとることも認めてほしい。「ノートをとる」という負担が軽くなったら、家で「きちんとした文字を練習してみる」こともやりやすくなるかもしれない。(子供時分の私の場合、「ノートの乱れは心の乱れ」で片づけられ、「書く」こと全般に恐怖感を持っていた。)

漢字練習について検索したら、書かずに漢字を覚える方法! - 次世代型個別指導塾アチーブメント -Achievement-という記事が見つかった。この方法と相性の良い人もいると思う。

 

いきなり、ノートかタブレットかの2択に走るのは、まずいのでは? と思う理由は他にもある。

「図や絵を書いて情報を整理し、問題を解く」必要が出てくるケースもありうる(例1 物理の試験で、現象を図式化してイメージ。例2 マインドマップといわれるような思考法と本人との相性がよい場合)からだ。

また、試験等の場で、タブレットが使える環境が必ずしも準備されているとは限らない。「それらを諦めるという形で選択肢を狭める」ことにつながるとまずいのでは? と思うからだ。

 

「書き写してこそお勉強」文化の過剰重視によって、社会的に作られている面がある、「学習障害」。そういう認識も必要だと思う。この認識で重要なのは、「何を改善すればよいか」の焦点が違うものになりうるということである。

学習障害」とみなされていない人の中にも、

  • 「書き写してこそお勉強」文化との相性の悪さを感じている
  • 「書き写してこそお勉強」文化しかないと思っているから、そこから離れることを恐れる→「書き写さなければ、頭に入らないに決まっている。頭に入らないのは、自分がバカだから。」と思い込んだ状態にある

人がいる可能性はないだろうか?

もしもそういう人がいるのなら、「書き写してこそお勉強」文化の内実やそれに繋がる学校や社会のありかたについて考え直すことは、学習障害者以外も利することになりうる。(念のための注 本当に「書き写す方法のほうが、見る/聞くよりも自分に合っている」人の場合、書き写す方法で勉強すればよい。)

そして、情報の送り手と受け手。送り手側が「伝えたい」と思っている事柄と、受け手側が「受け取る必要がある」と思った事柄。それらがうまく繋がるにはどうすればいいのか?

ということについても、考え直すための一つの鍵となるかもしれない。

第2回共通一次試験(1980年)国語

今週のお題「受験」

 

このお題で記事を書こうとして、「私も歳を取ったんだな」と思った。記事の題材になりそうなことが、次から次へと頭に浮かんでしまったからだ。

1982年神戸大学二次試験数学(「kの値を求めよ」という問題で、正解は「解なし」)、1985年共通一次数学(「昭和の米騒動」と言われた)、1989年共通一次理科で得点調整/国語でまさかの『源氏物語』出題、1980年共通一次国語の問題文、これらが特に印象に残っている。

今回は1980年共通一次国語の問題文について書く。

 

私は第5回共通一次試験(1983年)を受験した。1984年までの共通一次試験国語は、「評論、小説、随筆または解説文、古文、漢文」の全5問だった。現代国語(当時は「現代文」とはよばれていなかった)の配点が高かった。

第2回共通一次試験(1980年)国語の「評論以外の現代文」が、私にとってインパクトが大きかった。

といっても、試験場でこれらの問題を解いたわけではない。過去問集で知った。

出題されたのは、小説が『鳥寄せ』(三浦哲郎)、随筆または解説文が『ロン先生の虫眼鏡』(光瀬龍)だった。『ロン先生の虫眼鏡』は追試験での出題だったかもしれない。

 

『鳥寄せ』は、強烈な内容だった。「うへぇ。こんな重い内容の小説が出題されたのか。」と、試験問題を見て思った。「石地蔵になったとはどういう意味か」「網を持って山に入ったのは何故か」といった設問があったのを覚えている。

この問題を解いて以来、「三浦哲郎」という名前を見聞きすると真っ先に、「石地蔵になったとはどういう意味か」という設問が頭に浮かぶようになってしまった。『繭子ひとり』でもなく、『盆土産』でもなく、『春は夜汽車の窓から』でもなく、この設問が。

「鳥寄せ 共通一次」等で検索すると、いろいろと出てくる。やはり、「強烈な印象が残っている」という人は、私だけではなかった。『鳥寄せ』は、新潮文庫『木馬の騎手』に収録されている。

 

木馬の騎手 (1979年)

木馬の騎手 (1979年)

 

  

『ロン先生の虫眼鏡』(光瀬龍)というエッセイは、後に、原作には登場しない独自のキャラクターが活躍する漫画作品として再構成された。私が(誰かに買ってもらったのではなく)自分の小遣いで初めて買った漫画単行本は、この漫画『ロン先生の虫眼鏡』である。だから、過去問集で見たときに驚いた。

「この漫画の原作本が共通一次に出たのか。正答に届かないやつが多かったから悔しいな。」と、解いた後に思った。光瀬氏の中には「正答に疑問がある」という思いがあったそうだ。ネットを使うようになってからそれを知った。

 

ロン先生の虫眼鏡 (1976年)

ロン先生の虫眼鏡 (1976年)

 

 

 中学や高校の国語試験。「この話、全文を読んでみたい。だけど、題名も作者の名前も書かれていない。」と当時思ったものも、そういえばあった。

今はネットの時代。ネットを使っていて偶然辿り着いた記事で、それらが偶然にわかってしまうことがある。

立春の卵」の話とか、『ものの見方について』(笠信太郎)とか。中学時代の私に教えてやりたくなる。

私は国語が苦手だった。苦手な私にとっての国語試験でも、「全文を読んでみたい」と思う話に出会うチャンスがあったんだな。不思議なもんだ。と今は思う。

このような経験、他の人もあるんだろうか?