karotousen58のブログ

「変なことを思い出す→そのことについて、変な見解を述べる」というブログ

成長・同化・逸脱

今週のお題「〇〇の成長」

 

「成長」という言葉に胡散臭さを感じてしまうことが、私には時々ある。

発達障害啓発活動の類に接したとき」に、特に強く感じてしまう。

10年以上前に私は、成人発達障害関連自助会に何度か参加したことがある。自助会には、「発達障害者が身近にいる、非発達障害者」も数名参加していた。

自助会で発達障害者が、「自分の取ったこういう行動は、間違いでした。これからは、やらないようにします。」といった発言をすることが何度かあった。その発言のたびに、参加していた非発達障害者が次のコメントをしていた。

「そう、よく気づきましたね。ひとつ賢くなりましたね。賢くなって成長するよう頑張りましょう。」という類のコメントを。

正直なところ、それらのコメントが私には気持ち悪かった。確かに、「成長」といえる内容の発言もゼロというわけではなかった。しかし、私の頭の中には次の疑問が湧くことも多々あった。

「それ、本当に成長? 『同化』というヤツなのでは?」

「本人にとっての『成長』が、『逸脱』と勝手に決めつけらることもありうるぞ」

 

創作した具体例をあげてみる。「創作」と書いたが、このようなトーンでの発言が実際になされていた自助会だった。

例1

ある発達障害者が、「最近、主治医から聞いてうれしかった言葉」として発言。

発達障害者にしては、あなたは社会によく適応できています。『長い物には巻かれろ』という言葉の意味を、あなたがわかっていることが大きいです。」

この発言に対して、賛同コメント続出。「長い物には巻かれろ、大切なことですね」という空気が作られた。これに対して疑問を持った私。正直にコメントしたら、「逆張り思考がかっこいいと思ってるんでしょ、痛い人。成長しなきゃいけませんよ。」発言続出。

例2

「職場を解雇され(注 発言内容から考えるに、不当解雇も疑われる案件)、自分が発達障害ではないか?と思って」自助会に初参加した人がいた。その人の発言。

発達障害的なところがあるから務まらなかったのだと思います。発達障害を克服しないと職に就けないんじゃないかと思います。頑張ります。」

この発言に対して、「よく気づきましたね。決心できたのは立派です。一緒に頑張りましょう。」コメント続出。「不当解雇などにあたらないか、という角度からも検討が必要では?」と私がコメントしたら、「権利ばかり主張する痛い人」発言続出。

 

発達障害啓発キャンペーン、発達障害自助会、発達障害関連サイトやブログ、SNS」では、「成長」という言葉がどのように使われるか? 

  • 発達障害者の言動に、変容があった」と、「誰か」がみなす。
  • 「その変容は、好ましいものである」と、「誰か」がみなす。
  • その「変容」には、「『誰か』による、発達障害者への『見方』」を含めた「変容」が反映されているのか否か? 不明な状態。

「誰か」に該当するのはほとんどの場合、「発達障害者を観察する、非発達障害者」である。

「非発達障害者=支援する人、発達障害者=支援される人」認識。成長の度合いを、発達障害者本人の「能力の増加や欠如」によって測る。

「周囲の環境に合わせていくこと」を強調する、「同化」。他者との関わり合いを通じて、「自分がどのようにありたいか」を表現したり交渉したりする方向性は、除外。たとえ、その方向性で「本人なりの成長」をしても、単なる「逸脱」と解されてしまう。

 

発達障害者を観察する側が持つ、「発達障害者の行動変容を、解釈する枠組み」。これを含めた関係性のなかで、「成長」が語られない。また、観察「する」側と「される」側が一方的に決められている。私にはそう思えて仕方がない。

発達障害者は逸脱者。そのままだと排除されるだけの人。訓練によって成長(?)した人だけを認める」的な「発達障害啓発活動」と、私には思えて仕方がない。

発達障害「支援」(と呼ばれている)では、「作り笑顔の練習」が時々話題になる。「作り笑顔によって、どのような人間関係を築いていきたいのか」ということが明かされない状態で。

それが明らかにされないままだと、作り笑顔を「どうやって身につけさせるか」「どのような方法が効果的か」、本人に「何ができて、何ができないか」ということのみが、検討されてしまうかもしれない。

 

発達障害者の行動変容を、解釈する枠組み」。これを含めた関係性のなかで、「成長」を捉える。「変容」は、発達障害者本人だけにあるものではない。本人と社会とがぶつかり合いながら、互いに変容し、個人が社会の中で存在していく。

それを踏まえて、「作り笑顔によって、どのような人間関係を築いていきたいのか」ということを話してほしい。

と、過去にネットで発表したら、「余計なことを書くな」と某専門家からメールが来た。

 

発達障害者と「成長」、実は結構デリケートなテーマ。「成長像」が同床異夢状態にある。私も、この記事で書くことをを試みたけど、うまく書けない……